ハイスクール・ラビリンス  −2−

                                糸村 和奏 様


そんな出来事があってから、ナミとロロノア・ゾロの距離は急速に縮まった。
強面なのも無愛想なのも変わっていないが、その実極度の方向音痴、そしてとんでもなく抜けたところがあるのが分かっただけで、印象は随分と変わるものだ。いつも不機嫌そうに見えるのも寝てばかりいるのも、朝から晩まで剣道部の練習に励んでいるからで、単に疲れているらしい。
ゾロの方はナミを油断ならない人物と認識したようだが、それでも邪険にするようなことはなかった。移動教室で声をかけると、複雑そうな顔はするもののちゃんと付いて来る。
クラスメイトたちはそんな二人の様子に驚いたようだった。

「ナミさん、すごいわねぇ。あのロロノア君を手なずけるなんて」

仲良しのビビの言葉に、ナミは噴き出した。手なずける。当人が聞いたらブチ切れるだろう。
ナミのおかげで、ゾロの方向音痴っぷりはすっかりクラスメイトたちの知るところとなっていた。そのせいで他の生徒たちも、幾分ゾロへの態度は和らいできている。
怖そうでいて意外とそうでもない、と分かってしまえば何という事はない。女生徒たちはまだ遠巻きに見ている節はあるが、少なくとも他の男子生徒たちは普通に会話を交わすようになっているようだった。

「やあね、そんな大げさなものじゃないわよ。でも放っておけないじゃない、あれだけ方向音痴だと」
「そうねえ。1年生の時はどうしてたのかしら。入学したての時なんて、ますます迷ってそうだけど……」

それはナミも疑問に思っていたことだ。
クラスメイトたちに付いて行って一緒に移動すればできなくはないだろうが、一人になれば右も左も分からなくなる男だ。この間は休み時間中にうっかり寝過ごしてしまったのが原因だったようだが、1年の時にも同じようなことはあっただろうに。

相変わらず席に突っ伏して寝息を立てている緑髪のクラスメイトに、ナミはちらりと目をやる。
目つきこそ鋭い男だが、顔立ちはそれなりに端正で整っている。そして寝顔は意外と年相応にあどけない。
思わずぼんやりと見つめてしまって、ナミは慌ててビビに視線を戻した。1年の時から同じクラスのビビは、にこにこと一見邪気のない笑みを浮かべている。

「ねえナミさん、もしかして……」
「ち、違うわよ?! 別に私はこんな奴のことなんて、」
「あら、私まだ何も言ってないわよ?」
「っ……あんたって時々、いい性格してるわよね」
「ナミさんにそう言ってもらえるなんて光栄だわ」

ビビが微笑んで言った時、突然知らない声が響いた。


「おい、起きろクソミドリ!! 朝っぱらから惰眠貪ってんじゃねェ!!」


柄の悪そうな声にナミとビビが振り向くと、金髪ですらりと背の高い男がゾロの机を足蹴にしていた。
何事かと二人で目を丸くしていると、ゾロが目を覚ました。

「んあ……? 昼飯か?」
「まだ1限目終わったとこだろうが、寝ぼけてんじゃねェぞマリモ野郎」
「あ?! なんだ……てめェか」

頭をがしがしと掻きながら顔を上げたゾロが、面倒くさそうに言う。
どうやらゾロの知り合いらしい。めずらしい、とナミは目を瞬かせた。他のクラスからこの男を訪ねてくる生徒は、今までほとんどいなかったのに。

「んで、何の用だ。俺は眠ィんだよ」
「非常に不本意だが、世界史の教科書を貸せ」
「……忘れたのかよ。なんで俺に言う」
「うるせェな、俺だっててめェなんざに借りたかねーよ。他のクラスはどこも今日世界史ねェんだから仕方なくだ」
「何で忘れたくせに偉そうなんだよ、アホ眉毛」
「全部置き勉してるてめェに言われたかねーよ! いいから貸せ!」
「それが人に物を頼む態度か、あァ?!!」

完全に喧嘩腰のやり取りを呆気に取られて眺めていると、金髪の男がナミとビビに気づいた。途端に男の相好が崩れる。

「んお?! なんだこの美しいレディ達は?!」
「え、あの、」
「おいやめろエロ眉毛。引いてんだろうが」
「うっせェ俺の愛の語らいを邪魔すんな! ま、まさかこの寝腐れマリモと同じクラスの?! 俺としたことが、完全にノーマークだったぜ……!!」

くおおおッ、と悔しがって身を捩る男に、ゾロが呆れた目線を向ける。
ナミとビビが顔を見合わせると、ゾロはため息を吐いて言った。

「悪いな……こいつ、とんでもねェ女好きで真性のアホだからよ」
「……えーと、ロロノア君の前のクラスメイト?」
「ああ、まァな。……おいサンジ、教科書なら貸すからとっとと戻りやがれ」
「うるせェそんなもんどーでもいいんだよ! ああ素敵なレディ達、名前を聞いてもいいかな?」

渋い顔をしたゾロを尻目に、サンジと呼ばれた男は手を握らんばかりの勢いで迫ってくる。
さりげなく距離を保ちながらも、ナミとビビはそれぞれ名乗った。よく見れば男の眉毛はくるりと渦巻いている。黙っていればイケメンの部類に入るだろうに、どこか三枚目に見えてしまうのはそのせいかもしれない。
そしてナミがゾロの隣の席だと分かると、サンジはその表情を歪ませて、親の仇でも見るかのようにゾロを振り返った。

「て、てんめェ……去年のみならず今年もか! 隣の席にこんな美女を侍らせやがって……! 俺なんか、俺なんかなあッ……!」
「なんだ、相変わらず隣は男ばっかか。よくよくクジ運ねェなてめェは」
「黙りやがれクソッタレェェェ!!」


――去年のみならず?


ナミは目を瞬かせたが、騒がしい言い合いはまだ続いている。

「大体なァ、てめェは贅沢すぎんだよ! ペローナちゃん今でも心配してんだぞ、てめェが毎日校内で徘徊してんじゃねーかって」
「誰が徘徊だ。別にあいつに心配される謂れはねェよ」
「んだと?! 3歩歩けば迷うはぐれマリモのくせして罰当たりなこと言ってんじゃねェ!!」

ペローナちゃん。
突如登場した女生徒らしき名前に、ナミは思わずサンジに話しかけた。

「あの、サンジ、君?」
「はいィ!! なんでしょう、ナミすわん?!」
「その、心配してる女の子って……」

ああ、とサンジは笑って頷いた。

「俺とこいつの、去年のクラスメイトなんですよ。俺と彼女は今年も同じクラスなんですけどね」
「へえ……」
「ほら、こいつこの通り寝てばっかだし、すぐ迷子になるじゃないですか。いっつも隣の席のペローナちゃんに世話かけてたんですよ」
「俺ァ別に頼んでねー……でッ! 何すんだてめェ!!」
「口に気をつけやがれマリモ。レディの優しさを無碍にする奴は万死に値する。……おっと、そろそろ時間だな」

ナミすわん、ビビちゅわん、また来るからね〜!
踵を頭に落とされて凶悪な目つきを向けるゾロをあっさり無視して、サンジはにこやかに踵を返した。手にはちゃっかりゾロの教科書を持っている。
二度とくんな、と悪態を吐くゾロからナミが目を逸らすと、ビビの気遣わしげな視線とぶつかる。

「ナミさん……」
「やだ、ビビったら何よその顔。ほらもう授業始まるわよ、戻って戻って」

タイミング良く鳴った予鈴に、ナミはこっそり感謝する。
隣の席から男の視線を感じたが、今はなんとなくそちらを向くことはできなかった。


――そうよね。
私だけじゃ、ないわよね。


考えてみれば、当たり前だ。自分が放っておけなかったのだから、前のクラスでも同じような子がいたことくらい。
理解はできるのに、じくじくと胸が痛む。その理由を、ナミは敢えて考えないようにした。




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