耐え難くも甘い季節 〜もうひとつのMy way
            

MOMO 様






第二章



あの日から二週間が経っていた。

短期の臨時職員だからといって、なんやかんやと雑用や事務作業を頼まれている。あわただしい時間が過ぎて帰れば寝るのみの生活が続いていた。恩師であるゲンの頼みでもあり、ちょうど資金も必要だったゆえに引き受けたのが運のつきだった。一部の女子生徒が周囲をウロウロするし、それを見て何が気に食わないのかいらぬ喧嘩を売ってくる男たちも多い。すでに、あまりしつこいので額を軽く叩いたつもりが吹っ飛んでしまいゲンに散々どやされている。ゾロにとっては迷惑を通り越して憂鬱な出来事だ。

あの真夏の日もゲンに呼び出されて、この仕事を受けるかどうかまだ心のどこかで悩みながら正門をくぐった。
もう臨時教師という仕事は自分にとっては資金繰りの術でしかなくなっていたので、どこかでケリをつけるつもりでもいた。
悩むなんてことは自分の身体にあっていないのはよく分かっていたので、目についたプールでひと泳ぎをしようと思ったのだ。帰りに区民プールでも寄ろうと思っていたので準備が整っていた。

そこで彼女を見つけた。

あんなに真剣な顔で走る女を生まれて初めて見た。
誰もいないはずの校庭をただ黙々と走り続ける。遅いとも速いとも言えないそのスピードとフォームでランナーではないことだけはわかったが、なぜあんなに夢中な顔をして走っているのかだけが気になった。

けれどもその後に、自分の不注意を指摘してきた彼女の顔はさきほどとは別人で、さらにあまりにも生意気でなにか先ほど見た姿は幻だったのかと思わせたくらいだ。別にがっかりとかそういう類の気持ちではなかったけどどこかで熱が冷めていく感覚でもあった。それはきっとプールのおかげだと思うことにしたのだ。
教室に入った時も、爆睡していたオレンジ色の髪の毛をすぐに発見したがとくになにも心は騒がなかったし、その後にとんでもない流れで下宿先にまでやってきた彼女にもどうも火が消えた蝋燭のような印象しか残らなかったのだ。

今朝までは。



「おい、ポカリ買って来いよ」
「あ?」
「てめぇ、いつもロクな返事しねぇな。こんな飲んじゃ、今日の営業開始まで耐えられねえだろ。
 アルカリイオンを補給すんだよ」
「なんで俺が」
「ビール代も払わねぇ奴に何言われても聞こえねぇ。ナミちゃんも連れてこない役立たずが!」

完全に八つ当たりだった。浮気がばれて年上の女に振られた久々のサンジの失恋酒につきあって、気がつけば夜明けだった。
カウンターにつっぷすサンジがあまりにも気の毒で、ついでに涼しい風を受けに外にでた。
いつまで経っても周辺の地理が理解できず、ここだと思ったところにコンビニがなく、あてもなくウロウロしてしまう。
しまいにはここがどこかも分からなくなっていた。

途方にくれて、仕方なく元来た道を戻ろうとしたときにバシュっというボードが叩かれたような音がして辺りを見回した。 そして見つけたのだ。 またあのオレンジ色の髪を。

しっかりと身体のラインに沿った黒のタンクトップに生成りの短パン姿。
この涼しい早朝にすでに大量の汗をかいて、何度もロングーシュートをうち、勢いのあるドリブルからゴールに吸い込まれるように身体を飛ばしてボールをバスケットへと流し込む。
ただただ繰り返し、何かを確かめるかのようにそれは続いた。見ているかぎり、1本もはずしていないことがゾロには驚異的だ。
あの顔は間違いなく、陽炎ののぼるトラックを走っていた女の顔だった。

ーナミはな、おそらく日本で唯一ダンクが決めることができる 女子バスケット界の金の卵なんだよ。

ゲンが言っていた言葉をすぐに思い出せなかったのは「ダンク」というのがどういうものなのか頭に浮かばなかったからだ。
気がつくと、コートを夢中になって翔けるナミの姿から目が離せなくなっていた。


「コホン」

「・・・?」


そして、背後からの咳払いに気がついた時にはもう遅かった。






****




「ゾロ、今日カラオケ行くんだけど〜。いかな〜い?」
「行かねぇ、さっさと帰れ」
「なんで!超つまんない!じゃあ飲みに行こうよ!」
「言ってる意味わかってんのか?」
「えー!わかんなーい!あはは!」

俺もわかんねぇと心で呟いて、うるさい茶髪のハエ達を追い払うと職員室へ逃げ込んだ。

もう散々だ。今朝は警官に不審者と思われて散々職務質問され、しまいには酒気帯びだと説教された。
ようやく解放された時にはナミはいつのまにかコートから引き上げていて、また幻だったかと思った。

その幻の人物が自分の机の前で、待ちくたびれていた。

「・・・・」
「忙しいのね」
「この学校は敬語ってもんを教えないのか」
「生徒も先生を見る目をもっているってことよ」
やや納得してしまう自分が悲しい。

頼まれた山のような印刷物を机におろし、幻かどうかを確認するためにナミをみた。
もちろん黒のタンクトップではなく、洗いざらしの白コットンシャツにジーンズ、そしてオレンジの髪にパールのピアス。くやしいが認めざるおえない。
私服で派手目が多い女生徒の中でも抜きん出て美しくみえる。


「何か用か?」
「あたりまえでしょ」

今朝の出来事を口にだされたら、なんと言い返そうとも思ったが予想ははずれた。

「?なんだこりゃ」ベージュの封筒が差し出される。
「写真。海の。ルフィから預かってたの忘れてた」
「ああ、俺も忘れてた。なんで本人がこないんだよ?」
「行っちゃったのよ」
「は?」
「あんたのせいよ。ビビが泣いちゃって仕方ないんだから、どうにかしてよ」
「行ったって、まさか・・・」

「そうよ、沖縄。一昨日からね」」

ルフィはもう我慢ができなかったらしい。祝日の多くなった制度をいいことに明日からはじまる4連休を待たずして飛行機に飛び乗ったのだ。いまごろ波照間の海を潜りまくっているに違いない。

「ルフィはね、あれでも男子バスケット界のホープなのよ?
 今度の連休は全日本ユースの強化合宿に参加予定だったし
 その後にビビとのデートの約束もしていたのに。それをすっぽかして・・信じられないわよ」

「それでも・・・行きたかったんだろ?」
ゾロは受け取った写真を引き出しにしっかりと入れると、黙々と雑用作業をはじめた。


「・・・・」
「お前がバスケをやりたいって気持ちが抑えられないのと同じだろうが」
「・・・何よそれ」

「あいつにとっての一番はあいつ自身がよくわかってるんだよ。周りがとやかく言うもんじゃないだろ」
ナミは押し黙ったまま、くびれた腰に両手をそえて考えている。

「余計なこと言うなっていってるの?なんであんたにそんな事言われなきゃいけないのよ!」

「ルフィはお前自身じゃないんだよ」

「!」

「飛ばせてやれよ、どこへでも」

その途端に自分の目の前がコーヒー色の景色に変わった。手元のプリントもすべて茶色に染まる。

「・・・・」
「最低。偉そうに」

見上げれば自分の竹林柄のマグカップを頭上で真逆さまにしたまま握り締めているナミがいる。
幸か不幸か周囲は気がついていない。

「てめぇ・・・」
「このマグも最低の趣味!そりゃそうよね、朝から職務質問されるくらいの人だものね!」

そう吐き捨てて、走り去るナミまでもがコーヒー色に見える。いまだ雫が額から流れ落ちてくる。
一度だけ、サンジが自分の店で女にこういう事をやられていたが、まさか自分が体験するとは思ってもみなかった。

「お前は言いすぎ、ナミはやりすぎ。今のは、おあいこだな」
隣で黙って見ていたゲンが呟いた。

「で?職務質問ってどういうこと?」
「・・・・」


そこからまた1時間、ゾロはみっちりとしぼられることとなる。






****




「あ・・・」
「?」



青みがかかった長い髪が屋上の風にあおられて横になびく。
ビビという綺麗な顔をした肌の白い生徒が自分を発見して、凝固している。

互いに気まずかった。

3時限目の真っ最中で、かたやサボリの生徒、かたや喫煙中のサボリの教師。


「ち、ちくったら、私もちくりますよっ!」
内股でびびりながらも、しっかり脅迫している。手にはやけ食いなのかメロンパンを3つも抱えていた。

「別に。そういう気分の時もあるだろ」
「え?」
ゾロは煙草の煙を天の入道雲へと昇らせる。両腕を鉄柵にひっかけて自分も空を仰いだ。

なんとなく危険ではないとわかったのかビビは隣に立つと一緒に柵に寄りかかった。

「今朝」
「・・・あ?」
「ナミのプレー見たんですよね?」
「ああ、まあ・・・」
「彼女怒ってましたよ、ストーキングされたって」
「ぶっ殺す」
「え?」
「なんでもない、あれはただ偶然通っただけだ」
「・・・どう思いました?プレーを見て」
「どうって・・」

言葉では難しいと思った。ただ、何か胸を熱くさせるような力を感じたのは確かだ。
プロでもアマでもスポーツ選手には極稀にそういうオーラをだす者がいる。
それは技だとかスピードだとかそういうものとはまた違う、気を感じるのだ。
ナミはそういう「気」がある。恐らく無意識に人を惹きつける力をもっている。
それが感動につながり、人の脳裏にいつまでも焼きついていく。

「食べます?」ゴニョゴニョ迷っていると、メロンパンを差し出された。
「いや 甘いのは苦手だ」
「素直な人ですね」
「そりゃどうも」

ビビは校庭ではじまった体育の様子を眺めならが、甘い菓子パンにかぶりついた。
泣いているわけではないようだが、少し鼻をすすって「甘い」と渋い顔をしている。
女のやけ食いにしては可愛い。

「バスケって本当はよくわからないんだけど、ルフィもナミも楽しそうにやっているのを
 昔から観ているのが好きだったんです。特にナミのプレイを見ていると、
 まるで自分がそのコートの上に一緒にいるみたいに興奮して、涙がでそうになるんです」
「・・・・」
「変ですよね」
「いや、別に」
「素人の私でもわかるんですよ?ナミは凄いセンスがあって、人の何百倍も努力している。
 だからきっともっと大きな舞台へいく人なんだなぁって」
「事故の前までは・・か?」
ビビは、一瞬メロンパンを食べる口を止めた。

「知ってるんだ」
「まあな」

2本目の煙草に火をつけた。サンジのを拝借してきたから好みではないが、この際なんでもよかった。
始業式の日、ナミが職員室からでていった後。ゲンから聞かされたのは数ヶ月前に起こった交通事故の話だった。
ロードワーク中のナミは幼児をかばって、バイクと接触した。バイクはそのまま逃走し、幼児は無傷だったがゲンが病院に着いた時、ナミは泣き叫び発狂寸前で医師に鎮静剤を打たれる直前だったという。

ー復帰は90%無理

それが医師の回答だった。
中学時代から負けなしでチームを全国大会まで導き、高校でもその才能は花開き続けた。

1・2年続けての全国連覇でバスケットボール協会は、未来のエースに確実に標準をあわせていた時期だった。
事故は小さく新聞のスポーツ欄に載ったほどで、巷での騒ぎも相当だったという。
ゾロがこの学校にきたのはそんな騒ぎがようやく収まり、長期リハビリを終えたばかりのナミが今後どうするのかという小さな噂が残っているだけだったのだ。

『10%の希望は渡米して、有名な医師の手術を受けること。ただ失敗すると普通にスポーツをすることも難しくなるかもしれん』

ゲンは渋い顔で強い煙にまかれながら続けた。

協会は諦めなかった。オリンピック出場も決まって更に目指すは4年後、今の女子バスケット界にはナミがどうしても必要なのだ。すべての費用を支援金としてだすとまで申し入れてきた。それがあの紙切れだ。


「ナミはただバスケをやりたいだけなんです」
ビビは残ったパンくずをスズメにやりながら、ポツンと呟く。
「みんながナミを縛り付けて、どこへも飛べなくしているみたいで・・・」
「どうかな」
「え?」

「一番縛り付けているのは本人だろ」
「・・・・」
「だって怖いじゃないですか!もし失敗したら!」
「無駄」
「?」
「まだ失敗してねぇんだ。考えても無駄」
「それは・・そうだけど」
珍しく何も縛っていない青い髪が彼女の顔を覆い隠した。

「ルフィ」
「え」
突然、気にしている名前を出されてババッと顔が赤くなる。ひどくわかりやすい。
「悪かったな、火に油をそそいで」
「か、帰ってきますから・・平気です」
「一緒に行けばよかったじゃねぇか、とっつかまえて」
「・・・・」
「ん?」
「先生、凄い」
「?」
「考えもしなかった・・・」

キョトンとした顔のビビがあまりにも可笑しくて、ゾロはおもわず噴出してしまった。

いつのまにか入道雲は赤く染まった夕日をうけて、なだらかに横にのびる積雲に変わっていた。






それからの日々。
ナミに声をかけることもなく、むこうが話しかけるわけでもなく、何てことの無い毎日が続いた。
ただ、帰りがけに体育館の扉から見えるバスケ部の練習にナミの姿が時折あることと、

なんどか休日に川沿いで走りこみをするナミと自転車でついて走るビビを見かけたぐらいだった。

毎日のように会ってしゃべるのは真っ黒に日焼けして沖縄から戻ってきたルフィぐらいなものだ。

彼は誘いもしないのに、開店前のバーへおしかけて、何故かまかないをゾロとサンジと食べながら海の話やバスケの話で勝手に盛り上がっているのだった。

「そうだ!ゾロ聞いたぞ、波照間で学校を開くんだってな!」
ゾロはブホっと鮭チャーハンを噴出して、サンジに殴られた。

「おま・・・誰に」
「島に行った時にな民宿のおっちゃんにゾロの事を話したら教えてくれた!...名前は忘れた」
「大体誰だか想像はつく・・」
米をかきこみながら、卵スープを流し込んだ。

「すげぇな!どんな学校にすんだ?俺も冒険の途中にたまには入学してやるよ!

「あほ、まだまだ先だ」
「先でもいいじゃねぇか〜 お前ケチだな」
「ルフィ、お前はそこで教師でもやれよ」サンジが食後の一服に酔いながら笑った。
「てめぇも余計なことぬかすな!」
「ニシシ、それもいいな。海賊の勉強なら教えられるぞ」
「・・・結構だ」
ルフィは本気だった。卒業と同時にカリブで海賊の歴史を調べるところからスタートさせるらしい。
ゾロもサンジも、少年じみたこの男の将来が何故か楽しみで、飽きもせずにルフィの話を聞き続けた。
自分たちに欠けてしまっていたものを、ルフィは山ほど持っている気がしたからだ。



「ナミ、決めたらしい」

帰り際、ゾロにポソッと洩らしたのはナミの名前だ。

「手術か?」
「うん、あいつ色々考えすぎんだよな!強がるわりにビビリ屋なんだよ」
「・・・」
「でも、わかるんだ。失敗してバスケができなくなったらって思うのは」
「信じるしかねぇだろ」
「そうだよ?そうなんだけどな、もうチームの奴らと一緒にコートを走れないって思ったら、
 やっぱ俺もキツイ・・・。痛いほどわかる」
「ルフィ、お前?」

彼の黒い瞳の奥を見た。そこに映っているのは自分のはずなのに何故かオレンジ色の髪がちらつく。
ぴょんと店から飛び出て、星空を見上げたルフィの口からはもう白い息がでる。
そんな季節になっていた。

「あいつ、あんまし笑わなくなっちまったけど。笑うとすげえ可愛いんだよ」
「・・・」
ビビが聞いたらまた泣いてしまいそうなセリフだ。
カナリア色のトレーナーでフードをすっぽりと頭にかぶった少年は、例のごとくニシシと笑う。

「波照間から帰ってきたらさ、いきなり殴りやがって。世界でもどこでも飛んでいけって言うんだよ。
 散々バスケやれってうるさかったクセにさ、いきなり母親みたいなこと言い出すから調子が狂った」
「そうか・・・」
「でも殴った後にほんのちょっとだけ笑ってたから、まあいっかって思った」

お得意のジャンプで大樹の枝の葉をパシっと叩いて、そのまま走り始める。
その背中を見送っていたら、一度だけ振り返って大声で叫んだ。

「そういや、ビビが言ってたぞ!ゾロは悪い奴じゃないってさ!」
「じゃあ誰が悪い奴だと思ってんだよ」
「ヒヒ、分かってんだろー?」

すでに遠く小さく消えていった海賊にため息をついて、再びカウンターで飲みなおす。


「金払うから、何か作ってくれ」
「気持ち悪いこというな」サンジがリキュールのビンを拭きながら慄いた。
「なんだか、年下にからかわれているのが分かって腹が立った」
「っはは!そりゃいいや!」
「・・・なんだよ」
シェーカーを振るのが面倒なのか、スタンダードなジンライムがでてくる。

「お前はな、無意識にもめごとを避ける癖がある。昔っからな。
 そんなんじゃ、南の島に学校作ったってすぐに潰れちまうぞ」
「・・・あの島のガキ達はもっと素直だ」
「ばーか。人間の深層心理なんて万国共通なんだよっ」

氷水をピッとかけられて反論しようとしたが、言葉がでてこない。
かわりに一気にジンを身体に流しこんで煙草に火をつけた。



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(2005.10.23)

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