Pussy Cat’s Monologue   ―後編―

            

真牙 様



影が過ぎった――そう思った瞬間、クロオビとチュウ、ハチの身体は高々と宙へと舞い上がっていた。

三つの塊と化したかれらは放物線を描き、派手な音をたててそのまま街路樹脇の茂みの中へと吸い込まれた。
強かに身体を打ちつけられ、かれらはすぐには立ち向かって来ようとはしなかった。


「こんな子供相手に、でかいのが寄ってたかって何やってんだ!!」

激しい怒号が辺りに響く。

そこには、翡翠色の瞳に紅蓮の炎を宿したゾロが仁王立ちしていた。



(ゾロ・・・? ああ、ゾロだ。ゾロが、助けに来てくれた・・・!)

出血で半ば朦朧となった視界に、真っ向からアーロンを睨んでいるゾロが映る。
アーロンは彼女の肩口に牙を立てたまま、喉の奥で唸った。

「文句なら聞かねぇぞ! ガタイの差に物言わせてこんな子供いたぶるてめぇらに割く同情なんざ、俺は持ち合わせちゃいねぇからな!!」

固められた拳の鉄槌がアーロンの脳天に振り下ろされ、それにはさしもの無頼漢も堪らず口を開いた。

「――どこへなりとも失せやがれ!!」

ゾロはそのままアーロンの襟首をわし掴み、先刻の3大無頼漢と同様歩道の植え込みの方へと投げ飛ばした。

アーロンは投げられ際、最後の抵抗とばかりにゾロの手に爪を立て、投げられる勢いも相まってゾロの腕に大きな傷を残していった。

「・・・ちっ」

時計を着けていない右手だったことも災いし、傷は手の甲から肘の少し下までの引き攣れた痕跡を残した。


「おい、大丈夫か?」

はっと我に返り、ぐったりと石畳に横たわる彼女をそっと抱き上げる。

彼女を撫でる度、じくじくと血を滲ませる傷が視界に映る。彼女は申し訳なくて声も出なかった。

せめてもの謝罪の印にと、彼女はそっと口許を寄せてその傷口に舌を這わせた。

一連の所作にこそばゆさを感じたのか、ゾロは小さく肩を震わせた。

(ごめんなさい、ゾロ。そんな怪我までさせて・・・)

ゾロの腕に抱かれた目尻にうっすらと涙が滲む。大丈夫だと言わんばかりに、その大きな手は彼女の頭をそっと撫でた。

「お、おいゾロ、腕大丈夫なのか? その、もう行かねぇと遅刻すんぞ・・・?」

友人の言葉をあっさりと躱し、ゾロは彼女を抱えたままくるりと踵を返した。

「あー、一旦戻るわ。先行って、担任には上手いこと言っといてくれ」

「・・・わぁった。けど、早めに来いよ? 明日から期末試験なんだし。っとにお前って行き倒れに弱いんだからよぉ」

「放っとけッ!」

照れたのか、目尻辺りがややピンク色に染まっている。

場違いかもしれなかったが、彼女はそれを見て可愛いと思ってしまった。

ゾロはつい今しがた置いたばかりのマウンテンバイクを再度出し、器用に彼女を抱えたまま元来た道を走り始めた。





30分近く走り、ようやく辿り着いた一軒の医院の前でゾロはさっさとマウンテンバイクを乗り捨てた。

「休診中」の札が掛かっているにも関わらず、そのままずかずかと奥まで入って行く。

居間と思しき場所でお茶を飲みながら新聞を読んでいた女性を視認し、ゾロは一瞬ほっとしてから表情を引き締めた。

「お袋、ゆっくりしてっとこ悪ィが急患なんだ。ちっと頼むわ」

「ん〜? あんたガッコ行ったんじゃ・・・てまた何であんたは、そんな血塗れのコ抱えて来るんだい!?」

うんざりした様子を見せつつも、彼女の様子を瞬時に読み取った女医――ゾロの母親は、新聞を放ってさっさと腰を上げた。

「おや、どうしたんですか、ゾロくん? 学校へ行ったのではなかったのですか?」

「何だ親父、まだ道場に行ってなかったのか。ああ、ちっとトラブルがあって一旦戻ったんだ。こいつの手当てが済んだら行くよ」

そう言いながら、腕の中の患者を気遣うようにそっと頭を撫でる。父親は柔和な笑みで、彼女に「大丈夫ですよ」とだけ告げた。




診察台に寝かされた彼女は、消毒薬の匂いに落ち着かないのか無理矢理顔を上げようとした。が、そこはやんわりとゾロに止められる。

「お前は怪我してんだからじっとしてろって」

「ゾロ、あんたはさっさと着替えて来な。まさかそんな血塗れのシャツのまま、もう1回ガッコ行こうってんじゃないだろ? あんたの手当てはそれからだ」

言われて改めて見る。ゾロの胸は、しっかりと彼女を抱えて来た分かなり広範囲に渡って血が付着していた。
ついでを言えば、ゾロの右腕も鉤裂き状の傷に血がこびりついている。

(私が余計なことに巻き込まれたばっかりに、ゾロにまで怪我を・・・)

横たわったままじっと見つめていた視線に気づいたのか、ゾロは大丈夫だと腕を振って見せた。

「まったく誰に似たのかねぇ。ホントあんたと来たら、こういう行き倒れにとことん弱いんだから」

苦笑混じりに母親がぼやく。それに悪態をつきながら、ゾロは着替えるために一度診察室を出た。

「さて、あたしはその間にお嬢ちゃんの傷を診せてもらおうか」

ぶっきらぼうな言い回しではあったが、彼女に触れる母親の手にはゾロと同じ空気が漂っていた。




出血はやや多かったが、幸いなことに骨や神経に異常はなかった。表面の傷さえ塞がれば、ゆっくり動く分には支障はなさそうだった。

「お、さすが名医。もうそいつの治療終わったのか」

「当然だろ? 誰が診てると思ってんだい。ほらゾロ、あんたも腕を出しな」

こびりついた血を丁寧に拭き取り、具合を確かめて処置を施していく。
包帯を巻くほどではなかったらしく、最後に大振りの絆創膏を貼ってゾロの手当ては完了した。

「お袋、こいつ暫く預かるから昼間の世話はよろしくな。とりあえず、俺の部屋に寝かせとくからよ」

「ああ、判った。毎度だからね。ってえと、またあの器用な長鼻の兄ちゃんに迷子案内のチラシを描いてもらうのかい?」

「あー・・・それは追々考えるわ。んじゃ、後よろしくな」

(・・・そう、よね。それが当然の成り行きよね・・・)

彼女はゾロに抱えられて2階に上がり、タオルを乗せた大型のクッションに寝かされた。
室内全体にゾロの匂いが漂っていて、彼女は嬉しさの反面切なさに小さな胸を痛めていた。

(そうよ。ここは私の居場所じゃない。ここに置いてもらえるなずなんてないのに・・・)

最大の危機を、最高のタイミングで助けてもらって、傷負った身体を手厚く看護してくれたではないか。それ以上何を望むというのだろう。

自分の思考に更に落ち込みそうになり、彼女は泣きたい気持ちで柔らかなクッションに顔を埋めた。


不意に、その頭にゾロの手が触れる。

「・・・今朝は悪かったな。いつもなら6時過ぎに行ってたのに、明日から期末試験なんで今日に限って部活が休みだったんだ。もう大丈夫だから・・・ゆっくり休んで、怪我を治すことだけ考えろな?」

(いっそ、怪我なんて治らなきゃいいのに・・・!)

そんな彼女の想いなど、ゾロに届くはずもなかった。





そうして数日の時が流れる。


空が幾度となくさんざめく陽射しと恵みの雨をもたらすうちに、彼女の怪我は本人が望む望まざるに関わらず快方に向かっていた。

特に彼女がこの家に運び込まれてからの1週間は、試験中ということも相まってゾロの帰宅は早かった。

聡い耳は、ゾロが玄関を開けた音をいち早く聞きつけられたので、出迎えはいつも彼女が一番最初だった。

「おいおい、まだ完全に治ったわけじゃねぇんだから、そんなにはしゃいで無理すんなよ?」

そう言いつつも彼女を抱き上げる仕草は、極力傷に触れないようにと細心の注意が払われている。温かな手は、いつも切ないほど優しかった。

(あとどのくらい、こうして一緒にいられるんだろう。ああ、いっそこのまま時間が止まってしまえばいいのに・・・)

無論、そんな願いが叶うことはなかった。





更に2日の時が過ぎ、彼女は加減しつつも小走りできるほどに回復していた。

「うん、大分良くなって来たね。まあこれも主治医の腕のお陰と感謝しなよ、ゾロ?」

「へえへえ、口と腕は常に反比例の関係で成り立ってっかんな」

不用意な発言に母親の鉄拳が振り下ろされる。頭を抱えて悶える姿が可笑しくて、彼女は思わず肩を震わせて含み笑った。



「そろそろ――大丈夫だよな」

「ああ、もういいだろ」

何気ない言葉のやりとりに、彼女は目に見えて身体を強張らせた。

怪我は大分良くなった。咄嗟の危機に遁走できる程度には回復した。そこから導き出される結論は、彼女がここから出て行くことに他ならない。

(そう・・・よね。怪我が治ったら私がここにいられる理由、もう、ないんだもの・・・)

ふたりの前に座ったまま、じっとうなだれる。仕方のないことと解っているのに、感情の方が追いつかなかった。

二度と会えなくなるわけでも、死んでしまうわけでも、ない。

また、駅前にいればいいだけの話ではないか。
また以前のように、朝と夜の逢瀬を待てばいいだけのことではないか。

そう、解っているのに――感情は、叶うことのない願いを叫び続ける。


(一緒にいたいよ。傍にいたいよ。もっと、ずっと――いっそ、この命が尽きるまで・・・)


うなだれた目尻に涙が浮かぶ。流れ落ちることのない、全身全霊の想いの籠もった涙が。

「――ほれ」

何気なく伸ばされたゾロの手が、すっと彼女の首に触れる。そのまま何かが彼女の首に巻かれ、チリン、と小気味良い音をたてた。

「お、思った通りやっぱこの色が一番似合うな。んん、傷にも障んねぇしOKOK!」

「ほほう、お前にしちゃ上出来なセンスと褒めてやろうか」

彼女は目を瞠って、たった今自分の首に巻かれたチョーカー――首輪を見下ろした。

光沢のある淡い紅茶色の皮製のベルトで、丁度真ん中に当たる位置に鈍色のプレートと小さな鈴がついている。

プレートには小さく『ナミ』と刻印されていた。

「これでもいろいろ迷ったんだぜ? 『タマ』や『ミーコ』でも芸がねぇし、そのまま種族名呼ぶわけにもいかねぇだろ。お前の毛並み見事なくらいオレンジ色だかんな、『みかん』も悪かねぇと思ったんだが、お前をここに連れて来たのが確か7月3日だったろ? だから――記念日の語呂を拾って『ナミ』だ。どうだ、なかなかいい名前だろ?」

ゾロはそっと彼女の小さな身体を抱き上げ、こつんとその額におでこを寄せた。

(名前・・・私の名前、ゾロがくれるの? じゃあ私、ここにいていいの・・・?)

思わず近づいた顔をペロリと舐める。彼女――ナミの親愛を示す所作に、ゾロはくすぐったそうに表情を崩した。

「だからな、今日からお前はウチの一員だ。これからは怪我しても大丈夫だぞ? ここにゃ、口は悪ィが腕は確かな獣医がいるかんな。それに、この辺りはあの大ドラ野郎のテリトリーからは外れてるし。安心しろ、この近所のボスはいい奴だぞ?」

「一言余計なんだよ、馬鹿息子。でもまぁ、今まで散々行き倒れの犬猫拾ったモンだったが、考えたらこのまま飼うのは初めてだったねぇ」

母親の揶揄するような言葉に、ゾロは照れたのかぶっきらぼうな口調で言い返した。

「当然だろ。コイツは春から、俺がずっと目をつけてたんだ。気づかなかったろ、ナミ」

「『ナミ』ねぇ。いい名前なのは認めるが、これまた年頃の娘みたいな名前つけて・・・あんたもいっちょまえにお年頃ってヤツかい?」

「う、うるせぇな! 第一ナミは雌で、歳だってせいぜい生後1年はたってねぇじゃねぇか! なぁナミ、失礼だよなー? ぴちぴちの若い娘のナミと、40近いオバハンとじゃ比ぶべくもねぇっつーの!」


(ナミ――ナミ・・・。ゾロ、もっと呼んで。私の名を、あなたの声で・・・)


ナミ――全身をオレンジ色の毛に包まれた細身の仔猫は、ぐるぐると喉を鳴らしながらゾロの逞しい肩に小さな頭を預けた。

「おやおや、拾って助けた特権かい? メロメロに懐かれちまってるねぇ。それじゃあ誰かに譲ろうったってもう手遅れだね」

「だぁれがそんなことすっかよ」

細い背中を撫で、ゾロは轟然と言い放つ。

「こいつにゃ俺が名前もつけたし、首輪もつけた。もう、誰にもやんねぇよ。なあ、ナミ?」

「みぃ(うん)」

「お? お前判ってんのか? 賢いなー、さすがはこの俺が見込んだだけのことはある! 偉いぞ、ナミ!」

「みゃおう(判ってるよ、ゾロ)」

(だから、ずっと傍にいさせてね。他の娘(猫)を飼ったりしないでね――)



そうして――屈託のないゾロの明るい笑顔に、ナミは同じ相手だというのにも関わらず、二度目の恋に堕ちた。




<FIN>


《筆者あとがき》
・・・可愛いお話を目指していました、ええ本気で。
頭の中で妄想が暴走している間は、凄く乙女チックで可愛らしいお話でした。
でも、いざ蓋を開けてみれば――。
がはッッ!!(←吐血)
・・・笑って下さい。もう、見るも無残に玉砕です。
戦艦真牙丸は、広大なるネットの海にて業火の中に轟沈しました。
何が違うというんだ、こんなはずではなかったのに〜(滝涙)。
教訓:慣れないこと(設定)はするモンじゃない!!(脱兎の勢いで遁走)。



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(2004.05.04)

Copyright(C)真牙,All rights reserved.


<管理人のつぶやき>
真牙さんの投稿第4弾。新設定のパラレルゾロナミ。なんとナミは子猫ちゃん!(興奮)
猫ナミが恋する相手は現役高校生のゾロ。年相応に素直で爽やかです(笑)。
二人の逢瀬を阻む黒い影。この界隈のボス猫アーロンです。まだ若いナミにけしからぬ振る舞いに出ようとします。そうはさせるか!誰がオマエなんかに〜!
ゾロが助けに来てくれてホッとしたよ〜やっぱりこうでなくっちゃね!
図らずもゾロの家に行くことになったけど、その後も猫ナミの切なさは続きます(うるる〜)。
ゾロが猫ナミに首輪をかけてくれた時は嬉しかった!!(笑)

真牙さん、可愛いお話をどうもありがとうございましたvvv また書いてね〜。
さて、この続編を読んでみたい方はこちらへどうぞ→


真牙さんは現在サイトをお持ちです。こちら→
Baby Factory

 

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