ココヤシ医院の事情4  −3−

四条



「ゾロと私達は、幼馴染なんだ。小さい頃は近所に住んでて、うちの医院にも通ってたし、よく一緒に遊んだりもしてた。ゾロの両親の都合で、ゾロがうちに預けられることもしょっちゅうだった。」

「でも、ゾロが小4で隣の市に引っ越してからは会わなくなった。転校もしてしまったしね。」

「それがゾロが大学1年、ナミが高3の時に2人は再会した。私はその頃ここにはいなかったから、ナミやベルメールさんに聞いただけで詳しいことは知らないんだけどね。」

「再会して約1年後に二人はつき合うようになった。ゾロはイースト大、ナミはグランドライン大だったから遠距離恋愛で、なかなか進展しなくてじれったかったよ。」

ノジコはクスクスと思い出し笑いをする。
ビビは想像してみる。あのナミ先生が、はにかみながら写真の中の緑頭の青年と手をつなぐ姿を。それは思った以上にぴったりとはまって見えた。

「つき合うようになってからは、とにかくなんとか時間を作って会うようにしてたね。グランドライン市でだったり、イースト市だったり、その中間地点で落ち合ったりして。」

「そうこうするうちに、ゾロの就職先を決める時期が来た。」

「ゾロはイースト大学で建築を専攻してたんだけど、お寺とか神社とか、昔の洋館だとか、いわゆる古い建物が好きでねー。ハッキリ言って、オタクの領域だったわ。」

ノジコは苦笑いを浮かべる。

「中でもゾロはうちの家のことを相当気に入っていた。うちの建物、古いし、ちょっと変わった造りだろう?それが実にゾロ好みだったらしいよ。」

そう言われて、ビビはココヤシ医院の建物を頭に思い浮かべる。
イースト市内でも珍しい古い西洋館。
黒くて重々しい鉄製の大きなアーチ型の門があって。
少し朽ちかけたレンガ造りで、ツタが絡まって。
窓も鉄枠で両開き式。ガラスはあちこちにステンドグラスがはめられている。
それなのに、中に入ると土間や畳敷きの部屋がある。
外見は洋風なのに、中身は和風というアンバランスさ。
けれども、中で過ごしているととても居心地がいいし、落ち着くのだ。
患者さん達がサロンのようにして待合室で長い時間を過ごすのは、この建物のせいなのかもしれない。

「ナミが言うには、学生時代は熱心にうちの建物を写生していたらしいよ。ゾロの部屋にうちを描いた絵が何枚も置いてあったんだって。私はそんなことをしてるゾロ、とてもじゃないが想像できないんだけど。」

「だから、てっきりそういうことに関わる仕事に就くと思っていたんだ。具体的にいうと、寺社仏閣を建てる宮大工とか、レトロ建築の修繕?再生?とかそういうのを手掛ける設計事務所ね。」

「ところが!何をトチ狂ったのか、選んだ職場が超大手のゼネコン!そう、今夜来たサンジくんと同じ会社だったんだ。」

そういえば、サンジは「俺、ゾロと同僚だったんですよ」と言っていた。

「そういうわけで、ゾロは大学卒業後、サンジくんと同じ建設会社に就職したんだ。この就職で良かったのは本社勤務になって、ゾロもグランドライン市に住むようになったこと。うん、この会社の本社がね、グランドライン市にあったんだよ。ナミも前よりもゾロと会えるようになって嬉しそうだった。今思えば、この頃が二人にとっての一番の蜜月だったんだろうねぇ。」

ということは、やがては転機が訪れるということだろうかと、ビビは食い入るようにノジコを見つめると、察したようにノジコもうなづいた。

「ナミが医学部を卒業して、大学病院で勤めるようになって数年後。つまり今から2年前、ベルメールさん――母が亡くなったんだ。」

「あの時は私も本当に堪えた。元気だったベルメールさんがまさかって思ったし。でも、うちひしがれている暇もなく、ナミは大学病院を辞めてイースト市に戻ってきて、ココヤシ医院を継いだのさ。ココヤシ医院を継ぐことが夢であり使命なのだと、他の誰でもないナミ自身がいつもずっと考えていたからね。」

「そうなると、今度はナミがイースト市、ゾロがグランドライン市住まいになってしまった。つまり、また遠距離恋愛に逆戻りってワケ。それに業を煮やしたゾロが、とうとうナミにプロポーズしたのさ。」

なんとなく、ゾロという人の焦りのような気持ちが手に取るように伝わってくる。
離れ離れになるとなったらすぐにプロポーズするなんて。
ビビは思わず口元がほころんだ。
ゾロという人は、相当ナミ先生のことが好きなのだな、と。

「プロポーズをナミが受け入れて、晴れて二人は婚約した。」

「ただ、その頃のゾロはグランドライン市の大規模な再開発事業に携わっていた。ゾロは設計士兼現場監督として、現場に出てバリバリ働いていた。動物的勘が強くてさ、トビ職人みたいに普通の人なら怖くて行けないような高いところでもホイホイ上がっていくし。会社の人達からも、現場の人達からもすごく信頼されてたんだよ。」

「私はよく知らないけど、再開発計画っていうのは10年くらいかけてやるんだってね。だから、そう簡単にはグランドライン市から異動することができないらしくて、結婚の日取りをなかなか決められずにいた。」

「そして、あの事故が起こった・・・。」

ビビは息を呑む。

「どんな・・・・事故だったんですか・・・・?」
「建築中の高層ビルからの、転落事故だった。」
「て、転落・・・!?」
「あの日・・・・ゾロが高層階を点検してる時に、突然足場が崩れたんだって。一緒にいた現場の人達が3人も亡くなるという大事故だった。」

痛ましそうにノジコは目を閉じる。
ビビはハッとする。脳裏には診療前の光景が浮かび上がる。


ナミは診察が始まる前には、必ず机の上にある二つの写真に手を合わせ、しばし黙とうする。
一つはナミの母の写真。
そしてもう一つは、緑頭の青年の写真。
それは静謐で、誰も決して侵すことができない時間で――


確かめたことはなかったが、ナミの母が亡くなっていることは、患者さん達の話からなんとなく知っていた。
でも、緑頭の青年のことは、それが誰なのかも知らなかったし、ナミに尋ねたこともなかった。どこかナミにそのことに関する質問を受け付けない雰囲気があって、ずっと聞けずにいた。
でも、こうしてノジコから話を聞いて分かってしまった。やはり、あの青年ももうこの世の人ではないのだと。
こんな短期間の間に、最愛の母に続いて、婚約者までも失ってしまうなんて。

「そんな・・・・!ナミ先生、可哀相・・・・!じゃあ、ナミ先生がこの場所にこだわるのは・・・・」
「うん、ベルメールさんから受け継いだ病院というのもあるけど、ゾロとの思い出も詰まってる。だから、離れ難いんだと思うよ。」

ナミがそんな想いを胸の内に秘めていたなんて、全然知らなかった。
愛する人達の思い出が色濃く残る場所――ココヤシ医院で、一人で住み続けているナミ先生。
それは、とてもさびしい光景のように思えて、ビビは思わず唇を噛んだ。



***



一週間後の午後の診療開始前、いつものようにナミは母とゾロの写真に向かって合掌し、しばし頭を垂れる。
それがどういう意味なのかを知ってからは、ビビもまた心の中で手を合わせるようになった。
どうか、ナミ先生のことをいつまでもお守りくださいと。

2人揃って診察室に入り、ビビが患者さんの名前を呼ぶ。
この日の一番最初の患者は、あの「コロコ○」ファンの少年だった。

「ナミ先生、この病院がフーシャ町へ移るって本当?」

少年は診察台に座るなり唐突に訊いてきた。
少年に向き合うナミも、診療助手として傍らに立つビビも、これには面食らった。

実は、サンジが来訪した週末、ナミはビビとノジコを伴って、『メディカルモール』とやらを見学に行ってきたのだ。
でき上がったばかりのキレイなビル、先進的な設備、グレードの高い内装、ビル開業に向けて準備に勤しむ人々の活気。どれをとっても、ナミ達の心を浮き立たせるものだったことは否めない。
しかし、ただ見学しただけで、移転すると決めたわけではない。
サンジはしきりに移転を考えてみるよう言っていたが・・・・。

「どうして、そんなこと訊くの?」

ナミは質問には直接答えず、ニッコリ笑って少年に逆に尋ねてみる。

「だってみんなが言ってるよ。ナミ先生はここを出て、フーシャ町の新しいビルに移る気だって。」
「みんなって、どのみんなよ?」

その問いに対し、少年は黙って待合室の方を指差した。


「あのビル、きれいだもんねぇ。そりゃ若いナミ先生ならあっちに靡くのも仕方ないよ。」
「あそこには大きな駐車場があるしね。車で行けるわ。」
「医者以外のお店も入るから、通院のついでにショッピングもできるよ!」
「それにこの辺り、どんどん人口減ってるようね。お客さんも減ってきたら、これからヤバイんじゃない?」
「医者だって商売だしねぇ。」
「でも、それじゃあ、私らはどうなるの?フーシャ町まで通うことになるの?」
「そうりゃそうよ、ベルメール先生の時からここで診てもらってたんだもの。移ってからも通うわよ。」
「うんうん。」
「あなたは近いからいいけど、私はちょっとムリだわー。」

「みなさん!!」

待合室での論争が佳境に入ったところで、ナミが診察室と待合室を仕切るドアをバーンと開いた。

「あ、ナミ先生!私ら見捨ててフーシャ町へ行くってホントなの?」
「行かないでおくれよ。隣町なんて、ここから歩いて10分もかかるよ。」
「違うだろ!歩いて10分しかかからないから、通えるんだよ。」
「家からだと15分になるもん。10分も余計にかかるなんてイヤだ。」

「お し ず か に !! 噂の出所は、誰?」

ナミが仁王立ちになって見回すと、おずおずと患者達の視線がある人物に向けられる。
その人物はいつも月水金の夜に通っている、慢性副鼻腔炎を患った年配女性。噂好き、詮索好きとして有名だ。

「ナミ先生、先週の土曜日にフーシャ町の新しいビルへ行ったでしょう?」
「・・・・・どうしてそれを?」
「私の娘があの町に住んでてね、娘のところへ遊びに行った時に、たまたまナミ先生、ノジコちゃん、ビビちゃんの3人官女があのビルに入っていくところを見かけちゃったってワケよ〜。」

オバサンはムフフフフと意味ありげに笑う。
まるでラブホテルに入るのを目撃されたかのようなバツの悪さ。
ホントにどこで誰が見ているかわからない。
くっ、これだから下町は!とナミは内心毒づいた。

「確かに、行きました!しかーし!移転は、しません!」
「え?なんでしないの?」
「いいビルよ、あれは。立地もいいじゃない。私達だってあそこまでなら通えるよ。」
「えー、この西洋館に通うのが良かったのにー。あんななんの変哲も無いビルなんかに通いたくないー。」

再び患者達が口々に話し始める。
そこへ、落ち着いた品のある声が響いた。

「ああ、そうかい。良かった。簡単に移転先は見つかりそうだね。」

一堂が一斉にそちらを見る。
医院の入口に一人の年老いた婦人が立っていた。

「大家さん・・・・?」

その人物は、ここ一帯の大地主。
ココヤシ医院は、この人から土地を借りているのだ。

「・・・・ど、どうかされたんですか?わざわざいらっしゃるなんて・・・・?」
「実はお願いというか、伝えないといけないことがあってね。」
「はぁ。」

ナミは何か嫌な予感がして、顔が引きつった。
そして、ナミの予感はたいてい外れることがない。

「いえね、この前市役所の方からお話が来て、この辺に新しい道が通るらしいのよ。それで用地買収の話が出ててね。」
「用地買収?」
「そう、ここの土地が見事に都市計画道路にひっかかるんだって。」
「と、いうことは・・・?」
「立ち退きしてもらわないといけないのよね。」
「・・・・は?」
「そうなると、この医院の移転先はどうなるのかしらとと思ってたのよ。でも、その新しいビルへ行くというのなら、丁度いいわね。たぶん、立退き料やなんかが市から出ると思うわよ。」
「・・・・・・。」

大家さんは、こんな名案はまたと無いという風にニコニコ笑っている。

ナミはというと、あまりのことに頭が真っ白になっていた。
そのままヨロヨロと土間に降り立ち、つっかけを履くと、フラフラと戸外へと出て行った。

「ナミ先生!どこいくの!?」
「ああ、ナミ先生、完全に思考回路がショートしちゃったよ・・・・。」
「無理もないよ。突然の話だったしね。」
「でも、これで心置きなく移転できるじゃないか。」
「っていうか、土地を召し上げられるんなら、もう移転するしかないよね。」
「よかったよ、行先がすぐに見つかって。」
「ホントホント。」

患者達はまたもや好き勝手に話し始める。

「みなさん、ヒドイわ!ナミ先生にとって、ここは大切な、とっても大切な場所なんですよ!?」

そこへ、事の始終を診察室から固唾をのんで見守っていたビビが、患者達に向って叫んだ。

「それを寄ってたかってナミ先生を追い詰めて!少しはナミ先生の気持ちも考えてみてください!」
「ビビ、落ち着いて。」
「とても落ち着いていられません!亡くなったお母さまとゾロさんの思い出が詰まった家を手放さなくてはならなくなったナミ先生の気持ちを思うと・・・・!」

ビビは涙ぐんで、ナミの後を追うように脱兎のごとく外へと飛び出していった。
それを見送った後、残された人々は呆気にとられたように顔を見合わせる。

「誰が・・・・亡くなったって?」
「ゾロって、あの彼のことだよね?」
「あの、緑頭の目つきの鋭いヒトだろ?」
「彼って・・・・・亡くなったの?」




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