バスタイムは1時間。
ローズの香りの入浴剤を入れたバスタブにしっかり浸かって全身の毛穴を開いて汗を出し、洗顔はよく泡立てて
ゆっくり包み込むように。髪は水分を失わないようにトリートメントは欠かさない。ボディソープはエステで勧められたものを惜しみなく使い、全身を隈なく専用スポンジで洗う。

バスタイムが終わったらバスローブに身を包んで髪を十分にブローした後、フェイス・マッサージ。その次には身体にボディ・オイルをたっぷりと手で擦り込む。


ここまでが、女優の仕事。





何もいらない  −1−

            

プヨっち 様


ナミはパジャマにカーディガンを羽織り、よしっ、と呟いて冷蔵庫からビールを2本取り出した。そのままベランダに出て、3月上旬のまだ冷たい夜風にあたる。

隣の部屋のベランダには、ゾロがいた。


「お?いいモン持ってるな。1本くれよ」

「何よ、自分で持ってきなさいよね…1本1000ベリーよ」

「なんで3倍の値段なんだよっ!」


そう言いつつも今そこにあるビールの誘惑に勝てず、ゾロはビールに手を伸ばした。


ナミが田舎でスカウトされたのが高校2年の冬だった。
それからトントン拍子で話がまとまり、高校3年生の春からは芸能活動を始めた。名前が売れてファンが増え、ドラマやCMに起用されるのは時間の問題で、あっという間に本格女優としての地位を確立させた。

一方ゾロは元々田舎でナミの家のお隣さんで、家族ぐるみの付き合いが続いている。1つ年上のゾロはナミのデビューと同じ時期、つまり大学進学時にアパートを決める時も、「ゾロが隣なら安心だわ」というナミの母親の言葉に従って4年間、少々高い家賃に我慢してきた。この春から、スポーツ新聞社で記者として働くことになっている。


ずっと隣で生活し、お互いのことはよく理解しあっていた。
高校生の頃などは付き合っているのではないかという噂も立った。
ナミがデビューし、ゾロが大学生になってからも一緒に遊びに出かけたり飲みに行ったりもしている。
ナミもゾロも、自分の気持ちに気づいていないわけではない。
しかし、1人きりで互いの部屋を訪れることは無いまま…ハッキリした関係になることは無いまま、ここまで来てしまった。
仲のいい幼馴染という関係が壊れないように、と。


「ゾロももうすぐ卒業ね。新聞社の研修はもう始まってるの?」

「あぁ、まぁな…4月からの部署も決まった」

「へー、どこ?やっぱり剣道とかの武道系?それとも、野球とか?」

「それが…芸能になっちまった」


言いにくそうに、ゾロは少し顔を背けてビールを煽った。


「げ、芸…能…!?」


コクリ、とゾロは頷く。ナミは信じられず、呆然としていた。

あんだけ、学生時代に剣道一筋できたゾロなのに…せめて他のスポーツを担当すればそれはキャリアになるだろうけど。
よりにもよって、芸能だなんて!


「ねぇ、アンタはそれでいいわけ?納得できないでしょ?」

「当たり前だ!けど、もう決まっちまったモンは仕方ねぇ。同期も希望通りの部署に行けた奴は、ほとんどいねぇからな」

「そりゃ、そうかもしれないけど…でも、そうなったら私たち…」


敵同士みたいになっちゃう、と言いかけてやめた。
ゾロが望んでそうなったわけではない。
少し落ち込みつつも現実に向かい合うゾロを見て、これ以上言えないとナミは思った。


「心配すんなよ。ナミの隣に住んでるとか言ったことねぇし、お前は別にスキャンダル起こすこともないだろ。お前から何か聞きだしたりもしねぇ」

「う、うん…」


ゾロがそう言うからには、仕事で自分を巻き込むこともないだろうと少し安心する。これまで浮いた噂など特に無いまま女優を続けてきたナミにとって、不用意なスキャンダルは身の破滅にもつながりかねないのだ。

しかし、それだけではない。
芸能記者というのは、芸能人の私生活に土足で踏み込んで、それをある事無い事面白おかしく書き立てる。世間に顔を出す商売をしているのだからある程度の覚悟は必要であるが、これまでもこの世界の友人たちが何度もその犠牲になっていた。それが原因で仕事に支障の出ることも多々ある。ナミは芸能記者を、芸能人に集るハイエナのようなものだと思っていた。

まさかゾロが、そのハイエナになってしまうなんて。


「ま、早く記者として認められて、いずれ武道関係の記事書けるように頑張るしかねぇよな」

「無理、しないでよね」

「あぁ、お前ももうすぐ夏ドラマの仕事あるんだろ?頑張れよ」


おやすみ、と言ってゾロは部屋へと入った。
風が急にまた冷たくなった気がして、ナミも部屋に入る。

見知っている芸能記者たちの顔を思い浮かべてゾロと並べてみるが、どうもしっくりこない。

そう考えているうちに時刻はもう1時を過ぎていた。明日は朝から雑誌の撮影の仕事が入っている。
できる限り睡眠を取るのも仕事のうちだと、ナミはベッドに潜り込んだ。


**********************************************


「えーっと、今日はまず夏ドラの打ち合わせで、その後に‘くれはの部屋’、そんで夕方から‘クイズ!ヘキサボン’。ナミなら優勝できそうだな」


マネージャーのウソップが車を運転しながら助手席に座るナミに今日の予定を確認する。
ウソップは昨年の秋からナミのマネージャーをしているが、歳も近く話好きで気が合う男である。


「おい、どーした?体調悪いか?」


返事をしないナミに、ウソップは気遣わしげに問う。
ナミはぼんやりと窓の外を眺め、ふぅ…とため息をついた。


「ううん、大丈夫。くれはさんに会うの、久しぶりだし楽しみだわ。ヘキサボンはちゃんと頑張ってくるね。ボンちゃんも元気かな…」

「ならいいが…この頃、少しぼけーっとしてるからな。これから行く打ち合わせ、大御所も集まるからヘマしないように頼むぜ〜?」

「誰に向かって言ってるのよ!あんたの鼻のほうがよっぽど先方に失礼でしょ」

「なんだと、テメー!」


いつものやり取りに、ウソップは安心して鼻歌を歌いながら運転を続けた。


5月も中旬に差しかかろうとしている。
相変わらず女優としての仕事は順調で、マネージャーや事務所にも恵まれ、共演者たちともうまくやっていた。

…ただ、ずっとゾロの顔を見ていない。


ゾロは4月から本格的に仕事を任され、遅くまで帰宅できなかったり地方出張に出かけたりと新入社員とは思えないほどの仕事をしていた。
たまにメールで連絡をするものの、声すらずっと聞いていなかった。
ただ、ゾロのしている仕事が人気アーティストのコンサートの取材だったり、新人アイドルの宣伝記事だったりとナミが考えていたようなものではなかったので安堵していた。


ナミが出演する夏の連続ドラマは、売れている若手俳優・男女3人ずつを中心に恋愛と友情をテーマに描く青春ドラマである。
ナミにとってはじめて共演する俳優も多く、話題になること間違い無しのこの仕事を絶対に失敗するわけにはいかない。


「はじめまして。ジュリー役のナミと申します。どうぞよろしくお願いします」


にっこりと簡単な自己紹介を済ませ、改めてプロデューサーや脚本家の顔を確認した。

初めての打ち合わせは和やかに、短時間で終わった。


「ナミ!久しぶりだなー」

「ルフィ!元気だった?って聞くまでも無いか…元気そうね」

「しししっ。また一緒に仕事できるな!」


そう言って人懐こく笑うルフィは、痩せの大食いタレントとしてデビューした後、特に演技が上手いと言うわけではなかったが人を惹きつける魅力で人気急上昇中の俳優だ。楽屋にはいつも10人前の弁当とお菓子などが置いてあるとの噂は間違いではないらしい。


「んもぅ!サンジさんったら。いつもそうやってからかうんだから…」

「からかってなんてないさ〜。ビビちゃんの為なら俺は何だって…」

「あ、コラ!サンジ!ビビにちょっかい出すなよ」

「なんだと、この全身胃袋野郎…あ!!んナミすゎ〜ん!」


共演者のビビとサンジが、ナミのほうへ歩いてきた。
サンジは意味なくハートを飛ばし、一見して巷で言われているような渋い若手俳優とは思えない形相である。


「えっと…はじめまして。よろしく、サンジくん。ビビも久しぶりね!」

「あぁ、貴女の美しさはTVの画面じゃ伝えられないほど輝いていたんだね…さっき会議室に入ってきたとき、眩しくて俺は目を開けていられなかった…!」

「あ…はは。じゃ、ずっと目を閉じててもいいわよ」

「ナミさんがそう仰るなら〜v」


こういう軽い男はちょっと苦手だ、とナミは適当にあしらった。
サンジはめげずにまだ色々と言っていたが、残りの共演者に挨拶すべくナミは顔に女優スマイルを作った。


残りのメインの2人は、異例の新人オーディションで抜擢されたコニス、そして子役の頃から芸歴は15年以上で最近更に人気の上がっているエース。
新人ということでガチガチに緊張しているコニスだったが、フレンドリーな他の5人と会い、いくらかリラックスしていた。


ナミは楽屋で一通り渡された台本を黙読し、ウソップに呼ばれてから次の仕事場へ向かった。




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(2004.07.09)

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