ライブラリー・ポートレート −5−
糸 様
約束の2週間後、俺がいつものように図書館に向かうと、ナミはもうそこにいた。軽く手を挙げた俺にちょっと笑った後、開口一番、こう尋ねてくる。
「あれ、読んだ?」
「おう」
「・・・どう?少しは分かった?」
どう答えたらいいものか一瞬迷ったが、俺は結局正直に伝える。
「大体はな。だが、肝心なところが分からねぇ」
その答えにナミは少し肩を竦めた。
そして、図書館とは別の方角に歩き出す。
「おい、どこ行くんだよ」
「言ったでしょ、ちゃんと話すって。図書館の中じゃ話せないから」
言いながらナミはさっさと歩いていく。そのきっぱりとした態度に、俺はとりあえず何も言わずに付いて行くことにした。
・・・結局ナミが腰を下ろしたのは、とある学部棟の前にあるベンチだった。
隣に座るよう促され、俺は微妙な距離を空けて腰掛ける。しばらくどちらも何も言わなかったが、やがて、ナミがまっすぐ前を見つめたまま切り出した。
「・・・ゾロ、さっき大体は分かったって言ったわよね。どこまで?」
その問いかけに、俺は鞄からパンフレットを取り出し、例のページを開いてナミに返した。
「俺の勝手な予想だけどな。『全学費免除特待生』だろ?」
「・・・・・・。」
「そうでなきゃ、お前がこんな時期に書庫の本なんか借りる理由は無ぇ。少なくとも、このパンフレットにはそれ以外見つからなかった」
「・・・でも、『肝心なところが分からない』?」
「ああ。だってお前、うちの大学志望なんて一言も言ってねーだろ」
俺が何度尋ねても、「国立の経済学部志望」だと言い張っていたナミ。幼馴染の
ルフィにさえそう言い切っていた態度は、むしろ頑なすぎるほどだった。
「その『特別枠』の条件、読んだけどな。正直、相当厳しいだろ。俺にだって分かる」
「そうね」
「いくら余裕があるからって、他の大学を目指してる奴が、お遊びや試しに受けるようなものじゃねーよな。リスクが高すぎるし、そもそも併願禁止なんだろ?」
「うん」
「・・・だから、分からねーっつったんだ」
俺の言葉にナミは苦笑し、パンフレットをバサッと脇に置いた。そしてベンチにもたれかかって空を見上げながら突然切り出す。
「ねぇ、ゾロ。うちの母、足が不自由なのよ」
「・・・は?」
「昔、私と姉を庇って事故にあって。その相手がまた性質が悪くてねー。明らかに向こうに非がある上に怪我させられたってのに、鞭打ちになっただの頭が痛いだの、言いがかり付けてきて」
唐突に始まった話に俺はぽかんとしたが、ナミは相変わらず空を見つめて淡々と話し続けている。まるで独り言のようだ。
「あ、そのこと自体はもう解決してるのよ。家にも押しかけてきたんだけど、警察官だった伯父やルフィの家族が助けてくれたから」
「ルフィの家族?」
「うん。ルフィったら、まだこーんなチビだったのにそいつに立ち向かっていってね。殴るわ、ひっかくわ、噛み付くわで相手の顔を変形させるくらいだったのよ」
ガタイのいい大人相手によくやったものよね、とナミは呆れたように笑う。ルフィは今でも恐ろしく喧嘩に強いのだが、小さい頃から好戦的な子供だったらしい。
けどね、とナミは嘆息して続ける。
「それまでに払わされた慰謝料は、戻ってこなかった。元々うちには父親がいなかったし、裕福とは言えなかったんだけど・・・それで余計に苦しくなってね」
姉や私の学費が必要だからって、母は店を半分潰して土地を売ったの。
その言葉に、俺は思わず目を瞠った。
ナミはまだ顔を上に向けたまま、感情の読み取れない声で話し続けている。
「・・・本当は全部売って店自体をやめるつもりだったみたいなの。でも、私と姉が反対してね。半分だけは残すことになったのよ。まだ私たちは小学生だったけど、足を痛めてしまった母の代わりに、一生懸命お店を手伝うからって」
「・・・・・・。」
「そうして、姉は高校を卒業してからそのまま店の従業員になったわ。だから、私も本当は大学に行かずに店で働くつもりだった」
「・・・そうか」
「でも、当の母や姉が止めるの。あんたは頭が良いんだから勿体無いって、どちらも譲らないのよ。それで折り合ったのが国立の経済学部」
「なるほどな・・・」
「うん。私、経営の勉強して、お店を立て直すんだって言い張った。そうじゃなきゃ大学になんて行かないって。だって私たちのために店を犠牲にしたんだもの」
私ね、母の店が大好きだったのよ。
そう言うナミの顔を横目で見ると、懐かしむような表情が浮かんでいた。
「元からそんなに大きな店じゃなかったけど、蜜柑を使った料理や紅茶がすごく美味しくて、近所でも評判の良い喫茶店だったの。ルフィも小さい頃からよく遊びに来てたわ」
「・・・そう言えば、小さいけどいい店だってあいつも言ってたな」
「でしょ?うちの母、すごく気風の良い人でね。悪いことすれば他所の子だろうと平気で殴るんだから」
ルフィはつまみ食いしては拳骨食らってたわね〜、と笑うナミ。
・・・ルフィが、俺にはどうしようもないと言っていた訳が分かった。いくら家族同然とは言え、学費や家計のことなど、幼馴染にはどうすることもできない。
まして自分の方が年下なのだ。事情を知っていただけに、さぞかし歯痒い思いをしたのだろう、あいつも。
「でもね。ゾロはもう分かってると思うから言うけど、私、本当は海洋学を勉強したかったのよ。昔から海が好きで、いくら本を読んでてもちっとも飽きなかった」
「ああ・・・ルフィから聞いた」
「そう。けど、そっち方面じゃあまりお金にはならないから、諦めるつもりだったのよね。海王大にすごい専門家がいるのは知っていたけど、とてもじゃないけど学費が払えないし」
そう言うと、ナミは首を曲げてすぐ背後の学部棟を見上げる。そこにあるのは、『理学部・海洋学科研究棟』の文字だった。
「パンフレットを見て学費免除があることも知ったけど、他の部分はともかく小論文の項を見たらああ無理だって思ったわ」
「・・・いや、他の部分だって無理だろ、明らかに」
「面接に、一般入試で全科目5位以内でしょ?それはまぁ、努力次第で何とかなりそうな部分じゃない」
事も無げに言うナミに俺は呆れた。こいつの頭の中は一体どうなってるんだ。
本当に頭の良い奴というのは、どの教科も出来るものだと言うが・・・それにしても、俺とは次元が違う。
ナミは少し唇を尖らせてさらに続けた。
「でも、小論文は指定された本を読まなきゃいけないでしょ。専門書なんか買うお金、ないわよ。しかもこの大学の書庫にしかないなんて。学内に知り合いやツテがあるわけでもないから、借りることもできないのに」
「ああ、全くだな」
「こんな条件、そうそう叶うはずがないじゃないって逆に腹が立ったわ。結局貧乏な人間には学費を払わせないって言ってるみたいで、気に食わなかった」
そんな時、ゾロに会ったの。
そう言うと、ナミは初めて俺の方を見た。
「それで、思ったのよね。受験には割と余裕があったから、どうせなら貧乏人を小馬鹿にしてるようなその条件に挑戦してやろうじゃないって。で、併願以外の他の条件全てパスした上で、学費免除だからって誰が行くもんですかって蹴ってやりたかったの」
「・・・そりゃまたカッコいいことだな」
「でしょ。だから、周りにもあくまで志望は国立の経済学部だって言ってたし、自分でもそのつもりだったのよ」
でもね、と言いながら、ナミは姿勢を正して俺に向き合った。
「指定された本を読んでるうちに、夢中になっていってしまう自分に気がついたの。こういう勉強がしたいって、どうしても未練が出てきて」
「未練、か」
「あの助手の人にも、それを見抜かれてたのね・・・それに、ゾロに凄く失礼なことをしてることも。このままじゃゾロの協力に報いることができないし、私自身も何の意味もない行動になってしまうって」
だから私、2週間悩んで決めた。
きっぱりとそう言ったナミの顔には、晴れやかな表情が浮かんでいた。
「この大学一本に絞って、全学費免除を目指すわ。母と姉にもそう伝えてきたの。あの二人はすごく喜んでくれた。私がやりたい勉強を我慢してるの分かってたし、どんなに難しい条件でもあんたなら絶対出来るって」
「・・・そうか」
「勿論駄目だったらその時は就職になっちゃうけど。経理の勉強はそれから自力でも出来るもの。やれるだけやってみるわ」
せっかく、こうしてゾロに助けてもらったんだしね、と笑うナミに、俺も笑みを返した。
そして、少し考えていたことを話し始める。
「・・・あの条件、確かにふざけてるとは思ったんだけどな、こうは考えられねーか」
「え?」
「書庫にしかない本をどうやって読むかなんて、方法は限られてくる。買えるならそれで良し、誰かのツテで借りられるならそれでも良し。けど、普通そんなものは無ぇだろ」
「まぁ・・・そうよね」
「けど、お前はルフィを介して俺に会った。だからそれは、偶然かもしれねーが、確かにお前の力だ。運も実力のうち、って言うしな」
「そう、なのかしら」
「お前は俺やルフィに『協力したい』と思わせた。あの人も言ってたじゃねーか、『周りを巻き込む力』も能力のうちだって。多分、あの助手もこの特別枠で合格したクチなんだろ?」
「うん。推測だけど、きっと10年前の唯一の合格者よね。あの人に会えたことも、私の強運のおかげだってこと?」
「ああ、そうだ。これはきっと、それを見るための試験でもあるんだろ。周りを巻き込む『運気の強さ』を見抜くんだよ」
それは、引力と言い変えてもいい。自分でも知らないうちに周囲を引き付けて、良くも悪くも巻き込んでいく人間というのは確かにいるのだ。ルフィがいい例だが、ナミもおそらく、そうなのだろう。
単純に頭が良いだけでなく、そういう稀有な人材を求めることが、この『全学費免除』の本当の目的なのかもしれない。
俺がそう言うとナミはとりあえず頷いたが、まだ得心のいかない顔をしていた、
「・・・ゾロは、巻き込まれてくれたの?」
「あ?」
「だって、その理論で行くと、ゾロは私に巻き込まれたってことでしょ?どうして?」
「・・・・・・。」
・・・痛いところを突かれた。
確かに俺は、基本的に面倒事には首を突っ込む方ではない。そんな俺がここまで進んで協力したのには、勿論理由があるわけだが。それは今ここで言うのは少し・・・いや、かなりタイミングが悪い。
そんな俺の思考を知ってか知らずか、ナミはまた笑う。
「特に理由もなく巻き込まれてくれたなら、ゾロってほんとお人好しだなーって思うけど、この間等価交換だとか何とか言ってたじゃない」
まだ、教えてくれない?
首を傾げるナミに、つい心臓が跳ねたが、表面上はポーカーフェイスを装って俺は答えた。
「・・・まだ言わねぇ。今までお前が言わなかった分だと思えよ」
「そっか。うん、そうよね」
ナミはあっさり頷いたが、ふと気がついたように付け加えた。
「でも、まだってことは、いつか言ってくれるのよね?」
「・・・ああ」
「お前が、無事この大学に来る事になったら。その時に言ってやる。約束だ」
その時は祝いにオレンジケーキも買ってやるよ。
その返した俺にナミは嬉しそうに笑い、「じゃあ尚更頑張らなきゃ」と意気込んでみせた。
――それから何ヶ月も経った、雪がちらつく寒い日のこと。
写真入りで届いた合格のメールに、俺はすぐさま電話を掛ける。今まだそこにいるのか、という電話に肯定の返事をもらい、自転車を走らせた。
着いた場所は、いつも待ち合わせをしていた図書館の前。白い息を吐いて、ナミは笑顔を見せた。
「はは、まさか本当に受かるとはな。恐れ入ったぜ」
「あれ、信じてくれてなかったの?昨日のうちにオレンジケーキ買いに行ったくせに?」
「・・・・・・。」
自転車の籠に入った包みを指さしながら、ナミがおかしそうに言う。俺は思わず言葉に詰まってしまった。
「まさかホールで買ってきてくれるとは思わなかったわ」
「・・・ちょっと待て。何でそこまで」
「まぁまぁ、いいじゃない細かいことは」
いや、良くない。断じて良くない。これは男の沽券に関わる問題であってだな・・・
俺としてはそう言いたかったが、ケーキを受け取ったナミの顔があまりに嬉しそうだったので、つい情報源を突き止めそこねてしまった。
『お前って意外と彼女にメロメロになるタイプかもしれねぇぞ?』
いつかのウソップの言葉が頭をよぎる。全力で否定したいが・・・悲しいかな、今はできそうにない。
「で?」
「・・・は?」
「言ってくれるんでしょ?ゾロが何で私に協力してくれたのか」
手にじわりと汗が滲んだのが分かった。
明らかに何かを期待しているナミの顔。こいつ、絶対に確信犯だ。
だが、約束は約束。守らなければ男が廃る。
俺は手を伸ばし、目線より少し低いオレンジ頭をぐりぐりとかき乱した。ちょっと!と抗議の声を上げるナミを無視して口を開く。
「・・・一回しか言わねぇからな。よく聞けよ」
情けないことだが、雪に溶けそうなほどかすれてしまった声は、それでもしっかりナミに届いたようだった。
それに照れたように頷いたナミと、確実に真っ赤になっていただろう俺を、あの時の助手の女がしっかり図書館から見ていて。
無事に入学してからも、二人して実に図書館に入りにくくなったのは、また別の話だ。
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(2010.08.14)
<管理人のつぶやき>
ゾロがヒトメボレしたナミからのお願いは、一緒に図書館へ行くこと。どういうこと?なんで図書館?と次々に疑問が浮かびますが、ゾロはナミと一緒にいられるということで渡りに船の気持ちで、その願いを受け入れます。そして、次第にナミが抱える秘密が明らかになり・・・・。ゾロが常にナミのためを思って行動してくれたのがとても嬉しかったですね^^。
ゾロの惚れっぷりには惚れ惚れしてしまいました(笑)。この男にここまで想われてるナミは幸せだな〜。それにしても、ゾロの告白時の声ってどんなんだったんでしょうね?w 『雪に溶けそうなほどかすれてしまった声』ってキャーーーvvv(←やかましい)
糸さんの8作目の投稿作品でした。
素晴らしい作品をありがとうございました。そして、連載完結おめでとうございました!