………んっ

………あっ

………………イヤア〜ン

「ナミ、全然カンジてないだろ?」






a water tower  −1−
            

CAO 様



「!……痛ってぇーな!ナミ、テメェ何しやがるっ!」
「のほほ〜んとしてるアンタが悪いのよっ!」
「自分ン家で何してようが、俺の勝手だろーがっ!」
「あーもう、苛々すんのよ、アンタのその『何にも動じません』って顔見てると。」
「じゃあ、さっさと出てけよっ!何度も言ってるが、ここは俺が借りてる部屋で、俺ン家なんだよっ!テメェが勝手に居ついてんじゃねーか!」
「仕方ないでしょ、私追い出されちゃったんだから。行くトコないんだもん。」
「なら、家主にちったー遠慮しろ。帰っていきなり、頭叩くたぁ、どういう了見だっ!」
「だって………」




ナミは幼い頃から児童劇団に入っていた。
今では考えられないが、恐ろしく内向的だったナミを両親は大変心配し、何とか自分に自信をつけさせたいと考え家の近所にあった劇団預けたのだ。だから、無理矢理入れさせられていたというのが正しい。
しかしこれが効を奏したのか、最初は泣きながら通っていたものの、あっという間に内気だったナミは誰もに愛される利発な少女に変貌を遂げて行った。
生来の可愛い容貌も有ってか、小学校高学年になる頃にはCMやTVにひっぱり凧となり、中学生になると天才子役ともて囃され映画にも出演する様になっていた。
同じ年頃の子が恋やお洒落に夢中になっている時に、自分は懸命に仕事をこなしている。売れっ子になると、私生活は二の次になってしまい、義務教育にも関わらず月の内半分も登校出来れば恩の字だった。
ナミ自身もこの頃にはアイドルとしての自分を自覚し、禄に学校へも通えない事を不満に感じても、口に出す様な真似はしなかった。何故なら、ここまで育ててくれた両親が、ナミの活躍を心から喜び支援してくれたから。
その両親から「高校だけは出ておけ」と言われ、受験の為暫く芸能活動から遠ざかり、私立の高校に入学を果たした。そこで知り合ったのがゾロ。この家の家主である。

入学したての頃、クラスメートの大半は『ナミ』を知っていて、勿論先輩方も芸能人が入学したと大騒ぎで、遠くに近くにとナミの周りは賑わいを見せていた。
中にはそれを快く思わない輩も多少存在し、快・不快を問わず、ナミは息苦しい学生生活を送る填めとなったのだ。
二学期頃になると多少仕事をセーブしながら通う学校生活にもプレッシャーを感じる様になっていた。そんなある秋の日、ナミは取り巻き連中から逃れ、5限目をサボり、校舎の屋上へ逃げ込んだ。仕事や友人から離れたくなっていたから。
秋風が乾いた柔らかな空気を運んでいた。
給水塔の蔭に暖かそうな陽射しが溜っていた。
誘われる様に足を向け、その日向に腰を降ろした。
すると、ムニュという感触が、ナミのお尻に伝わった。驚き腰を上げた途端、「テメェ〜誰だ?フザケんなよっ!」と声が上がった。見下ろせば、緑の短髪と同じ色をした不機嫌な目が、彼女を睨んでいた。
それが二人の出会い。

詳しい話はこの際省くが、何時の間にか二人は、公には内緒でなんとなく付き合う様になった。

そして、ナミの初めての相手となった男も、この何時も不機嫌な顔したゾロだった。


ただ、そんな小さな幸せも長くは続かなかった。


二人が内緒の関係を分かち合い始めて半年程経った頃、ナミの最大の理解者であった両親が事故で他界した。あまりに突然の事で、どうすれば良いのか不安と悲しみに苛まれたナミは、当時所属していた事務所の言いなりになるしかなかった。彼女は学校を辞め、仕事に専念する事となり、自然ゾロとも疎遠となる。
ナミの転落はこの時既に始まっていた。
2年も過ぎた頃、所属事務所の社長が会社の金を私的に流用し雲隠れ、事務所は解散。ナミを拾った新しい事務所とはソリが合わず、1年後には解雇。バイトで食い繋ぐ日々の中、子役時代に世話になった演出家の小劇団の公演を覗き、その芝居に感動したナミは、早速入団を果たすも、稽古とバイトの日々は変わらず肉体的にはかなり疲弊していた。

そして1年前、バイトの帰り道ふと立ち寄ったコンビニで、ゾロと5年振りの再会を果たした。
聞けば大学進学の為に家を出て、ナミのアパートの直ぐ近くのマンションで一人暮らしをしているという。
その後同じコンビニで数度の邂逅を繰り返し、ゾロの部屋にも頻繁に訪れる様になったナミは、気が付いた時にはゾロ邸に居座っていた。ゾロの弁に因れば、『寄生している状態』だそうだ。何故なら、5年前の様な甘い関係は疾うに終わりを告げていて、再会した現在は近しい異性の友人の枠を越えるモノでは無かったからだ。いや、家族を失っているナミにとっては、1つ年上のゾロは兄の如き存在で、ゾロにとっても手の掛る妹の様なものだ。

昼間は大学で家に居ない、朝型のゾロ。逆に、稽古やバイトは午後からが多い、夜型のナミ。
ナミの生活とゾロの生活は、基本的に重なるところが少ないので、それも良しとしてきたゾロだが、ここの所そうも言ってられなくなっていた。
大学のゼミでの実習にかなり時間が割かれ始め帰宅が遅くなり始めた矢先、ナミが劇団を通じて始めた吹き替えの仕事をする様になった。それまでやっていた深夜バイトを辞める事で、ゾロとナミの家に居る時間が重なる様になってきたのだ。

いかに家族同然と謂えども、結局は血の繋がらない若い男女が1つ屋根の下、1LDKの狭い空間と時間を共有するのだ。全く意識しないという訳にはいかない。ましてや二人は嘗て、恋人として過ごした時を持っている。まだ幼さが残る時代だったが、その体の隅々まで目にした経験を、おいそれと忘れる筈もない。
ただ、ナミは敢えてそれに触れない様心掛けていたし、ゾロはゾロでナミの醸す女の空気に目を伏せていた。
飽くまでも、同居人として捉えていようと。




「だからって、俺に当たんじゃねぇ〜」
「他に居ないんだから仕方ないでしょ?」
「可愛い子振るなっ!その上目遣いを止めろ。気色悪リィんだよ。」
「何よっ、家主様にサービスして上げてんのに。」
「テメェの腹黒さは俺が一番良く知ってんだ。んなもん、信用できるかっ!」
「アンタ、私を誰だと思ってんの?心優しいナミちゃんを信じられないなんて…相当腐ってるんじゃない?」
「ナミ…テンメェ〜」
「アァ〜怖っわ〜い…」

ナミの言質に因ると、今日の仕事は散々の出来だったそうだ。安いアダルトアニメに声を入れたらしい。
何でも憧れの先生と初体験をする女子高生役だとか。ベタ過ぎる…ゾロはそう思っていた。しかも、ダメ出しの連続で、結局明日再録するらしい。

「俺とヤッた時を思い出しゃいいじゃねぇか?」

ゾロは思わず、そう口に出しそうになった。しかし、此処でソレを口にするには、余りにも二人の距離は近過ぎた。
何時もならヤケ酒のひとつもかっ食らい、騒ぐだけ騒いで床に就く女が、給料日前で金がないと麦茶片手にゾロが座るソファの隣にいる。帰って来たままの肩も露にした薄いキャミソール姿で。ゾロが左腕を少し動かせば、あの頃以上に形良く膨らんだ胸に触れてしまう程の間近に。

「元々こんな顔だ。いちいちウッセーよ。」
「知ってるぅ〜……ハァ。ゾロになら、何でも正直に言えるのにね。あの監督言うに事欠いて、私が感じた経験が無いから心が入んないんだとか言うのよ!しまいには、処女なんだろっ!って。共演者達だけじゃなく、スタッフも同情した顔して陰で笑ってた……もう悔しくって!」
「………笑わせときゃいいだろ?」
「勿論相手になんかしなかったわよ。前向いて帰って来たわ…一番悔しかったのは、演じられなかった事。」

そう言うとナミは、空になったグラスの麦茶に手を伸ばし口元へ運び、残った氷をひとつ噛み締めた。

「ナミ……」

覘き込んだゾロの真横で、ガリッと鈍い音がした。味など無いに等しい氷に、苦味を感じてナミの顔が歪む。
涙を堪える顔だった。


5年前の彼女が其処にいた。


毎日毎日、仕事場でも学校でもアイドルを演じ続け、付き合っていたゾロにさえ中々本心を見せようとはしなかったナミ。時折見せるこの表情に、どうにかしてやりたいと感じた日々を思い起こさせる。
せめて自分といたあの給水塔の下でだけでも、曇りのないナミの笑顔を作ってやろうと、誓った日を思い出していた。




「キツイんなら、泣いていいんじゃねぇの?」
「それはダメよ。皆に心配掛けちゃう。」
「なら……俺の前だけで泣きゃいい。」
「……ゾロ?」
「そんかわり……泣き終わったら、思いっきり笑えよ。」
「うん。」

何時でも言葉足らずのゾロが、初めて女に告った日。あの給水塔の下、初めてナミを抱き寄せた、冬の午後。
冷たい風が吹き付ける屋上で、寄せ合った体だけが妙に暖かかった。
其処に確に日向が生まれていた。




ガリッ


二度目の咀嚼音が、ゾロの小さな部屋に響いた。

迷う事無く、筋肉質の太い腕が動いた。

ゾロの意識は其処には働いていない。

ただ、腕が意思を持っていた。


ナミのオレンジ色の頭が、ゾロの広く厚い胸の上にある。


「泣いとけ。」


ゾロでは無く、発した口が意思を持っていた。

引き寄せたオレンジの上に、かさついた声を降らせて。

「その後、大笑いしなきゃね。」
「憶えてたのか?」
「当然。ヘタクソな口説き方だもん。」
「煩せぇよ。」

ゾロのシャツに白い指が食い込み、握り締めたまま細く震えた。静かに声なく涙するナミを、外界から遮断する為、二の腕で抱き締める。随分長い間一人っきりで歩いてきた彼女の巣になるべく包んだ時、ゾロの背筋を走った暗膽たる想いに自分の耳を塞ぎながら。






どれくらい身を寄せ合っていたのだろう。永遠に続くかと思われたゾロのシャツを濡らす涙が、肌に冷たい感触を与え無くなったと思うや否や、唐突にアハハという音が二人の体を振動させる。

「ハハ………あ〜、スッキリしたっ!」
「そりゃ、よーござんした。」
「ありがとっ、ゾロ。」

顔を上げたナミは、少し腫れぼったい瞼をしていたが、茶褐色の瞳には昔から変わらぬ希望を宿していた。

「お、おう…そろそろ離れろよ。」
「何、意識でもしてんの?今更。」
「今更だから、ウザイんだよ。」
「はい、はい。了解。」

ナミが離れると、すうっと熱が引いて行く。風など吹く筈もない室内に、移動する空気を感じ、ゾロの胸元を冷やした。

「それにしても、あの監督あったまにくるわ。どうにかギャフンと言わせてやりたいな。」
「お前……ギャフンとか言ってる時点で、既に負けてねぇか?センス古っ!」
「お黙りっ!」
「……………。」
「何かいい方法は無いかしら。ねぇ、ゾロ、アンタどう思う?」
「……………。」
「ちょっと、何とか言いなさいよっ!」
「……………。」
「何そっぽ向いてんの!ホラ、こっち向け、バカゾロ。」
「痛っ……ピアスひっぱんなぁ〜。テメェが、黙れっつったんだろ!」
「やぁだスネてんの?キャラじゃないから、止めなさいよ。キショッ。」
「スネるかっ!アホくせぇ。」
「あ、そ。で、どうなの。何かいい案ない訳?」
「たく、テメェは黙れつったり喋れつったり………あー、要は明日テメェが上手くやりゃ済む話だろ?なら、練習すりゃいいじゃねぇか。」
「!そうね。そうよ、練習すればいいんだわ。やるじゃない、ゾロ。アンタはヤレば出来る子だと思ってたのよ〜。んー偉い偉い。」
「人の頭撫でんな。ガキじゃあるめーし、止めろ。第一、気付かねぇお前がどうかして……」

ナミはもうゾロの話を聞いてはいなかった。それどころか、何やら思いついたのか、怪しい笑みを見せている。

「ゾーロー、練習台になって。」
「はぁ〜?」
「読み合わせしましょ。嫌なら、聞いてるだけでもいいから。」
「何で俺が付き合わねぇといけねーんだ。冗談じゃねぇ。お断りだ。」
「まぁ、そう言わず……女日照りのアンタに、綺麗どころのエロい声が聞けるだけでも、幸せでしょ?」

(誰のせいで日照ってると思ってやがんだ……よ。)

声に出せない呟きを、ゾロは溜め息と共に吐いた。
ナミが家賃滞納で自分のアパートを出てゾロの部屋に居候を決め込んで以来、女を抱くどころか碌に触れた憶えがなかった。そこそこモテる男なので、ナミと自然消滅してからも、何人かと付き合った事もある。しかしどれもこれも長続きはしなかった。それでも不自由を感じなかったのは、一人暮らしのお陰か連れ込む場所に困った試しがなかったからかもしれない。処がナミがいる所為で、イケると踏んだ相手でも、イイ思いをする迄には至らない。ましてや仕送り生活の学生の身で、ホテル代もままならない。一人で処理しようにも、ここ最近はナミと時間が重なって、隙を窺うのも気が引ける。

正直、溜っていた。

其処に来て、AV台本の読み合わせとくれば、相手がいくら妹の様な女でも、ゾロとしては正に堪ったものではない。

(こっちの事情もちったー考えろってんだ……分かってて誘ってやがんのか?いや、それはねぇか。昔っから何かに夢中になると、何にも見えなくなるヤツだったからな。)

ゾロの心の叫びをよそに、ナミはいそいそと台本をバッグから取り出す。詰め寄る程の近くでゾロに台本を開き、真剣な表情で脚本の解説を始めた。

一冊しかない台本を挟み、互いの膝頭が触れ合わんばかりの距離が、ゾロには昔と違ってやけに息苦しかった。






「あっ………」
「やぁ……だ…めっ…」
「ん、んんっ………」
「いやっ…………」
「………」
「………?」
「………」
「早くっ!」
「………」
「もう、何やってんのよっ!アンタの台詞じゃないよ!」
「聞いてるだけでいいって…」
「うだうだ言ってんじゃないわよっ!読めばいいのよっ!ゾロ、字も読めないでよく学生なんてやってるわね〜ご両親もさぞや心配でしょうねぇ〜こんなバカ息子…」
「テンメェ〜!クソッ、読みゃいいんだろ!読みゃ…ったく、どうなっても、知らねぇぞ。」
「そ、ここからね。いくわよ。」

ナミはしてやったりといった笑みを浮かべた後、急に少女の仮面を被り、甘い声を発した。

「いやっ…」
「俺…が…き…らい…?」
「ううん、好き……」
「だっ…たらい…いだ…ろ…」
「でも……」
「でもな…んだ…い。」
「恥ずかしい……のっ。」
「お……れもは…ずか…しいよけ………ど…まりあが、ススススス…」
「ヘッタクソ〜!」
「って、できるかぁ〜!」

ゾロは押し付けられていた台本を掴み、ソファの後ろに放り投げた。それを見ていたナミは、ゲンコツをひとつゾロの頭にお見舞いし、腰を上げて台本を取りに行く。しかも、毒舌を吐きながら。

「本っ当、使えない男ね〜昔っから、ムードもくそもない奴だとは知ってたけど、まともに台本も読めないし。『好き』って言葉さえ言えない訳?誰も現実に心を込めろなんて言ってないでしょ……情けない。よくそんなんで、女口説けるわね!あ…だから彼女いないんだ。ダサッ。全く、イザって時に困るわよっ。」
「困んねぇよっ!余計なお世話だ。」

ふてくされるゾロの頭部に再び軽い衝撃が走る。ナミが台本を、緑の頭に叩きつけたからだ。

「暴力は止めろって言ってんだろ。んなだから、テメェだって、男の一人も出来ねぇんだ。」
「いいのよ、私は……彼ならいるもん。」
「何っ………聞いてねぇぞ。」

驚いた顔でゾロが背後のナミを振り仰ぐ。僅かに節くれた指先が震えている様にも見える。それを敢えて見ない振りを決め込んだナミはニッコリ笑い、ゾロの肩が乗るソファの背持たれに両肘を立てて屈み、ゾロの三本のピアスが揺れる耳元に呟きを落とした。

「言ってないからね。」

夢見心地の声音が、ゾロの周りを包んでいた。

「だ、誰……だよ。」

ナミの顔の横に心配気に眉をひそめたゾロの顔があった。

「私の彼は………芝居よ。」

は?と首を捻るゾロの吐息が、ナミの首筋に軽く触れた。

「芝居が恋人。彼は絶対裏切らないし。私が好きになればなるほど、私を愛してくれる。素敵でしょ?」


ナミは両親を失って以来、沢山のモノを失い続けてきた。仕事、学校生活、事務所の社長、人気、新しい事務所、自分の家……数え挙げればキリがない。ゾロもその一人。今は、こうして側にいるけれど、何時ナミの目の前から消えてしまうか分からない。
だから、ナミは人や物を過剰に欲しないと決めていた。欲すれば欲しただけ、失う事の恐れが増加する。悲しい哉ナミは、手に入れた時既に、失う時を思い行動する術を身に付けてしまっていた。それが、彼女にとっての最大の防御に外ならなかったから。


「ゾロだから言えるンだけど……なくしちゃったら、いやじゃない?特に、人は。」

一度失ったゾロになら言える。まだ何も失っていなかったナミを知る、唯一の人物。ナミがまだ、幸せを正面から受け止める事が出来た時代を知る男。そして、失ってしまったナミをも知っている人。
彼女を理解し、嫌々ながらも棲み家を提供し、本音を語らせてくれる寛容を持つ………家族の様な友人だ。

「だからって、お前。それじゃ、つまんねぇだろ?」
「つまらなくなんてないわ。芝居があるもの。彼の気持ちを得る為なら、どんなにお金を注ぎ込んでも構わないわ。アンタは私をケチだっていうけど、無駄にお金を使うよりずうっといいでしょ?だって、彼の為だもん〜」
「そういう事言ってんじゃねぇよ。」
「じゃぁ、どういう意味?」

はすに構えてナミを見ていたゾロが向きを変え、ソファの背持たれと平行する様体ごと振り返る。ナミを正面から見据え、眼光鋭く詰問でもするつもりか、返した言葉には説教にも取れる意味が含まれていた。

「もっと欲しがっていいんじゃねぇかって。」
「嫌よ!」

間髪入れずナミは答える。頭では解っていた。心も勝手に欲してしまう。そんな事ゾロに言われるまでもなく、ナミ自身良く知っている。何故なら、元来ナミは貪欲な人間だから。

「最初っから諦める……そんなんテメェらしくねぇだろ!」

だからこそ、先手先手に、用意周到に、自分を御す。そうしなければ、より一層深い傷を受ける。
ナミを知ってるゾロだから言える言葉だと分かっていても、触れて欲しくはなかった。分かっているからこそ黙って見過ごしてくれると、シニカルに笑い飛ばしてくれると、ナミはそう信じていた。
そう思っている時点で、ゾロに甘えている自分を、うっすらと感じ取ってはいた。ただ、それを確信したくはない。何故なら、ゾロを欲していると、肯定してしまうのだから。ゾロといるこの空間を時間を、彼自身を。失いたくないものだと、知りたくなかった。

だから、喧嘩腰になる。

「私らしいって何よ?ゾロが私の何を知ってるって言うのよ。」
「知らねぇけど、知ってる。少なくとも昔は、俺が知ってたナミは、何時でも楽しんでた。辛い時も、そうじゃねぇ時も、色んなモン見て聞いて吸収して…怖がったりする奴じゃなかっただろ?違うか?」
「ゾロは、なくした事が無いから、そう言えるのよ。失うって、どんなに悲しいか…」
「ああ、知らねぇ。知りたくもねぇよ。」

このままでは知りたくない自分の心を知ってしまいそうだと、恐怖がナミを襲っていた。早くこの会話を終わらせたいナミは、出来るだけ嫌味で、フザケた物言いで、ゾロに挑んでいった。

「アンタは鈍感だから、なくしても分かんないかもね?」

ナミの気持ちが届いたのか、ゾロはそれまで見せていた真摯でいて諭す様だった瞳を閉じる。問掛ける声の真剣さも、成を潜めた。

「鈍感で構わねぇよ。はなっから臆病風に吹かれるよりマシだ。だから……」

変わって現れた諦観の暗緑色の瞳と、少し揶喩を含んだ声音に安心を覚えた。
だから、ナミは自然に続く言葉を促せた。ありがとうの意味を込め、空気を読める古い付き合いに安堵して。

「だから?」

ゾロの腕が動いた。

「手に入れる。手に入れたら、なくさない様に、気ィ付けりゃいいだけだ。」

ゾロの片方の手がナミのジーンズのベルトを掴み、もう一方は上半身に絡み付いてきた。

「な、な、何するつもり?」
「あ?練習すんだろ?」

背持たれ越し、抱き締められた。驚きと心地良さが、暫しナミを包む。溶け出し始める心の澱を意志の力で捩伏せて、縋る思いで覗き見れば、唇の片方の端を上げ、ゾロが底意地の悪い微笑を湛えている。
5年前に良く見た表情だった。給水塔の陰に隠れながら、ゾロの膝の上でドキドキしながら見ていた、顔。
その後必ず、優しいキスをくれた。

「ち、ちょっと……だ、駄目よっ!ゾロ!」

絡み付いた腕に力が篭り、高い背持たれを難無く越えさせる。バランスを崩したナミは、ソファに寝転んだゾロの上に落ちていた。
離れ様ともがいてみたものの、腰と肩を両腕で押さえられ、足までも絡められ、身動きが取れない。
トドメとばかりに発せらた言葉。

「駄目じゃねぇだろ?芝居の練習なんだからよ……体感してみろ。相手になってやる。」

あくまでも深い部分は伏せたままで良い……とでも言いた気な、ゾロらしい優しさがあった。
ナミはその思い遣りとやらも、切なくさせられるモノだという事に、気づかぬ振りをしようと決めた。

「無理よ……ゾロだもん。」

精一杯の戯れを、茶褐色の瞳と震え出しそうな唇に宿した。
理解したとばかり、ゾロは笑みを溢す。

「なら、台本通り先生になってやるよ………まりあ?だったか?」
「バカね。」
「バカって言うんじゃねぇよ。」
「ごめんなさい……先生。」
「じゃ、ヤルぞ。」
「相変わらず、直接的な表現しか出来ないのね?練習といえどもそんなんじゃ、期待できそうもないわ。大体アンタには痛い思い……んん…」

オレンジの髪に指がまわり、頭を押さえられた。

5年振りに唇が重なった。

そのまま、ゾロが言う。

「も、黙れ!」

(強引なトコはちっとも変わらないのね…)






水音が響く。ピチャピチャと。重なった唇から。
最初触れ合わせた唇は、甘く柔らかな感触だけを伝えてきた。まるで昔に戻った様で、初々しさに羞恥を覚えて焦りを感じたゾロは、芽生えた想いを掻き消す為、烈しく唇を侵し肉欲だけに没頭した。
噛み付いた唇のしなやかさを否定するが如く歯列を舐め、喘ぎに弛んだ隙をみて舌を潜入させた。
ナミの口中は暖かで、日向の様に心地良い。何時までもその日溜まりに身を晒したくなる程。ただ、そこに止まれば、今は知ってはならない感情を呼び起こしてしまう。
だからひたすらに先を求め、舌を絡ませ唾液を飲み干し続ける。上擦るナミの舌先を自分の口中に導き、自分の中を侵させる。辿りついた舌は、歯列の内側を丁寧に舐め上げ、ゾクリと背中に快感を走らせる。
思い通りに弱点を着く舌の動きに、忘れた筈の5年前を、体は忘れてはいなかったのだと思い知らされた。

つい、溢れ出す感情を、全て欲望に変えて、ナミの体に無骨な手を這わせる。



『失う悲しみ』そうナミの口から洩れた言葉に息を飲んだ。
ゾロは、本当は知っていた、その悲しみを。
ナミがゾロを失った時、同じくゾロもナミを失っていた。ナミの中で自分にどれ程の価値があったか等、今更どうやっても計れはしない。しかし、ゾロの秤は確に今でも計測を続けていて、失った悲しみの量は自分の目盛りに刻まれたままだ。
あの時守って助けてやっていると思っていた自分は間違いで、ナミに憧憬し援助を受けていたのは自分の方だった。それを思い知らされたたのは部活の合宿から戻り、ナミの両親が亡くなり彼女が学校から去ったと、風の噂に聞いた時だった。
待てど暮らせどナミの居ない給水塔の下、ひとり屋上を吹く風に晒され、腕の中に一時合った柔らかい塊を反芻した日々。空虚な腕が妙に愛しく、掴み切れなかった己の無力さに憐憫さえ感じた。

酷くナミを愛していたのだと気づいた。

その虚無感から逃れる術は容易には見からず、数年を要した等、今ここにいるナミに知らせてはならない。やっと辿り着いた諦観に安堵を見い出して、無言の納得を交した互いが、体を重ねている今。
揺り戻されそうになる気持ちは、肉体が欲する幻想に留め置く冪だ。

彼女がそれを望んでいる。
心は欲しく無い、と。
失う怖さを、ゾロ以上に知ってる女が、まさぐる掌に体を張って叫んでいる。
握り潰す程力を込めた乳房が、妖艶に歪みながら感じさせろと呟いている。
指を這わせた秘所から溢れ出す蜜が、内腿を濡らしつつ触れて欲しいと囁く。
舌で舐め上げた花芯が、煽動を繰り返し早く貫いてと喚く。
触れ合う素肌が語り続けていた。欲しいのは体、望みは肉欲だけ。


ゾロの愛撫に一度達っしたナミを見る。ソファに仰向けに寝そべるゾロを、四足歩行の動物の様に跨いだまま、恍惚の表情を魅せる全裸の彼女。直ぐ様弛緩した青磁を思わせる肌が、ゾロの赤銅色した体躯の上に墜ちてきた。
互いの息づく鼓動を素肌に受け、ナミが顔だけを上げ、暗緑の瞳を見つめる。紅潮した頬が彼女の昂奮を伝えてくる。縋る様に唇を重ねたナミに一瞬甘い匂いを感じ、ゾロは絡めた腕に力が篭るのを止められない。
走った体への拘束が、ナミの唇を遠ざけた。

「上手くなったじゃない?」

妖艶な笑みを作り、ナミが揶喩かう。

「そりゃ……俺もただ年くった訳じゃねぇからな。」
「あら、まるで私ガキみたいな言い方ね?」
「いや、『痛てぇ、痛てぇ』って、煩く言わなくなっただけでも、大人ンなったんじゃねぇの?」

腕を解いてナミの膝を割る。見えない秘所をまさぐり、勘に任せて自分を当てがう。

「あの時は初めてで、アンタだっ…あっ…」
「っ…俺んがデカ過ぎってか?」
「ちがっ…んっ……私のシマリが良いの…よ…ああっ……急に入れないでっ…ハッ…」
「やっぱ…ウルセェ。」

勘は正解だった。腰を少し動かせば、待ち通しいとばかりナミの亀裂が拓いて行く。放っておいても取り込まれてしまいそうな感覚に、硬く隆起した己が更に硬度を増す。

「や…あ…っ!ん……」

衝動に背を推されたゾロの競り上がる腰に、逃げる事を良しとせず、ナミが自分から道を拓いて腰を沈めた。
柔らかい癖に酷く窮屈なナミの中。痙攣を繰り返しているのかとさえ思わせる、煽動する肉の洞穴を、ゾロの愛欲の塊が焦しながら埋め込まれて行く。ヌメヌメとした感触がゾロを幾等でも奥へと導き、終りのない快感を誘発する。最奥へ到達しても、まだ見えぬ先に誘っていた。

「イイだろ?ナ……まりあ?」
「ん、センセ……」

交わる視線に戯れを纏い、互いが繋がる悦びを、敢えて秘匿してはみるものの、ジクジクとした痛みとも快感とも言えぬ感触が、埋まっている部分から、体と心の両方を犯していた。

ナミを抱きながら、ナミでないものを抱く。

「動くぞ。」
「待って…キ…」
「キスして欲しいんだろ?」
「何で分かるの?」
「そりゃ…」

(俺もしたいからな…ナミ、お前に。だが、それは知らない方が良いんだろ?俺もお前も…)


それで良いんだと、ゾロは自分に言い聞かせた。


「先生だからな。」
「フフッ……優しくね。」
「言われなくとも。」

それでも………

触れるだけのキスをした。
初めてのキスの味だった。
瞳を閉じれば給水塔が見えた。

「動くぞ。」

目を開けば、やはりそこはゾロの部屋だった。蛍光灯が眩しく、ナミのオレンジの髪に反射していた。






ゾロが初めてだったのを、今更ながら、ナミは後悔している。
次の男の時もその次の男の時もそのまた次……何時もゾロとは違うと感じていた。深く突き上げられても、浅く戯れられても、何処までも届かなかった。それは絶頂を迎えたとしても、届きはしなかった。何が?と問われたところで、それはナミ本人にさえ説明はつかない。

ただ、ゾロとしているのか、ゾロ以外の男としているのか、という違いでしかない。

自分を到達させる事すら無かったゾロを、何故こんなにも忘れられず、比較する対象にしているのか、忌々しい気持ちを重ねてきた。

今、ナミの下で烈しく腰を上下させる男を見下ろし、自分も復讐する様にシキリと腰を動かしている。
裂けてしまうのではないかと思うほど、ゾロの質量は膨大で、剰え苦痛を伴うくらいにナミを責め苛なむ。紙一重の悦楽を繋ぎ止める為、えぐられる子宮に力を込める。

「…んんっ……」

締めれば中がゾロを形取る。苦しい程の悦びに抗って、潰れてしまえと力を込めても、決して消えないそれに、自分自身が追い詰められる。
熱くて、太くて、力強くて…我儘な程主張してくるゾロが、憎らしくそして。

(愛しい…………!)

愚かな気持ちを持ってはいけないと、ナミの理性が顔を覗かせた。
執着は哀しみを生むと知っている。5年前にあれほど苦しんだではないかと。父母を失い一番側にいて欲しい時に、ナミを包んでくれなかった男。いや、仮にその気持ちがあったとしても、その場に立ち合う事すら許されなかったであろう、ゾロ。
今ナミの中に沈んで狂喜とも呼べる肉欲を感じさせてくれているのは、ナミへの愛情ではなく、同情という名の欲望でしかない。
そう心に刻み、始めた行為に、何を求めるというのか。
求めないと言ったのは、ナミ自身。

そう、求めるのは体だけ。愛や恋など求めては、辛くなるだけ。
特にこの男にだけは。
裏切りに近い別れ方をして、尚、再会しても変わらぬ情を見せるゾロ。自然に寄り添いたくなる。甘えたくなる。離れたくなくなる。誰にも渡したくなくなる。
そんな、当たり前な積み重ねが、失う日を思えば恐怖になる。
ゾロを2度も失いたくない。

「…ハッ…イイッ…」
「ここだろ?」
「ん、ソコ…アアッ……」

だから喜悦に身を任せて、心を棄てる。

「知ってるぜ……」

ただただ欲望に身を預ける。

「言われ無くても……な。」

翻弄される事だけを望み。

「…ハッ…ん…もっと…ぉ…」

快楽に溶けるに任せて。

「こうだ…ろ…」

ひたすら、頂点を極める為だけに。

「…あ…イク、イッちゃ……」

………この男と共に。

「…アアッ………」

愛すべき、愛さざるを得ない………


「……………ゾ…ロ……」


愛し……たくはない。


「ナミッ!」


極まりに洩らした名は、弛緩を始めた体に、秘かな悔恨を呼び起こしていた。

(アンタとヤッてるはずじゃなかったのに……)






「どうだったよ?」
「……ん?」

胸の上にあるオレンジの一房を、指に絡めて弄んでみる。

「良かった……かな?」

細い指が弄るなとばかり、ゾロの手を弾く。

「かな?って…あんだけヨガってやがった癖に、ったく素直じゃねぇ。」
「分かってんなら、聞かないでよ。アンタこそ気が利かないわね。」

至って冷静な顔が作れている自分に、僅かばかりの驚きを感じている。排出したナミの内部に止まっている己は、まだ興奮を持続しているというのに。

「じゃなくてよ……練習になったか?って意味だ、アホ。」
「なら、そう言いなさいよ。変な事言っちゃったでしょ、バカ。」
「バカじゃねぇよ。」
「バカよ、馬鹿。アンタは。」
「バカにイかされた、テメェのが数段バカだろ?」
「な……良いのよそんなの。練習なんだから…イッたもん勝ちよ!」
「ケッ……結局、良かったんじゃねぇか。」

ジクジクとした甘い傷みが、徐々に引いている。まもなく5年の月日を経て、久しぶりにひとつとなった体が、離れる時がくる。もう二度と埋まる事も無いかもしれない、ナミの深い穴から。

「好きに思えばいいわ。でも………そうね。アンタが成長してるのが分かって、面白かったわ〜大分我慢が効く様になったみたいね?昔は、早かったモンねぇ?」
「早くねぇよ!ナミ、お前なぁ〜」
「強引なのは変わんないし…」
「あ〜、うるせぇ女。テメェも変わんねぇ。」

ナミが嫌味な笑顔を口許に浮かべ、体起こす。ゾロから別たれた青磁の肌、丸く豊かな膨らみの中央に、赤く色づく斑点が飾られていた。乳輪のすぐ近くに、いくつか花びらを散らす様に。
ゾロの上に跨り、ゾロが知らず残した所有の証を、華奢な指先がなぞっている。

「直ぐにこんな事しちゃうトコも、ゾロらしいわね。ま、見えない場所だから許してあげるけど…昔馴染みだしね。」

ズルリとした感触が、二人を繋げている部分を震わせた。目をやれば、絡み合っていた陰毛で隠されていた箇所から、力を失ったゾロのモノが姿を現した。白濁したそれは、しなる蔓の如く分かたれたナミの秘口から吐き出され、ペタリと腿に貼り付いた。

「昔馴染み………か。」

ナミの中から出て行く瞬間を、瞬きもせず見つめていた。上がる息を止めて、感触を瞳に焼き付ける為。

「文句あんの?」
「いや……ねぇよ。」

ソファを離れ立ち上がったナミの腿を、ゾロの名残りが伝わり落ちて行く。
つうっと頬を流れた、ナミの涙のようだ。

「あー疲れた。」
「寝るのか?」
「明日、早いんだもん…」

取り散らかった着衣を拾い集め、ナミがゾロのベットへ向かう。

「おい、俺のベットで寝るつもりか?」
「だって、アンタの所為で疲れちゃったんだから。ゆっくり休む権利はあるでしょ?」
「俺はどーすんだよ!」
「ソファで寝れば。」
「テメェ〜、俺ん家…」
「それとも……一緒に寝る?」

陶器で作られた様な冷たく輝く背中が、立ち止まり、小さな震えを纏っていた。

(抱いちまうだろ?んな事したら……今度抱いたら、もう、俺もお前も此処へは戻れねぇだろ?)

「………あほ。」

オレンジの髪をフワリとなびかせ、振り向き様悪戯っ子の顔が笑った。

「お・や・す・み。」
「おう……明日、頑張れよ。」
「ん、練習の成果を見せてやるわ。」

嬉しそうに片目をつむり、ドアの向こうに消えたナミ。ベットの軋む音が聞こえるまで、その後ろ姿を見送っていた。

ふと寒気を感じ、落ちていたシャツに手を伸ばす。拾い上げる時、自分の股間が目に入った。
そこは、何時の間にか乾いていて、混ざり合ったナミとゾロの体液が水分を失い、ゾロ自身に塩の様な痕跡を残していただけだった。

(……風呂、入んねぇとな。)




温いシャワーを全身に受け、熱っていた体が冷めていく。
一緒に心も落ち付きを取り戻してきた。


(これで、よかったんだ。これで。アイツは消えたりしねぇ………消えさせねぇ。)


気持ちの澱は洗い流せなかった。
洗っても洗っても、溜って行くだけで。

それでもゾロは、シャワーを浴び続けた………




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(2006.11.11)


 

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