緋焔 −13−
こざる 様
海軍を振り切り、ここは大海原の上。
「なあ、やっぱ戻んのか?俺達と一緒に行こうぜ。」
サニー号の食堂でルフィがリンに纏わりついている。
「お誘いは有りがたいが、ご一緒は致しかねる。」
「何でだよ、オレ、お前が好きだぞ。」
ルフィのストレートな言葉に、リンは目を細めて笑った。
「ルフィ殿は嬉しいことをさらりと言っておくれだ。口説き上手だな。」
腰元の緋焔に手をやり、考え込んだリンはルフィの目を真っ直ぐ見て言った。
「お申し出は大変嬉しいが、やはり私は島に戻る。鍛冶をしておれば自ずと剣士と知り合う機会が増えよう。然らば、緋焔の主の手がかりも得られるやもしれん。」
「そのことなんだが。」
黙って聞いていたゾロが口を挟んだ。
「緋焔の主に心当たりがある。」
皆が一斉にゾロを振り返った。
「アンタ、判ったの?」
ナミが昨夜の会話を思い出して、ゾロに聞いた。
「ああ、さっき緋焔を振るって判った。なあ、リン、お師匠さんは、ホーク、と言い残したんだったな。」
「うむ。その名に心当たりが?」
「いや、たぶん声が掠れてたんだろう。お師匠さんはホークではなく、ミホークと言ったんだ。ジュラキュール・ミホーク。緋焔の主は鷹の目と呼ばれる世界最強の剣士だ。」
ゾロの言葉がシンとした部屋に響き渡る。
「ミホークってアイツか。」
サンジが喉が詰まったような声を出す。
世界最強の剣士、その刃を真正面から受け血しぶきを上げてゾロが海に倒れこむ。
峻烈なあの瞬間が脳裏によみがえる。
ウソップはもとよりルフィも声が出ない。
リンは少し驚いたような顔をサンジに向けた。
「サンジ殿はジュラキュール・ミホークとお知り合いか。」
「お知り合いなのは、オレじゃありません。クソ剣豪の方ですよ。オレはヤツが向かっていくのをただ見ていただけです。」
今度こそ、リンは驚愕を露にした。
「ゾロ、鷹の目に剣を向けたのか?何故、生きているんだ?」
「さあな。何でかな。」
「でもよう、なら、やっぱ一緒に来いよ。この船に居れば鷹の目に逢えるぞ。」
「?」
ルフィの言葉にリンは不思議そうな顔をした。
「オレは鷹の目を倒して世界最強になる。だから、オレが居る限りこの船は必ずミホークの元へ行くって訳だ。」
「鷹の目を超える、か。それは険しい道のりだな。」
と、言ったきりリンは黙り込んでしまった。
「緋焔の主は健在なのだな。正直なところ、既に無い者と諦めていたのだ。逢いに行かねばならんな。」
「おし、じゃあ。」
「あ、いや、やはりご同行はできぬ。」
「何でだよ、楽しいぞ、海賊は。」
「確かに楽しそうだ。ただ、あなた方は自分の目標や夢のために旅をしているのだろう?私はそうではない。緋焔は大事な友ゆえ、正当な持ち主の元に届けたい。だが、私自身の夢は緋焔を届けることとは別なところにある。故に、大事にはあなた方の足を引っ張ることになろう。また、逆にあなた方を重荷に思ってしまうかも知れん。鍛冶である私はつまるところ、陸に生きるものなのだ。」
「ふ〜ん、そっかぁ、じゃ、しかたねぇな。でもリンも海に出るんだろ、どっかで逢えるかもしんねぇな。」
「うむ、その時はまた、馳走になりに伺いたい。サンジ殿、宜しく頼む。」
「あぁ〜ん、リンちゅゎん〜、いつでも待っているからぁ〜。」
サンジが喜びに溶け崩れ、得意のたこ踊りをしながらリンの手を握る。
自分で振った事ながら、サンジの予想以上の激しい反応に、リンは少々腰が引け気味だ。
その様子を見ながら、ウソップとフランキーは、「アイツはこの船でやっていくには図々しさが足りねぇな。」と言い合いながら、サンジを上手く使いこなしている二人の女性を見やった。
魔女とも悪魔とも言われる二人が、その言葉の意図するところを間違えるはずもない。
情け容赦ない制裁が二人に降り注いだ。
「あ〜、でよ。不知火のことなんだが・・・」
少し言い辛そうに、ゾロがリンに声を掛けた。
「ああ、そうだな。不知火の供養は私がしよう。雪走はこの先、後釜が見つかった時に、ちゃんと供養して欲しい。」
「すまん。」
「ん?」
「不知火は簡単に折れるような刀じゃない筈だ。オレはまだまだ力量が足りないな。」
ゾロの言葉にリンは目を見開くと、くすくすと笑い出した。
「ゾロは不知火の心を感じなかったのか?アイツは自ら望んで折れたろうが。君の力量に惚れ込んだゆえだ。」
リンの言葉がさっぱり判らないナミは口を挟んだ。
「ゾロの力量に惚れたのに、何で自分から折れたりするの?一緒にいたいんじゃないの?」
「時間がなかったから。対峙していた相手とゾロの間には明らかな腕の差があった。いづれゾロはあの男を退けたろうが、その頃にはルフィ殿が連れ去られている可能性があった。押し合う力の逃げ場ができると、互いの均衡が崩れよう?故に、不知火は早くに決着をつけるために自ら折れたのだ。ゾロの為ではなく、ゾロの仲間のためにかような判断をするのだから、余程惚れていると言えよう。」
「でも、不知火が折れたらバランスを崩すのはゾロも一緒でしょ?」
「ああ、だから先に教えてくれた。なんと言ったかは判らなかったが、何かする気なのは判ったから対処できたんだ。」
「ありがとう、と言ったのだ。君と在ることが出来て嬉しい、と。」
(あなたと一緒にいられて嬉しい。そうよね、慌てることないんだわ。)
不知火のストレートさにナミはゾロを好きだと言う気持ちを素直に受け止めれば良いのだと気付かされた。
「後釜は直ぐに見つかるかも知れんぞ。この先にゾロを待つものがいるようだ。」
「ゾロを待つって、敵か?まさか鷹の目か?」
ウソッブのうわずった声にリンは珍しく声を上げて笑った。
「ウソップ殿、鷹の目がこの先に居るならば私がここで船を降りたりはすまいよ。第一、緋焔がそうさせまい。敵か味方かはわからぬ。ただ、この先の海に強い気配を感じるそうだ。白夜は離れていても刀の気配が判るのだ。」
「へぇ、そいつはすげけな。」
「ありがとう。」
ウソップの屈託のない賛辞にリンは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、気をつけて帰れよ。」
「また、海で会おう。」
「2時間ぐらいすると夕立が来るから急いで帰んのよ。」
「リンちゃ〜〜ん、いつでも待っているからねぇ〜。」
さまざまな声に見送られ、リンはフランキーの造った小船に乗ってマニエル島に帰って行った。
遠ざかってゆくリンの背中を、ゾロは長いこと見つめていた。
その姿をミカン畑の陰から見ながら、ナミはそっと溜息をついた。
(ゾロがリンを好きでも関係ないわ。一緒に居られて嬉しい。)
何度も、嬉しい、嬉しい、と心の中で唱えつつもやはり寂しい気持ちになるのは押さえ切れなかった。
夜。
ナミが航海日誌を付けていると、ドアの開く音がした。
振り返るまでもなく、重い靴音でトレーニングを終えたゾロだと判る。
足音が近付いてくる。
「いいもん飲んでんじゃねぇか。」
不意に耳元で揶揄するような低い声が響く。
同時に太い腕が顔の直ぐ横を通り過ぎ、テーブルの上のグラスをとった。
背後から手を伸ばしたので、ゾロの顔がナミの頭のすぐ上に来る。
体温さえ感じる近さに、ナミは心臓が跳ね上がった。
背後でゾロがグラスを一気に空ける音がする。
思わず振り返ったものの、ナミは声も出ずそのままゾロを見つめた。
それをどう思ったのか
「んな怖い顔で睨むな。ちぃと貰っただけじゃねえか。」
しかめっ面でゾロは呟いた。
その、ちょっと困ったようなしかめっ面にナミの緊張が解けた。
「こんな可愛い子を捕まえて怖いなんて失礼ね。これ秘蔵のいいブランデーなんだから。アンタみたいにアルコールであればなんでもいい人に飲ますのは勿体無い代物なの。お代払ってよね。」
「へぇ、どおりで美味いと思った。珍しいじゃねぇか、てめえがんなモンだしてくるなんざ、なんかあったのか。」
「どーゆー意味で言ってるのかしら?」
ゾロの言葉に答えつつ、ナミはこの酒を飲みたくなった理由を思い出して、顔を曇らせた。
「彼女が帰っちゃって残念だったわね。」
ポツンと呟くようにナミは言った。
「んあ?ああ、リンのことか。そうだな。アイツがいりゃあ刀のことは心配ねえし、手合わせもできっから腕も磨けたろうなぁ。」
(それだけ?)
ナミの心の声が聞こえたのか、ゾロは少し考えてから言葉を続けた。
「どのみち、アイツは来ねぇよ。一人で鷹の目に逢いに行きたいだろう。」
「なんで?」
「父親だから。」
「え?」
「たぶん、だけどな。リンと手合わせしたろ。あんとき感じた気配って鷹の目だったんだよ。あの、刀に無理をさせない柔らかい剣も、気合を入れたときの鋭い目も、何もかもが似てる。それに、リンの師匠がずっと手元においていた緋焔を持ち主に届けて欲しい、と言ったのも一人になるアイツを父親に逢わせるためじゃねえかと思うんだ。」
「ふぅん、アンタにしては筋が通ってるわね。」
「オレにしては、は余計だ。」
「鷹の目、の娘、かぁ。腕が立つわけよね。」
「ああ、しかも誰にも剣を習ったことはねぇってんだからな。アイツの背中に鷹の目が被って見えてよ、まだまだ遠い、って再確認させられたよ。」
ゾロの遠い目は遥かな高みにいる男を見ているのだろうか。
それとも・・・。
「テメェはアイツに残って欲しかったのか。」
「えっ?」
「いや、やけに沈んだ顔をしていやがるから。いい酒出してきたのもそのせいか?」
微妙なずれがあるものの、なかなか鋭いゾロの推察にナミは口篭った。
「んん、これを(と言って酒瓶をさす)出してきたのは、沈んだ気分を引き上げるためなんだけどね。リンが行っちゃって凹んでた訳じゃないわ。残ってくれるに越したことはないんだけど。それより、リンが女の子だから。。。」
傍らに立つゾロの近さに気持ちがいっぱいいっぱいで思わず本音がポロリとこぼれ出てしまった。
あわててナミは口をつぐむ。
「ああ、性別なんてただそうだってだけのものを理由に恩師を殺されたんじゃ、たまったもんじゃねぇな。」
ゾロはナミの真意を別な意味に取ったようだ。そして、心配げにナミにきいた。
「テメェも女であることがしんどかったのか?」
「えっ?ううん、全然、そんなこと思ったことないわ。私は自分が魅力的な女の子だってことわかっているし、それをちゃんと最大限に生かしてきたわよ。」
「自分で魅力的って言うかよ。」
「あら、事実を口にすることになんの問題があんの?」
「へえへぇ。」
そう言いながら、ゾロはグラスを机の上に戻した。
その腕が帰り際に、ナミの頭をポンとたたく。
「気になることがあるなら言えよ。酒ならいくらでも付き合ってやる。」
ゾロのその行為と、思いがけないやわらかい視線にナミの心臓は跳ね上がる。
「ったく、お酒が目的の癖に偉そうな口きいてんじゃないわよ。」
舞い上がった気持ちを誤魔化すように、思わずきつい口調になってしまう。
その言葉に、口端を軽く吊り上げて応えると、
「じゃじゃ馬らしくなったな。じゃ、おやすみ。」
と手をひらひら振りながらゾロは部屋を出て行った。
「誰がじゃじゃ馬よ!」
文句を言いながらも、ナミはなぜか気分が浮き立つのを感じた。
ん、わたしはわたしらしく、ね。
第一、アンタに会えたんだもの。
女に生まれたことを後悔する訳ないじゃない。
ナミは大きく伸びをすると、足取りも軽く部屋に戻っていった。
FIN
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(2008.08.08)