ハイスクール・ラビリンス −3−
糸村 和奏 様
「ロロノア君、」
「……あ? 移動か?」
「そう。行く?」
おう、と立ち上がる男を見やり、ナミはさっさと歩き出す。
サンジとの一件があってからも、ナミは移動教室のたびにゾロに声をかけ続けていた。
もうクラスメイトともそこそこ打ち解けたというのに、ゾロは他の男子生徒と一緒に移動することは少ない。クラス内ではなんとなく、ゾロの案内役はナミであるという暗黙の了解が出来上がっているらしい。最近では先生までもが、ナミに「おいロロノアはどうした?」などと声をかけてくるので、無視するわけにもいかなかった。
そうは言っても、この間の話を聞いてしまえば以前のような打ち解けた態度はどうしても取れない。
できるだけ普通に話しかけようとはするものの、自分でも何となくぎこちなくなってしまっているのが分かる。おそらくゾロも、ナミの態度の変化は薄々感じとっているだろう。元々無口な男なので言葉にはしないが、何か言いたげな目線を向けてくることはあった。
正直なところ、ナミは困っていた。
何でそんな目で見るの、と尋ねたくなる気持ちはあるが、とても直接聞く勇気はない。
今までは何の気なしに眺めていられた横顔を、見ていられない。
たまに目が合うと、思わず勢いよく逸らしてしまう。
そのくせ、教室に入ると姿を探してしまう。道端でさえも、よく似た後ろ姿を見つけると心臓が跳ねるほどだ。自分でも笑ってしまう。
――意識していることは自覚している。
この、むずむずと胸が疼くような感情を、なんと呼ぶのかも。多分、分かっている。
でも、認めるのが怖い。
認めた瞬間、失ってしまうかもしれないから。
ゾロの方が、どう思っているのかは分からないけれど。サンジの口振りからすると、きっと、その女の子の方は少なからず……
「……オイ」
黙って斜め前を歩くナミに、ぶっきらぼうな声がかかった。
どきりと跳ねる心臓に気づきながらも、ナミは立ち止まって振り返る。
「何?」
「……いや……お前、具合でも悪いのか?」
「え?」
思いがけない言葉にナミが目を瞬かせると、ゾロは決まりが悪そうに頭を掻いた。
「なんか機嫌悪ィし、顔が……変だし」
「ちょっと、変って何よ。私はいつだって可愛いわよ」
「誰がンなこと言った。……あーもういい、忘れろ」
俺の気のせいだ、とうんざりした様子の男にナミはひそかに胸を撫で下ろす。
顔が変、なんて。まさか当の本人から言われてしまうなんて。その奥にある感情に気づかれていないのが救いだが、まったく鋭いのか鈍いのかよく分からない男だ。
もうちょっと気を引き締めなきゃ、とナミが決意を新たにした時。
「あっ、ロロノア!」
廊下に響いた高い声。
振り向くと、長い桃色の髪をツインテールにした女子生徒が立っていた。
思わずゾロに目を向けると、男は「げっ」と小声を漏らして顔をしかめている。
「……何か用か」
「なんだその言い方は。相変わらず失礼な奴だな。まさかまた迷子か?」
「誰がこんなとこで迷子になるか。移動教室の途中なんだよ!」
ずんずんと近づいてきた女子生徒は、口こそ悪いがいかにも親しげにゾロと話している。
気は強そうだが、大きな目と長い睫毛が印象的な、可愛らしい女の子。
――もしかして、この子が、例の?
何も言えずに立ち尽くすナミを、女生徒がちらりと見た。
「……新しいクラスメイトか?」
「あ? あァ、そいつは……」
「わ、私、先に行くわね!」
ゾロが答える前に、ナミは荷物を抱え直し、ずんずんと歩き出す。
慌てたようなゾロの声が追いかけてきた。
「は? オイちょっと待……」
「次の教室ならここから3つ目よ。その子なら分かるだろうし、ちゃんと連れて来てもらうのよ!」
「んなっ……! アホか、自分で行けるに決まってんだろ!」
「行けそうにないから言ってるんじゃない」
「ロロノア、お前……やっぱり迷子は治ってないんだな?」
「うるせェよどいつもこいつも! 俺を何だと思ってやがる!」
言い合いをしながらも、女の子はどこか楽しげだった。ゾロの方も満更ではなさそうに見える。
あんなに親しそうに女の子と話すゾロは見たことがない。
ロロノア、なんて呼び捨てされても怒っている様子はないし。
そういうことなら、ねえ?
……邪魔しちゃ、悪いじゃない。
見ていられない。見ていたくない。
胸の中に渦巻く気分の悪さが、どうか声に出ていませんようにと願いながら。ナミは次の教室へと急いだ。
――結局、ゾロは次の授業には現れなかった。
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