「先生・・・」
「ん〜? なぁに? 急かしたって原稿は上がらないわよ!?」
「それは重々判っているわ。ただ・・・」
「ただ?」
「この部屋、気持ちだけでもどうにかならないのかしら? その、女性としてもう少し恥じらいってものを・・・」
「どうにかして欲しかったら、そうやって次々仕事の依頼持ち込む間隔を離したら? そしたらどうにかできると思うけど」
「ウチがそうしたところで、他の出版社も待っているのでしょう? それに、実行したとしても本当に片づくかどうかは――」
「判ってるなら言うことないじゃない。どうせ私は片づけが下・手・よっ」
(いいえ、ここまで来ると、もう下手の一言で片づけていいレベルではないような・・・)
そう思い、担当である彼女はいろいろな資料や雑貨の散乱する室内を、重々しい溜息を吐き出しながら見回した。
「ここだけでも私が片づけてもいいのだけれど、今書いている物の資料もあるのでしょう?」
「んん、あったかな。あ〜・・・あったな、どこだっけ」
言った傍から小さなガラスのテーブルの上を物色する。
目当ての資料が見当たらなかったのか、それを放り出して隣の本の山を崩し始める。
「センセ・・先生・・・もう、ナミ先生!」
「何よ、資料を確認したいから探してるんじゃないの。ああもう、どこやったっけ〜!? ロビン、知らない?」
「なぜ1週間に1回しか来ない私が知っているの・・・」
ロビンの溜息は深く、重く、また切実だった――。
物書き騒動記 −1−
真牙 様
「そりゃあまあ、少しは片づけたりしないといけないのは判ってるけど、私本気で片づけ下手なのよ。その、仕事も忙しいし。料理もあんまり得意じゃないし、洗濯はランドリーにブチ込んで来ればいいんだろうけど、その労力も惜しいし・・・」
小休止しようと、ふたりは大きなクッションを椅子代わりに毛足の長い絨毯の敷かれた部屋の隅に陣取る。
キッチンの片隅に放置されていた盆の上には――。
ロビンの発掘して来たティーセット。
ロビンの発掘して来たスコーン。
ロビンの発掘して来たポットと紅茶が並んでいる。
美味しいお茶に満足のナミとは対称的に、ロビンの苦笑は深刻の域に達している。
「だからって、私がこの間ランドリーに持って行った洗濯物、そのまま次の籠に放置してしまったら皺になるのではなくて? せめてたたんでしまっておけば・・・」
そう言いかけ、肝心の収納されるべきクローゼットの有様を思い出してそれを言い留まる。
「・・・根本から片づけないと、とてもしまえる状態じゃなかったわね、そういえば・・・」
「そうよ。だから洗濯した物は籐の籠に、これからする物はプラスチックの大籠に。それで分けとけば、混乱はしないでしょ」
「・・・・・」
ロビンは何も言えなかった。
つい先程洗面所を借りた時に、ロビンは見てはいけない物を見てしまったように固まったのを思い出していた。
そう豪語されるナミの洗濯物は時既に遅く、それはそれは絶妙なハーモニーを奏でるように混ざり合っていたのだ。
分別以前の問題だと、ナミは知っているのかいないのか・・・。
(何て家庭的能力の欠落している人なの。文才は有り余るほどなのに・・・)
何事にも動じず、鷹揚と構えているロビンでも、この現状を目の当たりにすれば嫌でも改善策を打ち出したくなる。
その思いを後押しするのか粉砕するのか、ナミの口からとどめの一言が出たのはその直後だった。
「あーあ、この部屋も少し手狭になったわね〜。仕方がない、隣の部屋に引っ越すか」
「ナミさん・・・」
引っ越すも何も、これだけ大きな一軒家だ。
部屋数だけは異様にあるので、気分転換に仕事場を移動するのは構わないのだが・・・。
(そしてまたここに、現代の秘境が生まれるのね・・・)
壮絶なまでに散乱した部屋を見回し、ロビンはきっぱりと決断を下した。
「ナミさん――あなた、若いけれど金銭面はかなり余裕がおありよね?」
「え? あー、通帳なんかは計理士の人に預けてるんで良く判んないけど、この家はキャッシュで買えたからその筈よ。今もロビンたちがわんさか仕事くれるから、継続収入は安定してるし・・・って何で?」
「家政婦さん、お雇いなさいな。それも、住み込みでやってくれる優秀な人材を」
「へ? 家政婦? よく刑事なんかにこそっと『私、実は見たんです』なんてチクる人のこと?」
「・・・あなた、サスペンス番組の見過ぎではなくて?」
ロビンの苦笑は深い。
それでもその表情には、どこか決然としたものが漂っていた。
それを横目で見ながら、ナミは大好きなダージリンを味わいつつ思案した。
この家は、以前雑誌の対談で紹介されていたのを一目で気に入り、対談終了後に出向いたその足で購入に走った家だった。前に住んでいたマンションは、資料に占領されて丁度手狭になっていたので正に“渡りに船”だったせいもある。
郊外の閑静な住宅街の外れに位置し、景観も最高の条件が揃っている。
瀟洒な造りの建物は内外共にレトロ風で、2世帯どころか4世帯住んでも余裕がありそうな広さだった。
もっともそれだけの広さを誇りながら、現在ここに住んでいるのはナミひとりだ。
マンションにいた頃は姉と暮らしていたのだが、その姉も数年前に結婚して既に巣立って行った後だ。
ナミの周辺が散らかり始めたのは、もちろんその直後だ。
「あんた、ひとつのことに夢中になると他はまったく疎かになるんだから」
以前姉に言われた言葉が甦り、ナミは苦笑するしかなかった。
幼い頃から文を書くのが得意で、読書感想文などは全国区まで行くほどの常連だった。
その甲斐あってか、ふと思い立って応募した小説雑誌で入賞し、6年たった今、ナミは押しも押されぬ地位を確立していた。
ジャンルも幅広く、恋愛モノからサスペンス、SFにオカルト、二十歳を過ぎてからはちょっぴりアダルトチックな物も書いている。
3つの出版社から引っ張りだこなナミは、収入はあれど使う暇がないという贅沢な悩みに置かれていた。
この家に越して早3ヶ月――未だ引越しの梱包の解かれていない荷物もあり、ナミの頭を痛める原因にもなっている。
ナミはもともと家事が苦手だった。
物書きになってからというもの、それはますますいらぬ磨きを掛けてしまっていた。
それというのも、今現在『物を書く』という行為が楽しくて仕方がないからだと思われた。
昔からの情熱が消えていないのはいいことだと、その点は褒めてもいいのかもしれない。
無為に過ごすことの多いナミの世代において、この情熱の傾け方は他人に羨まれる一面も多々あるのだ。
それは、認める。
“だが、限度というものがあるだろう?”
――と、それはナミと一番懇意にしている出版社の社長の言だ。
ならば仕事を減らしてくれればいいのにともナミは思うが、それをするつもりは向こうにもないらしい。
売れっ子の作家を遊ばせるほど、商売根性が抜けてもいないのだ。
所詮その辺りは社会の何とやらだった。
その代わりと言っては何だったが、社長は一番気遣いの細かい担当をつけてくれた。
それが、10歳も年上のロビンだった。
事実彼女の采配は目を瞠るものがあり、ナミは担当だけではなく、本気で自分のマネージメントもお願いしたいほどだった。
まあ実際、時折それに近いことをこなしてくれていたりもするのだが。
16歳で文壇デビューし、その1年後にロビンをつけてくれたので、彼女とも既に5年のつき合いだ。
なので今ではすっかり私生活にも介入し、時折仕事以外でも面倒を見てくれたりする。
まあロビンにしてみれば、あまりにも生活観念の崩壊しているナミを放ってはおけないのだろう。
事実、それは8割方的を射ていたりするのだが。
(あ〜あ、家政婦かぁ。やってもらえるんだったら、ロビンにお願いしたかったんだけどなぁ・・・)
やってもらえるならこれ以上の人材はないが、ナミの思うように動いてくれるまで仕込むのがまた面倒だった。
それでも――。
「少なくとも、あなたの衣食住を100%サポートしてくれる人間は必要だわ。ナミさん、自覚はあって? 担当としてはありがたいのだけれど、あなた夢中で原稿にのめり込むと2日くらい平気で貫徹するでしょう? そしてその後音信不通になるの。これ、担当としてはもっとも怖いことなのよ。想像できるでしょう? ある日訪ねてみたら倒れて冷たくなっていました――なんて、洒落にもならないもの」
「・・・お説ごもっともデス」
ナミは苦笑した。
既に2度前科があるだけに、ロビンの言葉はいちいち耳に痛い。
それだけ心配してもらっているのだと思うと、こそばゆい気もして嬉しいのだが。
ばれたらまた説教されそうなので、懸命なナミは黙っていることにする。
「いきなり見ず知らずの他人が来ることに戸惑うかもしれないけれど、考えてもみて? 炊事洗濯掃除、この雑務からすべて解放されるのよ? しかも手馴れた住み込みの家政婦さんなら、すぐにあなたの生活パターンを掴んでスケジュールを調整してくれるようになるわ。良ければ協会の知り合いに、すぐにでもコンタクトを取る準備はあるのだけれど」
「翻訳すると、会社も楽したいから少しは人間らしい生活して頂だいってコトなのね? ロビン姐さん?」
すらりと伸びた足で胡坐を組み、そこに頬杖をついてにんまり微笑む。
ストレートな翻訳にロビンは何ら怯みもせず、にっこりと紫色の瞳を細めて応酬した。
「まあ、穿った意見だこと。悪いコね、年上の意見は素直に聞くものよ?」
ふふっと意味深な微笑みを浮かべ、ロビンは飲み終わったティーセットを片づけた。
「本当は、私がそれをしてあげたいところなのだけれど、仕事をしながらではそれも無理。だから、一番腕のいい家政婦を斡旋してもらえるよう尽力するから、それで勘弁してもらえると助かるわ」
「んんん、そんなん気にしてないわ。確かに考えてみればそうね。そうすりゃこっちも仕事に専念できるし。上手くすれば3食美味しい食事にありつけるしってね。あ、それって結構いいかもだわ、うん、確かにいい状況だわよね」
勧めた手前ロビンも少々気を揉んでいたらしい。
ナミが納得してくれたので、いつも平然としている表情が微かに綻ぶのが判る。
もともと穏やかで激昂しない彼女だが、さすがに5年もつき合えば、観察の得意なナミからすればその機微くらい掴めるようになっていた。
とうに亡くなった母の代わりのように、姉もロビンもナミのことを心配してくれる。
ありがたくもこそばゆい感覚だった。
「では、それで話を進めてもいいかしら? いいならば、2,3日のうちにここへ来られるように手配するわ」
「はーいはい、了解です。悪いわね、そんな面倒な手続きまでしてもらっちゃって」
「いいえ、ウチの看板作家のことですもの、このくらい当然でしょう? 細かい書類については後日届けるわ。それで良くて?」
「ん、その辺は信頼してる。何だったら委任状書くから、いいように采配してくれてもいいけど?」
ナミはつい先程書き上がった原稿の入ったフロッピーを抜き、ロビンへと手渡す。
ロビンはそれをしっかりと受け取り、ケースに収めてバッグへとしまった。
「はい、お疲れ様。あとはゆっくり休むと良いわ」
「んん〜、そうね。食事してお風呂でも入って寝ようかな。昨夜徹夜しちゃったし今度ゆっくりエステにでも行きたいな〜」
「ふふ、それは今度来る家政婦さんにスケジュール調整してもらえるよう話をしておくわ」
先回りしてナミのして欲しいことに応えてくれたロビンに手を振り、ナミはオレンジ色の髪を掻いて首を回した。
「あー・・・疲れた。何か中途半端にお腹一杯になっちゃったし・・・いっか、お風呂だけで」
ナミは独白すると、籐の籠から着替えを取り出し、一番手近なバスルームへと向かった。
大きな大理石仕様のバスタブに湯を張り、その間に泡風呂用の溶剤を用意する。
一仕事終えた後の、ナミの楽しみのひとつだ。
「やっぱ今日はラベンダーの香りかな。すぐ眠れるように」
手早く服を脱ぐと、すぐ近くにあった鏡の中で日焼けを知らない白い肌の娘がヘイゼルの瞳でじっとこっちを見ている。
ここ数年海に行ったことのない肌は、透き通るような白さを保っている。
不摂生をしたりもするが、そこは若さでカバーできているのかくすみも染みもなかった。
プロポーションも申し分なく、張りの良い豊かな胸も折れそうに括れた腰も、まろやかに膨らんだ臀部もなかなか煽情的だ。
ただ、本人に誘う気がないのが難点と言えば難点か。
「あ〜、生き返る〜〜・・・」
バスタブにゆっくりと身体を沈め、ふんわりと盛り上がる泡の感触を楽しむ。
優しいラベンダーの香りが勇んだ心を鎮め、柔らかくナミの心を包んでくれる。
それにしても。
「家政婦かぁ。考えそうで考えてなかったわよね。盲点だったわ・・・」
ドラマの見過ぎだとロビンには笑われたが、ナミの家政婦に対するイメージは意外に貧困だ。
(やっぱ職業は、資料を集めるなり取材するなりしないと・・・あれ? そんな資料あったかな。あったようななかったような・・えーと・・・)
つらつらと考えているうち、とろんと半開きになった瞼がそのまま落ちそうになり、ナミは危うく泡の中に埋没するところだった。
バスタブの端に組んだ足を乗せ直し、頭も凭せ掛けてぼんやりと湯気の立ち上る天井を見上げる。
「どんな人が来るんだろうな。お母さんみたいな人かな」
ナミは数年前に母を亡くし、姉とふたり暮らしだったのでその存在には少々照れ臭さがある。
しかもここ何年かはひとりだったので、誰かと生活を共にするのも妙に感慨深い。
「いい人ならいいな。ま、ロビンが探してくれるんだから、その辺は大丈夫だろうけど・・・」
ぬるめのお湯が疲れた身体にじんわりと染み、寄せては返す海辺のようにナミの眠気を誘う。
お陰でナミは、その後更に2度溺れそうになってしまった。
ふらふらする頭を鼓舞しながら、ようやくの思いでここのところ使っていた寝室へと辿り着く。
クイーン・サイズの巨大なベッドには、以前姉が淋しくないようにと贈ってくれたぬいぐるみがいくつか転がっている。
そのひとつを抱きしめ、ナミはようやく泥のような眠りへと落ちて行った。
遠くで何か音がする。
(・・・うるさいなぁ。リンゴンリンゴンて、そんなやかましくベル鳴らさなくたって私はここにいるわよ・・・)
寝ぼけた頭でナミはぼんやりと考える。
(ってベル? 玄関の!?)
思わずベッドから跳ね起きて周囲を見回す。
デジタル時計が一緒に刻んでいる日付を見れば、それは既にロビンが帰ってから二日
後を示していた。
「あー・・・1日半も眠ってたのね。道理ですっきりしてる筈だわ」
くしゃくしゃになった髪を手で撫でつけ、スリッパも履かずにぺたぺたとエントランス・ホールに下りる。
痺れを切らしたのか、もう一度呼び鈴が鳴った。
「はいはい、今開けますって。どちら様?」
無造作に鍵を開け、そのまま重厚なドアを押す。
目の前に――広い胸板があった。
「・・・は?」
ナミは思考の止まった頭でそうっと視線を上にずらした。
そこに立っていたのは、馬鹿げて背の高い、鍛え上げられた肉体を持つ若い男だった。
「あの・・・どちら様?」
一気に覚醒した脳裏を探りまくるが、この男を見知っているという情報はまったくない。
ナミは今更ながら、この玄関を開けるべきではなかったのではないかと微かに後悔していた。
だが男はそんなナミの狼狽を気にも留めず、さらりと言い放った。
「あーと、初めまして。協会から依頼されて来た家政夫のロロノア・ゾロっす。よろしく」
「――はい?」
ナミは自分のすべてが凍りついて軋んでいる音を聞いたような気がした。
悪い冗談だと思いたかったが、男――ゾロの下ろしたボストン・バッグの重々しい音が、それが現実であることを知らしめていた。
2へ→
(2004.07.15)Copyright(C)真牙,All rights reserved.
<管理人のつぶやき>
作家ナミ。物書き能力には長けていますが、家事能力はゼロであります。
部屋の惨状の描写から察するに、ここまでできないともういっそ清々しい(笑)。
このナミ、竹を割ったようなアッケラカンとした性格。アクセクしてなくていい感じですね♪
しかし、編集者ロビンはそんなナミの身を案じて家政婦を提案。しかし、実際に来たのは…。
さて、いったいどうなっていくのでしょうか?
満を持して真牙さんが投稿してくださいました。連載スタートです!