12月 andante      - PAGE - 1 2 3 4
3



今日は会社で倒れてしまい、病院に連れて行かれたのは不運だった。
挙句の果てに早退を命じられてしまって。
この忙しい時期にダウンするなんて、不覚にもホドがある。
なにが何でも今日一日で直して、明日はちゃんと出勤しなくっちゃ。
でも、ゾロが予定よりも早く帰ってきてくれて。
こんな風にまだ外の明るい内から一緒に部屋で過ごせるなんてラッキー。
そう思っていたのに。


―――この前言ったこと、無かったことにしてくれないか


途端にナミの表情から笑顔が消え、凍りつく。
大きな目が更に大きく見開かれる。
ナミはたった今ゾロが発した言葉を、頭の中でたっぷり3回は反芻した。

つい先月、一緒に来てほしいと言われて、ゾロが私と離れたくないと、この世でただひとり私を選んでくれたことが、嬉しくて堪らなかった。
たくさん悩みはしたけれど、幸せを感じていた。
それなのに、今、全て否定されてしまった。
そう理解した次の瞬間、堰を切ったように感情が溢れ出す。

「バカッ!!」

ナミは布団を撥ね退けて身体を起こした。ベッドの上に両手をついて、身体を支える。

「私をあんなに散々悩ませておいて、それで無かったことにしてくれ?」

その胸倉を掴まん勢いで、ベッドのそばにひざまづくゾロに詰め寄る。

「ふざけんじゃないわよ!私のこと一体なんだと思ってんのよ!!」

唇がわなないた。震えを押さえようと思っても無理だった。
ゾロをじっと穴が開くほど、瞬きもせずに見つめる。
ゾロもそんなナミを静かに見返している。眉をしかめ、厳しい表情だ。
身体に火がついたようになって、ナミが更にゾロを睨みつけると、ゾロは無言でわずかに視線を外した。

「なによ、もう私と一緒に行くのが嫌になったの?ううん―――」

言うのが躊躇われたが、言わないわけにはいかない。

「私のこと、嫌いになったの?」
「違う!」

これには間髪入れず答えが返ってきた。
少し救われて、それだけで涙がこみ上げてきた。
震えが声に現れぬよう必死で堪える。

「じゃあ、なんで、なんで今になってそんなこと言うのよ?」
「もうこれ以上、悩むお前を見たくねぇ。」
「時間くれるって言ったじゃない。待たせ過ぎだって言いたいの?早く答えを出せって?」
「そうじゃねぇ。」
「じゃあ、なんなのよ!」
「お前、ついて来ないつもりなんだろ?」

それを聞いて、ナミはハッとしたように息を呑んだ。
二人の目が合う。ゾロがその思考を読み取るかのように、ナミの瞳を覗き込んでいる。
そして、やっぱりなとゾロは心の内で苦く笑った。

「どうして・・・・。」
「どうしてもこうしても、お前見てりゃ分かるさ。心ここに在らずのセックスしやがって。」

ナミはさっと顔を赤らめて顔を逸らす。

「もう答えなんて、お前の中でとっくに出てたんだ。でも、お前は俺のことを想って、それを言い出せないでいた・・・・・・いや、それだけじゃないな。」

ゾロは言いながら頭を振り、悔しそうに唇を噛む。

「俺もそれを聞きたくなかったんだ。」

ただ単に、断られるのが嫌だった。
お前の口から終わりを宣告されるのを聞きたくなかった。
聞くことを拒絶していた。
だから、ナミの前で海外行きの素振りを見せないようにした。
それが誘い水となって、ナミがそれを告げることを、無意識で恐れて、避けていたんだ。

「悪かったな、きつい決断、全部押し付けちまって。そんなつもりじゃなかったんだが。」

ナミがついてきてくれるなら問題はなかった。
しかし、ナミの返答が否やの場合もあるというのに、その時のことを考えていなかった。
次に打つ手を何も用意してなかった。
そうなった後、自分達はどうなるのかも、まるで分かっちゃいなかった。
つまり俺は最初から、ナミの決断を受け止める覚悟なんて、何もできちゃいなかったんだ。
夢もナミも両方を求める。そして、どちらも手に入らないのを嫌がる。
コレじゃ単にダダこねてるガキと一緒だ。
ナミに自由に選ばせようなんて、思い上がりも甚だしい。

「だから、アレは無かったことにしてくれ。」

普段の俺は決してモラトリアムじゃねぇ。
一度出した決断には迷わねぇ。
他人がとやかく言おうとも、そう易々と覆すことはない。
それなのに、ナミのことになると、この様だ。
ろくに覚悟もできてねぇで、あんなこと言ってたんだ。
挙句の果てには、ナミを追い詰めて、苦しめて。

「無かったことにするなら、これから私達、どうなるの?」
「・・・・・。」
「別れるの?」
「・・・・訊くなよ、そんなこと。」

その答えを出したくなくて、あの言葉を撤回したんだ。
そうすれば、これからについて突き詰めて考える必要がなくなるから。
それが単なる一時の逃げでしかないと分かってはいても。

「ゾロは・・・・・・別れたい?」
「んなワケねぇだろ。」

でも、とゾロは付け加える。

「先のことは分かんねぇから・・・・・。」

ひどく辛そうに打ちひしがれているゾロの頬に、ナミがそっと手を触れる。

「ゾロ、聞いて。ルフィがね、言ってたの。」
「ルフィ?」

初めて聞く名前に、ゾロは意表を衝かれてナミを見る。
当のナミはそれに気づいていないのか、どこか遠い目をして話し続けるので、ゾロもそれ以上は追及しなかった。

「お前が何を不安がってるのか、分からないって。」


ルフィは不思議な人。
ナミはただ一度だけの電話での会話を思い出す。



♪          ♪          ♪




『お前が、ナミだな?』

名乗る前に名を告げられたので、少し驚いてしまった。
けれどすぐにエースが事前に自分のことを話しておいてくれてのだと思い直す。

「そうです。エースさんにルフィさんが、ガラパゴスにおられると聞きまして、」
『俺はモンキー・D・ルフィ。よろしく!』

それはもう知ってるんですけど。
さっき、こっちが「モンキー・D・ルフィさんですか?」って聞いたんですけど。

「それで、ルフィさんにお尋ねしたいことがいくつかあって、」
『エースが言ってたけど、お前、エースを振ったんだって?』
「お電話をしたんですけど。」
『エースってさ、モテるんだよな。狙った獲物は逃さねぇし。』

そのエースを振るなんて、お前すごいよなとルフィは続ける。

全然、会話が噛み合わない。

その後もルフィは、歳いくつ?25?俺の一コ上?いま日本では何流行ってんの?そっちは寒い?こっちは夏だからさぁ―――と、取り留めの無いことを一方的にしゃべり続ける。
話題は取り留めなく次々に変わっていき、やがてガラパゴスのカメに移っていく。
初対面の相手だからとしばらくは話を合わせていたナミだったが、段々と我慢の限界に近づいてきた。こちとら高い通話料を払っているのだ。
ちょっともういいかげんにしてと思わず送話口に叫んだら、ピタリと声が止んだ。
きっと相手が目を丸くしているに違いない。見えないけれどもそれが分かった。
しまったと思った時、シシシという独特の笑い声が聞こえてきた。

『いい声だな!ナミ!』

ルフィは不思議な人だった。
心に張り巡らせていた防御壁を、気がつけばいとも簡単に取り払われてしまっていた。
最初は取り繕って話していたナミの心を、最後には丸裸にしてしまった。
いつの間にか剥き出しの感情で、泣いたり笑ったり怒ったりしていた。
そうして、ルフィは言った。

『ナミは何がそんなに不安なんだ?俺にゃサッパリ分からねぇ』

『そのゾロって奴も、別に宇宙に行くワケじゃねぇんだろ?そんならすぐじゃん。いつでも会えるじゃん。世界なんて、地球なんて、小っせぇよ』

『俺は今、ここにいるけど、一人だなんて思ったことねぇぞ』

『俺には世界中に仲間がいる』

『今は離れ離れになっているけれど、心は繋がってる』

『そう信じられる。だから、さびしいなんて思ったことねぇんだ』

ナミは反論する。仲間と恋人は違うわと。

『そうかぁ?要は自分の味方かどうかだろ?じゃ、恋人はこの世で最強の味方なんじゃねぇの?』

『だから、お前らだって大丈夫だ! そうに違いねぇ。いやそうだって決めた。今俺が決めたからな!』



ルフィの言葉は、一つの天啓となった。
先のことは分からない。
ルフィと自分達とは違う。
ルフィの言うことが全て当て嵌まるわけではない。
それでも、これからの気持ちの持ち様や心のあるべき姿が垣間見えた気がした。
ルフィの言葉は、悩みの淵に追いやられていたナミに希望の光をもたらした。



♪          ♪          ♪




ナミはゾロの頬に手を添えたまま語る。

「1月にゾロが私の目の前のアパートの部屋に引っ越してきて、すぐに気になって、片思いをした。それなのに親しく話せるようになるまで時間がかかって、私の部屋とゾロの部屋の道を隔てたわずかな距離が永遠のように感じたわ。決して埋まることの無い、遥かに隔てられた距離だって。」

「いつまでも縮まらない距離に、切なくなったり、焦れたりしてた。でも、どうしようもないものは仕方が無いから、もう少しずつでいいやって自分を励ましていた。」

「それが4月になったら、縮まったどころじゃなくて、突然距離がゼロになった。」

ゾロはナミの言っている意味を理解して苦笑いした。
ナミもいたずらっぽく笑う。でもそれはすぐに消えた。

「ゾロと一つになれたって思ったのに、その時から不安が始まった。本当に辛くて寂しいのは、むしろそれからだった。ゾロと突然連絡が取れなくなって、会えなくなって、頭の中が混乱したわ。なんなの、私と寝たのは遊びだったの?単なるその場の勢いだったの?って。心が遠い。思い知らされたわ、いくら身体を繋げても、心が重なっていないんだって。ゾロのことが信じられなくて苦しい。そのうえケンカして、すれ違って。悲しくて悔しくて。」

「でも、こうしてまた気持ちが近づいて、結ばれた。いろんなことがあったけど、乗り越えて、今の私達がある。」

ナミは今度は両手でゾロの頬を包み込み、息がかかるくらいにゾロに顔を近づけた。

「今は、心が繋がったって思っている。私はゾロのことが信じられる。ゾロは、違う?」

私のこと、信じられない?

「いや・・・・俺もそうだ。」

信じられる。
その答えに、ナミはゾロの目を見つめながら満足そうに微笑んだ。

「だから、もうどんなに離れてても大丈夫なの。身体の距離よりも心の絆の方が、ずっとずっと大切だって分かったから。会えなくなるけど、でもそれって終わりってことじゃないでしょ?」
「ああ。」
「じゃ、続けようよ。それにね、ゾロとはなんだかんだでやっていけそうな気がするのよ。ずっとね、一生付き合っていくような気がするの。」

今がゾロにとって飛び立つべき時だから、離れるの。
別れるんじゃなくて。
ゾロとはそうやっていけると思う。
私だって、もしそういう時が来たら、ゾロを置いてでも飛び立つわ、きっと。
でもやっぱり別れるんじゃなく、離れるだけなの。
離れても、いつか必ずまた巡り合うって、分かっているから。


くらっ


突然、身体の力が抜けた。
あれ・・・・・そういえば、熱があるんだった。
ぽすんと、またベッドの上に仰向けに身を横たえる。

「興奮するからだ。」

ゾロが呆れたようなため息をつきながら、またも布団をかけ直してやる。

「誰が興奮させたのよ。」

ジト目でナミに睨まれ、違いねぇとゾロは低く笑いながら、ナミの額に手を置き、そのまま滑らせて髪を撫でる。
ナミは気持ち良さそうに目を細めた。

「一つ聞くが、ルフィって誰なんだ?」
「あ、エースの弟さんなの。ガラパゴス諸島のホテルで働いてるんだって。」
「で、そいつにいつ電話したんだ?」
「えーと、この前の土曜日。」

ゾロの取材旅行中だ。

「そのこと、なんですぐに俺に言わねぇんだよ。」
「だって、ゾロ旅行中だったし。帰ってきてからゆっくりって思って。」
「ったく、そんな前に答えが出てるんなら、俺がわざわざ悩む必要もなかったじゃねぇか。」
「あら、お相子よ。あんたも少しは悩むべきだったのよ。なんでもかんでも勝手にさっさと一人で答え出しちゃって。ちょっとは事前に私にも相談してほしかったわよ。」
「ああ、そうだな、今度からはそうする。」
「そうしてちょうだい。よろしくね。」
「さ、ちょっとおとなしく寝てろ。俺も風呂入ってくる。その後、なんか食いモン作ってやっから。」
「ええっ、ゾロが!?」
「なんだよ、こう見えても一人暮らし歴8年だぞ。」

そのうち自炊したのは両手両足で数えられるぐらいだが。
ゾロが立ち上がろうとした時、ナミが布団の中から手を出して、ゾロの服の袖を掴んだ。
見ると、熱っぽいながらも澄んだ瞳のナミがいた。はにかんだようにゾロを見上げている。
やがて、その可愛らしい口が開かれて、言葉が紡ぎだされる。

「ゾロ、愛してるわ。」

伝えられる万感の想い。
それを胸に受け留めて、ゾロはもう一度座り直し、ナミに顔を近づける。

「ああ、俺も。」

愛していると、ゾロはナミの唇にそっと口付けた。

<< BACK       NEXT >>

back to top