ハンプティダンプティ  −1−
            

いむ 様



普段はぎらぎらした目。
ぎらぎら、ううん。
そんな獣っぽい激しさじゃない。
何かをあからさまに狙っているっていう感じじゃない。

イメージするのは音を伴わない、遠い稲妻だけど。
 閉じられてしまうと意外にも穏やかだね。
寝顔、初めて見たよ。

ゾロ。



 彼とのこの奇妙な暮らしはもう一ヶ月になるのだろうか。
彼は殺人犯で。
私はその目撃者。
 普通なら口封じに殺されてしまうのだろうけど、意外にも優しくて紳士でヤケに人と距離を置くこの殺し屋は私に危害を加えることも、脅すことも乱暴することもなく、ただ家に軟禁している。

でも。

鍵は内側からでも開く。
どう考えても不要な服もきちんと買ってきてくれたし、何が混入されるか
判らない私の作る食事も不平不満一つ言わずいつも平らげる。
 洗濯も、掃除も、私がしている。
断れば彼の部屋に入ることも可能で、ちょっとした好奇心でベッドの下をのぞいてみたりしたけど、そこにはホコリがたまっていただけで想像していた雑誌の類は一切無かった。
 私に男兄弟はいないし、父も品行方正でそんなトコロおくびにも出さないから、男の人の事情はよく判らないけど。
 そんなものなんだろうか。

あと彼について幾つか補足すれば。
 彼は殺し屋以外にも金融会社の社員という職も持っていて、退社の際には律儀に電話をよこしてくる。
「今から帰る」
だの
「今日は夕飯いらない」
だの。
 連絡をくれない日は夕飯を独りで食べるのが憚られてリビングのソファで眠ってしまうこともよくある。その場合は帰ってきた彼に起こされる。
 さすがに外に出ることまでは許されていないけど、これじゃあまるで新婚夫婦のようだ。


 繰りかえせば、私たち二人の関係は「犯人と目撃者」。


そう言い聞かせないと、よく忘れる。
 

「・・・睫ながーい・・・」

この人は、私に何も求めていない人なのだ、と。

この目の前の男は、私を名前で呼んだりしない。
お世辞を言ったりもご機嫌とりにへつらうような笑顔を見せることもしない。
 ただ一つ。
望むのは、社長令嬢の私の失踪がマスコミが話題に上らなくなるまで私がこの部屋で大人しくしていること。
 それだけ。本当に、それだけ。

最初はこれだけいい男の条件が揃っている人だから恋人には不自由していないのだろうと思った。
 しかし、定時に帰るコールをしてくることや実際の帰宅時間、たまの夜遊びも
彼を可愛がる上司と飲みに行くことくらいらしく、恋人どころか親しい友人すらいないのが伺われた。
 
別に人と付き合わないのがおかしいとは思わない。
これほどまでに発達した都市ならば、独りで生きていても不都合は無い。
助け合わなくてはならないことも少ない。
 あるとすれば、魂の飢え。
人と共にあることの安心感の欠乏。

それが無くても生きていける人は、相当に強い人か。
魂の飢えに気付かないほど、人と触れ合ったことの無い人か。
 そんな小説の一説が浮かんで消えた。



「・・・ハンプティ・ダンプティ 塀の上
ハンプティ・ダンプティ 落っこちた
王様の馬と兵隊が
そろって助けに行ったけど
とうとう元には戻らなかった 」



早く、みんな私が行方不明なことを忘れて欲しいと思う。
早く、彼から離れたいと思う。
ともすれば、自分のこの胸に横溢する感情に名前がついてしまう。

ついてしまえば。

「・・・とうとう元には戻らなかった 」

 今、一番恐れているのは、彼が私を異性として求めること。
そんなことが起きる日はきっと来ないと思うけれど。
もしそんなことがあっても、多分自分は拒まない。

「とうとう元には戻らなかった」

割れやしないかとハンプティダンプティと握手をするのを躊躇ったアリス。
 きっとその判断材料は自分のこれまでの経験と勘。
卵は割れやすいのだ。
そんな存在が不安定なところから握手を求めれば、どうなるのか。
 
 迷って結局、彼は割れた。

「とうとう元には・・・」

 昨日、連絡を入れ忘れた彼の帰りを性懲りも無く待っていたらやっぱり私はソファで眠ってしまった。
 眠くてよく判らなかったけど、きっと気のせい。
帰ってきた彼がいつものようにすぐ私を起こさずに、しばらく上から見つめていて。
 ふと空気が動いたかと思ったら何かが唇に触れた。

ねぇ、アリス。
私だったらきっとハンプティダンプティとは握手しないわ。
どうなるのか大体の予想がついているのに、そんなことは無意味でしょう。

 だから、気付かない振りするわ。

昨日のことも。

だって、割れたら元には戻らない。



「・・・私のハンプティダンプティ」


相当疲れているのか彼はこんなに近くにいるのに、起きる気配を見せなかった。
 あと何日こうしているのかしらと小さな私の呟きも、きっと聞こえていない。




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(2005.09.21)

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<管理人のつぶやき>
殺人犯ゾロと目撃者ナミとの奇妙な共同生活。
二人の間には既に殺人犯、目撃者の関係以外の気持ちが芽生えてきているような・・・。
さてさて、これからどうなっていくのでしょう。

いむさんの2作目はパラレル&連載作品です。いむさん、がんばってくりー!

 

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