Now Or Never!


                                りうりん 様

Act4


おかしな切っ掛けで数年前から警察署の道場に顔を出すようになっていた。学生剣道とは違う剣道はいい意味で刺激になり、悪い意味でも余計な刺激があったが、「やってみなけりゃわからんだろうが」というポリシーだったので特に問題はなかった。

部活が休みの今日は、道場に行く前にどこで腹ごしらえをして行こうかと防具を詰め込んだ鞄をかつぐゾロに「よお」と、金髪の男が声をかけてきた。この夏まで空手部主将だったサボだ。部活でおなじ武道場を使っていたから顔は知っているが、言葉を交わしたこともあるのかどうかといったくらいで、彼が部活を引退した今となっては声をかけられる心当たりは全くなかった。訝しむゾロとは反対に警戒心を微塵にも感じさせない様子で


「マリンコロッセオに聞いたんだけど」
「マリンコロッセオ?」


全く記憶にない名前だ。


「あ、マッスルメロンだった」
「誰だ、そいつ」


そちらの名前も記憶にない。人の出入りが激しい環境で育ったから人見知りをすることはなかったが、積極的に交友関係を広げるタイプではないので交友関係はそれほど広くない。


「葉っぱ色の頭をした、おもしろい話し方する奴だ」
「…ひょっとしてバルトロメオのことか?」
「そんな名前だったな」


おお!とポンと手を叩くサボに


「全っ然違うじゃねえかよ!」


気が弱い人間ではなくても膝が震える勢いだったが、当のサボは軽く眉と両手をあげただけだった。


「そいつがおまえは今日は余所に練習に行くと言ったから」


その言葉に天を仰ぐように大きくため息をつく。悪い奴ではないのだが、どうしてストーカーのように自分に付きまとうのか、一度じっくり話し合った方がいいかもしれない。


「おまえを見て来いって言われたんだ」
「おれを?バルトロメオにか?」


猛禽も首をすくめるような鋭い視線を向けても意に介する気は全くなく「ふーん」と、不信感の塊となっているゾロを観察するだけだった。


「よし、見た!じゃあな」
「はあ?ちょっと待てよ!」


まるっきり置き去りにされたまま声をあげる後輩に背を向けるサボに忌々しく舌をならすと「アホに付き合ってられるか!」と言う言葉には負け惜しみの要素しか感じられなかった。

その後、「本っ当に見てきただけなの?!」と、オレンジの髪を広げて怒りもあらわに詰め寄る幼馴染の少女に「この要件人間!!」と、地面にめり込むほどの鉄拳制裁をサボが受けたことは別の話である。


***


通学時とは違うバスには時間帯のせいもあって車内は空席が目立っていた。最奥の席に座ると窓ガラスに翡翠色の頭を付けるとひんやりとした感触が心地いい。後ろに流れていく景色を横目でぼんやり見送りながら目を閉じると、エンジン音に紛れて乗客たちの会話が聴覚を刺激してくる。「今度のテストどうしよう」「お父さんに忘れ物を届けてきて」「明日の会議の打ち合わせを…」どれも明日という未来へつなぐ言葉だった。繋がることを疑う事のない言葉に罪はないが、連続した毎日がいきなり断ち切られることを知っているゾロには他愛無い会話にも繊細で貴重なものを感じていた。毎日は永遠の一瞬の連続であり、背後から迫る未来を見ることは誰にもできない。通り過ぎた過去を見つめることしか人に
は出来ないのだ。

いつ人生が断ち切られても構わないとは思っていない。思っていないが、後悔しないよう全力をつくすべきだと思っている。座席に置いた防具鞄がブレーキの反動で傾きそうになり、目で追うよりも早く長い腕を伸ばした。父親の影響で始めたとしか覚えていない剣道は、ゾロの人生にすでに一体化している。竹刀を握らない自分など想像も出来ないことだが、剣道だけではなく、どんなものにも始まりがあれば、必ず終わりは来るのだ。


――――― おまえは自分に厳しすぎるよ


練習のときにでも言われたのだろうか。記憶の中のコーザが苦笑している。毎日が連続しないものなのだと知ったあの日、強くならなければと思った。泣きたくなるたびに願っていたそれを否定するわけではないが、コーザの言葉の意味が最近わからなくなる時があった。自分は一体何に対して強くなろうと思ったのか。

見慣れた建物が視界に入ると降車ボタンに手を伸ばした。大きく伸びをして、凝りをほぐすように首を回す。どんな結果が待ち受けていても、自分で選んだやり方をバカと呼んでいいのはそれを決めた自分だけだ。持ち上げた防具鞄が鍛えすぎて固くなった手のひらで存在感を主張した。


***


風雨に耐えた堅牢な風格があるわけではなく、最低限の機能だけを詰め込んだ単に古いだけの建物だ。それなのに試合や昇段試験でも緊張らしい緊張をしたことはないゾロが、ここに初めてきた日は全身にピリリと走る静電気のような空気を感じたことをはっきり覚えている。


「ちーっす」


頭の上では掛け声や踏み込む音などがうるさいほどで、地響きと言ってもいいその振動は建物の耐震性に影響しないのかといつも思う。


「ゾロ。玉竜旗また取ったんだってな」
「おれの指導がいいからな」
「打ち込まれっぱなしの指導なんて聞いたことないぞ」
「おめでとうな」


ホールで休憩をしていた何人かの顔見知りに祝いの言葉をかけられた。ゾロがいるこの建物は警察署の敷地内に設置された武道場であり、当然使用する人間も警察関係者だ。一般人でありながらも常連というおかしな位置のゾロは彼らの警官としての顔は知らない。知らないが、竹刀を交えての彼らはよく知っており、その癖まで把握していることに驚かれたことも少なくない。地下一将来の職業にと誘われることも多いが、まだその道へという実感はない。

1階はロビーを兼ねた休憩スペースや更衣室で、武道場は2階に設置されている。手早く支度すると入室前に一礼したのち、道場内に設置された神棚にも深く拝礼した。森の色をした視線の先には幾人もの剣士たちが竹刀を交えており、打ち合う音と、腹の底まで響く掛け声。身が引き締まるような空気に「よし!」と気合を入れた。


「優勝したからと言って有頂天になるんじゃないぞ」


かなり薄くはなっているが、顔にいくつもの傷跡がある黒ひげを蓄えた男に愛想を浮かべたことはあるのだろうか。だがゾロをここへ誘ってくれたのも彼なのだ。ずいぶん昔にケガをした彼の「赤毛」の娘を運んだことが切っ掛けで、この道場にいるときはゲンゾウと呼ばれる彼がゾロの保護者だった。ゾロも短く「ああ」と答えただけだったが、それだけでお互いの言いたいことはちゃんと伝わっていると感じている。ちなみに、看護師で国士無双なベルメールが彼と夫婦であるということは後に知ったことなのだが、最初こそ意外に思えたが、今では絶妙な組み合わせだと思っている。


「おお、久しぶりだよい!玉竜杯で連勝したらしいな。ちょっと祝いに打ち込んでやるよい」
「勝ったら打ち込まれるって、なんすか、それ」


警察の頭髪規定はどうなっているんだ思いたくなるパイナップルかモヒカンのような髪型のマルコが手招きしてくる。有段者の彼が稽古をつけてくれることは少ない。ありがたくこちらからも打ち込ませてもらうだけだ。


「勝ったら玉竜旗をくれるかよい」
「あいにくそんな敬老の精神は持ち合わせてねえから」


挑戦的な顔になったとき、ゾロの緑色の瞳が金色に輝くことがある。それはマルコも知っているある男を思い出させ、胸の奥を締め付けるような懐かしい気分にさせられる。敬老の精神と言われたが、ここでは若年の部類であり、ゾロとの年齢も近い。同世代に強い人間がいるという事だけで高揚感が止められないというのは、挑戦し続ける人間の性なのかもしれない。面を取り上げ「持ち合わせがないのなら、今日は遠慮なく持って帰ってくれるかよい」と、ニヤリと笑った。


***


息を整えながら互いに礼を取ると、マルコと並んで壁際に座った。面紐を解きながら


「なかなかいい仕上がりになっているじゃないかよい」
「練習試合が立て続けにあって、夏休みの合宿が一番まともに練習できたかもしれないな。試合が練習を兼ねてたようなもんだし」


試合が練習とは負けた相手が気の毒すぎる。マルコはこっそりと苦笑いしたが、それでも朝晩のトレーニングを欠かすことのないゾロの努力を知っている。欠かすと逆に調子が悪くなるような気がするらしく、ふてぶてしくも生真面目な横顔は大人びていたが、手拭いを外して笑う今は逆に幼く見えるゾロを不思議な奴だとマルコは思っていた。


「おまえが後輩になったら、今みたいにいつでも打ち込んでやるよい」
「それ以上におれが打ち込んでいたじゃないか」


マルコの提案に頬を膨らませるところなど、まるっきり小学生だ。


「そういえば進路はまだ決めてないのかよい。まあ、そのまえに大学だなよい」


ここに通いだしたころはまだ幼さを残した頬のラインは、今ではすっきりとし、大人への変貌を見せつつあり、その成長がマルコには眩しく映る。正座の姿勢から「よっ」と勢いをつけて跳ねるように立ち上がると、懐から黒い手拭いを取り出した。


「何か買ってくる」
「知っているやつらばかりなのに、頭を巻いていくのかよい」
「ん。なんとなく、だな。生まれつきだからしょうがねえけど、やっぱこの色は目立つからよ」


翡翠色の髪は希少色で綺麗なのだが、目立つのは確かである。目立つのは髪の色だけではない。ゾロが練習に顔を出すと、どこからともなく普段は練習をサボりがちな女性警官たちがさわさわと集まってくる様子に連絡網でもあるのかと勘繰りたくなる。しがない公務員でしかない警察官よりも、モデルでもやった方がよほど稼げるのではないか。それを言うと、きっと本人には不思議そうに異次元の話でも聞くような顔をするだろうが。


「…そうだなよい。さっき言った話、やっぱり警察官はやめとけよい」


先ほどとは手のひらを返すような真逆のことを言うマルコに理由を問うと


「その髪では張り込みが出来ないよい」
「そんな理由か」
「いやいや。必要事項だよい」


もっともらしく頷いているが、髪の色よりももっと奇抜な容貌の人間がたくさんいるじゃないかと思ったが、器用に片方だけ眉をあげると「進路指導は別のやつに頼むよ」とだけ言って道場を出た。


***


何人かとすれ違う中ぶつかることなく滑るように駆け降り、踊り場に降り立った瞬間、華奢な影と行き会った。ゾロより一回り小さなその影は衝突を避けようとしてバランスを崩すと、宙に大きく仰け反ろうとしていた。「きゃあ!」と言う悲鳴に反射的に腕を伸ばす。咄嗟につかんだ二の腕の細さに驚き、引き戻した瞬間の相手の体の軽さに再び驚いた。

手元に勢いよく引き寄せた二人の間にカバンが「ボスッ」と重そうな音を立てて落ちた。印象的なオレンジの髪が縁取るちいさな顔は青ざめて引きつっていたが、くっきりとしたヘイゼルの双眸がゾロを見上げると



「どこ見ているのよ!危ないじゃない!」
「あ…悪い」


謝罪はぶつかりそうになったことだけなのか、それとも離すことを忘れて掴んだままだった二の腕のことか。そして、ちらりと胸の最奥でなにかを感じたが、「なにか」は一瞬で過ぎ去ってしまい、それすらも気のせいだったのかと思えるくらいだった。ケガをさせるようなことがなかったことに安堵の息をつくとカバンに手を伸ばす。鉄アレイでも入っていそうな手ごたえのカバンを片手に、さて次は何と言えばいいのだと、いつもは動かしたことのない分野の脳みそを動かしたが、気の利いた言葉のひとつも出てこないゾロに文字どおり天から声が降ってきた。


「おい。おれのも買ってきてくれ」


いつも「うるせえ説教ジジイ」と思っていたビスタが階上からゾロたちを見下ろしていた。ゲンゾウとはちがうが彼も豊かな黒ひげの持ち主で、おまけに負けずに強面だった。同時に室内灯の灯りを受けて反射するものが言葉と一緒に振ってきた。器用に片手で受け止めると500円玉が1枚。


「アルコール代には足りないっすよ」


今まであった説明しにくい言い難い空気が流れたことを無視するように軽口に


「バカ言え。そんなものを買ってきたら逮捕だぞ。おまえの分も買っていいから」
「あざーす!」


正直なところ「助かった」と思ったことは嘘ではない。そしてもう一度「悪かったな」と言ってカバンを持たせた。未だに驚きが尾を引いているのか心臓の音が妙に近くから聞こえたが、半ばその場から逃げるようにゾロは階段を駆け下りていった。ちらりと見上げた視界の片隅に、ビスタがオレンジ頭に話しかけるが見えた。


***


                ガコンッ!


自販機の取り出し口から取り出したペットボトルの温度が熱を帯びている手のひらに心地いい。そのまま一気に飲み干すと、体の隅々までに沁みていくような感覚が広がった。本当はキリリとした刺激のあるアルコールの方をやりたいのだが、警官に囲まれた状態で飲めるはずもなく、スポーツ飲料で我慢するしかない。「ふう」と一息つくと壁に凭れた。ビスタからは特に指定されていないから、よく飲んでいるものを買っていけばいいだろうと思いながら、違うことも同時に考えていた。感触を呼び起こすかのように、じっと手のひらをみつめる。ひとつの記憶として素通りできない印象的なオレンジの髪とヘイゼルの瞳は知らない顔だったと思う。しかしハンコックの仕事の関係もあり他人と顔をあわせること
機会は多いが、直接関わりのない人間は全く覚える気がないゾロの記憶に残る人間は少なかった。どこかで見覚えがあると思うのだが、思い出すことが出来ないもどかしさに焦燥感のようなものが、じわりと胸の奥を浸食するのを感じた。が、


「                                   ま、いいか」


気を取り直すように「よし!」と言うと、黒い手拭いを巻きなおした。ホールの隅の照明を若干落とした場所に何台か並べられた自販機から浮かび上がるいくつかの銘柄のボタンの上を人差し指が、すいっとなぞり


ガコンッ!


どこか埃っぽく掃除が行き届いていない古いホールに妙にその音は響いた。


***


「お、遅かったじゃないか。まさか迷子になっていたわけじゃないだろうか」


人の悪い笑いを浮かべるビスタに「んなわけねえだろ」と言いながらウーロン茶を手渡し、何気なさ装って視線を道場内にめぐらせた。


「なんだ。おまえにしちゃあ、珍しいものを買ったんだな」


手に残ったオレンジジュースをビスタがあごで指していた。


「あ、これは…」


決して能弁ではないゾロだが、胸の奥から湧き出てくるいくつかの言葉をすべて飲み込むと大きくため息をついて言った。


「押し間違えただけだ」




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