Now Or Never!
りうりん 様
Act5
「なにぃい?!ちょっと待て!おい!」
ゾロの制止は無視され、一方的に通話を切られた携帯は無機質な不通音だけを無情に響かせるだけだった。
間もなくゾロたちの学校行事のメインイベントの一つとして学校祭が執り行われる。スポーツ校として各部による親善交流試合が行われることが恒例となっており、剣道部も毎年強豪と呼ばれる学校と対戦していたのだが、今年は先方の都合などが重なり、この時期になっても決まっていない。それをどこで聞きつけてきたのか、おそらく叔父のコラソン経由であることは疑いないのだが、兄弟弟子とも言えるトラファルガー・ローが名乗りをあげた。ゾロとしてもローであれば、相手に不足はないのだが、問題はローが高校生ではないということだった。お祭りなのだから相手校に対する規定は特にないのだが、ある意味前代未聞とも言えることだろう。
「チッ!」
盛大に舌うちして、苛立たしく携帯をポケットに突っ込んだ。ゾロがいくら騒いでも決まったことなら仕方がないのだが、ローの威張りくさった顔も傲岸不遜なものの話し方も気にくわなかった。憤懣やるかたないことこの上なく、ただでさえ深い眉間をさらに深くした。
***
「ありあとあんしたー」
気の抜けた棒読みのようなコンビニ店員の声を背に自動ドアを出ると
「飯食わせてくれえええっ――――!!」
大きな眼が目立つ中学生の魂からの叫びに、一体誰に言っているのだろうかと思わず周囲を見渡した。が、そこには誰もおらず、黒髪の中学生は
「腹が減って死にそうなんだよ。何か食わしてくれよ〜」
交友関係において冷淡というわけでもないが、見ず知らずの男子中学生に飯を食わせる義理はない。縋りついてくる頭を押しやり
「誰だ、おまえ。つか、腹が減ったのなら自分で買えよ」
「んな冷てえこというなよ。いっしょにサッカーした仲じゃないか」
「サッカー?」
サッカーは遊び程度しかしたことがない。中学の頃に助っ人として呼ばれたことがあったが…。
ふと、大きく笑う顔を押しやる手の力が緩む。
「ひょっとして、おまえ…ルフィか?」
公式試合ではない親善試合にもかかわらず、異様に白熱した試合だった。妙にゾロを目の敵にするダーツ眉毛とのディフェンスと、戦法も戦術も何もかも無視した攻撃で、試合を無茶苦茶にかき回し、ケガ人続出の中、ゾロとボールを巡りって削りまくったのが、まだ入部して間もないルフィだった。
あのころも小学生のような風貌だったが、今もあまり変わることなく、そのまま背が伸びただけの印象だった。「にしし」と笑うと左目の下にある傷が小さく引きつる。この男のことだから、どこかで無茶なことをして作った痕だろう。
「そんなに腹が減っていたのかよ」
目に付いたから何となくコンビニに入っただけで、それほど空腹なわけではない。差し出したビニール袋に飛びつくように受け取ると、大きく目を輝かせた。
「やっは、おめへはいいやふらな!」
「食うか、しゃべるか、どっちかにしろよ」
駐車場の車輪止めに座ると、気持ちがいいくらいルフィの胃袋に消えていくオニギリやサンドイッチを見ながら、「チョッパーもそんくれえ、食えればいいんだけどな」と、独りごちた。
年の離れた弟のチョッパーは食が細かった。本人は頑張って食べるのだが、体が追い付かないのだ。そのせいもあって同級生のなかでも一回り小さいような気がする。記憶にない父親のように人を助けたいといつからか願うようになり、学業が疎か気味の兄とは反対に熱心に取り組み優秀さを誇っていたが、体力のなさは埋めようがない。食べることが出来ないから、基礎体力が付かないのか。基礎体力がないから、食べることが出来ないのか。肩を落とすチョッパーに、どうも甘くなってしまうのはゾロだけではない。だからいつもはマーガレットたちがしている塾への送迎もテスト期間中は早く下校するゾロにしてほしいと頼まれると断りにくかった。
「家に着く前に死ぬかと思った。助かったぜ」
ちょっとは落ち着いたのか、腹をなでながらルフィが言った。結局、購入したものはすべてルフィの腹に収まってしまったが、また買いに行くはなく「そりゃよかったな」とズボンを払いながら立ち上がった。
「おまえ、時間があるなら、おれん家にこいよ」
「いや、用事があるからまた今度な」
「おれん家、すぐそこなんだ」
「おまえ、おれの話聞いてねえだろ。つか、家がすぐそばなら、おれにたかることなかったじゃねえか!!」
「おーい!ゾロ、置いていくぞ!」
「ルフィ!」
当然ゾロがついてくることを疑わないルフィの後姿にガリガリと頭をかくと、肺が空になるほど盛大にため息をついた。
***
ルフィとの初対面は中学からもう少し時間を遡る。小学生だったルフィが「赤毛」の姉にケガをさせたことがあり、たまたま居合わせただけゾロを父親のゲンゾウが誤解した。すでに剣道をやっていたゾロに、お詫びと礼を兼ねて職場の道場をちょっとだけということだったはずだ。そのちょっとは、そのまま習慣として続いていた。
「腹減ったぞー。おーい!ノージコー!」
新興住宅地の一角に見えた家は、いつだったかハンコックに連れて行かれた南欧の街を思わせるたたずまいだった。きちんと手入れされてはいるが、世帯主であるゲンゾウの雰囲気からの想像とは真逆にかけ離れていた。褐色の洋瓦に覆われた白い家はポーチから玄関ホールまでテラコッタタイルが貼られ、狭いながらも手入れの行き届いた花木が植えられ、ミカンの木らしきものも見える庭にはウッドデッキがあった。CMや雑誌に出てくるような絵に描いたアットホームを彷彿させるようなベタなデザインの家がゾロを向かい入れた。
「あんたね、『ただいま』はどうしたのよ、『ただいま』は。そっちが先でしょ!」
玄関ホールで腰に手をあててルフィを勢いよく叱りつける彼女は生命力を固めたような彼女はたしかにベルメールのDNAを引き継いでいると思った。思ったのだが、なぜだか記憶の中でも柳眉を逆立てたヘイゼルの瞳がゾロを見上げていた。
「あんたねえ…。あら、お友達?」
ルフィの姉は「赤毛」だったはずと、記憶との差異に困惑するゾロに、くせの強い水色の髪を耳にかけながらノジコが愛想よく笑った。
ノジコからのクレームに「今度から言う!」と鍛えられた背を押した。通された3階の部屋は日当たりも見晴らしもいい部屋だったが…。「適当に座れよ」と勧められても、どこに座る場所があるのだと言うくらい、実にルフィらしい実に雑多でカオスな部屋だった。自分の荷物がルフィの荷物に埋没されないよう傍らに置いたが、踏み出した足裏に痛みが走った。見ると幼児玩具のパーツの欠片のような物体で、どうみても対象年齢ではないルフィの部屋に落ちているのか、あまり考えたくない。この部屋には混沌としたブラックホールのような空間と未知の物体の堆積物がいたるところに存在し、たったいまゾロを襲撃したようなものも地雷のように仕込まれているのだろう。
「おおい、ゾロ。ドアを開けてくれよ」
両手いっぱいに飲み物や食べ物を抱え「ししし」と笑いながら
「ノジコの奴、買い物に行くって言っていたからチャンスだぞ」
そのチャンスとやらに便乗する理由はないし、さっきゾロが買ったものを食べたじゃないか。言ってやりたいことは次々沸いてきたが、ルフィ相手に深く考えても徒労感しかない。出てきた言葉は
「おれが言うのも何だが、ちったあ片づけたらどうだ」
「ん。かーちゃんたちにも言われるけど、ちょっと行方不明になりやすいだけで不便はないぞ」
「そりゃじゅうぶん不便だろうが」
きっと家族に何度も何度も何度も言われ続けたことなのだろうが、実行に移したことがないのだろう。こういうことは本人がその気にならなければ解決は難しいのだが、ことルフィに関しては永遠にそのときは来ないという確信があった。
「おーい!ルフィー!帰っているのか?窓を開けろよー!」
ここは3階のはずなのだが、空耳でなければ窓のすぐ外からの呼び声に眉をあげた。
「あー。あれはウソップだな。ちょっと手が離せないから、そこの窓を開けてくれよ」
ゲーム本体の電源を入れると何かの堆積物から何かを発掘しながら言った。その作業がすでに不便な状況なのだという事をルフィはわかっているのだろうか。発掘を横目に窓を開けると妙に鼻の長い男が外から飛び込んで…来なかった。大きくジャンプした先に眉間を深くしたゾロが待ち受けていることに驚き、おののきながら、仰け反って、飛び出してきた部屋へ体をひねって飛び込むという、かなり難度の高いことをやってのけた。
「おい、ルフィ。麗しのノジコお姉さまはいるのか?」
おかしな悲鳴をあげて飛び戻った男は窓枠にしがみつくように隠れた。男の後ろから今度はタバコを加えた金髪の男が顔をだす。
「買い物に行くっていっていたぞ!」
「何ぃ?!どうして一人で行かせたんだ!お姉さまもお姉さまだ!一言言ってくだされば、おれが買い出しに…いや、お供させていただいたのに〜。そうしたらどこの店でもホテルでもご一緒できたのに〜。メロリ〜ン?ノジコお姉さまぁ〜??」
体をくねらせるこの男はどこか具合でも悪いのか、脳みそに何か湧いているのか。アホがいると冷ややかに見るゾロに気がつくと、非友好的に睨みつけ軽々と窓を飛び越えた。
「誰だ、てめえはよ」
どうやら隣同士のこの家のこの部屋の窓は、部屋の主たちの通路口になっているようだった。
「そうだ。だ、誰なんだ!」
語尾が震える誰何に、それはこちらのセリフでもあるのだが、
「友達のゾロだ。ゾロ、そいつらウソップとサンジだ」
片手の半分もないほどの回数しか会っていないのに、知らないうちに「友達」というカテゴリーに入ってしまったらしい。この男のことだから、すれ違っただけの相手でも「友達だ!」と言いかねない。
癖の強い髪の男はおっかなびっくりで窓枠を乗り越え
「そうか。ルフィの友達ってんなら、よろしくな。おれはキャプテ〜ン・ウソップ。困ったことがあれば何でも言ってくれ!」
ビシッと親指で自分の胸を指していたが、指先が震えていたことは見なかったことにしておこう。
あんな紹介ともいえない紹介で警戒心を解かれてしまうと、逆に凄んでいる方がバカバカしくなる。と、いうことはこちらのダーツ眉がサンジか。サンジとやらは胡散臭そうにゾロを眺めると
「そのクソ生意気なマリモ頭。実に気に食わねえ。が、その面、どっかで見覚えがあるな」
特に記憶力がいいわけでもないのだが、あれだけ派手にやりあった試合の相手だったのだ。ゾロはルフィの間抜け面とワンセットで、難なくサンジを記憶から引き起こすことができたのだが
「なんだ、サンジ。覚えてねえのか?一緒に楽しくサッカーしたじゃないか」
その言葉だけ聞けばいかにも和気藹々とした光景になりそうだが、実際は両校のメンバーを巻き込み、救急車を何台も呼ぶ騒ぎとなったのだ。軽い親善試合が血の池レベルの乱闘試合になったにもかかわらず、なぜか当事者たちだけはかすり傷程度だったという卒業した中学では半ば伝説化していた。
「おれの記憶メモリーはレディのだけためにあるんだ。むさ苦しい男なんざ、視界に入れたくもねえし、自動的に消去している」
とは言いつつも、仇のように睨みつけてくる碧眼はゾロのことをくっきり明瞭に覚えていることを示していた。
「おい、クソザル。うちのレストランの新作、キッチンに置いておくから、ちゃんとお姉さまたちに召し上がっていただくんだぞ!」
「ん!わかった!」
「間違っても、てめえ一人で食うんじゃねえぞ。これはレディたちへのおれの真心をこめたメニューなんだから、てめえの意見なんぞ、どうでもいいんだからな」
タッパーらしき容器を包んだものを掲げてサンジが言った。
「だけど、いつも量が少ねえんだよ。もっと持って来いよ」
「だから試作品だっつってんだろ!もっと喰いたければ店に来い。もちろん自腹でな」
「サンジ、ひでーぞー!人でなしー!ぐる眉ー!」
「やかましいっ!!」
堆積物に「んげ!」と勢いよく蹴りこまれたが、体を起こしたルフィの手にはなぜかコントローラーがしっかり握られていた。
「おお〜!あった〜!」
たいていのことでは動じないゾロなのだが、「ほれ」と渡されたこのやりとりには驚くしかない。それぞれモニター前に陣取り
「よーし。おれ様の新しい攻略に驚くなよ!」
「そういって自滅してばかりじゃねえか」
「そーだよなー」
「てめえは脳みそを使わなさすぎんだよ。力技ばかりでよ」
普段は体を使うことばかりなので、ゲームはチョッパーにねだられて付き合うくらいだ。それでも格闘技対戦もののゲームはなかなか盛り上がった。勢いよく振り上げたルフィの腕がウソップを突き飛ばし、そのままコーヒーを飲んでいたサンジにぶつかり、ゾロに掛かるという不幸な一場面もあり、ただでさえ謎の堆積物で占められた部屋に男が4人という空間であやうく撲殺事件に発展するところだった。
一見とっつきの悪そうなゾロだが一歩踏み込めば気さくなところもあり、友達や部活の後輩たちと試合の打ち上げや出かけることも少なくない。だが、ほとんど初対面と言っていいウソップたちとここまで打ち解けて盛り上がったことに内心驚いていた。ウソップたちが窓から帰宅し始め、ゾロもチョッパーとの約束の時間を気にし始めたころ
「ルフィ。ルフィー!ルフィ!こらあ!さっさと開けなさいよ!この食欲魔人!!」
ノックするというよりも殴りつけるようにドアが叩かれた。
「んだよ、ナミ。ドアを壊すんじゃねえか」
「あんたがさっさと開けないから悪いんでしょ!お友達がきているんでしょ?ノジコがご飯を食べるのか、聞いてこいって」
「えー。飯かあ」
もうそんな時間なのかと、時計を見上げた。ナミと呼ばれる誰かは廊下にたったまま、部屋に入ってこない。雑然などという可愛いレベルではないこの部屋に入りたくないのだろう。その気持ちはよくわかる。
「おーい。飯、食ってくか?食ってけよ。食ってくよな」
何で断定なんだと苦笑いを浮かべたが、もう帰ると断った。廊下からの「ルーフィー!!友達、何だって?」と言う半叫び声を「えー?そうなのか?別にいいじゃねえか」と頭の後ろで手を組む当の本人は全く聞いていない。
「弟を迎えに行かなきゃいけないんだ」
「弟?おまえ、弟がいるのか。今度連れてこいよ!」
「ル―――フィ―――!」と催促する声は叫び声となっているが、やはり本人の聴覚には届いていないようで、このやりとりを無視できるのも、ある意味才能かもしれない。
「年は離れているけれどな。今日は家のやつらがいけないから、おれに回ってきてよ」
「そっか。じゃあ、仕方ねえな。また食いに来いよ!」
大人に囲まれて育ったせいか、賑やかなのを通り越して騒音と大差ないルフィと家族のやりとりは、コメディ映画を見ているようだった。言うまでもなく、ここの家のやりとりは近所一帯に筒抜けなのは間違いないだろう。
「つか、それより誰なんだよ。あのでっけえ声のやつ」
「あれはナミだ」
「ナミ?」
「ねえちゃんだ」
ノジコ以外にも兄弟がいたのか。ベルメールにノジコ、ドアの向こうで声を張り上げているナミとかいう3人と、自由奔放の枠からはみ出たルフィに囲まれたゲンゾウのあの強面がどんな顔をして生活をしているのかと考えると吹き出しそうになる。
「また来いよな!」
玄関に飾られた写真に気が付いた。ゲンゾウを中心にまだ若いベルメールと小さなノジコとゲンゾウの首にぶら下がるルフィと、そして…。
太陽をそのまま染めたような明るいオレンジの髪。日焼けを知らない形よい白い小さな顔。ベルメールの腕にしがみついてこちらを見るヘイゼルの瞳は、これから始まる新しい家での毎日が待ちきれないように大きく輝いていた。
「なかなかよく撮れた写真でしょ?家を立てた時に記念に撮ったの」
ノジコの言葉に頷くと、小さく呟いた。
「なんだ」
――――― なんだ、ここにいたのかよ、おまえ。
翡翠色の瞳にはひまわりのように大きく笑うオレンジ髪が映っていた。
***
バス停にたどり着くと、まだ姿を見せないバスの影を路上の先に見据えた。思いがけずに訪れたルフィたちとの時間に個性が強すぎるあの連中では、内気な弟には刺激的すぎるかもしれないと考える表情は柔らかかった。
学校にも近いこのバス停も使うことは多くないが、角度を変えると見えてくる景色も違うものだと周囲を巡らせた。まだ昼間は暑い日も多いが、日が暮れると秋の気配を漂わせてどこからか虫の声も聞こえる。
――――― あの生きのいいオレンジ頭もこのバス停を使っているのだろうか。
そして。
ふいに、突然に、唐突にある記憶が吹き上がるように蘇った。一つ一つのシーンがピースのようにパタパタとはまり、一つの景色を浮かび上がらせるパズルのように。次々と倒れていく牌によって美しい軌跡を描くドミノのように、連鎖的に思い出される事項に引きずられて一つの結論へゾロの思考を導こうとしていた。
あの夏休みの合宿に行くバスの中でぶつかった相手もオレンジ頭ではなかっただろうか。その考えに至った時、めったなことでは絶句することなどないゾロの背中を冷たいものが駆け抜けた。瞬間、周囲の空気が消滅した。酸欠のような息苦しさの中で、ありえない偶然が思考を勢いよく駆け巡る。呆然とするゾロの引き締まった頬に衝撃の瞬間が生々しく再生される。一瞬のことだったとはいえ、感覚は数カ月たった今でも明確に思い出すことが出来ることに、慌てて頭を振った。
まさかまさかまさかまさか――――――!!!!!
ベルメールが見事な赤毛だったから、いつの間にか「ルフィの姉=赤毛」という誤った記憶が植えこまれていたが、オレンジの髪など掃いて捨てるほどではないにしろ、それほど珍しくもないはずだ。たぶん。きっと。おそらく。断言できないが。
だが、このバス停をつかうオレンジ頭の高校生となると、この近辺ではそのナミしかいないのではないかという推測に内臓が捩れるようなおかしな痛みを感じた。そして、あの日、あの時、あのバスを使う確率も。ぶつかった相手の顔をよく見ていないことがよかったのか悪かったのかわからないが、ありえないアクシデントの相手が思いがけない相手だったかもしれないことへの衝撃に、崩れるようにベンチに座り込んだ。警察署の道場ではナミはぶつかった相手が自分だったことに気が付いていない様子だった。そうなると、未だにゾロの前に現れないということは、探す気がないのか、会いたくないのか、忘れてしまいたいかのどれかだろう。まとまらない思考にズブズブと沈むゾロの前を何台かのバスが通り
過ぎて行った。
今後気まぐれと偶然を強引に引き連れた魔女が現れるか、ゾロが名乗り出ない限り、ナミと再会する確率は限りなく低いはずだ。それはそれで残念な気もするのだが、普通に考えてアクシデントを起こした相手とはできれば再会したくないものだ。ナミとの間接的な接点はあっても、直接的なのものはない。ベルメールの病院はもともと行きたくない場所だから問題はない。ルフィの一方的な誘いも、これはスルーしていいだろう。では道場へは?たまにしか顔を出していないし、今までのことを考えてもナミがあそsこへ現れることもないだろうし、あの道場をメインに練習しているわけではない。ただマルコたち上段者との練習できることを惜しく思う気持ちもあるので、このまま沈黙を守るべきか、潔く名乗り
出るべきか。こちらとしても不慮の事故だったのだが、あの勢いのある性格のナミ相手だと変質者扱いされる可能性もある。面倒なことはごめんだ。
「…」
端正な横顔から漏れる嘆き声に、約束の時間から大遅刻して鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにした弟に平身低頭し、ニョン婆にこってり叱られることになる未来が待っていることにまだ気付いていなかった。
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