BED IN    後編
            

ソイ 様



左足の爪先に小さな痛みを覚えたあの夏の日を最後に、ナミの世界からゾロという存在は掻き消えていた。
その翌年の夏は入院していたナミの父をはばかって、ゾロの両親は見舞いにこそ訪れたものの騒ぎ声が病の触りにならぬよう幼いゾロを連れては来なかったし、その次の年からは、父の死とともにベルメールの一家のほうが代々住み慣れたその家から立ち去っていて、ささやかな親戚づきあいはそこで一旦終わりを告げていた。
ナミはそれから一度も、生まれ育ったあの海に帰っていない。
新しく越した先はその海から電車で二時間ほどの距離だったが、父を思い出して悲しむベルメールを憚って帰省を言い出すこともできず、幼馴染の友人とも時がたつにつれ疎遠となった。
そんな急激な環境の変化と、思春期の心の揺れも手伝って、ナミはいつしか遠い親戚に当たる、その幼いゾロの顔すら忘れてしまっていた。あるいは、忘れたかったというのが深い心の真実かもしれない。亡くなった父と、懐かしい故郷と、大好きな潮騒の音から遠く離れた今、港と船と海の青さを無邪気に喜んだゾロは、それらとまっすぐにつながっていて、かの少年を思い出すことをは、失われたものの大きさをより自覚させると、本能が避けていたやもしれなかった。

だから、12年ぶりにふいに姿を現した彼を見ても。

『・・・・俺だよ。ロロノア・ゾロだ』

すっかり低く変わってしまったその声で名前を呼ばれても。

『ナミ・・・・だろ。・・・・覚えてねえか?』

大人びたその顔つきは、あの愛らしい柔らかな笑顔とこまっしゃくれた表情など微塵も感じさせず、記憶の中のかすかな幼子の姿とはまるで結びつかないままで。

だから。

間違えてしまったのだ。






剥き出しの白い足を、ゾロはゆっくりと下から攻めて行った。ナミが抵抗できないように、伸ばさせた右足を体で押さえ込み、左足は足首を持ち上げて、目の前にターゲットが来るように軽く曲げさせる。
踵からくるぶしまでをじっくりと味わい、細い足首、柔らかいふくらはぎを掠め、軽く噛み痕を残した。
「きゃ・・・・、や、やだ。ヘンな感じ・・・・」
皮膚の薄いところに舌や歯が当たるたびに、痙攣に近い震えがナミの腰から下に走る。
「くすぐったいよ・・・・」
「感じてんだろ?」
にやりと笑うその顔は、嫌味な上に凶悪。
「そ、そんなこと・・・・ない・・・・、ひゃあ!」
膝裏の筋をがぶりと齧られる。ついでに一番柔らかなその皮膚をきつく吸い上げられて、ナミは慌てて再度ゾロの頭を手で押しのけようとする。だがそれも空しい結果に終わった。
「抵抗すんな」
「ば・・・・ばか、あ、あぅん!」
舌先はついに内股にたどり着いた。日に焼けることのない真っ白な肌にゾロの犬歯が軽く尖る。
「そ、そんなとこは怪我してないわよ・・・・」
「ま、ついでだ、ついで」
血管が浮き出るほど白いその柔らかな肌に、ひとつ紅い痕を残すことを忘れずに。
「ベルメールさんも言ってたんだろ? ちゃんと、俺には食わせてやれって」
「誰が私を食べろといったのよ!」
「俺にとっての一番のご馳走はお前じゃねえか」
くっくと笑うその吐息が、ナミの足と足の間で響く。
「ご馳走・・・・?」
「ああ」
ゾロはそっと、握っていた足首から手を離す。ナミの抵抗はそれ以上見られなく、太腿の付け根を持ち上げても、ビクンと震えるだけで声を出そうとはしなかった。

「ここが、一番」
ホットパンツの股を、下からつっとなで上げた。
「美味え」

服の上から喰いつかれる。

「ん・・・・! あ・・、ちょっと・・・・ゾロ!」
布越しの熱い吐息が焦れったい。ナミは身をよじり、ゾロを振りほどこうとしているのか、それとも自分からこすりつけようとしているのか分からぬまま鈍い嬌声を上げる。いつのまにか両手でナミの両腿をしっかりとホールドしていたゾロは、唾液で濡らした舌を、服の上からでも分かるナミの割れ目にたどらせた。
「やぁ・・・・!」
「だから、暴れるなって」
押さえつけようとするその手に、再度力が込められた。軽く噛み付くようなその歯ごたえに、ゾロの頭を押さえつけたナミの手がぎゅっとその頭髪を握り締める。

じわりとした湿った熱さを、ナミもゾロももう感じ取っていた。

「・・・・濡れてるぜ」
「あ、あんたが・・・・、舐めるからでしょ・・・・」
「ここが湿ってるのは、俺だけのせいじゃねえだろ?」
伸ばした舌で、腿の付け根を隠せていないホットパンツの裾をついと引っ張られた。
わずかにもぐりこませたその先がショーツのレースを掠め、より直接的な熱にナミは頬が赤く染められていくのを自覚する。
襞の痙攣も、もう隠せない。
「・・・・脱げよ」
喉を鳴らす音に隠れて、聞こえてきた余裕のない声。それだけで、ナミの理性は音を立てて崩れ落ちた。



引き剥がすように、それでも己の手でショーツごとかなぐり捨てると、晒された秘所に待ちかねたようゾロが飛びついてくる。すでにとろとろに滴る愛液を舌先で掬い取り、敏感に反応する核に擦り付けられた。
「あ! あぁん!」
その嬌声にあおられたように、ゾロはナミの太腿を軽く持ち上げ、さらに舌先を深くぬかるみに埋め込んで、奥からとめどなく溢れ出す泉の水を音を立ててむさぼる。必要以上に啜り上げているのは、もちろんナミに聞かせるためだ。
「や・・・・ん、ゾロ!」
「すげー・・・・」
ゾロは匂い立つナミの香りをいっぱいに吸い込んだ。
普段は挿れる事がどうしても先行してしまって、前戯には彼なりに時間をかけて丁寧にやっているつもりだが、一つ一つナミの反応を確かめるところまで気が回らないのも確かだった。
だが今は、自分の舌と唇と甘噛みに、質感と香りを少しずつ変化させ、自分を受け入れる準備を整えている様を目の前でつぶさに実感できる。
ナミの体が開いていく。その感覚にゾロは酔った。
「・・・・気持ちいいか?」
ひくひくと震える小さな核。甘い痺れは、さてどちらにより響いているのか。
「う・・・・」
「・・・・良くねえか?」
言葉にしなくとも、とろりと溢れる舌先の感触でそんなことは分かっているのだが。
ゾロは返事がないのをいいことに、クリトリスに軽く歯を立てた。
「きゃあ!!」
すぐさま左手の指を二本、ずぶりとぬかるみに突き刺す。
「ああん! や! ダ、ダメ!」
あまりにも突然すぎる衝撃だったのか、動かす隙もなく、絡みついた襞がゾロの指先を締め上げた。一層激しく跳ねる腰を押さえつけて、激しい痙攣を核を吸いつづけながら味わう。視線を上にやれば、涙で瞳が潤んだナミが、いじらしくこちらを見ていた。
「・・・・イッたろ」
それにもナミは答えない。それこそ、その苺のように赤く色づいた唇や、上気した頬、扇情的に潤んだ瞳と息も絶え絶えに熱い吐息を繰り返すその表情で、いわずもがな、というところなのだが。
ゾロは口元を手の甲でぬぐって、身を乗り出し小さなキスを何度もナミに降らせた。
甘えるように唇を啄ばめば、ナミの方から首に腕を回してくる。その感触に口の端を上げて、もう無視するのが辛くなっていた自分の欲望を、服越しにナミに擦り付けた。
「・・・・してえ」
その素直過ぎる要求に、ナミの奥から熱いものが溢れてくる。
「・・・・ここじゃ、狭いよ」
「・・・・そんな暴れる気か?」
小さく「バカ」と呟くその様子を見やって、ゾロはそっとナミの体を抱きかかえる。
寝室の扉を足で無作法に開けて、ゆっくりとナミをベッドに降ろすと、灯りをつける隙もなくそのまま上に覆い被さった。


「ねえ・・・・、いっぱい、・・・・して」
暗がりの中で服を全て脱ぎ捨てたナミは、自分から手を伸ばしてゾロの衣服をやや乱暴に抜き取ろうとする。ゾロはそんな様子に苦笑を浮かべる余裕もなく、ナミの手にされるがまま任せながら、その柔らかな肢体に自ら溺れこんでいった。
刺し貫く熱い衝撃。荒い息遣いと、小さな悲鳴が交錯する。
一度火がついた身体は、もう互いの熱にあおられて制御などできなかった。
力任せにゾロの首筋にすがりつき、耳朶に舌を這わせて「もっと」と囁く。そのたびにびくりと震えるゾロの欲望の大きさを自分の中で直接感じながら、もどかしいと訴えるように自ら腰を振るった。
「んな・・・・あせんな」
興奮を押さえつけられながら、やや乱暴に打ち付けられる音。
腰の奥から溶かされていく。
全てを飲み込むような暖かな麻痺に突き落とされ、ナミは飛んでいく意識を追うことを諦めた。
かすんだ視界に浮かび上がる、自分を追い落とす影。


その鍛えられたしかし細い身体も、にきび一つない日に焼けたきめこまやかな肌も。
時折見せる邪気のない笑顔も、一つのことしか見えない直線的な情熱も。


本当はまだ、16歳の、子供だと、分かっていたのに。

それでも押さえることのできないこの感情は、一体何と呼べば良いのだろうか。








翌朝−−といっても、すでに午後まで後少しという時間になって、ようやくナミは目を覚まし、気だるい体を起こした。普段、日曜日の午前の太陽など拝むことのないナミだが、さすがに間近い夏を伝えるその日差しのせいで、熱気のこもった部屋の空気に無理やり起こされたというところだろう。
ベットの傍らに、もうゾロの姿はない。乱れたシーツの皺だけ残して、いつものように週末の練習に出てしまったようだった。
「あっつ・・・・」
一糸纏わぬ身のままエアコンのスイッチを付けるが、汗ばむ体が気持ち悪く、そのままシャワーを浴びるためバスルームに直行する。
互いの汗とゾロの唾液と己の体液でべたつく体をさっと流して、バスタオルにくるまった所で、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「もしもし」
『・・・・起きてたのか?』
はっきりとした声色で受けると、意外そうなゾロの声が返ってきた。ゾロとしてはまだ眠っているところを起こしたつもりだったのだろう。
「おあいにく様。こんな暑いのに寝てられないわ。・・で、何よ。あんたが電話してくるなんて珍しいじゃない。部活終わったの?」
時計を見上げれば、正午を越えたばかりだ。
『終わった。・・・・なあ、今から出て来れねえ?』
「・・・・何?」
『いいから』
「・・・・お腹すいてるんだけど」
『出てきて何か食べりゃいいだろ。30分後に、駅まで来い。マックで待ってる』
「朝からマック?」
『もう昼だ』
少し論点のずれた会話の応酬の後、とりあえず外出の支度をしたナミは、リビングに昨夜置いたままになっていたベルメールからのリトグラフと、手紙の封筒を取り上げた。
とりあえず寝室の棚に立てかけて置こうと、もう一度その絵をじっくりと見やる。
港と、船と、海の青さ。
小さな溜息をつくと、ベルメールからの手紙の一文がふと頭をよぎった。

”先日ゾロのお父さんから電話があり、『もう少しだけ息子のことをよろしく』と頼まれました”
”親権の話し合いは、まだ難航しているみたいです。”

ゾロには伝えなかったその言葉。

『もう少しだけ』。

もう少しすれば、ゾロはこの家から、本当の家族の元へ帰る。
不仲の両親に振り回されることを厭うたゾロが、この家に家出同然で転がり込んできたとき、無理やりに引き戻されない代わりに飲んだ条件がこれだった。
離婚協議中の両親の話し合いが付き次第、父親かあるいは母親か、法的にゾロの親権を得たどちらかのもとに、帰ること。

そうなれば、この同棲ごっこももう終わりだ。
その後も、こんな関係を続けられるだけの繋がりを、自分たちは何も持っていないのだ。

「しょうがないじゃない・・・・」

むしろ、何も持たないようにしていたのは自分。
必要のないことは話さない。干渉させない。気になっていても、同じようにゾロのことは聞けない。手を出せない。
この関係を一時的なものだと割り切って、終わるときに何も残すことのないように。


自分の身勝手から始めたこの関係を、ゾロに残すことのないように。


「子供なのよ・・・・。振り回して、良い訳ないわよね・・・・」

絵の中の潮騒は、その呟きを吸い取ってくれはしなかった。






約束より20分遅れで家から徒歩5分の最寄駅に姿を現したナミは、ホームに隣接した飲食店街のマクドナルドで、ガラス越しにバーガーを頬張るゾロを見つけ、駆け寄った。
「来たわよ。・・・・で、何?」
ゾロは真正面に立ったナミの姿をしげしげと見つめた。急いでいたのかそうでないのか、服は飾り気のない白いキャミソールワンピースだが、うっすらと化粧をしていることは忘れていない。
「何食べるんだ?」
めずらしく自分から席を立って、注文に行ってくれようとするその姿にナミは目を見張った。
「・・・・じゃ、ダブルチーズバーガーのセット。ジンジャーエールで」
「起き抜けに、よくそんなもん食えるな」
「だってもう昼だもの」
呆れた様子で、それでも几帳面にさらにLサイズのセットにして、ゾロはどうやら奢ってくれたらしい。代金を請求される素振りがないのをいいことに、上機嫌でナミはバーガーを頬張った。
「で、何よ。わざわざ外に呼び出して」
ナミは小さな口に似合わぬ頬の膨らまし方で咀嚼しながら、隣でストローを啜るゾロを見やる。
「食ったら行くぞ」
「だからどこに」
「・・・・着くまで、秘密だ。今日は一日暇なんだろ?」
「何よそれ。やらしいわねー」
「とっとと食え」
ぼすん、と押さえ込むように平手でナミは頭を軽くはたかれた。それ以上は何も言うつもりがなさそうなゾロを横目に、とりあえずは遅いブランチを満喫することに専念する。
最後のポテトを口に咥えたとたん、トレイを横取りするようにゾロが立ち上がった。
慌てて追うナミを振り返りもせず、ごみ捨てを終えて店を出て、駅の改札に向かう。
行き先が分からない以上、ナミはただ無言でゾロに着いて行くしかなかった。下り方面のホームに出て、やがてやってきた普通電車は見過ごす。急行を待っているということは、結構遠いところに出ようとしているのだろうか。

何も喋ろうとしないゾロを、手持ち無沙汰なナミはじろじろと見やった。良く見れば、先月ナミが買ってやった紺のシャツを着ていることに気づく。
「部活帰りの癖に、なんで私服なのよ」
「・・・・休みの日は、別に何着て行ってもいいんだよ。いつもそうだろうが」
そう言われてみれば、そんな気もする。休日のいつもナミが寝ている時間に行って帰ってきているゾロの服など、あまり気にしたことはなかった。

ホームに到着した急行電車に乗り込むと、あまり乗客はいない。都心に出る上り電車ならともかく、この中途半端な時間に郊外のさらに奥へ向かう人はあまりいないということだろう。
人もまばらな客車内のボックス席に並んで腰掛け、終始無言で二人はただ電車のわずかな振動に揺られていた。
一度大きなターミナル駅で乗り換えて、さらに郊外へと進む。
それから一時間ほど。
日ごろから無口で無愛想なゾロの様子に慣れているナミにも、その退屈振りになかなか我慢が効かなくなってきた頃、ふと、ナミは車窓に映る緑豊かなその町並みと、山々に挟まれた景色に不思議な既視感を覚えた。
停車のため減速し始めた車内に流れる、今まで聞き流していたアナウンスに耳を傾ける。

『ご乗車、ありがとうございました。次の停車駅は・・・・』

「・・・・ゾロ」
ナミが振り返ると同時に、ゾロは無言で立ち上がった。




「嘘みたい」
「何が」
「だって、もう二度と来ないと思ってたのよ」
記憶にあるものより幾分寂れてしまった駅舎は、流れた時間の長さをナミに感じさせるには十分だった。駅前の静かなターミナルには、退屈そうに客を待つタクシーが数台と、二つしかないバス停で並ぶ数人の影。大通りの商店街も道行く車の台数も少なく、日曜の午後にしては客層も少ない。
その店先を冷やかすように覗き込みながら、ナミとゾロは二人並んで歩き始めた。無言で進むにつれ、坂を下るように西にまっすぐに伸びたその道の向こうには、傾き始めた陽の光に照り返された、青い小波が次第にはっきりと見て取れる。
近づくたびに濃さを増す、空の青さと、海の蒼さと。
そして、道の行き止まりには、白い堤防が煌めく、小さな港。

記憶の中でしか、もう見ることができないと思っていた。

ナミの故郷の港だった。


「変わってないわねー」
駅からは15分。長年潮風に吹きさらされていたために白く色あせてしまったコンクリートの埠頭に立ったナミは、長く電車に座っていたままの身体をほぐすように、大きく伸びをしながらその潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。濃い命のエキスを凝縮したような香りは、生まれた時からナミの肌になじんでいて、十数年離れていた今はどうしてこれを忘れていることができたのかと不思議に思うくらいだ。
町並みとは違い、この港の風景はあまり変わっていない。
ヨットに、クルーザー。空を飛び交うカモメの鳴き声。そして潮騒。
大きな波が押し寄せると、岸壁に打ち上げられた白い飛沫が小さく光った。
駅舎を出た時、ゾロは「もうここからは分かんねえぞ」と言い放ち、それ以後のナビをナミに押し付けたまま無言でナミの後ろに付いていた。黙ったままで、何も言わず。ただ、故郷の風を感じるナミをじっと見つめていた。
「誰に、聞いたの? あんたこの場所覚えてなかったでしょ」
「ベルメールさん」
「うそ! 電話したの?」
「・・・・外からだ。家の電話は使ってねえぞ」
電話代は気にするな、とでも言いたげに。少し頬を染め憮然としたそのゾロの表情に、ナミは小さく笑いをかみ殺した。
「ちゃんとカナダに繋がった? でもあんたよく国際電話の掛け方なんて知ってたわねえ」
「そういう公衆電話には、掛け方が書いてあるステッカーが貼ってあんだよ」
「わざわざ、そーゆー公衆電話、探してくれたんだ」
「・・・・別に」
「時差の計算までして、ねえ。ベルメールさん基本的に夜しか捕まらないから、部活やってた午前中にご面倒にも抜け出して、掛けてくれたの」
「・・・・」
「ねえ?」
「うるせえな・・・・」
覗き込むように下から見上げるナミの笑顔に、赤面したままゾロは手のひらでその頭を押しやった。それでもナミの上機嫌は消える気配を見せない。
「ねえ、どうして?」
「・・・・あ?」
「どうして、連れて来てくれたの?」
ゾロの唇がわずかに震えた。潮風が、その言葉を攫っていこうとするかのように吹き抜ける。
「・・・・絵より」
「ん?」
「絵より、本物のほうが良いだろうが」
海も、空も、白い港も。
あんな小さな絵をあんな瞳で見つめるよりも、じかに潮騒に触れ、風を感じ、陽光をその肌に受けた方が。

「・・・・そのほうが、喜ぶと思った」

海風に流れた小さな響き。

「・・・・もしかして、これ誕生日のプレゼント?」
「・・・・もう黙れ」
赤く染まった表情を隠すように、ゾロはナミの前をゆっくりと歩み始めた。



ゾロは何も知らないはずだ。

この海を愛した父親を中二の冬にガンで喪ったこと。
この港でともに育ったノジコが大学卒業とともにカナダに留学したこと。
この潮騒の美しさに惚れこみ、彼女に「ナミ」と名づけたベルメールが、向こうのフォトグラフ雑誌と専属契約したためにノジコとともに日本を離れたということ。
その飛行機を成田で見送った時は、たった一人残された事実に涙が出そうになったこと。

・・・・寂しいのは、好きじゃないこと。


全てを思い出すこの海を、誰よりも怖れて近づけず。
しかし全てを思い出させてくれるこの海に、誰よりも包まれたかったこと。


ねえ、なんで分かるのよ。

私はあんたに、何も残そうとはしていないのに。
私はあんたを、自分の都合でただ振り回しているだけなのに。


ねえ、なんで分かるのよ


胸に灯った、小さな光とその熱を、ナミは自覚した。




「あ、あそこよ。私の流血現場」
ナミが指し示した埠頭の段差を、二人して覗き込む。
「ここからどすんって。どっかの誰かさんが腕の中で暴れてくれたおかげで」
にやにやと笑って見上げると、もう何も言う気力がないようなゾロの表情がナミには可笑しい。
ゾロの胸を手のひらで軽く叩く。
「私が抱えることできるくらいだったんだから、あんたあの時は、同年齢の子に比べても小さい方だったんじゃないの? それが今やこんなに大きくなっちゃって、ねー。もう抱っこなんてとてもできないわ」
「・・・・じゃ、今度は俺がしてやるよ」
言うや否や、ゾロはナミの腰と左腕に手を回して、一度抱き寄せてからそのまま肩に担ぎ上げた。宙を浮く足元からミュールが滑り落ち、ナミは小さく悲鳴を上げた。
「ほれ」
「ちょ・・・・、ちょっとこら! 荷物みたいに担がないでよ!」
「おいおい、暴れたらまた二人して落ちるぞ」
珍しいゾロの無邪気な笑い声が、密着した肌からナミを震わせる。一気に赤面したナミは動揺を悟られないようにもがいて暴れると、やがてゾロは大人しく、丁寧に地面に落ちたミュールを履かせるように下に降ろした。

だが、惜しむように、掴んだ左手だけは離さぬままで。
握り締めたその手が、一番熱い。

「ゾ・・・・」
言いかけたナミの言葉を、ゾロは遮った。
「誰も、知らねえだろ」
「え?」
「誰も、俺らのことなんて、見たって、分からねえだろ」
年が十も離れているとか。
高校生だとか。社会人だとか。

『もう少し』すれば、何も残せないまま終わってしまうような関係だとか。

息を飲んだナミの足元に、打ち寄せた波が白い飛沫を散らして、消えた。


離す気はないとばかりに力を込めてナミの手を握り締めたまま、ゾロはゆっくりと埠頭の先に向かって歩き出す。その温かみだけを頼るように、ナミは黙ってその後ろをついて行った。
夕日が傾き始めた海は、蒼から透明なオレンジ色のグラデーションに染まり、回りの空気を包み込むようなその陽の光の懐かしさにナミは目を細める。
光とゾロの後姿が重なって、ふいにぼやけた時、ナミは瞳にたまった涙の存在に気づいた。

今ここで、時が止まってしまえば良いのに。

目を見開いて、堪える。瞬きをするだけで、大粒の涙が頬に零れ落ちそうだ。


この繋いだ手を、一番離したくないのは自分だとナミは思う。
海を見れたことよりも、故郷の港に帰ってきたことよりも。
こうして二人だけでいられる時間が、なにより嬉しい。
ゾロの後姿が、熱い手のひらが、自分を引く力強い手が。



愛しい。



「・・・・私は、何もしてあげられないのにね・・・・」
ささやかなその呟きは、意味をなす言葉には聞こえなかったかもしれないが、ゾロの耳には届いたようだった。ちらりと振り返ったゾロは、空いた右手で小さく涙を拭くナミを見て仰天したように顔をしかめた。
「・・・・なんだよ。どっかまたぶつけたのか?」
「違うわよ。バカ」
「ああ、痛かったか? ・・・・わりい」
「違うって」
慌ててナミの左手から手を離そうとする様に、反射的に今度はナミのほうが強く握り返す。
「・・・・がと」
「あ?」
「ありがとう、って言ったの!」
抓りあげるように手に力を込めても、大きく厚いゾロの手には応えることもない。
じっと伺うように自分を見下ろすゾロに、ナミは最後の涙を煌めかせて、満面の笑顔をぱっと浮かべた。
「気障で強引で、あんまりお金の掛かってないプレゼントだけど、嬉しいのよ。・・・・ありがと」
「そりゃ、褒めてんのかよ」
「喜んでるの」
「・・・・そうか」
小さく微笑む、ゾロの表情は優しかった。
胸の奥の小さな灯火が、ナミの中でゆっくりと揺れ出す。
撫でるように、ゾロの手がナミの頬に触れた。
「じゃあ、俺の時にも何かしてくれよ」
「見返り求めるようじゃまだまだよ? でも、まあ、いいわ。あんたの誕生日っていつなの」
「11月11日」
「・・・・まさかそれがゾロって名前の由来?」
「違うだろ・・・・多分」
お互いに笑みがこぼれる。
「いや、分かんねえな。あの親ならそんな適当な付け方しそうだ」
あの親、というその言葉にナミはぎくりと心臓を跳ね上がらせた。昨夜届いたベルメールの手紙の一文が、嫌でも頭の中をよぎった。
「『もう少しだけ』・・・・」
ふと声に漏れてしまったその言葉。聞きとがめたゾロが顔を向ける。それに気づいて、ナミは慌てて「なんでもない」と頭を振った。



夕日のオレンジが、全ての蒼を奪ってしまった後は、薄墨色のベールが降りてきた。
少しずつ夕闇に暮れゆく町並みを、二人は駅に向かってゆっくりと歩く。

繋がれた手は、離れることなく。


そっと、戯れに指を絡ませると「くすぐってえ」とゾロは笑った。




電車は宵闇の中を帰路に着く。
行きと同じく客車に人気がないことをいいことに、ナミはゾロの肩に頭を傾けた。
黙り込んだ様子を疲れと取ったゾロが、小さくナミの耳元に囁く。
「・・・・眠いのか? 寝とけよ」
「ん・・・・」
その言葉に甘えて、ナミはゆっくり瞳を閉じた。





独白は、胸の奥に響くのみ。



・・・・寂しいのは、好きじゃないこと。

・・・・だから、たとえ『もう少しだけ』だとしても・・・・。




・・・・ゾロに、側にいて欲しいということ・・・・。




−FIN−


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(2005.07.22)


<管理人のつぶやき>
投稿部屋の裏「床部屋」で好評を博している、ソイさんの「BED IN」シリーズ第3弾です!
OLのナミさんと16歳少年ゾロとの謎多き、そしてえっちな(笑)同棲生活。
今回、そんな二人の関係や家族の事情、どうして二人が同棲するようになったかなどの背景が明らかになってきました。
ナミにとって様々な思い出のある故郷の海。幼いゾロとの思い出ももちろんあります。
その海に、他でもないゾロが連れてきてくれた。しかもナミへの誕生日プレゼントとして。
ナミさんはゾロを大切な存在として自覚しました。
でも残された時は限られている。
同棲生活はあと『もう少しだけ』・・・。
うう、切なくなってきましたヨ;;。この二人、どうなっていくんでしょ〜。

ナミの誕生日のお話なので、ナミ誕に投稿していただきました(強くお願いして投稿してもらったというか^^;)。ソイさん、本当にどうもありがとうございました!

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