物書き騒動記 −9−
真牙 様
そうして、更に2日が経過する。
その間も原稿は遅々として進まず、数ページ分書いては納得行かずに抹消するという悪循環の繰り返しだった。
ここに来て認めないわけには行かない。
それというのも、脳裏の一角を占めるひとりの人間のせいだった。
いつの間にか心の片隅にちゃっかりと居座り、虎視眈々とその占領区画を広げようと狙っている。
油断するとその近辺の柔らかな部分をごっそり塗り替えられ、ナミはぎょっとして身動きが取れなくなるのだ。
「あーもうっっ! 仕事にならない〜〜っっ!!」
(あンのセクハラ家政夫、眼鏡マンの猛進野郎! どうしてくれんのよ!!)
真っ白なままカーソルだけが空しく明滅するノート・パソコンの画面を閉じ、ナミはオレンジ色の髪を掻きむしって机に突っ伏した。
そこへタイミング良く、お茶を持ったテラコッタが入って来た。
盆の上で柔らかな湯気をたてていたのは、ふんわりと甘い香りのするアップル・ティーだった。
「何か、随分身悶えてらっしゃいますねぇ。そんなに煮詰まっているんですか?」
「んん〜、煮詰まってると言うか何と言うか・・・」
とても本当のことは言えないので、苦笑を浮かべてカップを受け取る。
温かなお茶が冷えた胃にじんわりと染み込み、ナミは改めて何度目かの大きな溜息をついた。
そんなナミをじっと見下ろしていたテラコッタは、やがて豪快とも言える仕草でナミの背中を叩いた。
「――ナミさん、協会の事務所へ行きましょ。そうして唸ってても、何ひとつ解決しやしませんよ」
「協会の事務所? そんなとこ行って、何がどう解決するのよ。ああ、いっそ『捜さないで下さい』ってメモ残して旅にでも出ようかしら・・・」
「駄目ですよ。来週末は最終締め切りでしょうに。ロビンさんが泣きますよ?」
(それだけはないって! にっこり笑って脅すに決まってるわ。いよいよになったら泊まり込んでくれちゃうかも・・・!)
怖い想像にますます頭を抱える。
「まあまあ、どうせ仕事にならないのでしょ? なら、少しくらい出掛けたって大丈夫ですよ」
テラコッタはそう言って、強引にナミの手を引いて車に押し込んだ。
「ち、ちょっとテラコッタさん?」
「いいからいいから。ダムの水だって、決壊しないよう小出しにしますでしょ? 問題はさっさと解決して、次の段階に移行しませんとね」
大型の四駆を運転するテラコッタは、何だかとても楽しそうだった。
事務所に着くと、先客がいるのか大型の高級車が止まっていた。
「ねえテラコッタさん、家を出る間際にどこか電話してたみたいだけど、何か急いで連絡する用事があったの? ここに来ちゃって大丈夫?」
「いいんですよ、ちょっと確認したいことがあっただけですから」
安心しろと言わんばかりににっこり笑い、車から降りたナミを事務所の方へと案内する。
考えてみれば書類はすべてロビンが揃えて代筆してくれたので、ナミ自身がここへ来るのは初めてだった。
小綺麗なクリーム色の壁に覆われた事務所は、需要に見合ったサービスをこなしているのかなかなか盛況のようだった。
入り口を潜って角を折れ、応接室と思しき場所へと案内される。
広い室内には先客がいた。
約一週間前にナミの家を訪れたコブラ社長に、長く伸ばした顎鬚を三つ編みにした丸眼鏡の初老の男、そして――翡翠色の髪をした若い男・・・。
「な・・なんであんたがここに!?」
ぎょっと目を見開いたゾロが思わず叫ぶ。
ナミは一瞬で我に返り、反射的に叫び返していた。
「それはこっちの台詞よ! あんたこそこんなとこで何やってんのよ! 新しく雇われた家で、早速何かやらかしたわけっ?」
「年配の、しかも男性の雇用主相手に俺がナニやらかさなきゃならねぇんだよっっ!」
「まあまあゾロ、落ち着いてくれないか。彼女を連れて来るように言ったのは、他ならぬ私なんだから」
「社長が? どうして・・・?」
ますます意味が判らない。
ナミは軽く眉間に皺を寄せて、一同に会した人物たちをぐるりを一望した。
「ああ、テラコッタさん、来てくれたんだねぇ」
「まあセンゴクさん。あなたが根を上げるとは思いませんでしたわ」
センゴクと呼ばれた初老の男はささっとテラコッタの手を取り、何かを切々と訴えかけるような渋面になった。
その様子を視界の隅に置きながら、ナミはじっとゾロを見ていた。
たった一週間前に別れたばかりだというのに、何だかずっと長いこと会っていなかったような錯覚さえ覚える。
長身に均整の取れた身体、三連のピアスは左耳に揺れ、短く刈り込まれた翡翠色の髪に切れ長の瞳は縁なしの眼鏡の奥に静謐な色を湛えている。
ナミの視線に気づいたのか、不意にゾロが彼女の方を見た。
が、ほんの一瞬で目を逸らし、そのままナミの方を一切見ようとしない。
それどころか、ナミの顔を見るのを避けるかのように頑なに壁の方を向いている。
たったそれだけの所作ではあったが、その時のナミにとってはひどく気に障る行為だった。
瞬時に理性を沸騰させたナミは大股でゾロに近づき、乱暴な手つきでその胸倉を掴み上げた。
「こンのボケ家政夫! この不始末どうしてくれんのよ!!」
「・・・あ? 不始末? って何のことだ」
乱暴に掴んだシャツを揺するナミを渋々といった様子で見下ろし、ゾロは顔を顰めながらようやくナミを見た。
「あんたのせいで今回の読み切りがコケそうなのよ! 全然進まないのよっ。これを不始末と言わずにどうすんのっ!!」
「はぁ? それは単にネタに詰まっただけなんじゃ・・・」
失礼極まりない言葉にナミは胸倉を力いっぱい揺すり、激しく抗議のアピールをした。
「んなわけあるかぁっ! 才能とネタの宝庫と謳われるナミちゃんなのよ! なのに書けないの! あんたが散らかしてったせいじゃない!!」
「俺が、何を散らかしたって? 片づけた記憶はあるが、散らかした覚えはひとつもないぞ?」
「散らかしたわよ! 一番とんでもないとこを!」
ナミは半ば涙目になって、懸命に呼吸を整えながら言い募った。
「俺が借りてた部屋のことか? 極力綺麗に使ってたつもりなんだが・・・そんなにいやだったのか? なら、何で俺を雇ったんだよ」
「このトーヘンボク! だから人の話は最後まで聞けって言ってるのよ! よりによって土足でずかずか上がり込んでくれて! 私のココ、どうしてくれんのよ!!」
ナミは轟然と自らの胸を叩き、ゾロの襟元を更に締め上げた。
「え・・・?」
目を瞬く暇もなく、じっと正面からナミを見つめる。
信じられない言葉を聞いたように、口の中で何事か呟きながら。
「蹴り出しても蹴り出しても、濡れたシャツみたいにべったり張りついてんのよ! こんなんで、どうやって私に仕事しろってのよ、バカ!!」
普段なら絶対に言わない言葉だっただろう。
だが、その時のナミはゾロに無視されたのだという作為に理性の箍を外され、心の澱となった部分を吐き出さずにはいられなかった。
心の奥底の方に無理矢理沈められていた彼女の本音は、本当は良く判っていたのかもしれない。
ナミ自身が、本当は何を一番に望んでいたのかということを――。
「・・・ナミ、お前凄ェ恥ずかしいこと言ってねぇか?」
冷や汗の伝う目尻をピンク色に染め、ゾロは助けを求めるように周りを見回した。
沈黙は金であることを知っている大人の3人は、照れて困惑するゾロに助け舟など出す気は一切ないようだった。
そんな周囲の様子すら既に意識にないナミは、不意に言葉を呑み込んで俯いてしまった。
「・・・だ」
「あ?」
「あんた・・・今、初めて私の名前呼んだわね。よりによってこんな時に! また土足範囲拡大してどーすんのよっ! ああもう、この不始末はどう着けてくれるわけ!?」
「――――――っ!」
ゾロは一瞬にして真っ赤になり、慌てて口を覆ったが既に後の祭りだった。
それによって、周囲の誰しもがゾロの心の奥底に押し込められた想いを悟った。
ナミの名を口にしないこと――それが、ゾロにとっての歯止めとなる、最後の砦だったのだと。
「この大バカ! こんなに自分で揺れるの判ってたんなら、最初の段階で回れ右
して
協会に帰れば良かったのよ!
だから初めに言ってやったのに、このウスラトンカチ!」
「だから、それは仕事で・・・」
どちらも説得力のない堂々巡りが続く。
コブラやテラコッタにしてみれば面白い茶番だったが、今ひとつ事情を呑み込めないセンゴクにすればさっさと退散したいところだったろう。
概ね結論が出たらしいと踏んだのか、コブラは大きく息を吐いてふたりに(ようやく)声を掛けた。
「――どうやら、ナミさんの結論も出たようですね。では、一応センゴクさんの意向を先に伺いましょうか」
穏やかな物言いに、ナミははっとなって傍らのソファに掛けているコブラを見つめた。
懐の深さを垣間見せるように、その瞳は穏やかながら有無を言わせない深淵さを覗かせている。
話を促され、センゴクは申し訳なさそうに、しかし一顧客としてきっぱりと言い切った。
「替わって頂いたロロノアさんには申し訳ないんだが、やはりウチにはこちらのテラコッタさんを寄越してもらえんかね? いや! 彼がいやだと有体に言っているわけではないんだが、その・・・四六時中怖い顔で睨まれてると、こちらとしても気が休まらなくて。もちろん、仕事振りは真面目できちんとこなしてもらったから文句はないよ? けれど、ねぇ・・・?」
「そんな、センゴクさん・・・俺、そんな表情してましたか・・・?」
「していたとも! いつも難しい顔をして・・意識はなくとも他にそう感じさせるようでは修行が足りんね」
だから、皆まで言わずとも判ってもらえるだろう?
センゴクの視線を向けられたコブラとテラコッタは、センゴクの言わんとしていることが痛いほど良く判った。
判り過ぎて怖いほどだった。
「おやおや、ようやく最近なくなったクレームだったのにねぇ。接客業の基本なんだから、最初にあれほど練習しただろう? 君の『笑顔』はどこに忘れられてしまったんだろうね、ゾロ?」
「・・・・・っ!」
(・・・笑ってたわ。ウチではあんなに、声までたてて笑ってたじゃない! それを、このおじさんちではできなかったって・・そう言うの?)
ナミは心の片隅でぼんやりと思った。
そして必死に考える。
それが一体、何を意味しているのかを――。
心の引き出しをひとつずつ確認して、ふと一番奥にこっそり隠されていた小さな“それ”を見つける。
そこには、触れるとちょっと熱を帯びていて、それでいて決して不快ではない眩暈のようなものをもたらしてくれる想いが詰まっていた。
(ああ・・・)
そっとそれを覗き見て、心地好い揺れに思わず溜息が漏れる。
(何だ、こんな簡単なことだったんだ・・・)
ナミは自分が何を一番に望んでいるかを自覚し、ちらりとテラコッタの顔を見た。
テラコッタは目尻に細かい皺を寄せ、柔らかな微笑みを浮かべて大きく頷いた。
――ナミの意向は決まった。
「・・・センゴクさんは、テラコッタさんに戻って欲しいんですよね? じゃあゾロは、返品ってことなんですよね?」
「おいこら、お前何気に失礼なこと言ってんぞ」
「ホントのことでしょ? 図星だからって拗ねないの。そうね、ウチも優秀なテラコッタさん持ってかれては仕方ないから、コレで我慢します。先刻も言いましたけど、ウチで家政婦さんにいなくなられるのはとても困りますから」
そう言ったナミの顔は、ここに入って来た時とはまるで別人のように輝いていた。
それを見たコブラとテラコッタは一瞬視線を交わし、大仰に両手を上げた。
「最初は手違いで仕方なく受け入れたが、今度はそうは行かないでしょう。それで、いいんですか?」
軽く探るような表情に、ナミは女でも惚れ惚れするような素晴らしい笑みで応えた。
「失礼と無礼と道理は、この際どうでもいいです。私はそんなこと気にしないし。世間の常識とかも、そんなのはもうどうでもいいです。ですから、このゾロをこちらに寄越してもらえませんか? ここは、私が責任を持ってきちんと面倒見てもらいますから」
「・・・いや、その日本語はおかしいだろ」
「いちいちうるさいわね! 心意気よ、文句あんのっっ!?」
ゾロの呟きに近いツッコミを一蹴し、ナミはにっこりと詰め寄らんばかりの勢いでコブラにたたみ掛けた。
コブラはわざとらしく肩を聳やかし、大きく息をついてゾロを見た。
何を言っていいものか、ゾロは言葉を失って居合わせた面々を順番に見回している。
「・・・お客様たっての『依頼』とあっては、こちらとしても最大限お応えしなくてはなりませんな」
いかにも「これは仕方がないのだ」と言わんばかりの声音に、ゾロはぎょっとなってコブラを凝視した。
苦渋の決断のような調子で語る協会の代表は、そのくせ嬉しくて堪らないといった微笑みを浮かべていた。
「では、再試用期間の一週間を経過したものと見做し、派遣する家政婦を元に戻します。――お二方とも、それでよろしいですか?」
(・・・何? 一週間って・・再試用期間のことだったの? 私ってもしかして・・・間抜け?)
ナミは一気に肩の力が抜け、表情が更に柔らかくなるのを感じた。
「こちらはそれで構わんよ。悪いね、お嬢さん。ここは年寄りの我儘と諦めて、彼女を譲ってもらえるとありがたい」
「とんでもないですわ。人生の先輩を立てるのは若輩者の務めですもの。このくらいでよろしければいつでもお力になりますわ」
(さすが物書き、言葉で“化ける”のもお手のモンかよっ)
その言葉を聞いたゾロが心底いやそうな顔をしたので、ナミはさり気なく脇腹を抓ってやった。
磨き抜かれた爪での暴挙は痛烈な一撃となったが、ゾロは立場上ここで悲鳴を上げるわけにもいかず、黙って耐えるしかなかった。
「――話は決まったね? では、ふたりとも一旦戻って荷物を取って来なさい」
「はい、判りました」
「・・・・・」
即答したテラコッタとは異なり、ゾロは未だ納得しきれていないのか返事を渋っていた。
それを視認したコブラは穏やかな笑みを浮かべ、立ち上がってそっとゾロの肩に手をやった。
「どうした、ゾロ。何か納得できないことでもあるのかね? この素敵な依頼主に何の不満があると言うんだい」
「それは、その・・・いろいろ道理的に問題はあるだろうと・・・」
「ゾロならきっと大丈夫だと、私は信じているよ。この私の信頼の根拠とするのは不服かい?」
“仕事場の最高責任者”ではなく“父親”の顔を見せられ、ゾロは絶望的な呻き声を上げた。
「残念だわ、テラコッタさん。せっかく“お母さん”みたいな人と暮らせると思ったのに」
「ええ、あたしもですよ。こんな可愛らしい娘がいたら、さぞや人生に潤いの幅が広がったでしょうにねぇ。お元気でね。機会があったらまたお会いしましょ」
「ありがとう、あなたも元気で」
そう言ってナミは、恰幅の良い彼女の身体をふんわり抱きしめた。
どこか懐かしい香りのするテラコッタは本当に母親のようで、ナミの浅はかな思惑などすべてお見通しのようだった。
(ごめんね、テラコッタさん。そして、ありがとうね・・・)
そうして、荷物を持って戻った家政婦を伴い、依頼主たちはそれぞれの家へと帰って行った。
それを事務所の玄関で見送り、コブラは大きく安堵する反面、一抹の淋しさを感じずにはいられなかった。
「社長・・・皆さん、お帰りになられたんですか?」
「ああ、そうだね。みんな・・・ゾロもどうやら『帰った』ようだよ」
ポニーテールにされた長い水色の髪を揺らし、彼女は苦笑の下に申し訳なさそうな色を浮かべてコブラを見た。
「社長――いいえ、パパ。兄さんは、今度こそ自分のために生きられるわよね?」
「そうだね、ビビ。私の親友が亡くなってその息子だったゾロを引き取ってからここまで、ゾロは何かを探して足掻いていた。家族になっていたとは思うが、それでも本当の意味でここは彼の『帰る』場所ではなかったんだろう。だから・・・元はと言えばとんでもないミスが原因だったが、案外顛末としては最高の結末だったのかもしれないね」
「ええ。どこか自分を殺して、本当に自分がやりたいことを我慢してこの仕事を選んでくれたような節があったから心配していたけれど。あの女性のところでなら、それも良かったと思える日がきっと来るわよね・・・」
ぎこちないながらも家族だった。
優しい時間も確かに存在した。
それでも、各々が自らの力で見出す“幸せ”は他人に与えられるものではないのだ。
「ところでビビちゃん?」
「なぁに、パパ?」
「書類の再チェックはビビちゃんの仕事ではなかったのかね? それでどうして10日以上も気づけなかったのかなぁ? パパはこの辺りが不思議でならないんだが」
「ああっ! パパ、それには海よりも深〜い理由が〜〜〜!」
「そうかい、理由があるのかい。じゃあ、事務所に入ってソコんところをじっくり聞かせておくれ」
「だってパパ、今兄さんの幸せを思えば瑣末なことはいいようなこと言ってたのに〜〜」
「“社長”と呼びなさい、ビビ。それはそれ、これはこれだよ」
「いや〜〜! だからそれを言ったら、コーザも同罪なのに〜〜!」
「・・・ほう? 彼にも後でたっぷり話を聞こうか。まずは君の話をだね――」
「きゃあああ! ごめんなさいパパ、ごめんなさいコーザ〜〜〜っ!」
家政婦協会の事務所は、今日も波瀾万丈な一日を送ることになった。
ナミの家まで行く道すがら、ふたりは一言も言葉を交わさなかった。
不気味とも言える沈黙は、照れ臭いのか気まずいのか今ひとつ判別ができない。
ゾロが車を車庫に納めていると、ナミはさっさと下りて母屋の方へ行ってしまう。
その背中を沈痛な思いで眺めつつ、ゾロは重い足を引き摺るようにナミを追って石畳の小道を歩いた。
「こら! 遅いわよゾロ!」
既に玄関に辿り着いているナミが、檄を飛ばすようにゾロを呼ぶ。
「へいへい・・・」
果たしてここに戻って良かったのか、その時のゾロには判らなかった。
またあんな暴挙をしでかさないという自信がなかった。
だから、配属自体が間違いだったと聞き、心底安堵してさっさと尻尾を巻いて逃げたのだ。
それが尾を引いていたのか、センゴクの家では散々な顔を曝け出してしまい、結果として呆れられてしまったのだが。
だが、コブラに――養父に言われたからといって、ここに戻って本当に良かったのだろうか。
一抹どころか、百抹くらいの心配が残っている。
玄関に着くと、扉が片方だけ開いていた。
その中のエントランスのところにナミがいて、後ろ手に手を組んだままゾロの到着を待っていたようだった。
これも仕事だと腹を括り、ゾロは改めて口を開いた。
「あー・・・何か、凄ェ間が抜けてる気がするが、ここは気持ちをリセットしねぇとな。改めて――」
「――お帰り、ゾロ」
暑い外気をこれ以上室内に入れないようにとドアを閉めた直後、ナミは不意にゾロへと1歩踏み出し、囁くように言った。
落ちたボストン・バッグの音を遠くに聞きながら、ゾロは目の前のナミの表情に心底驚いた。
それは、今までゾロが見たこともないような、艶やかな色香をまとった初めて見る“女”の顔だった。
(ああもう・・・)
ゾロは重い溜息を天井に向かって吐き出し、そろそろと視線を下ろした。
いつの間にかすぐ傍に歩み寄っていたナミが、じっとヘイゼルの瞳でまっすぐゾロを見つめている。
もう駄目だ、と思った。
ゾロは心の中で両手を上げた。
「あー・・・ナミ、その・・・ほんのちょっとだけ――抱きしめてもいいか? い、いや、別にいやならいいんだ、強制じゃねぇから! けど、その・・・」
「――いいよ」
くすっと笑い、ナミはあっさりと背中に組んでいた手を解いて差し出した。
「どうぞ? どしたの、何遠慮してるの?」
まるで子供を呼ぶように屈託なく言うので、ゾロはやや憮然とした面持ちで歩み寄り、そっとナミの柔らかな身体を二の腕で絡め取った。
あの嵐の晩に、鮮烈なまでの鮮やかさでゾロの脳裏に刻まれたナミという娘が、今己の腕の中で静かに息づいている。
その事実に眩暈さえ覚え、ゾロはオレンジ色の髪に顔を埋め、触れるか触れないかの距離でそっと唇を落とした。
腕に収めた後も、ナミはくすくすと肩を揺らし続けている。
「何を今更なこと聞いてんのかしらねぇ? いつぞやは不意打ちで、思いっ切り抱きしめたくせに」
「そ、それを言うならお前の方だろ! 人の寝込み・・お、襲っただろうが・・・」
思わず小声で言うと、ナミは仰天して一気にゾロを振り仰いだ。
「なっ・・・何であんたがそれを――って狸寝入りしてたな――っ! 男のくせに何て他力本願な奴なの!」
(先に襲っといて、その言い草の方がありなのかよ・・・)
喉の奥で呻いてみせても、そんなことはナミの知ったことではないらしい。
ゾロの腕がナミの腕ごと抱きしめているのに対し、ナミの腕はゾロの胸を抱くように背中に回されている。
その手が、いつしか何かを探るようにさわさわと蠢いていた。
初めは気のせいかとも思っていたが、あまり頻繁に背中を這い回るので故意にやっているとしか思えない。
背筋から肩甲骨まで確かめ、肋骨の具合を指先でなぞられた日には、ゾロでなくとも悲鳴を上げて逃げたくなったに違いない。
「ナミ・・・おい、ナミ! 人の身体撫で回して、一体何やってんだよっ!」
「ん? んん〜・・ん、うんうん、ん〜〜〜、ん! そうそう、こんな感じかも! OK、いいわ!」
「良かねぇ! 何がいいんだ!」
何がいいのかひとり勝手に納得し、更にナミの暴挙は止まらない。
さすがに腰から尻の方へと手が降りかけたのには驚き、ゾロは思わずナミの肩を掴んで引き剥がした。
「な、何しやがんだ! 人の身体撫でくり回しやがって、そんなに男の身体が珍しいのか!!」
「んん、やっぱいいガタイしてるなぁって思って。そうだ、ちょっと脱いで見せて。胸板とか腹筋とか、今度は前から確認したいから」
「あんだけ触り回しといてまだ足んねぇのかよっ! 家政夫にセクハラする雇用主なんて聞いたことねぇぞ!?」
真っ赤になったゾロのとんでもない暴言に、ナミはむきになって言い返した。
「失礼ね! ようやく読み切りのインスピレーションが湧いたのよ! これは取材なの、協力しなさいよ! つべこべ言わず脱げ〜〜〜っっ!!」
「嫁入り前の若い女が、ちったぁ恥じらわんかぁっ! そんなに男のヌードが見てぇのか!」
「恥ずかしいなんて言ってたら艶系の取材はできないの! って誰が全部脱げって言ったのよ、この変態っ!!」
どっちもどっちなやりとりが、その後も延々と家の中に響き渡っていた。
――こうして再び、ナミとゾロとの生活が始まる。
これからふたりの送る日常が受難の日々となるのか、歓喜の日々となるのか――。
それは、これからのふたりの在りようである。
<FIN>
←8へ
(2004.07.26)Copyright(C)真牙,All rights reserved.
<管理人のつぶやき>
ナミの家にやってきたのは、なんと「家政夫」だったー!
テキパキと家事をこなすゾロ。サンジじゃなくてゾロがしてるのがなんか不思議ー(笑)。
会ってすぐに遠慮会釈なく会話を交わすようになった二人でしたが、お互いに惹かれていくのも時間の問題でした。どちらかというとナミが押せ押せモード。寝てるゾロにキスしたり、雷の夜にはもっと抱いてとおねだりしたり。あー、こらたまらんな、ゾロ(笑)。
しかし突然引き離されて、ナミはかつてないスランプに陥るという。それもこれもアノ男のせいだ!ゾロの胸倉掴んで迫ったナミはすごく迫力があった。
例えがいいよね。「散らかしていって」って。ゾロは家政夫。片付けるのが仕事。だから「散らかす」なんてことはしてないはず。唯一しているのは…そう、ナミのハートだよね(^▽^)。
本来は家政婦としてテラコッタさんが来るはずだったから、ビビの手違いがなければ、二人は出会ってなかった。そんな奇跡のような出会いをした二人。これからどんな生活をしていくんでしょうかね?
長編連載ついに完結。真牙さん、素敵なお話をありがとうございました!
真牙さんは現在サイトをお持ちです。こちら→Baby Factory様