ハイスクール・ラビリンス  −1−

                                糸村 和奏 様


「……あ、」

自転車を漕ぎながら、思わず声が出てしまったのは。
前方でランニングをしている、後ろ姿が似ていたからだ。

ほんの少し動悸が速くなるのを感じながら、ゆっくりと追い越して……詰めていた息を吐いた。


――人違い。


顔は勿論、よく見ればそもそも髪の色が違う。なぜ勘違いしてしまったのだろう。日の光に反射して良く見えなかったからか。
それにしても、こんなところで幻覚を見てしまうなんて。不覚もいいところだ。

「……重傷、かしら」

額に手を当てて太陽を仰ぐと、意図せず苦笑が漏れた。





その男子生徒が、ナミの隣の席になったのは1か月ほど前だった。
薄い緑色の髪に、三連のピアス。強面で無愛想で、目つきが悪くて、愛想の欠片もない男。
いつも欠伸ばかりしていて、授業中だろうと何だろうと、平気で机に突っ伏して惰眠を貪っている。教師もその迫力に押されてか、あまり注意を受けることもない。
剣道部の特待生らしいということは、友人のウソップ経由で知っていた。なんでも喧嘩もめっぽう強いとかで、1年の時からそれなりに有名だったらしい。

男の名前は、ロロノア・ゾロ。
クラスメイトも、最初は遠巻きに見ていることが多かった。用事があれば話しかけるが、それ以外では基本的に、彼は一人でいる。彼自身、特にそれを気にしている様子もない。隣の席のナミも、ほとんど会話を交わしたことはなかった。睨むような目つきが、なんとなく苦手だった。
取り立てて恐れているわけでもないが、特に興味もない。触らぬ神になんとやら、だ。敢えて話しかけなくともナミには他に友達がいたし、一人でいるのが好きな人間もいるだろう。かえって不快にさせるくらいなら、何もせずにいた方が良い。そう、思っていた。


変わったのは、あの日からだ。


昼休み後の移動教室。他所のクラスでついつい女友達と話し込んでしまったナミは、急いで次の教室に向かっていた。もう予鈴はとっくに鳴り終わっている。早くしないと遅刻だ。

ところが、移動中に見つけてしまった。
いつも寝てばかりいる隣の席の男――ロロノア・ゾロを。

階段の傍の教室で、首をひねりながら男は呟いていた。


「……っかしーな、どこに行ったんだ?」
多目的室ってのはここじゃなかったか?


いかにも不思議そうな独り言に、ナミは思わず立ち止まった。
多目的室。それはまさに今からナミが向かおうとしていた教室だ。もちろん、同じクラスであるこの男も同じはずで。
それなのに、彼が立っていたのは家庭科室の前。
階も違えば、場所も見当違いだ。ナミは別のクラスにいたので偶然通りかかったが、普通に自分の教室から多目的室に行こうと思えば、まずこんな場所は通らないはずだ。

男はまったく平常通りの表情で頭を掻きながら、「また誰か入れ替えやがったのか?」などど間の抜けた台詞を発している。そんなわけがない。

「……あのぉ……」

どうにも無視できず、ナミはとうとう声をかけた。
「あ?」と振り返って瞬きを繰り返した男は、ナミをまじまじと凝視した。

「……おまえ、隣の?」

一応自分のことは認識していたらしい。
ナミは小さく頷いて、遠くの教室を指差した。

「多目的室なら、この上の階の向こうよ?」
「……あ? そうなのか?」
「そうなのかって……」

もう学年が上がってから3か月以上経っているというのに、今までの移動教室はどうしていたのか、この男は。
ひょっとして、とナミは呆れたように尋ねた。

「ロロノア君って、方向音痴なの?」

直球の質問に、目の前のクラスメイトは片眉を跳ね上げた。
怒るだろうかとナミは一瞬ヒヤリとしたが、男は苦々しく顔をしかめて「違ェ」と言っただけだった。

「俺じゃなくて教室が勝手に動くんだ」
「……ぶっ!」
「てめ、笑うんじゃねぇ! こっちはマジで参ってんだよ!」

顔を紅潮させて怒る男を、しかしナミは全く怖いとは思わなかった。本人は認めようとしないが、要するにただの迷子ではないか。こんな校内で迷うくらいなのだから、きっと相当な方向音痴なのだろう。
急に警戒心が薄れて、ナミは笑ったまま中庭にある購買を指差した。

「自販機のオレンジジュース」
「……は?」
「後で驕ってくれるんなら、連れてってあげる。案内代よ、迷子のロロノアくん」
「はあ?! てめェも今から行くんだろうが、何が案内だ! そもそも俺は迷子じゃねぇ!!」
「あら、私が見つけてあげなかったらあなた次の時間まで彷徨ったままだったんじゃない?」

言うと男はぐっと詰まった。今までにも似たようなことがあったのかもしれない。
不本意、を絵に描いたような表情で黙り込んだ男からナミはさっさと踵を返す。

「ほらほら、遅刻するじゃない。行くわよ〜」
「てめっ、待ちやがれ! 俺はまだ驕るなんて一ッ言も……!」

大声で文句を言いながらも律儀に付いて来る男に、ナミはもう一度声を上げて笑った。




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<管理人のつぶやき>
高校生のナミさんはゾロと同じクラスとなりました。とっつきにくそうに見えたゾロだけど、超迷子な一面を見て親しみが沸いてきますが・・・。

【閏月の庭】の糸村和奏様の投稿作品です。パラレル連載モノです!
糸さん、連載がんばってくださーい!!




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