確かに言った




一緒に歩こうって






馬鹿にしてる あんな小声で









耐え難くも甘い季節 〜もうひとつのMy way
            

MOMO 様






第一章





今年の夏は信じられないくらい暑い。
毎朝、ブラウン管の中でキャスターが「今日も暑くなりそうです」と苦笑いする顔にも飽きてきた。


この星はすでにもうどこかが壊れてしまったのではないかと、喉をつたう汗をぬぐいながら思う。
右膝のテーピングも汗で色が変わってしまい、肌の痒みがいっそう気になる。
ナミは走るのを止めて、トラックからはずれると気休め程度の木陰へ滑り込んで大の字で寝転がった。
休み前に後輩達が草刈りをしてくれたので心地いい緑の芝がいいベッドになっている。


自分の乱れた呼吸だけが聞こえる静かなグラウンド。蝉も鳴き飽きたのか遠くでかすかに聞こえるくらいだ。
ビリビリと少し痺れる感覚が残る膝をうとましく思いながら、大きなため息をついて目をつむった。


ー無意識にかばっているから、身体がひどく歪んでいる。でもまだ仕方ないわね。


整体師は静かに微笑んでいた。色白でびっしりとそろったショートボブの彼女は真夏なのにいつも汗ひとつかかないで、ナミの背骨に手をあてる。


ー身体が歪むとね、気持ちも歪みがちになるものよ。焦ってはだめよ。


「分かってる、そんなこと」

あの診療所で言えなかった台詞が今更独り言で吐き出された。これこそが歪んでいる証拠だった。

選んでいる時間はない。

なぜここまで意固地になっているのかさえも、自分ではよくわからない。それが正直なところだ。
ただ悔しかった。誰に対してということもなく、ただ悔しいのだ。

腕のオレンジ色のG-ショックがピピッと鳴って10分経ったことを知らせた。
ナミは大きく息を身体から吐き出すと、両膝をたててゆっくりと上半身をおこす。
暑さで陽炎がたつグラウンド、誰もいない校舎も体育館もあと1週間もすれば人で溢れかえる。
それが信じられないくらいに静かだった。

だからその音はすぐにナミの耳に飛び込んできた。



バシャンと大きな水音。一瞬、すぐ側にあるプールに鳥でも落ちたのかと思って立ち上がる。
胸元あたりまであるコンクリートと格子網の壁の向こうには水色のプール。
夏期の部活動は全て昨日で終わったので誰もいないはずだった。

「?」

と中央のコースから突然人間の上半身が浮き上がり、静かなクロールであっという間にターンをする。
その姿があまりにも静かで綺麗なので、ナミは少しだけ立ち尽くしてその泳ぎを見つめていた。
が、あわてて網に手をかけて静寂を自ら破る。このプールの事情を知っているからだ。


「ねえ!ちょっと!ねえってば!」

聞こえないのか、もしくは聞いていないのか。鮮やかなクロールは続く。



「ちょっと!あんた死んじゃうわよっ!」








プールの入り口にある鉄門に大きく赤い字で「消毒中につき使用禁止」と書かれた紙が張られている。
男は銀色のゴーグルをはがすと、細い目を余計に細めながら横で仁王立ちしているナミと張り紙を交互に見た。
あれだけ泳いでいたのに呼吸ひとつ乱れていない。鍛えられた胸筋がかすかに動くくらいだ。
いまだにパタパタと髪から落ちている雫が日焼けした肉体にあたり弾けて消える。

「読めない字の大きさじゃないわよ?」
「別んとこからよじ登った」
「あと1時間も泳げば、目がおかしくなってその髪の毛も金髪になるわよ」
「・・・・そうだな。でも死にはしねぇだろ」
「まあね」
「ご忠告どうも」

男はバスタオルでガシガシと短い髪を拭きながら、そのままナミの横を素通りしていく。

同学年ではないだろうし、年下にもみえない。勝手に学校に入ってきた暇人かもしれない。
けれどナミにはどうでもいいことだった。ただあの綺麗なクロールだけが頭の奥に残る。


「あ、そうだ。あんた」
「え?」
大きなズタ袋から灰色のスウェットパンツをとりだして履きながら、
低くかすれた声で男はつぶやいた。

「右足、かばい過ぎてるな。癖になるぞ」
「え?」

それだけだった。
それだけいうと、男は何故か校舎の中へと消えていった。

「誰?」

ナミは独り言に近い小さい声で呟く。もちろん男には届かないし聞いてもらうつもりもない。
けれどその問いの答えは2学期の初日に明らかになる。





****






「ナミ!ナミってば!」

MDのイヤフォンを奪われて、夢から覚めた。

「寝すぎだよ?ちゃんと夜寝てるの?」
「・・・ビデオ観てた」
「またー?マイケル・ジョルダンってもうおじさんでしょ?」
「ビビ、ジョーダンよ。それにおじさんじゃなくて神様だってば」
「どっちでもいいけど、お肌によくないよ〜。それでなくても日焼けしてるのに」
「あいあい」
「愛愛?」
「・・・なんでもない」

チャイニーズ系ハーフであるビビが言うと、なんでも可愛いとナミはいつも思う。
長いサラリとした髪をきゅっと後ろひとつに縛っていて、いつも可愛く揺れる。
それが少しクセッ毛の赤毛のナミには眩しい。
始業式をサボって(というか寝坊して)、机でうたた寝していたのにいつのまにか教室は同級生でいっぱいだった。
隣の長い鼻の馬鹿はまたメロンパンと焼そばパンを食べながらコーラを飲んでいる。

「あんた朝からそういうもの隣で食べないでくれる?」
「お前、夕方食べても文句いうじゃねえかよ」
「つまりここで食うなっつってんのよ」
「うるせえな〜。だからいつまでたっても彼氏ができないんだよ」
「つくらないだけよ」
「へーふーん」 その後におまけのゲップを吐いてナミに殴られる。

「ナミはもてるのよー?この前だって...」ビビの援護射撃はそこで終わった。

ガラリと前の戸が開いて、担任が顔をだす。
それはいつもの風景だったのに、その後に続いて入ってきた男の姿が生徒の日常風景を壊した。

「ほれ、座れ座れ」
担任であるゲンはヒゲをいじりながら、ウロウロしている生徒の頭をパコパコと叩きながら教壇につく。
男は教室の隅で、壁の時間割表をぼんやりと眺めている。教室のざわめきは収まらない。


「うるせぇから、先に紹介する。しばらく副担任をやるゾロだ。可愛がれ」
男はぽつりと「よろしく」というと、頭をペコリとさげる。にしても無愛想だ。

インターナショナルスクールである、この高校では日本語や英語、中国語にイタリア語と様々な言葉や名前がとびかう。だから「ゾロ」という名前を聞いても誰も首をかしげない。
そのかわりに女生徒が色めきたち、机の下では携帯電話でのチャットが猛烈な勢いで交わされていた。

『80点!好み』

『笑えば 70点かな』

『いくつだと思う?22かな』

『帰りにマックに誘うべし』

『でもちょっと怖くない?』

『北欧系』

『いえてるvv』

ナミはそんなチャットをよそに、見覚えのあった男教師をポカンと眺めていた。
やっぱり、あの消毒液プールのせいだろうか黒髪のようにみえて光があたると緑色に変わる。
目があった気もしたけれど、だいたいそういうのは勘違いが多いので何も考えずに、また襲ってきた睡魔と闘う。
膝の痙攣がまだ残っていて、夜中に寝付けなかった。ここ数日無理に走りこみをしたツケかと思うと憂鬱にもなる。
あの整体師になんて言われるか。

「ナミ、ナミ。呼ばれてるヨ」

後ろの席のビビに背中をつつかれて、ハッと顔をあげるとすでにホームルームは終わっていて帰り支度に急ぐ生徒達がナミの目の前を走り抜けていく。その隙間からゲンがこちらを睨んでいるのが見えた。

「寝てばっかだから、殴られるんだろ」
長鼻がヒヒッと笑い、ナミに足を蹴られる。


職員室はいつも煙草とインスタントコーヒーの香りが充満している。
どちらも好きではないナミにとっては拷問のような場所だった。それでなくても居心地が悪いというのに。
奥の2年生担任のエリアではビビと同じチャイニーズハーフで幼馴染でもあるルフィがまたどやされていた。
ゲンはマイルドセブンに火をつけて、なにやら書類をゴソゴソと捜している。上から見下ろすとすこし禿があってナミは見て見ぬふりをしながら脇に立っていた。隣の机はガランとした風景だが、ゾロが書類をめくりながら座っていた。

「んー、ちょっと待てな。朝はあったんだがな〜」
「先生の机の上って誰か住んでんの?」
「うるせぇな、ちょっと黙ってろ」

ふっと、笑うような微かな声がきこえて、横をチラリとみる。ゾロはなんでもない風にナミを見上げた。

「いつぞやは、どうも」
「覚えてるんだ」
「命の恩人だからな」
視線を書類に戻しながら、背もたれをギギっと鳴らす。背丈があるので椅子がかなり小さく見える。

「ん?なんだ?知り合いなのか?」
ようやく発見できた1枚の紙をナミに渡しながらゲンが首をかしげる。別に、とナミが素早く否定したのでゾロもそのまま黙って仕事に専念しはじめた。なんだかそれも気に食わなかった。

「膝はどうだ?今は整体しか行ってないのか?」
「うん。リハビリが終わったから」
「そうか・・・。まあゆっくりやれと言いてぇとこなんだけどよ、協会の奴らがしつこいんだ」
「・・・家にも電話があった」
「どうする。俺はお前の意思に任せる」
「・・・」
ゲンの生まれつき厳しい顔は、眉が少し下がると途端に優しくなる。

「どっちみち進学しないんだったら、やってみる価値はあるかもしれんがな?
 だがその時間がお前にとって有意義になるかどうかは俺にはわからん。正直なところな」
「コーチ」
「ん?」
「私にもわかんない」
1枚の書類を握り締めながら、色々な感情が自分の中を走りめぐっていて言葉につまる。


「・・・そうだな。でも続けたいか」
「それは」
「あたりまえか」
「・・・」
「俺もせかしたくない。がな、一応返事っつーもんをしないといけないんでな」
「わかってる。ごめん」
「あやまんなって」

ゲンのクセは薄い出席簿で生徒の頭をパコっとたたくことだ。ナミはそれが好きで自分で頭を差し出してしまうほどだ。
なんだか肩を優しく叩かれているみたいで嬉しくなるから。
渡された紙にはご丁寧な文章、英文と住所がタイプされていた。

「よく考えろ。でも考えすぎるな」
「どっちなのよ」おかくしなって笑う。
「んー?わからん、うまく言えん」
「・・・ありがと。コーチ」

そのままゲンにだけ頭を下げると、ゾロの背後を素通りして職員室をでた。
散々絞られたルフィが口笛を吹きながらいつのまにか隣を歩いている。

「何よ、また売店のパンでも盗み食いしたの?」
「そんなとこ」
「馬鹿ね、ビビが可哀相」
「あいつにゃ関係ねぇ」
「心配してんのよ、ちょっとは女心も考えたら?」
「ナミにはあんのかよ」
漆黒の髪の少年がニヤっと笑う。
「は?」
ナミの肩くらいの背丈で一つ年下のルフィは、いつも一緒に歩くとつま先達で背伸びをする。
ビビ共々、近所つきあいが長いので弟のようで可愛い。

「だから、オンナゴコロ」
「そんなの持ってる暇ないわ」
「なんだそりゃ〜」
「これ」わかり易いように紙切れを見せる。

「ああ、その話か。やってみりゃいいのに」
「簡単にいわないでよ」
「簡単だろ」
「うるさい」
ルフィの判り易い思考がナミは愛しかった。だから何を言われても風が通り抜けるように気持ちがいい。
そして彼が歩きながらもピョンピョンとジャンプをしてクラス名が書かれたプレートをつつく姿も好きだ。
この背丈であそこに届くのが普通はありえないが、彼にはなんてことのないトレーニングだった。


「ルフィ、付き合ってよ」
ナミは紙をクシャっとポケットに突っ込むと、飛び回る弟の首根っこを掴んでそのまま走り出した。





****




画面でみるジョーダンのプレイは、ナミにとって何度みても鳥肌がたつ映像だ。
おなじ競技なのに、どうも次元も世界もまったく違うような気がしてならない。
空を飛ぶようなジャンプ、ボールが吸い付いているようなドリブル、なにもかも打つ前に決められていたようなシュート。

おなじ競技なのに。


コートに立ち、何度眺めても飽きないポストと向き合う。あのバスケットにボールが入り揺れる瞬間が想像しただけでもたまらなく好きだ。ザラつきのあるボールをもってしばらく黙っていると、部室清掃を終えた後輩達がナミの姿をみつけて、ワッと歓声を上げた。

「先輩!明日からの練習参加できるんですか?」
「はやく見たい〜!」
「楽しみにしてますねー!」

キャラキャラした声をよそに、ポストによじ登っていたルフィが大声をあげた。

「そこからショットいれたら、メロンパン奢ってやるよ!」

「・・・」
「・・・」 外野がピタっと騒ぎをやめてナミをみつめる。

「んなもんいらないわよ」

そういってナミの手からボールが放たれた。
ショットは美しい弧を描いて、バスケットを揺らした。

「ナイスショット!」
「やっぱ、すごい!あの位置からワンハンドのショットで入るなんて!」

黄色い歓声が遠くから聞こえる感覚になって、ナミはハッと我にかえった。

「あんたが変なこというから・・・」
犯人のルフィはあっという間にボールを拾い上げるとそのままドリブルして、背丈からはありえないジャンプでボールをぶち込む。
その伸びやかな動きを久しぶりにみて、息をのんだ。また滞空時間が長くなっているような気がしたのだ。
いつのまにか退散した後輩達が消えた体育館は、明日からの始まる練習に備えてか静寂を守っている。
ルフィのドリブルの音だけがナミの身体と館に響く。

「んな顔して見んなよ」ルフィはショットを打つ直前にピタっと動きを止めた。
「・・・」
「リハビリは終わったんだろ?」
「新しい施設を紹介されたけどね」
「なんだそりゃ」
「まだまだってこと」

ナミはそのままボールを奪って、ショットを放つ。確実にはいるとわかる堅実なショット。


「あんな朝早くからコソコソ練習すんな、俺ならいつでも付き合ってやんのによ」
「!見たの?」
「ビビの部屋でビデオみてそのまま寝ちまった朝にな、帰りがけ。あのコートは通り道だし」
「なにやってんのよ、あんたら」
「だからビデオみてた」
「そうじゃなくて・・・」ビビの気持ちを思うと彼女が気の毒になってきた。

「最近、お前みえてるとイライラすんだ」
「なによ」
「わかんね、俺にはなにもできねぇのかなって」
「・・・」

ボールがルフィの手から天高く舞上がり、ナミは一緒にそれを見上げた。
オレンジ色の物体はそのまま天井をつきぬけて空へ飛んで行きそうで、ぐっと顎をあげて見つめる。
そのままの姿勢で、喉から小さく囁いた。

「あんたはずっと飛んでいればいいのよ」
「・・・」

「それが一番嬉しい、ルフィ」






ニャァ




「日本橋?」

ルフィの代わりなのか、黒猫の「日本橋」が体育館の大扉の脇で小さく鳴いた。
と思ったら、あの男がフラフラと入ってきてその後をくっ付いてじゃれているのだ。
学校に住み込んでしまった野良猫の「日本橋」は愛想がないことで有名なのに、男はなにか餌付けでもしかたのように日本橋に愛されている。ナミとルフィは顔を見合わせてゾロがゴソゴソと倉庫を漁っているので、何気なく近づく。

「何やってんのよ」
「ん?ああ、まだいたのか」
「さっきからいたんだけど」
「ナミ、こいつ誰?」
「うちの新しい副担」

「臨時だ、臨時」ゾロはちっともこちらを見ずに探し物を探し続ける。

「ねえ・・・水泳やって長いの?」
「ああ?」それでもこちらを振り返らない。
「あのクロール」
「・・ああ、別に?」
「・・・返事になってないわよ」
「昔海の近くに住んでただけだ」

「海!」
そこでルフィが会話を破る大声を上げた。
「どこの海だ!なあ!湘南か?それとも海外か?!」
やばいキーワードをだしてしまったとナミが片手を額にあてた。
あまりのルフィの興奮具合にたまらずゾロも眉をひそめて振り返る。すでに自分の黒いTシャツはルフィの手でひっぱられ伸び伸びだ。

「・・・話すから、それ以上伸ばすな」
「どこどこどこ!」
「沖縄だよ」
「沖縄のどこだ!」
「・・・波照間ってとこだが」
「わかんねぇけど、海が綺麗なとこだろ!」
「そりゃあな」

「綺麗なんだ・・・」ナミは勝手にハワイの海を想像してしまう。

「あれは、・・・この世とは思えねぇ」少しだけゾロが笑う。
「写真はないのか!?」
「・・・あるが、家だ」
「見せろ!」
「は?」
「今から見せろ!見たい!海が見たい!お前の家にいく!」
「お前って・・・俺はいちおう教師なんだが・・」
「見せろ!何を探してんだ?俺も探してやるから一緒に家に帰ろう!」
「いい、別に大した探しもんでもないしな。しかも、もの凄い勝手な話じゃねぇか?」


「諦めたら?ルフィに海の話をしたのが間違いよ」
「?」









そこはいつも通る帰り道だったのに、今まで存在すら気にしていなかった建物だった。

なぜかといえば朝夕通ってもいつも物音一つしない、黒く分厚い木の扉で、深夜には微かに光がもれるが看板もなく開けて覗く気にもならないほど静かだったから。だからナミもルフィも、そこを通り過ぎるのに慣れすぎていて、この扉のむこうの世界には微塵の関心もなかった。

今、2人はその黒い扉の前に立ち尽くしていて、先に扉の奥へ消えていったゾロを待っている。
「ここって、人が住んでたの?」
「はやく海が見てぇ」
「あんた、それしか頭にないの?だいたい、なんで私まで・・・」

そこで重い扉がギギっと開いた。2人の喉がゴクリと鳴る。顔を覗かせたのはゾロとは違う男の顔だったからだ。

「よお、そんなとこじゃ暑いだろ。小僧はともかくお嬢さんは日射病になっちまう」

ー蜂蜜? 

ナミは男の片目まで覆う美しい髪の色をみて、一瞬そう思う。
くわえた煙草の煙がルフィの顔にかかり、むせている。「こりゃ失敬」と笑って、中へと招きいれた。
日中の陽の光から突然暗闇へ飛び込んだ風で、足元がよろける。それくら薄暗い店内。

店内とわかったのは、かろうじて見えた家具がカウンターで、ちいさな椅子が並んでいたからだ。
蜂蜜色の男は口笛を吹きながらカウンターの中へはいると、地元でも有名なスーパーの袋をカウンターの上に置いた。
ゴソゴソとレモンにミント、オレンジや卵までとりだした。

「あの野郎にお客さんなんてな〜、地震でも起こりそうだな」
「あの・・・ここって」
「ん?見てわかんない?バーだよ。お酒飲むとこね」

サンジという男が笑って、銀のシェーカーを見せた。暗闇に目が慣れてくると、なんとなく様子がわかるようになる。
みたこともない洋酒のビンが無数と男の背後に並び、磨きかけのカクテルグラスやワイングラスがテーブルの奥に
並んでいるのだ。にしても質素な店内で、あとは何もないに等しい。
キョロキョロするナミに男は椅子に座るように促し、目の前で両肘をつく。強制的に見つめあう体勢になる。

「お酒と会話があれば、飾りはなーんもいらんのよ。お嬢さん」
「・・・お酒はビールとラムしか飲めない」
「ラム!たいしたもんじゃねぇか!なあゾロ!」

「昼間っから飲ますなよ、そいつら一応未成年だぞ」

奥の引き戸が開かれて、ゾロが現われる。少しホッとしてしまった自分にナミは少し驚く。

「部屋はどこだ?写真は?海は?」興奮するルフィはゾロがでてきた引き戸を開けて、2階へ続くような階段を発見するがゾロに首根っこをもたれてつまみ出された。

「まだ引越しの荷物だらけだ、まあおかげで探しやすかった」
「だらけって・・・ダンボール2つじゃねぇかよ」煙草をふかしながら蜂蜜色の男が笑う。

「すげえ!すげえ綺麗だ!」カウンターに散らばった数枚の写真は暗いところでも判るくらいに真っ青な海や砂浜が映っている。ルフィはもとより、ナミまでもが目を奪われた。

「これくれ!」
「あのなぁ、ネガがねえんだよ」
「だからくれ!」
「ルフィ、1枚しかないんだってさ。カラーコピーしてきたら?」
「そうする!」

ナミの一言で、ルフィは猛ダッシュで扉から外へ飛び出していった。
あれはきっと陸上部のエースよりも速いタイムがとれる。

「なんだありゃ」
「海賊なのよ、ルフィは」
「か・・海賊?」さすがの仏頂面も可笑しく歪む。
「なんかね、有名な占い師に言われたらしいのよ。貴方の先祖は海賊の王で、その血を引き継いでいるって。
 もともと海が好きだったから大喜びしてそれ以来、ボードとか船とか、なんでも執着してマスターしているの。
 バスケだけじゃ物足りないのよ」
「海軍でも行けばいいじゃねぇか」
片目で男がもう一度笑う。せまいガスまわりがカウンター横にあって、何やらよい匂いをさせてフライパンをふるっている。

「軍は海賊にとって敵なんだって。だから卒業したら冒険家になるらしいわ」
「なるほど、適職っぽいな」ゾロがククッと笑った。意外にも笑顔が可愛い。
「まあね、職業かどうかはわからないけど。らしいといえばらしい」
 ・・・贅沢よ。あんなに飛べるのに」

「あんたも飛べるんだろ?」

ゾロは勝手にビールサーバーから黄金の液体をグラスに注ぐと2つ離れた席にドカンと座った。
ゴクゴクと喉を鳴らす音がナミの耳まで届く。

「飛べないわよ」突然、投げられた質問に息がつまった。
「そうなのか?コーチが言っていたけどな」
「なに・・・を?」
「ん?・・・なんだっけかな」
「なにそれ」
「・・・・忘れた」
「はあ?」
「ただ、その話を聞いてなんとなくお前は確かに飛べそうだなと思ったんだけどなあ・・」
「何それ。だいたい飛ぶって意味わかってんの?」
「・・・バスケットはよくわかんねぇ」
「あ、そ」

なにかチクっとした。からかわれている気もして顔が赤くなった。

「あんまり考えすぎるといいことないぞ」
「なにがいいたいのよ」
「眉間の皺が固定してる」
「!」席を大きな音をたてて立ち上がる。
「図星か?あんなしかめっ面で校庭を走ることないだろ」

「何にもわからないくせに!」
「・・・・」
ナミは少しだけ震えた声で続ける。
「年下だからって!生徒だからって何よ!バカにしないでよ!
 私のことなんで何にも知らないくせに!」

はいそこまで、とサンジがヒヨコのような美しい黄色いオムライスを2人に差し出す。


「帰る。お邪魔しました、ゾロ先生」

わざとらしい台詞にゾロの眉が動く。けれど止めもしない。

「まあまあ、まだ海賊が帰って来てないし、4人分の飯も作っちまった。
 食べてもらわないとゴミ箱行きだ。食いもんと女は粗末にすると地獄へいくんだぜ?」


結局、無言のままルフィを待たずにオムライスを平らげると(びっくりするほど美味しかった)
ナミはお礼だけ告げて扉を閉めてでていってしまった。
きっとルフィはコピー機を壊して、コンビニで騒いでいるに違いない。待っていても無駄だったのだ。


静まり返った店内で、2杯目のオムライスにがっつくゾロに幼馴染のサンジが色気のあるため息をつく。

「いいね」
「なにが」
「瞳がいい。なかなかお目にかかれない色をしてるね〜」
「手だすなよ」
「なんで」
「馬鹿、俺の職場なんだぞ」
「それだけか?」

皿をつつくスプーンの音がとまり、ゾロがサンジのにやけた口元を睨む。

「アホか。どんな女かもわかんねぇのに」
「俺は一瞬で心奪われたけどな〜。
 わかんないふりをしてんのはお前だろ?」
「どつくぞ」
「へーへー、そうだビール代レジに入れとけよな。2杯分」

「あ!」
「?」
「思い出した」
「なにを」
「いや・・ ごっそうさん」

だからビール代払えよ、というサンジの突っ込みもむなしく、頭をかきながらゾロは階段を上っていった。




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(2005.10.21)

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