ロングナイト  -おまけ-

                                せん松 様



 カウンター内部に隠すように置かれたデジタルの小さな置き時計が、深夜二時を告げた。
 サンジはカウンターのシンクでグラスを一つ一つ磨きながら、静寂に包まれた店内をぐるりと見渡す。その視線が、やがてカウンターの中央でぴたりと止まった。へっと悪態のような溜息をつきつつ、サンジはその男に声をかけた。

「おい、マリモ」
「……なんだ」

 ゾロはサンジが出してやった、鶏肉のグリルとオニオンリングの一皿を無言で味わっている最中だ。口についたソースを親指でぐいと拭い、その指をぺろりと舐める。一度はサンジの方に目をやったものの、バーボンのロックをぐいとあおっているうちに呼ばれたことも忘れて再度皿に向き直った。
 ちっと舌打ちをしたサンジは、視線を外した際に「ああ」と気付いて、ステンレスの冷蔵庫の近くに掛けていたカレンダーを、8月のものに変えた。

「てめえようやくナミさんに振られたみてえだな」
「ああ?」
 口一杯に頬張ったまま、ゾロが眼光鋭くサンジを睨みつける。
「何言ってんだ、クソコック」
「こんな夜中に一人ってこたそうだろうが。よしよし、待ってたぜ。一ヶ月でもてめえにゃもったいねえくらいだったな」
「ほざけ」
 ごくん、とゾロは口の中のものを一度に飲み込んだ。
「あいつは今も、俺んちで寝てるぞ」
「はあ?」
 サンジは別の方向に眉をねじ曲げる。
「それはそれで、てめえ馬鹿じゃねえか。なにナミさん放ってうち来てんだ」
「しょうがねえだろ。疲れた、もう寝かせろって蹴り入れてくんだからよ」
「いや、こんな時間なんだから当たり前だろ。寝かせてやれよ。なにしてんだ」
 空になった酒のグラスを、ゾロはサンジに差し出した。反射的に受け取ったサンジはまた同じ酒の瓶を手に取る。
「てめえな、想像してみろ。おれのベッドで、おれのシャツ着て、猫みたいに丸くなってナミが寝てんだぞ」
「……おう」
「その隣で大人しくしてろ? おい、できるわけねえだろ。手ぇ出すなとか、どんな拷問だ」
 サンジの顔があきれ顔に歪む。
「てめえはさかりまくった中坊か! 猿の方がまだ理性があるぞ」
 が、叫んだ後に急に真顔に戻る。
「……まあ、気持ちは分かるけどよ」
「だろうが」
 二杯目のロックを、ゾロは思い切りよく一気に飲み干した。

 小さな電子音が、静かな店内にふいに響いた。ゾロがカウンターに置いていた自分のスマートフォンを手に取る。
「起きたか」
「ナミさん?」
 無表情でゾロが応答する。
「おう。なんだ? 今? グル眉の店。そうだ……あ? 来る? いやそれは構わねえけど、おいこら、待て。一人で外に……!」
 慌て気味なゾロの声を聞いているうち、サンジは表通りに面した階段から小さな足音が響くのが聞こえてきた。なにやら眉根を寄せてスマートフォン越しに会話していたゾロの右手、チーク材の扉から、小さな頭がひょこりと覗く。
「やっぱりここだと思った。もう来ちゃったもんね!」
「んナミさあーーーーん! いらっしゃい」
「こんばんは。サンジ君」
 ナミはカジュアルなTシャツにミニスカートという軽装で、長い髪をゆるくまとめている。サンジの熱烈な歓迎に笑顔で応えつつ、そのまま当たり前のようにゾロの隣の椅子に座った。ゾロの眉はしかめられたままだ。
「……お前な、こんな時間に一人で出歩くなよ。このあたりあまり治安がいいほうじゃねえんだぞ」
「置いていった奴に言われたくありませーん。起きたらいないとか、何よ、バカ」
 ナミはぷうっと頬を膨らませて、子どものように舌を出してゾロを睨んだ。
「それに平気よ。だって30秒もかからないじゃない」
「30秒?」
 首を傾げるサンジに、ナミが向き直る。
「え、うん。だって、ゾロのマンション、ここの隣の隣のビルじゃない」
「そうなの?」
「そうなのって、なんでサンジ君知らないの?」
 ナミが二人の男の顔を見比べる。ゾロも、そしてサンジも平然とした声で答えた。
「いや、言ったことねえし」
「おれも聞いたことねえし」
「……ちょっと。友達でしょ?」
「誰と?」
「誰が?」
 妙なハモりで二人が答えると、ナミは肩をすくめて黙り込んだ。ここ一ヶ月の間、こうして三人揃って飲み交わす機会が幾度もあったが、ナミは未だにこの男二人の関係をつかめないでいる。

「ま、そんなことより、ナミさん何か飲む?」
「いいの? じゃ、おまかせで。さっぱりしたのがいいな」
 上機嫌でナミは店内を見渡し、そしてふと気付いたようにサンジに尋ねた。
「そういえば、今日はもうお店閉めちゃってるの? 今、ドアの所に『CLOSE』ってかかってたけど」
「んー?」
 ゾロ以外無人のカウンターの向こうで、サンジはにこりと微笑むだけだ。意味を解せずにナミが首を傾げると、隣からゾロが付け足した。
「この店は毎晩1時で閉店だ」
「え、でもこないだサンジ君、いつも朝までやってるって……」
 ナミが再度サンジを見やるが、サンジの笑顔はやや困ったような、しかしどこか確信犯的な、余裕ぶったところがある。しばらくの思案の末、ナミも理解したらしい。はっとなって目を丸くしたナミに、隣からゾロの声が被さった。
「ついでに言やぁ、あの晩おれが来た時も『CLOSE』の札が出てたぞ」
「じゃ、じゃあ、あの夜……サンジ君?」
 サンジがそっと、ナミの前にモヒートのグラスを出した。
「貸し切りにする? って聞いたでしょ」
 ナミもそれは覚えている。が、聞いた時にはすでにサンジはもう店を閉めていた訳だ。
「いや、だってさ。そんなチャンス逃すわけ無えじゃん? ナミさんと二人きりの甘ーい夜」
 頬を緩ませて鼻の下を伸ばすサンジに、ナミは絶句する。
 バーボンのグラスを傾けながら、ゾロがそんなナミを横目で見た。
「お前も、簡単に騙されるなよ」
「な、なによ! もう、二人とも! 馬鹿にしてーーー!」
 ナミの叫びと、堪えきれず吹き出したサンジの笑い声、そしてゾロの呆れた吐息が、オールブルーの店内に響き渡る。静まり返った夜の街に、三人の喧噪はまた朝まで続きそうだ。



 ——その店は、オフィス街の小さな雑居ビルの二階にひっそりとあった。薄暗い階段を上った先にあるチーク材の重厚な扉を押し開けた先の、カウンター八席だけの小さなバーだ。
 長い夜の始まりは、店主のサンジの甘い囁きから始まる。

『お待ちしておりました。ようこそ、オールブルーへ』




FIN


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<管理人のつぶやき>
身体の関係から始まったけど、実は二人とも相手に本気。それなのにお互い相手は自分のことをただの「セフレ」と考えていると誤解している。恋は人を不器用にするんですねー。サンジくんのおかげでまとまることができました!オールブルーへはぜひ行ってみたくなりました(笑)。

【ビーンズ】のせん松様の投稿作品でした。ステキなお話をどうもありがとうございましたーー!



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