ライブラリー・ポートレート  −4−
            

糸 様




突然現れた女が去った後、俺達はとりあえず帰途についたが、空気は何とも気まずかった。

自転車を引きながら歩くナミは終始俯いたままで、かと言って俺の方から先ほどのことについて尋ねることもできず、結局分かれ道までほとんど何も話すことはなかった。



だが、別れ際、ナミは意を決したように俺の顔を見上げてきた。



「ねぇ、ゾロ。何も聞かないの?」

「・・・は?」

「さっきのこと。あの話聞いて、私に何も思わなかったの?ゾロ、今まで何も言わなかったけど、いろいろ不思議には思ってたでしょ?」



そりゃ、思わなかったと言えば嘘になる。ナミの行動は最初から不可解だったし、先ほどの様子を見れば何か隠していることはバレバレだ。だが、しかし。



「・・・お前が」

「え?」

「お前が、何か聞いてほしいなら聞く。けど言いたくないなら、別に聞かねぇよ」



ナミは目を丸くした。俺はそれを見下ろしながら続ける。



「頼んだのはそっちだが、それに協力すると約束したのは俺だ。理由なんて、別にどっちでもいい」

「・・・・・・。」

「大体聞きたかったら、約束する前にもっと突っ込んで聞いてる。今更それを蒸し返すなんてのは、フェアじゃねぇだろ」



あの時。サンジの店で、申し出を受ける前に、俺には理由を問いただす権利があった。


ルール違反だということを承知の上で、それを敢えて尋ねなかったのは、俺の方にも十分なメリットがあったからだ。ナミ本人は知らないが、他でもない、こいつだから俺は協力したわけで。

事情に興味が全くないとは言わないが、それよりもナミが「本を借りたい」と思っていることの方が俺にとっては重要だった。



「だから、お前が借りたいなら借りればいい。どうせ俺は本なんか借りねぇし」



あの助手だって多分、周囲に言い触らしたり、俺への貸し出しを止めたりはしないだろう。

そう言うとナミはしばらくぽかんと俺を見上げていたが、やがてふっと表情を緩めた。




「ゾロって・・・お人よしなのね」

「あ?」

「だってそうじゃない。これで、私がこの本使って何か犯罪にでも関わってたらどうするの?あなただって連帯責任になるのよ?」



言っていることは物騒だが、顔を見ればそれが事実でないのは明らかだ。大体、海洋学の専門書なんか使ってどうやって犯罪に関わるというのか。



「何だお前、そんな危ねぇことに関わってんのか?」

「関わってないけど。ただのたとえ話よ」

「だったらいいだろ、別に」俺はまだ納得しきれていない表情のナミに向かって言った。




「俺は何の理由もなくお前の申し出を受けたわけじゃねぇよ。あー・・・だから、つまり『トウカコウカン』とかいうやつだ」



等価交換って・・・とナミはますます不思議そうな顔をする。

俺はまだ、ナミに対して何かアクションを起こすつもりはない。向こうは受験生だし、時期が来るまでは成り行きに任せてもいいと思っている。つまりこの立場を大いに利用させてもらっているわけで。

だから、決してお人よしなんかではない。言っていないことがあるのはお互い様なのだ。




「・・・やっぱり変な人だわ、ゾロって」

「それはお前もだろ」



そうね、とナミは笑い、まっすぐ俺の顔を見た。そしておもむろに鞄を探り、何かのパンフレットを取り出して俺に差し出す。



「・・・何だこれは」

「海王大の大学案内よ」

「はあ?」



俺は思い切り顔をしかめた。何故在学生の俺にそんなものを見せるのか。

だが、続くナミの言葉には驚いた。



「そこに、私の『理由』の一部が書いてあるの」



二の句が告げない俺に、ナミはもう一度笑う。



「ページが折ってあるところ、読んでみて。勿論、興味がなかったら捨ててもらっても構わないし」

「・・・お前」

「また2週間後、この本返しに来るから。とりあえず、読みたい本の大半は読めたし、次で一区切り付けられると思う。その時に・・・私の口からもちゃんと話すわ」

「・・・・・・。」

「だから」



――ゾロの理由も、いつか、聞かせてね。



そう言ってもう一度笑い、ナミは帰っていった。









・・・しばらくパンフレットを手に突っ立っていた俺は、その後いつものようにバイトに向かったものの、どうにも身が入らなかった。



「おい」

「・・・・・・。」

「おい、こらてめぇ、クソマリモ!!」



みし、と頭に踵落としが食い込んで、俺は我に返る。振り向くとサンジがフライ返しを持ったままこちらを睨みつけていた。



「・・・あ?」

「あ?じゃねぇだろ!その皿一枚洗うのに何分かかってんだ、オロすぞクソ野郎」



このクソ忙しい時に、と言われてシンクを見ると、うず高く積み上げられた皿が目に飛び込んできた。手に持った一枚は、新品かと思うほどに磨かれてしまっている。

どうやらかなりボーっとしていたらしい。割らなかっただけ良かったのかもしれないが。




「・・・悪ぃ」



ボソッと小声で言うと、サンジはめずらしいものでも見るような目でこっちを見てきたが、ため息をついてこう言った。



「謝るより手動かせっての。ったく、ガラにもなく何考えてんだか知らねぇが、あとできっちり聞かせてもらうからな。ちょうどルフィとウソップの奴も来てることだし」

「・・・はあ?何でお前にそんなこと」

「だってお前今日ナミさんと会う日だろ、彼女と何かあったとしか思えねーじゃねーか」




クソ羨ましい奴だぜ全く、と悪態をつきながらもサンジは器用にフライパンを操っている。何でお前がそれを知っている、と反論したい気持ちをぐっと抑え込み、俺はとりあえず目の前の皿洗いに集中することにした。







そして、忙しい時間帯が終わると、俺はルフィ・ウソップ・サンジに尋問されるような形で座らされた。



「さあ洗いざらい吐いてもらおうか、マリモ君」

「・・・何をだ」

「この期に及んでとぼけるなよ。仕事中に皿洗い忘れるほど具合が悪いんだろ」

「そうそう、それはまさにアレだ、『君のことを考えると胸が張り裂けてしまう病』」


「ああ、またの名を『恋はいつでもハリケーン』」



したり顔で頷くウソップとサンジを一睨みしてやったが、まるで効き目がない。
だが、俺としても、今日のことを全て話す気にはなれなかった。あれはナミにとってはかなり個人的なことだ。多分。

だから俺は好き勝手に騒ぐ二匹には構わず、未だデザートを頬張るルフィに問いかけた。




「ルフィ、お前、ナミがどこの大学目指してるか知ってるか」

「ふぉう、ひっへるほ」

「・・・食ってから喋れ」



ルフィはごくんと口の中のものを飲み込み、「おう、知ってるぞ」とあっさり頷く。



「青海大の経済学部だろ」

「んげ、マジかよ!」ウソップが奇声を発する。「ナミってそんな頭いいのか?」

「おう、あいつ小中学生の時からずっとトップなんだ。高校だってもっといいとこ狙えたんだけど、家の近くがいいって今の公立に決めちまったんだよな。金がないからって」

「それで、国立の経済学部か」今度はサンジが納得したように頷いた。

「そうそう。あいつの家、喫茶店でさ。今はナミの母ちゃんと姉ちゃんが二人でやってんだけど。多分あいつもそれを手伝うつもりなんだろうなぁ」



小さいけど結構いい店なんだぜ、と笑うルフィは、おそらく小さい頃からナミの家族とも知り合いなのだろう。店にもよく入り浸っていたに違いない。

ちなみにナミが実家ではなくケーキ屋でバイトしているのは、喫茶店の手伝いだけでは金銭的に苦しいからということらしい。元々こじんまりした店だから、料理や何かは母と姉だけで十分回るしね、と本人が言っていた。ナミが手伝いたいというのは、店の経理や会計の分野なのだろう。



「で、それがどうかしたのか、ゾロ」

「いや・・・あいつ、理系の本をよく借りていくから」

「へえ、そうなのか」俺の言葉に、ルフィは目を瞬かせ、少し意外そうな顔をした。



「確かにあいつ、元々は理系でさ。特に昔から海が好きで、小さい頃からいつもそういう本ばっか読んでたんだ。でも、中学に入ってからだったかな。ぴたっとそういう話しなくなっちまってよ」

「・・・そうか」

「けど、俺はナミとは近すぎるから、理由も何となく分かっちまうんだ。それが、俺にはどうしようもないってことも」



淡々と話すルフィは、多分いろいろ分かっているのだろう。こいつは俺の知らないナミを知っている。恋愛とか家族とか、そういうものを超えた絆で繋がっている幼馴染。



「あいつ昔から金にはうるさいし、文系科目が出来ないわけじゃねぇから、経済でも余裕で行けるしな。だから俺は、ナミがそう決めたんならこれ以上何も言うつもりはなかった」



でもな、ゾロ、とルフィはまっすぐに俺を見つめてきた。



「ナミが抱えてることを、お前が助けてやれるなら、そうしてやってほしい」



このことに関しては、俺は何も出来ないから。



半端な気持ちならあいつに近づくなよ、と言った時と同じ顔で俺を見るルフィに、俺ははっきりと頷いた。







家に帰ると、早速ナミから受け取ったパンフレットを開いてみる。端が三角に折られたページには、細かい字が並んでいた。



「入試要項・・・?」



俺はスポーツ推薦でこの大学に入った身だ。さすがにパンフレットを見たことがないわけじゃないが、入試要項などまともに読んだ記憶がない。

だが、ナミはここに『理由』が書かれている、と言った。俺は常にない真剣さで文字を追っていく。

一般入試、センター試験利用、スポーツ推薦、指定校推薦、AO入試、学費免除特別枠・・・



特別枠?学費免除?



ひっかかりを覚えてその項を読み始めると、「全学費免除特待生」という文字を見つけた。



全学費免除と言うと、つまりアレか。そのまんまだが、この大学の学費の全てを免除するという・・・そんな制度があったのか?



私立であるうちの大学は学費が高い。俺はこれでも多少、スポーツ推薦枠で免除してもらっているが、それでも痛い出費だ。全額免除なんて便利な制度があったなら、利用したい連中は山ほどいるだろうが・・・どう考えても、そう簡単なものではないだろう。

とにかく読み進めると、そこにはものすごい条件が列挙されていた。



・併願は禁止。本学一校に絞ること。志望学部も一つに限る。

・一般入試で全教科五位以内の成績を収めること。



俺はそれだけで絶句してしまう。普通の学生ではまず無理だ。うちの大学の一般入試は厳しい。それこそ、ナミの志望する青海大と同レベルだと聞いている。さらに。



・面接試験:面接官は志望学部の教授が数名で行う。

・小論文提出:志望学部が指定した書籍や論文を事前に読んでおくこと。題目・枚数は当日発表される。試験当日の持込は禁止。



・・・もう突っ込む気すら起きなかった俺は、各入試の合格者数が書かれたページを開いてみる。学費免除特別枠の昨年度合格者は・・・ゼロ。

括弧書きで、10年前に一人だけ合格者が出て以来、ここ最近は誰一人合格していない旨が書かれていた。一体どれだけ厳しいのか想像もつかない。

だが、俺はナミとこの「全学費免除特待生」が繋がるのを感じていた。



受験生でありながらバイトをしなければならないほど、経済的に厳しい家庭。

海が大好きだと語っていた幼い頃のナミ。

「指定する書籍や論文を事前に読んでおくこと」という指示。



ニコ・ロビンという助手はこう言っていた。「彼女」には、高い専門書を買うお金も、時間もなかったと。それが、10年前の唯一の合格者だったとしたら。



専門書や論文は、普通の書店には売っていないことが多い。そして高価だ。取り寄せるにも当然それなりの金と時間がかかるのは目に見えている。

勿論図書館で借りて読めばいいが・・・その本を借りることができなかったら?

さらに言えば、この大学の図書館の、書庫の中にしかなかったとしたら。



ナミの『理由』が、この特別枠を狙うこと、と考えてもおかしくはない。



・・・しかし、それならそうはっきり言えばいい。ナミはあくまで、別の大学の経済学部を目指していると言った。最も近い存在であるはずのルフィにさえそう言っていた。

まるで、そう自分に言い聞かせているかのように。

そしてあの助手の女も、このままではナミも俺も報われないと言った。



一体、ナミは何を思って俺に「書庫の本が借りたい」と持ちかけてきたのか。



お手上げだ、と俺はごろんと横になる。大体、俺の頭は考えるのには向いていないのだ。


・・・やはり、最終的な結論は2週間後、本人の口から聞くより他なさそうだった。




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(2010.04.05)


 

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