物書き騒動記   −2−
            

真牙 様



「あ、の・・・?」

ナミは上手く言葉が出て来ず、ぱくぱくと酸欠になった金魚のように何度も口を開閉させた。

それを見下ろし、ゾロはふと得心したように淡いグレーのシャツのポケットを探った。
ナミの目の前に提示されたのは何枚ものカード。

「ええと、これが協会の発行する会員登録証。こっちが俺の身元確認の運転免許証。で、これが出版社への出入り許可証。こんなモンでいいか? 写真入りだから判ると思うが」

「はぁ? え、えと、あの・・・?」

「俺が挙動不審な不審人物に見えたんだろ? 慣れてるから気にすんな。親から貰ったこの顔を卑下するつもりはねぇが、10人中10人全員初対面の奴は確かにビビって引くからよ」

平然と言ってのけるゾロは、外の暑さに辟易していたのか手で入っていいかと聞いて来た。

「あ、ああ、どうぞ」

ナミは登録証に目を落としたまま、ゾロをエントランスへと招き入れた。

(会員ナンバーに名前、協会の印も入ってる・・・うん、偽造したのではなさそう。免許証も本物だわ。ロロノア・ゾロ、27歳――あ、眼鏡してないとホントに目つき悪いわ。何か野獣丸出しって感じ。眼鏡かけると若干印象和らぐのね)

一通り目を通したので、ナミはそれをゾロへと返した。

改めてゾロを見上げ、ナミはひとり得心する。

恐怖を感じて退きはしないが、確かに暗い場所で出会ったらぎょっとして悲鳴のひとつも上げそうだ。
緑と言うよりも翡翠に近い色の短い髪と切れ長の鋭い瞳、とてもこういったサービス業に従事するとは思い難い左耳に揺れる金のピアス。
何で鍛えたのか体格も素晴らしく良く、均整の取れた身体と面差しはモデルをやってもイケそうだ。

ゾロは縁なしの眼鏡をかけた瞳で周囲を見回していたが、ふと思い出したように振り返った。

「えーと、あんたは娘だろ? 依頼主の親父は出掛けてんのか?」

「親父? ここに住んでんのは私ひとりだけど、親父ってナニ!?」

「はあっ? あ、あれ、俺の記憶違いか? 今回の依頼主はいい歳した親父だって聞いて来たんだが」

ナミも首を傾げる。
失礼な話だ。
花の22歳のナミを捉まえて、どこが「いい歳した親父」なのか。

「・・・困ったな。これじゃ倫理的に道理が通るのか? いや待て、この状況では最優先されるべき課題はコッチなわけだから。あー・・ま、いいか。仕方ない、仕事は仕事だ」

何事か暫く口の中で呟いて何か割り切ったのか、ゾロは自己完結して勝手に納得したようだった。

「じゃあ、悪いがちと案内してくれ。間取りと段取りを掴みたいんで、家ん中を一周見せてくれっとありがたい」

「え、ええ――って、ちょっと待ってよ! まさかあんたがここに住み込んで家政婦するってぇの―――っっ!?」

「そりゃそうだろ? 俺は依頼されてここに来たんだし、そっちだって手が足りないから家政夫頼んだんだろ? この状況で難儀するのはお互い様だ」

(ううう、そ、それはそうだけど。でも、よりによって男の、しかもこんな若い奴が来るなんて誰が思うってのよっっ! いや、だからっておじさんが来たらもっといやだけど・・・って、だからそうじゃないでしょ!!)

ナミは混乱しかけた頭を抱えて地団駄を踏んでいたが、ふと目に入った電話に一気に思考が動き出した。

「待って待って! 今確認するから! ええと、ロビンのナンバーは・・・」

いろいろな連絡先の入力してある携帯は、つい今し方まで休んでいた寝室に放ってある。
それになら必要なメモリーは全部入っているのだが、生憎そこまで取りに行く手間も時間も労力も惜しい。

普段からメモリー呼び出しに慣れてしまっている脳裏に、10桁近い数字が浮かぶ筈もない。
無駄な抵抗と知りつつ、ナミはオレンジの髪を掻きむしった。

「――ほれ」

見兼ねたゾロが、落ち着いた様子でもう一度胸ポケットに指を入れる。

ナミに差し出したのは、出版社の関係者以外立ち入り禁止ブースに入るためのフリーパスだった。
そこの裏には、主要なセクションの直通ナンバーが記入されている。
もちろんそこにはロビンのいる部署の番号もきちんと載せられていた。

「あ、ありがと」

普段殆ど使わない家の備えつけの電話だったが、何かあった時のために外すなとロビンが言ったことを、ナミは今更ながら思い出していた。

(ロビン〜、これが『何かあった時』だなんて洒落にならないことやめてよぉ〜〜)

ナミは泣きたい気持ちでナンバーを押した。


コールは3回で、すぐに内部の人間が出て来た。

『はい、第1編集部です』

「も、もしもし、ナミです。忙しいとこすみませんが、ロビンいますか? 大至急確認したいことがあるんです!」

『ああ、ナミ先生。今回はお疲れ様でした。ロビンですね? ちょっとお待ち下さい』

保留のオルゴールが流れ、ナミは苛々と足踏みする。
その背後でゾロは、腕を組んだまま不動の姿勢で会話の流れを見守っている。

ほんの数十秒ではあったが、その間がナミには永遠にも近い時間に感じられた。

『――はい、ロビンです。珍しいのね、そちらから連絡をくれるなんて。ナミさん、どうかしたの?』

「どうしたもこうしたもないわよ! 家政婦が来たわよ、しかもとんでもないのが!!」

『・・・? とんでもなく素敵な人が来たでしょう? 念を押しておいたから、腕の方は保証済みよ。だから安心して頂だい』

「この状況で、何をどう安心しろっての? 私の身を危険に晒して、次回の原稿がつつがなく上がると思ってるわけ!?」

『まあ元気な人だから、あなたと気は合うと思うけれど。・・・お気に召さなかったのかしら?』

「お気に召すも何も、ここに来たのはおと――」


“どんがらがっしゃ――――ん!!!”


『室長! 何をなさってるんです? ああ、せっかくファイリングして整理した書棚を・・・』

“わわ、悪い悪い! この長い足が絡まって・・ああ、それよりもう1件用事頼まれてくれんか?”

『判りました。判りましたから、室長はその書類に触らないで下さいな。これ以上、重要書類を行方不明にされたくはありませんもの。・・・ごめんなさいね、ナミさん。またこちらから連絡するわ』

「え? え? 何ロビン、この切羽詰まった状況に私を放置するの? 餌食になっちゃえってぇの!? 次の原稿落とすわよ! こら待て切るな、切らないで! ちょっとってばぁ!!」


ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ・・・。


「って、切った後かい!」

ナミは叩きつける勢いで受話器をホルダーに置いた。

(ああもう、何がどうしてこんなことになってんのよ〜〜っ!)

家政婦と言えば、歳相応の母親世代の女性と相場が決まっていたのではないのか。
それともそれはナミの偏見で、男女均等雇用法に従って採用される職種に男女の垣根も年齢も既に存在しないのだろうか。

(聞いてないわよ、そんなこと!)

頭を掻きむしりたくなったが、今更そんなことをしても目の前の男が消えてくれる筈もない。
もっと建設的な打開策を検討しなければ、ナミの今後も危ういものになってしまうかもしれないのだ。

考えてみれば、既に今のナミの格好が男を誘っていると言っても過言ではない。

一昨日風呂上りで暑かったので、大判のTシャツを無造作に羽織っていた。
そのまま少しだけ涼んでいるうちに睡魔が訪れ、そのままベッドへと倒れ込んでしまったのだ。

なので、今のナミはノーブラにショーツ、そこにTシャツ1枚という煽情的極まりない格好を男の視線に晒していることになるのだ。

(ああ、こんなことなら寝ぼけてないでガウンの1枚も着て来るんだった〜〜・・・)

既に後の祭りだったが。

そんなナミの混乱する思惑を知ってか知らずか、ゾロは深い溜息を漏らしながらがりがりと翡翠色の頭を掻いた。

「・・・で? 案内は? 勝手に見ていいってこたぁないだろ?」

「あ、あ、あんた本気でここに住み込む気なの!? 雇用主は『いい歳したおじさん』じゃないのよ? しかもここに住んでるのは、うら若き乙女ひとりきりなのよ? そこんとこ判ってるわけ、ちゃんと理解してるわけ!?」

「ああああ、判ってる。ちゃんと理解してる。俺は仕事でここに来たんだから、それ以外は規約違反になるんだよ。万一んなことになったら、俺は違約金むしり取られて速攻解雇処分だ。この業種はその辺が厳しいんだよ、プライド掛かってっかんな。だから安心しろ、仕事でいる限りあんたの身の安全は保証するから」

「“仕事”じゃなかったらナニするってのよ!!」

真っ赤になって言い募るナミの顔を見たゾロは、軽く肩を竦めただけで答えなかった。
口に出して言うのも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの態度に、ナミは更に頬を染めて激昂した。

「いいわよ、結構よ! このまま帰って、今回の契約はなかったことにするわ! それで万事解決、OKでしょ!?」

「それは困る」

玄関の大扉を指差して肩を弾ませるナミの顔を見つめ、ゾロは意外にもきっぱり言い切った。

「何が困るのよ? 契約違反だってんなら違約金でも罰金でも払うわよ。それなら協会の顔も立つじゃない」

「協会の顔は立っても、俺の立場は急落すんだよ!」

「何でよ、サボるわけじゃないじゃないっ」

「あのな・・・言っただろ、俺も仕事でここまで来てるんだって。なのに、速攻蹴り出されてのこのこ帰ってみろよ。早速とんでもないことしでかしたんだろうって、俺の信用はがた落ちになるんだよ。それでなくとも男の家政夫は立場が微妙なのに。社会人たる者、何はなくとも信用が第一だってことくらい知ってんだろ?」

ぐっと詰まる。


信用。


それはナミにとっても耳に痛い言葉だった。

2年前、締め切りを前に大風邪を引き込んでしまい、どうしても原稿を上げられなかったことが1度だけあった。
そのお陰で出版社は奔走し、その穴を埋めるのに四苦八苦したのだ。

体調管理もできないのかと社長に叱られたが、おそらくそれ以上にロビンが怒号を喰らったのは想像に難くなかった。
ほんの些細な油断が、自分のみならず周囲まで巻き込むのだと思い知らされ、ナミはいい加減寒い思いをしたのを覚えている。

「ホントに何かしでかしたんならともかく、事実無根なことで叩き出されるのは我慢がならん」

眼鏡越しの鋭い視線に晒され、ナミはむうっと喉の奥で唸った。

確かに正論だ。
ここでセクハラでも働いてくれればその抗議に正当性も出るが、生憎彼にはその愚を犯す気はないらしい。

「で、でも・・・」

それでも何とか理由をこじつけようとするナミの目の前に、ゾロは不意に指を1本立てて豪語した。

「一週間――いや、この際3日でいい。俺を雇ってみろ。その上で気に入らねぇってんなら、諦めて協会に戻ることにする。だからお前も、正当に評価しろよ? 『俺が男だから』ってんじゃ理由にはならねぇからな」

「う・・・!」

じっと見つめる翡翠色の眼光に、ナミはそれ以上否やの声を上げることができなかった。

確かに、彼の言い分は間違ってはいない。
男だという理由だけで雇用を打ち切ろうとしているナミの方が、今時の雇用情勢に逆らっているとしか言いようがない。
ここはゾロに軍配が上がって当然だった。

「・・・判ったわよ、お願いするわよ。それでいいんでしょ?」

「おう、よろしくな。えーと――」

「――ナミよ。よろしく、家政夫さん」

ナミは軽く肩を竦め、苦笑混じりの笑顔を浮かべた。
そんなナミを見てゾロは今更のようにどこか眩しそうに目を細め、耳の縁をピンク色に染めてそっと視線を逸らした。





「ええと、ここにいる間はこの部屋を使って。置いてある物も適当に使っていいから」

「ああ、サンキュ」

ゾロは肩に引っ掛けていたボストン・バッグを置くと、案内を乞うべくナミを先に促した。

階段もあるので下から覗かれては堪らないと、ナミはさっさとガウンを取りに行き、素早く身に着けてようやく落ち着いた。

それを見ていたゾロは何を思ったのか、不意に口の端を微かに歪めた。
どうやら笑ったらしい。

その仕草が気に障り、ナミは眉目を寄せて長身のゾロを振り返った。

「なぁに、ゾロ? 何か言いたそうな表情ね」

「別に。ただ、子供が自意識過剰になってるのも面白いモンだなと思っただけだ」

「失礼ね! 子供って誰のことよ! 二十歳過ぎてる女性に言う台詞じゃないでしょ、朴念仁!!」

「へ? 二十歳、過ぎ?」

それには本気で驚いたのか、にやにや風味の笑みがその表情から一掃される。
花の顔を持つナミをいくつだと思ったのか、彼女はじっとゾロの驚き顔を凝視した。

「・・・何? 私をいくつだと思ってたの?」

「いや、せいぜい18前後かと・・・その、化粧もしてねぇし。派手なオレンジ髪してる割には意外に童顔だし。あ・・・悪い、もしかして童顔って見てくれのせいで、ホントはもしかして俺より年上だったりすんのか?」

「アホ――っ! 私は22だ―――っっ!!」

ナミは思わず絶叫しながらゾロの脇腹に、痛烈な肘鉄をひとつくれてやった。



ナミはいくつも咳払いし、1階の端の部屋から順に案内を始めた。

「ええと、ここから並び3つは客間よ。って言っても私もちょっと使ったりするけど。こっちが客間用のお風呂とトイレ、洗面所。で、こっちに曲がって簡易のキッチンね。メインのキッチンはもっと奥にあるから、使うんならそっちの方がいろいろ揃ってて便利よ。ここは雑貨物置とウォークイン・クローゼット、隣は更に大物を収納する物置ね――」

ナミの案内が進むにつれ、ゾロの渋面が心なしか強張っているように見えた。

階段を上がって寝室を覗き、つい一昨日まで使っていた部屋を見回す。
そこでついにゾロは立ち止まり、神妙な面持ちで重い溜息をついた。

「・・・あんた、先刻出版社に電話したんだろ? 何でその時一緒に言わなかったんだよ!?」

「何を?」

「こんなでかい家に番犬の1匹もいない、女ひとりの無用心だ。油断したんだろうって笑われると思ったのか? 恥ずかしがってる場合じゃないだろ。もしかして、まだ警察にも連絡してないのか?」

「だから、何を?」

「泥棒に入られたんだろ? でなきゃ、この有様は説明がつかんだろうが」

眉間に皺を寄せたゾロの瞳は真剣だった。
来たばかりだというのに本気で心配してくれる様に、ナミは少なからず感動さえ覚えていた。

(やだ、勘違いなのに・・・そんなに心配してくれるの?)

真摯な瞳で見つめられ、ナミは少しどきどきしながら両手を上げて照れ隠しするようにやや語尾を強めていった。

「へーきなの、大丈夫なのっ。これ、自分でやったのだから。私片づけ下手で、どうしても散らかっちゃうのよ」

それを聞くなりゾロはあんぐりと口を開け、とんでもない惨状の室内とナミの顔とを幾度となく見比べた。

「・・・自分でやった?」

「うん、仕事してるうちに自然と」

「この部屋に限らず、今まで同じ惨状を晒していた部屋、全部か・・・?」

「う〜ん、実はそうなの。だから、心配しないで? 泥棒じゃないから」

「んなこと言ったって、箪笥の引き出し口開いたまんまだぞ? そこから服がはみ出してて、床に置物とか倒れてて、物の扉は殆ど開けっ放しで。ベッドも全部ぐしゃぐしゃで・・・」

「だから、散らかったら仕事する場所移動してたの。片づけるの面倒だったから。最低限いられるスペースがあれば仕事はできるし。そんなわけなんだけど」

ゾロはこめかみに手を当て、長い溜息を吐きながら天井を仰いだ。

「・・・才能って呼ぶには、その言葉の方が迷惑しそうな状況だな」

「放っといてよっ!!」

聞く耳持たないといった具合に首を振り、ゾロは眼鏡の鼻先を軽く押し上げた。

「状況は大体把握できた。タイタニック・クラスの大船に乗ったつもりで任せとけ。プロの意地に懸けて、ここを人の住んでる家らしくしてやる」

「タイタニックなんて沈没したじゃない、縁起でもない! それに失礼だわ! ここにちゃんと住人がいるじゃない!」

「おっと、語弊があったか。『最低限、文化的な人の住める状態に』だな」

「こらぁ! それを言うなら『文化的に』でしょ! 私が文化人でないとでも言いたいわけ!? だから、それが思いっ切り失礼だってぇのよっっ!!!」

怒髪天を突いたナミは、勢いゾロの腹に拳をお見舞いしてやった。




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(2004.07.16)

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