そのレストランは、有名ブランド店や流行りのカフェが立ち並ぶ大通りに面した細い路地を入って、通りと平行して走る緑道沿いにある。
古い一戸建住宅を改造した趣きある佇まいは、『知る人ぞ知る』名店と呼ぶに相応しい。

3月初めの春めいた日差しを受けてそこだけ時が留まった様な店頭に、明るいオレンジの髪をした美しい少女がたたずんでいる。
下を向いたり上を見たり、首を傾げたり、掌を握ったり広げたり…落ち着かない事この上ない。


何も変わらない!いつもと一緒!……ううん、もっと好きになってもかまわないんだ!…そうだよねっ?ゾロ。
さあ、行くわよ!





一攫千金を夢見るより、地道に貯金しろっ、貯金!  −3−

CAO 様

 

「ねぇ。なんか寒くない?」

「いや、別に…」

「オカシイんじゃない?ゾロ。よく見るとアンタすっごい薄着じゃない?」

「そうか?」

濃紺のジーンズに薄手の茶色の長袖丸首シャツ…胸元に白い花?髑髏プリントが…なんつー趣味な訳!
割と可愛いけど…アンタの顔で?
そんな事より、上着は?ベンチに置いたまま…見てるこっちが寒いわ。

「そうか?って、今、何月だと思ってんの?2月よ、真冬よっ!」

「けど、今日は寒くないぞ。天気予報も、春の陽気だって言ってたしな。」

「そりゃ、そうかもしれないけど、アンタ見てたら寒くなってきたわ。」

「んな、短けースカート履いてっからじゃねーの?」

「見ないでよ、エロゾロ!」

「なっ…………ホレ。」

あったかい感触が、私を包んだ。
ん?と思い自分の肩を視れば、ゾロの隣に置いてあった筈の白いダウンがあった。
凄く大きくて、剥き出しだった膝小僧まですっぽり隠れてしまった。まるで布団に入ってるみたい…。

「……あ、ありがと。」

「お、おう……。」

妙な気分になった。
厭な感じじゃないんだけど、緊張を伴う違和感の様な…さっき迄バカ笑いして高揚した気持ちが、嘘みたいに静かになって行く。
なのに胸の奥に温かいモノが入り込んで、幸せな気持ちで満たされて。
…急に恥ずかしくなる。
だからつい、

「でも、こんなんじゃ足りない。…ゾロ、コーヒー買って来てよ。あったかいやつ。」

「自分で行けよっ!面倒臭い…」

「こんな幼気な少女がお願いしてるのに…アンタって、鬼?」

「どこが幼気なんだよ!ついさっき迄、自分は大人だって抜かし……」

「そんな過去の話、いつまでもグズグズ言わないのっ!」

「おまー、過去って…」

「寒いんだから、早く買って来てよっ!」

「い・や・だ!」

「アンタ、私に借りがあるんだから、サッサと行ってきなさいよっ!」

「借りなんてねーだろ!」

「ありますぅ!すっトボケルつもり?二度と戻らぬファーストキス……嗚呼、どうしてくれンの!どうやって、償わせてやろう!ほっんとに、返して貰いたいモンだわ。」

「………。」

「それを、コーヒーくらいで目を瞑ってやろうか、なんて、私の心って広いわー。そう思わない?」

「だぁー、もう行きゃあいいんだろっ!行きゃ…」

仏頂面で立ち上がったゾロは、辺りをキョロキョロ見回し、目的の自販機を見付けた。私達のいる場所から見て、左前方公園入口付近にある。
そして、ゾロは真っすぐ右へ…

「ち、ちょっと、ゾロ何処行くの?」

「は?決まってんだろ、コーヒー買いに。」

「自販機あっちだけど…」

「ちっ、近道しようとしただけだっ!」

「どう見ても反対方向なんですが…もしかして?」

「うっせー!」

方向音痴?


コーヒー買って戻って来る時も公園から出てこうとするし、私を探すみたいにキョロキョロしてる…これは本物だと確信した。

「おっそーいっ!何時までかかってんの、目と鼻の先じゃない?コーヒー冷めちゃう。」

「人に買わせといて、なんだその言い草はっ!感謝の言葉も無しか?」

「ありがとうございましたぁ〜…これでいい?」

手渡された缶は、熱いくらいで嬉しかった。ずっと握り絞めていたんだろう。離されたゾロの掌が赤かったから……
パキンとプルトップを開け、小さな声で『頂きます』と唱え、一口コーヒーを啜る。温かい液体が喉を通り、胃の中へ納まる。体の中から暖まって、ほっと一息吐いた。

何だか視線を感じ見上げると、先程から立ったまんまでゾロが頬笑んでいた。

「アンタは飲まないの?」

「別にいい。いっこしか買ってねーし。」

「何で?」

「細かいのがねー。」

「全く……ほら、これあげる。半分残ってるし。」

「そ、そうか。…じゃ。」

何だかんだ言ってはいるけど、私の言う事聞いてくれたお礼よ。寒空の下、付き合ってもらっちゃったし、上着も貸してくれたし、何より貯金を教えてくれた…感謝してんのよ。これでも。
でも、ゾロの顔見てると意地悪したくなっちゃう。
美味しそうに飲んでる…


「間接キスのお味はどう?」

「ぶぅぅぅっ……」

あ、吹いた……

「何やってんのー!汚いわねー!」

「ゲホッ…お前が変な…ゴホッい、言うのがワリィ……あー、くそっ。むせたっ!」

「…あら?以外と純情だったのね?ビックリー。」

バッグからハンカチを出し、汚れた口元を拭ってやり乍らからかうと、顔を真っ赤にしたゾロが慌てて引ったくる様にそれを奪う。

代わりに左手にあったコーヒーの缶が、私の手の中に返ってきた。振ってみるとチャポンと音がして、まだ少し中身が残ってる。

無言のまま拭う作業に没頭し、必死でテレを隠すゾロを尻目に…

「もう、いらないの?」

「…………いらね。」

「じゃ、飲んじゃおっ」

コクッ、コクッ、コク。

拭き終わったハンカチを返そうと、ゾロが手を伸ばした時、

「ご馳走様……ゾロの間接キス。」

ハンカチがぽろり地面に。

「ナミっ!いい加減にしねぇと、叩き斬るぞっ!」

「ごめん、ごめん……あんまりアンタのリアクションが面白過ぎて…ぶっ、はっは〜。ゾロ最高っ!アハハ〜」

「……たく、てめぇこそ何モンだよっ!ここに来た時は、この世の終わりみてぇな顔してやがったクセによ!コロッコロ態度変えやがって…お前に惚れられた男に同情するぜ。」

「失礼ね!こんな可愛いコに好かれるだけでも幸せってなモンでしょ!」

「へー、へー。好きにしてくれっ。」

呆れ顔でそっぽを向くゾロに、舌を出し「べぇー」と言いながら腰を屈め、落ちたハンカチに手を伸ばす。

………ん!
もう一つ目に入った。
そちらにも手を……

その時、上から声が降ってきた。


「………なんだ、その……そろそろ帰るか?…元気なったみてぇだし。」


そう切り出され、我に帰った。この時間が永遠に続く様な錯覚に陥っていた自分に気付いたから。少し、ほんの少しだけ残念に感じ、鈍い返事を返す。

「……そ、そうね。こ、コレ返す。」

掛けて貰ってたダウンを渡す。
受け取ったゾロが袖を通すと、口の端を上げ笑い乍ら言う。

「あったけぇ〜。」

コイツ服を温める為、其の為に私に貸したんじゃ?

「おぅ、けーるぞっ!」

公園の奥に向かって迷わず足を向け、堂々と歩き始めたゾロに声を掛ける。

「ゾロ、どうやって帰るつもり?」

「そりゃ、電車で…」

「このっ方向音痴!駅は、こっちよっ!」

有無を言わせぬ口調で詰め寄り、ゾロの分厚い節くれだった手を取り、駅への道を辿った。


なんでか駅迄の道は、あっという間。色々話したからかな?ゾロが何でクラブにいたのか聞くと、「裏方のバイト」だとか、実は大学生だとか…
ゾロが手を放せと言うから解放してやると、その途端別の方向へ行くモンだから、結局手を繋いで私が連れて行くハメになったり。
駅へ到着した後も、切符を買う以外は手を取ったままホームまで……
事情を知らぬ他人の目には仲良しカップルと映ったカモ知れないが、実際は迷子にならない様に子供の手を引く母親の気分だった。

ホームに着くとどちらからともなく、繋いだ手を放した。

なんとなく手持ち無沙汰な感覚でゾロを見ると、ゾロもまた不思議な目をして私を見つめていた。


微妙な間が出来る。


其処へ構内アナウンスが流れ始める。『3番線に電車が参りま…』

それに急かされるかの如く、互いの口が開く。

「「………あ。」」

「「何(だ)よっ!」」

つい数時間前に逢ったばかりなのに、名残を惜しんでいるのはゾロも一緒なんだ……と思うと可笑しくて、吹き出してしまう。

「ぷっ…ふふっ…。ゾロからどうぞっ。ふふっ…」

「ハハッ…お前から。ハハッんじゃ、俺からで〜?」

頷く私に同意して、ひとつ咳払いしたゾロが話し始める。

「なんつうか…お前みたいな変な女初めて会った!ナンもカンも目茶苦茶…」

「喧嘩売ってんの?」

「ちげーよっ!誉めてンだ…これでも。」

「そうは思えないんだけど…」

「黙って聞いとけ!…だからだな、お前が頑張ってりゃなんとかなるんじゃねーか?その惚れた男とやらも、その内お前のいいトコ気付くと思うぜ。……ま、見た目もそこそこだしよ。」

「本気で言ってる?」

「疑り深けぇーな!人は知らねぇが、少なくとも俺は……面白れぇヤツだと思ってる。自信持て!」

まぁ、元々自信はあるけど、言われて悪い気はしないから。

「うん。素直に聞いといてあげる。……けどねぇ〜」

「けど、何だよ?」

「チュウ泥棒の言葉じゃ、あんま説得力無いなーって。」

クスッと笑いながら、嫌味をひとつ。

「てめぇー…」


其処へ電車が滑り込んできた。それに気を取られ目を向けた時、ゾロに声を掛けられた。


「ナミ…」


目の前にゾロの顔。


私の顎にゾロの指。


唇の上にゾロの唇。



………キスされてる?



ゾロのもう一つの腕が、私の肩に回された瞬間、目を閉じた。すると押しつけられた唇が少し開かれ、舌が歯に沿わされた。自然と私も口内への侵入を許してしまう。互いの舌が軽くなぞり合うと、熱に冒されそうな感覚が生まれた。


初めての時とは全然違う。
優しく慈しむ…
暖かな労りに満ちた…

驚き無く受け入れる自分…
ゾロに手を伸ばそうとしている自分…

…そんな自分自身に驚いていた。

会ったばかりの男なのに……

その気持ちが私を躊躇させていた。


結局手を伸ばせないまま、短いキスの終わりに、ゾロは私の唇を自身の唇で惜しむ様に柔らかく噛み、離れていった。

私がゆっくり目を開けるのを待ってゾロが言う。


「……返したぜ。」

「えっ?」

「返却したって言ったんだ!ファーストキス。」

「…な、何で?」

「まだ、死にたくねぇからよっ!」

「…………。」

怒った様な不貞腐れた様な表情で見据えられ、固まってしまった私は言葉を失った。

心臓がドキンとした。

その不機嫌そうな顔のまま、くるりと私に背を向けるゾロ。

その一瞬、電車の喧騒に紛れてしまいそうな、小さな呟きにも似た声が微かに耳に届いた。

「ごっそーさん。」

確かに、そう聞こえた。

電車の扉が開き、吸い込まれる様にゾロが私から離れて行く。

乗り込んだ後ろ姿を、惚けた様に見てた。

ピアスの左耳が赤く染まっている。

…コイツ、確信犯?

言いたい事が山ほどあるのに、言葉が出てこない。


プシュウと音がして、扉が閉まった。


ゾロが振り向く、私を見ている…口の端を上げた、悪そうな顔して。

私も、悪い顔で笑ってた。

届かない事は判ってたけど、


「ありがとう」


心の中で呟いた。











あれ以来バイトに来るたび私は、ポケットの中にあるモノを忍ばせる様になった。


『黒いバンダナ』


あの日、ゾロが落としたハンカチを拾った時、ベンチに置いたままになってた。
一緒に拾い上げ返そうとしたけど、あのバカがスタスタ行っちゃいそうになったモンだから、慌ててバッグにしまったままで。

家に戻って気が付いた。

よく見るとかなり使い込まれてて……汚かった。
仕方がないから洗濯して、丁寧にアイロン掛けて……

返す当てが無いと知った。

だから今は、私のポケットに入ってる。


サンジ君に会う日は必ず持ってって、挫けそうになると握り締めて、嬉しかった時も握り締めて…今では、もう私の『一部』になったみたい。


今日から私は、ランチタイムも店に入る事になった。パートのオバサンが入院するらしく、春休みの間だけって約束で。

昼間はサンジ君目当ての若い女のコが沢山来るって…本人曰くだけど…気合い入れなくっちゃだから、ポケットの中身をギュと握ってみた。


あっ…皺くちゃになったかな?


「おはようございまーす。」

勢い良く扉を開ける。

「んナーミすわーん!今日もお美しい〜。」

相も変わらず調子の良いサンジ君!
…でも、それだけの人じゃないって知ってるから、この瞬間が私は好き。
大袈裟に振る舞ってても、嘘は言わない彼だから、私は綺麗なんだって自信が湧いて来る。
だから、素直にこう言うの。

「ありがとっ!」

「礼を言うのは、俺の方さ。今日から毎日昼も夜も、ナミさんと一緒に過ごせるんだから。…大学の準備もあるのに、ジジイが無理言ってごめんよー。」

「全然平気よっ!バイト楽しいし、それに…稼げるしねっ。」

「ナミさん、毎日入ってたら、バイト代使う暇無いんじゃないか?どーしてんの?」

「ん………………貯金。」


そう、貯金してるの。

ただ、不思議なんだけど、思った程貯まって無いのよねー。
卒業式以来毎日、会ってるのに…サンジ君に。

思い詰めない様にって、握り締めてるバンダナの所為かな?

サンジ君に彼女がいるって判って、渡せ無かったチョコが廊下の隅に転がってたのを見つけた時も、バンダナ握ると頑張れた。

切なさが込み上げたけど、悲しくはなかった。

拾い上げた時、勿体ないって思ったけど、渡せなかった後悔はなかった。


自信持て!……バンダナが教えてくれる。


だから、貯金は少しづつ、ゆっくり、あせらず、着実に……まだまだ金利は0%。
私自身をもっと研いて、大切なモノ手に入れる為、人を好きになる気持ちを沢山貯える。

満期迄には時間はたっぷりあるんだから……


「貯金してるのか?堅実なんだ!そんなナミさんも、素敵だぁ〜!」

「素敵でしょ。」

「春休み中素敵なナミさんと一緒に仕事が出来る幸運を、俺に与えてくれた神様に感謝したい位だー!」

「じゃ、そろそろ制服に着替えて来ようかなー?サンジ君と一緒に働く為に、ねっ。」

「うれしーなぁー!なんなら、着替え手伝うよ?なんせランチタイムは今日が初日だし、イロイロ…」

「サンジ君、セクハラ?」

「ち、違いますよー……」



『カラァ〜ン』

入口の扉が開く音。



折角のお話タイムを邪魔しないで!と思いつつ振り返る。

「すみませーん。営業は12時から……」

声が続かなくなった。
だって……。


「エロコック飯食わせろー!腹減ったぁ〜。」


其処には……。

緑色の髪に金色の三本のピアス、切れ長の深緑の瞳。
不機嫌そうな薄い唇、そこから発せられる錆の効いた擦れた声。


……何で、アンタが?


私の肩越しにサンジ君が叫んでいる。

「マリモ!てめぇーは何度言っても分かんねぇ野郎だなっ!開店は正午。いっつもいっつも、開店前に顔出しやがって……てめぇーに食わせるモンはねー!大体金もねーくせに、毎日毎日ただ飯食いやがって!んな義理は無いって言ってんだろ……」


騒ぐサンジ君に一瞥もくれず、来店者は殊更ゆっくりした足取りで店内に進んでくる。

真っすぐ、私を見つめて。

近づくにつれ、その表情が見て取れる。


口の端を上げた、悪そうな笑み……


ポケットの中で『バンダナ』を握り締めた。


私の前に立ち止まり、サンジ君と私の顔を交互に見比べる。


心臓かひとつ、ドキンと高鳴った。


大きく頷く男、その左耳のピアスが揺れる。


ホームで別れた時とよく似た表情を浮かべている。


眉間の皺が深い…不機嫌そうな顔は生まれつき?


怒気を含んだ声音が、静かに響いた。



「よぉ!……貯まったか、貯金?」



アンタの不機嫌な顔も声も、全然恐く無いわっ!だって………

春の日差しが店内を覆い、心まで春めいてくる気がするから。

厨房からランチ客の為に用意された料理の香りが、フロアに立ち込み始めたから。


(夜とは客層が違うのね?…ディナー客は、OLとか家族連れとか社用の接待……こんなガラの悪い若造なんて見ないモノ。)


美味しい匂いに包まれて、幸せな気持ちになってくる。

お腹がいっぱいになった時の幸福感を思い出す。

美味しい食事と最高の笑顔……このレストランの謡い文句だわ。



「少しね………違うモノ欲しくなるかもしれないから。」


返す言葉と一緒に、最高に悪い笑顔を………


もっと悪そうな笑みが返ってきた。


『バンダナ』を返そう…
そう思った。


だって、今度は私が返す番だから…


それに『一部』なんて、もういらない…



そうでしょ?ゾロ!







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(2006.03.01)

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<管理人のつぶやき>
ナミさん成長物語。拝読後、ナミと一緒に私もちょっと成長したような気持ちに(笑)。
ナミはゾロの言葉を受け入れて、今までとは違う考え方ができるようになって・・・。でもそれは、素直な心を持っていればこそ。ナミの素直で純真な心が愛しいですv
それにしても貯金とはうまいこと言うなぁゾロ。題だけ見るとこんなお話とは思わなかったデスよ(笑)。そしてキスにはきゅ〜んvとしてしまいしたvvv

CAOさんの5作目の投稿作品でした。とても清々しい気持ちになったです^^。ありがとうございました!

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