その公園は、ビルの谷間に忘れ去られた小さな空間だった。
昼間なら近くのオフィスビルから弁当片手にランチを楽しむ人もいるだろうが、夜半に訪れるのは徘徊する野良猫くらいのものだろう。
如何せん、冬場ともなるとその猫すら見当たらない。
そんな静かな場所が、先程から騒がしくなっている。
二人の年若い男女が、静寂を破っていた。

泣くは喚くはする女に、多少オタオタしながらも相手になる男。遠目にみれば内輪揉めにも見えるが……。


何だか可笑しな事になってるわ。さっき、会ったばかりの名前も知らない男と、公園のベンチに腰掛け、話し込んでるなんて…。
話し込むというよりも、喧嘩してるって感じだけど。
そう、頭にくるのよ、コイツ!だって、私を子供扱いして…





一攫千金を夢見るより、地道に貯金しろっ、貯金!  −2−

CAO 様

 

苦笑いする男の顔に、ちょとドキッとした。心臓が勝手に早鐘を鳴らしてる。
コレは、さっきまでの恐怖が甦ったからだ!自分に言い聞かせ、覗き込む男の視線から顔を背けた。

「……んだ?今度は、拗ねてンのか?」

「……別に。拗ねてなんか無いわ。第一、どうして拗ねる必要があるの!何で、アンタに笑われた位で、拗ねなきゃなんないの?子供じゃ無いンだから…」

「あー、もう分かった、わかった!」

「何よ!その言い方。失礼でしょっ!」

私の頭を撫でていた手が、今度はポンポンと頭を叩く。宥める感じで。
直ぐ様引っ込めた手が、いかにもわざとらしく思えて、更に悔しさが募った。

「へい、へい。すいませんでした。」

膨れっ面の私の隣に、ため息を吐きながら、どかっと腰を降ろす男。
その振動で、また、ビクッと身体が硬直した。

「安心しろっ。俺はガキに手ぇ出す程、女に困っちゃいねぇから。」

私の方を見ないで、視線を正面に固定させたまま、男が言葉を紡ぐ。

「さっきっから、ガキガキってしつこいわよっ!」

「事実だから、仕方ねぇ。」

ベンチの背もたれに身体を預け、視線だけを私に向け、男は通告する。
その眼には、からかいの色が見えた。

男の中で確定している、『私イコール子供』という状況を覆したくなった。男に納得させなければ、私自身も自分が子供だと肯定しているみたいで、悔しくって…サンジ君に相手にされなかった事実を認めてしまうのと、同じ気がして。


口調を変えて、話し掛けてやった。

「ふぅ……アンタが私を子供だと思う理由は、見当がつくわ。」

「…………?」

ほら、ビックリしてる。

私の明晰な頭脳と優秀な舌鋒をもってすれば、そんじょそこらの男共は二の句が告げなくなり、仕舞には尊敬の眼差しで見る様になるのよ。
アンタなんか、へでもないわ!私をガキ扱いした事、後悔させてアゲル。


「先ずは、年令ね。…あ、いいの、分かってるから。アンタは年や見かけじゃないって言ったけど、私が高校生である事は事実だし、世間的には子供なんだから…認めてあげる。特にアンタの様なオヤジなら、そう思うのは当然…」

「ちょっと待て!お前こそさっきっから、人をおっさん扱いしてるが、俺を一体いくつだと思ってる?」

「若く見積もって……25、6?かな。」

「若く?25だとッ!…俺は19だ!19!」

「えぇ〜嘘っ!さ、詐欺でしょっ!それ。私とひとつしか違わないなんて…」

「てめー、フザケんな!誰が詐欺なんだよっ!」

「やー、その眉間の皺は、どう見ても……。」

「あのな、確かに俺は年上に見られる事は多いが、20代半ばってのは…」

「あー、もう分かったから。今はそれは大した問題じゃないから。」

「大したって、お前な…」

「煩いなー。もう黙ってて!…となると、やっぱりアレね。」

「アレ?」


「…そう。私に……キス経験が無かった事。」


「否や、そうじゃ…」

「いいの、分かってるから。要するに、18にもなってバージンどころか、ファーストキスすらした事がないってのは、幼稚だっていいたいのね。だからって、アンタの罪が消える訳じゃないから。」

「おいっ!」

「だから、黙って聞いてなさいっ。確かに経験は無い…無かったわ。それには理由があるのよ。私がその気になったら何時だってお願いしたいって男くらい、沢山いるのよ。でも、安売りしたく無かったの。だって、一生に一度の事だもん。大切に、大切に…一番好きな人に捧げたいじゃない?そう考えるのは、当然でしょ?こんなイイ女からの初めてのキスは、それに見合うだけの人がいなきゃ…」

「で、見合う男に振られちまって、自暴自棄か!」

「自暴自棄なんかじゃないわっ!た、唯…どうすればいいか、分かんなくなっちゃって、考え無い様にしただけじゃない…」

「それを《自棄》ってんだ。ガキ!」

「だから、子供じゃ無いって言ってるじゃ…」


「年だとかキスがどうのじゃねーんだよ。目の前の欲しいものが手に入んなくて、だだ捏ねてるガキと一緒だつってんだよ!」


……………えっ?

私が。そんな……。

そんな筈、無い……

「理想が現れたらどうなるか分からない、みたいな事言ってたよな、お前。それって、次々出てくる新作ゲームが欲しいのと、何処が違うんだ?」

「……恋と玩具を一緒にしないで。」

反論したものの、我ながら説得力が無かった。

「一緒に聞こえんだよ。マジに感じないつうか…相手よか自己満足ばっか考えてる風に見えんだが。」

「ひどいっ……私、そんな、そんなつもり…」

確かにサンジ君なら友達に自慢できるって、私と一緒に歩いても絵になるって、思ったけど、それだけなんかじゃない。

好きな人に好きって、私だけ好きって言って貰えない切なさは、本当なんだから。本当に悲しくって、苦しくって……。

目の前の男に、一瞬サンジ君を重ねてしまい、見つめていられなくなった。

そのピアスが悪いのよ!アンタが動く度に、シャラシャラ揺れて、私の気に障るから…見てらんなくなるの。決してアンタに言い負かされたんじゃない……こうして、目を逸らしたのは。
アンタの言う事に納得しそうになったからじゃ無い。
悔しい…悲しい…何が?
どうすればいいの…何を?



「あ、なんだー。その…言い過ぎたか?……悪りぃ。」

思わず俯いてしまった私に、男から済まなそうな声が掛かった。私の肩は震えていたから、きっとまた泣いていると勘違いしているんだろう。

私は、自分の気持ちが男の言葉くらいで揺れている事に憤って、そんな自分の愚かさにまた怒りを覚えていた。

それでも尚胸の内に残る切ない想いをどうすればいいのか分からず、それがまた子供っぽい自分を肯定している様で…そんなジレンマに恐怖し、ただ震えているしかなかった。

「俺が思っただけだから…あんま、気にすんなっ!お前が想ってるんなら、それでいいから…ただ、ヤケおこすなってだけで…その、な、泣くなよっ!」

一縷の望みを賭け、男の声を頼りに顔を上げる。

「………好きな気持ちは……ほんと。……でも……ううん、だから、どうしたらいいのか判らない。……ねぇ、どうすればいい?」

好きでいられなくなるのが恐い。好きでいてはいけない。嫌いにならなきゃダメ。そうしないと、もっと傷つく。
分かってるけど…
誰かに後押しして欲しかった。


上げた顔に涙が無かったせいか、聞かれた事に驚いたのか、視線が重なった時男が息を飲んだのが見て取れた。

一度目を閉じ、ゆっくり息を吐き、再度開いた目が私の瞳を真っすぐに見つめ、男は言った。


「どうもしなくていいんじゃねぇ?」


「…えっ?」

「女がいるからって、すぐにそいつが嫌いになれるのか?」

「多分……ムリ。」

「なら、今のまんまで、それでいいんじゃねぇの?」

「そんな…それじゃ苦しいまんまじゃない。この気持ちの遣り場に、困ってるのに…」

「だっ…から、好きとか嫌いとか、んなの俺はよくわからねぇが、気持ちってのは簡単にどうこうなるモンじゃねーだろ?今まで通り、ためときゃいいだろ!」

「溜めるのが辛いんじゃない!いつか爆発して、それこそヤケおこす…」

「その溜めるじゃねーよっ!」

「……?」

「あー、なんだ…うーん。何て言やーいいか……あっ!お前欲しい物があって、金が足りなかったらとどうする?」

「はぁ?何の話…」

「いいから、答えろっ!」

「う、うん。そうねー?貯金して買う…かな?」

「だろっ!金貯めて手に入れんだろ。それと、一緒だ!」

「……ためるって、貯める?貯金の?」

「そうだ。…お前は理想の男とやらが欲しかった。でも、気持ちが届かなかった。なら、それに見合うくらい、気持ちの貯えをすりゃいい。……そう考えりゃ、今までと同じでいられんじゃねーか?」

「あっ。」


あっ……って、思った。
目から鱗?みたいな。
違うな、ん……憑きものが落ちた!そんな感じ。


私達の座ってるベンチの正面に、小さなブランコがあった。昼間は子供が取り合ったりしてるのかしら?……さっき迄、そんなものがあるなんて、気が付かなかった。目の前に、ほんの数メートルしか離れていないのに。
何にも見えて無かった。

そうね。何も変わる必要なんてないんだ。
サンジ君に彼女がいたって、私は彼が好き。
悲しいけど、私と彼の関係が変わる訳じゃない。サンジ君が優しいのも、私が好きなのも、全部同じ。
…もっと好きになってくかもしれない。
そしたら、


「貯金かぁ〜」


つい、口をついて出た言葉に、男が食い付いた。
暫く黙ってブランコを見つめてた私を不信がっていたのかな?

「んだ?文句あっか!」

「ばかね、アンタ。単純過ぎっ…」

「てめっ、ざけんな…」


「でも……ありがとっ!」


なんだかほっとしたら、急に楽しくなって、笑顔が零れた。そのまま男を見ると、自然と礼を言っていた。
男の左耳に光るピアスに目が行ったけど、もう辛くは映らなかった。


「…………んだよ。」

ビックリしたのね。ずっと私を見てたのに、私が見つめ返した途端、ふいっとそっぽ向いちゃって。

驚いてるのは、私自身の方なのに。少し前に知り合った…ちゃんと知り合って無いけど、名前も知らない人相の悪い男に言われた一言で、憂欝な気持ちが吹き飛んじゃったんだから。
しかも、凄く素直に笑えて、感謝の気持ちが生まれてるんだから…あれ?ピアスの耳、赤い?


「そうよね。今までと一緒。貯えればいいのよね。…私倹約って趣味みたいなもんだし、貯金すれば利子もついてお得だわ。」

「…金利0%時代だけどな。」

「やな事言わないでっ!折角、アンタを見直してあげたのに〜台無しね。」

「うっせーよっ。」

「まっ、気分がいいから許す!……沢山貯めて、いい買い物しよっと。貯めるのも楽しみだしー。ねっ?貯金。」

男が、ちらりと視線をよこすと、

「あぁ〜。……それに。」

「それに?何?」

「いや、別に大した…痛ェ〜引っ張んなっ!」

街灯の明かりにキラキラ光るピアスを指で摘み、ぐいぐい引っ張れば、男が目尻に涙を溜めて小さな悲鳴をあげる。

触れるどころか目にするのもイヤだった金のピアスが、私の手の中で熱を帯びてちっぽけな物に思える。

手を延ばすのはこんなに簡単な事で、手の中にあるとそんなに恐い物じゃないと気がついて、それが面白くてもっと強く引いてみる。

「言うからっ!止めろっ!痛いって…」

「何よっ!早く言いなさいよ!」

その感触を惜しむ様に、私の手の中からピアスが離れる。代わりに男の大きな手が、それを守るみたいに添えられ、私の熱が奪われる錯覚を覚えた。


「……貯めてるうちに、欲しいモン変わるかもしんねーし……」


「どういう意味?」

「た、ただの相槌だっ!」

「何ソレ?……変なヤツ。やっぱり、アンタおかしな男ね。」

「おめーにだけは、言われたくねーよっ!」

「あのね、アンタさっきからえらそーな口きいてるけど、実際私と年かわんないし……何より、アンタの犯罪はまだ許されてないんだからっ!」

「犯罪って何だよ!人聞きのワリィ事言ってんじゃねぇぞ!」

「アンタ、自分のした事もう忘れちゃったの?やっぱり見た目通りの大バカだったのねっ。」

「犯罪者の次は、バカ扱いかっ!てめー、いい加減にしねーと…」

私は淡々とした口調で話始める。この男に貰った高揚感が、自分自身照れ臭く感じていた所為もあって。

「私は今日、素性どころか名前も知らない人相の悪い男に、とてつも無く大切にしていたファーストキスを強引に、しかも何の了承もないまま突然に奪われてしまいました。これを犯罪と言わずして、一体何と呼べば良いのでしょうか?誰に聞いたとしても…」

「……………ロだ。」

小さな呟きが、私の語りを止める。

「何よっ!ここからが大事なトコじゃ……」

被せる様に、遮る様に、今度ははっきりとした口調で、私の顔を見据えて男が言い放つ。



「ゾロだっ!ロロノア・ゾロ。」



「えっ?それって…」

「俺の名前だっ!」

「…な、んで?」

「お前、名前も知らないヤツが相手じゃ、不服なんだろっ!だ・か・らだよ。」

それだけ言い終えた男…ゾロは、また視線を明後日の方に向け、口をへの字に曲げてしまった。

つくづく変なヤツだ…と思ったけど、妙に可愛らしく見えて、吹き出しそうになった。
こんな恐い顔してて、名乗っただけで顔赤くしたりして。かと思えば、会ったばかりの私の話に、真面目に対応するし…不思議ね?そんな男を、私も自然に受け入れてる。


「…ナミよ。私の名前。」


「何で名乗るんだ?」

「何で…」

本当に、どうして名乗ってんの?ゾロってヤツに、自分の名前を教える必要なんか、全然無いのに。
何でだろ?
何で…
私の中にもう一人私がいて、その私が男…ゾロに知ってて欲しいって…私の名前がナミだって…そう思ってて。

私自身すっごく慌てていて、ゾロの真っすぐな深緑の瞳を見つめたまま、暫らく固まってしまった。

「…ア、アンタが名乗ったから……。礼儀でしょ!そう、自己紹介されたんだから、お返しするのはマナーじゃない?」

「そうか……。」

「そうよっ。」

何だか気まずい…変な間が出来た。気恥ずかしい。


「ナミ……か。」


やだ、何か畏まって呼ばれると、緊張するわ。それに、コイツの声って少し擦れてて、落ち着いた響きがあるから、何となく照れるわ。
でも、そんなの悟られたくないから、ついつい強い口調になってしまう。

「何よっ!文句あるっ!」

「いや、ねーけど……可愛いらしい名前だと思ってよ。性格とは違って……イテェー」

顔面へグーパンチ!
照れてた自分が、情けないわ。

「一言多いっ!生きていられるだけ、幸せだと思いなさいっ!」

赤くなった鼻を擦りながら、裏返った声が吠える。

「……貯金の前に、手が早いの何とかしろよ!暴力女。だから、フラれんだ。」

「命が惜しくないの?私だって、誰にでも手を挙げたりしないわ。好きな人の前でこんな事する訳ないでしょっ!アンタの所為よ。アンタがフザケた事ばっかり言うからっ!アンタだからよっ、ゾロ!」

「お前年下のクセに、呼び捨てすんな。」

「年上だろうが年下だろうが、オヤジ顔の犯罪者なんて呼び捨てで十分だわ。」

「さっき『ありがとっ!』なんて抜かしてやがったクセに、その態度はどういうこった?豹変かいっ!ナミ、てめー……」

「今、ナミって言ったわねー!アンタこそ、呼び捨て禁止よっ!」

「ナミで十分だ!」

「なんですってぇ〜。アンタいい加減にしなさいよー…こうなったら。ゾロ、ゾロ、ゾロ、ゾロ、ゾロ、ゾロ、ゾロ、ゾロ…」

「くそっ!止めろっ……ナミ、ナミ、ナミ、ナミ、ナミ、ナミ、ナミ…」


暫らくの間夜更けの公園に『ゾロ』『ナミ』と呼び合う声だけが響いていた。


最初は本気で怒って叫んだ互いの名前が、言葉にする内リズムがついてどんどん面白く思えてきた。
ゾロの顔も心なしか弛んでいるみたい。眉間の皺が消えてる。
調子に乗って、合間に『ゾォ〜ロォ』とか『ゾロッ』とか『ゾッロ』なんて、呼んでみれば、ゾロも一緒になって『ナミィ〜』とか言い出して、私に合わせ始めた。
するともっともっと面白くなって、互いの目が完全に笑いの形をとって来た。

不思議!呪文みたい…

『ゾロ』って何度も言ってると、どんどん楽しくなってって…

とうとう二人して、吹き出した。


一仕切り笑って、まだ肩に少し揺れが残る頃、私は呟いた。

「バカみたい…」

「あぁ、そうだな。」

「下らない事でムキになって、バカみたい。アンタも私も…まるで子供よねっ。」

「あ?…だから、初めに言っただろ…ガキだって。」

「……そうね。ガキだわ。でも、アンタもよ。ゾォロ〜!」

「あぁん?ナァミィ〜。」

深い緑の眼を見つめると、笑いの色が滲んでて。
つい、つられて、ニヤリ…
ゾロもニヤリ…悪そうな顔。
なのに、全然恐くないのよねー?…人相悪いのに。

気心が知れるって、こういう感じを言うのかな?
会ったばかりの名前…は、もう知ってるけど、変なヤツなのにね。


(死んじゃえ…とか言って、ごめん)
そう思った………。




←1へ  3へ→


(2006.03.01)

Copyright(C)CAO,All rights reserved.


戻る
BBSへ