物書き騒動記   −3−
            

真牙 様



「まずは、何はなくともここからだな」

そう言ったゾロが真っ先に選んだのはメインのキッチンだった。

どこぞの不潔大王が降臨したかのような惨劇にはならなかったが、それでもシンクには分別の必要なゴミと洗い物が混在している。

ゾロは持って来たボストン・バッグから黒いエプロンを出し、馴れた手つきで腰の紐を結んだ。
シンプルなエプロンの胸には、毛筆書体ででかでかと『気合い』とプリントされていた。

「・・・ナニ、そのエプロンの文字」

「ん? ああ、事務所で、今度の仕事場はちと凄いって聞いてたもんで、自分を鼓舞する意味でな」

「ある意味失礼な気がするんだけど」

「気にすんな。心意気だ」

ゾロは口許だけで小さく笑うと、カウンターの上にタオルを敷き詰めてシンクの中身を物色し始めた。

「うし!」

軽く眼鏡を押し上げ、ゾロは凄まじいスピードで仕事にかかった。
汚れ物は洗ってタオルの上に。
ゴミは分別して収集用の袋の中へ。
思い出したように各部屋を回り、腕に抱えた洗濯物を何台もある洗濯機に放り込んでフル稼働させる。
その間にまたキッチンへ取って返し、再び洗い物に専念する。


きゅわきゅわしゃかしゃかきゅわきゅわしゃかしゃか。


小気味良い音が水の流れる音と共鳴して、以前姉と暮らしていた頃の懐かしい音を聞いているような錯覚に捉われる。

「どうした? 別に見張ってなくても手抜きはせんぞ?」

いつまでもキッチンの中から動く様子のないナミを訝り、ふと手を止めてゾロが振り返る。

「あ、ごめん。気が散る? そんなんじゃなくて、何か懐かしいなぁって思って」

「まあ、ひとりだとあんまりこういうことはないからな。それもまた然りってなモンだ。見てんのは構わねぇから、そっちのテーブルにいろよ。ここじゃ俺の片づけの動線にぶつかるから、邪魔になっちまうからな」

「言ってくれるわね。雇用主を捉まえて邪魔ですって?」

「言葉のあやだ。目くじら立てんな」

さらりと流し、また洗い物に没頭する。棚にあった物まで出しているので、その量は半端ではなかった。



そのうち洗濯機が終了を告げる電子音を鳴らし、ゾロは大きな籠を抱えて外へと出た。
庭には大きな木が何本かあるので、それにロープまで渡して洗濯物をさくさく広げていく。
大物から小物まで、庭先には色とりどりの洗濯物が夏の陽射しを浴びて心地良さそうに揺れていた。

「景観はちと損ねるが、まあこの家は奥まった場所にあるからな。早々覗きに来る物好きもいないだろうよ。昼間だから泥棒の心配もないし――まあ、いたところで俺が撃退するが」

確かに、この体格のいい男なら大概の不審者は撃退できそうな期待感を抱かせる。
それ以前に、この男の眼光に射竦められてやり合おうという馬鹿はまずいないだろう。
根本的なことを考えると、そういった不審者とゾロを並べて見れば、後者の方が不届き者に成り下がる可能性は大きいのだが。

ナミは窓越しに、風に心地良さそうに揺れる洗濯物の山を眺めた。

大小様々、色とりどり、大物のシーツ類から小物の下着類まで。

(ああ、下着ね。下・・・下着ィィィ!?)

ナミはぎょっとなって思わず出窓に張りついた。

ピンと張られたロープに吊るされたハンガーには、シンプルだったり総レース仕様だったりのナミの下着までもが可愛らしく揺れている。
ナミは一気に頬を紅潮させながら洗面所に飛び込んだ。

「ちちち、ちょっと! あんた私の下着まで洗ったの!?」

「あぁ? そ、そりゃ洗うだろ。汚れ物だか何だか判らん状態になってんなら、全部まとめて洗っちまうに限るだろうが。もしかして、替えの分まで洗っちまってたか? まあこの上天気だ、薄っぺらい布地だしすぐ乾くだろうからちと待ってろ」

(そういう問題じゃないでしょ――っ!)

ナミは羞恥心で一気に真っ赤になっていた。

「まあナニやってんだか忙しいのは結構だが、下着類を溜め込むのは関心しねぇな。不潔になるし、第一病気になっちまうぞ」

「病気なんて持ってないわよ! あ、あ、あんたには羞恥心てものがないの? お、女の下着を平然と触るなんて――っ!」

「そりゃ触るだろ。でなきゃあそこに干せなかったし。俺だって仕事なんだから、あんま気恥ずかしくさせるようなこと言うな。安心しろよ、ちゃんとネットに入れてソフト洗浄したからよ」

「あ、そうなの。高かったやつもあるんだから、それは助かった――じゃなくて!」

もう論点がどこにあるのか、ナミは混乱して言葉が出ない。
その様子を肩を竦めて見下ろし、ゾロは照れ隠しに頭を掻きながら次の作業に移ろうと再びキッチンへと向かった。

「だから、私の言いたいことはそうじゃなくて――」

「朝っぱらから良く回る口だな。まるで餌をねだる雛鳥みてぇだ。・・・と、ああ、そうか。ちっと待ってろ」

ゾロはふうっと息を抜き、キッチンの隅に置かれていた紙袋に手を伸ばした。
ケトル型のやかんで湯を沸かし、白い小皿にレンジで温め直したマフィンを乗せてクリームを添えて出してくれる。

「あー、好き嫌いはなかったか? 大丈夫だとは聞いてるが、そういった情報は先に貰っとかないとな」

「え・・・えと、嫌いなものはないけど。ああっ、これってもしかして『ふわふわ・キッチン』のモーニング・マフィン? 嘘、あそこのって10時にならないと焼きたて出さないのに・・・」

テーブルに出されたのは香ばしい香りの、クリームの添えられたマフィンにミルクたっぷりのカフェオレだった。

そういえば、一昨日ロビンとお茶を飲んで以来何も口にしていなかったことを思い出す。
なのでそのほの甘い香りは、もろに食欲中枢を刺激してくれた。

「ほれ、冷めないうちに食え」

「う、うん、頂きます・・・」

勧められるまま、一口大に崩したマフィンにクリームを塗って口に運ぶ。
何だかいつもの味とは違うような気がしたが、これはこれで素朴な味が口一杯に広がって美味しかった。
何より、空腹に勝る調味料はないのだから。

「・・・美味いか?」

どこか探るような物言いに、ナミは喜色満面の笑みで応えた。

「うん。いつもの味とはちょっと違うような気がするけど、とっても美味しいわ。もしかして、どこか新店舗オープンした?」

「いや、これは俺の手製だ。今朝早起きして、一番で焼いて来た代物でな。良かった、美味いか」

聞いた瞬間、ナミはマフィンを飲み込み損ねて思い切り胸を叩いた。
慌ててカフェオレを含み、ようやく口の中の物をすべて嚥下する。

「・・・あんたが作ったの?」

「何だよ、信じないのか? リクエストすんなら、ここ全部片づけ終えたらこのキッチン使って再現してやんぞ? さすがでかい家はいいツールが揃ってんなぁ。埃だらけにしとくのはもったいねぇや」

「だって、この手で?」

ナミは思わずゾロの手を握り、まじまじとそれを見つめてしまう。

無骨、と言った方がいっそ相応しい手だった。
ごつごつした男そのものの手で、ナミの手首など握らせたら一瞬で手折られそうだ。
適度に日焼けした浅黒い肌は見事な筋肉に包まれ、厚い肩や胸板の逞しさを連想させるに難くなかった。

何度も撫でるように触れていたので、照れたのかゾロはやや慌てたように手を引っ込めた。

「この手じゃなかったらどの部分だ。まさか足でも作れんだろ」

「だからそうじゃなくて、意外だって言いたいのよ」

「俺に言わせりゃ、あんたの方が不思議だよ。そんだけ女、女してる外見で、家事のひとつもできねぇってのは詐欺じゃねぇのか? ああ、俗に言う『貢がせるタイプ』ってやつか」

「それも失礼な言い草だわ。そりゃ、くれるって言うなら素直に貰ってあげるけど、強要した覚えは一度もないわよ? それ以前に、そんなことしなくたって欲しい物を買うだけの蓄えは充分あるわよっ」

「そりゃ羨ましいことで」

どこか人を喰ったような言い回しにむっとしたが、そう思いつつもフォークを動かす手は止まらない。

「・・・・・」

やがてナミは空になった皿を目の前に、フォークを咥えて対面キッチンに戻ったゾロをじっと見つめた。
その視線に気づき、ゾロは何だと言いたげに片方の眉毛をぽんと跳ね上げる。

それも少々癪に触ったが、ナミは喉の奥で唸りつつも消え入りそうな声でこそっと呟いた。


「・・・おかわり、ある?」


ゾロは相好を崩して袋を探った。





朝食を兼ねたおやつに満足したナミは、軽くシャワーを浴びてようやく着替えて人心地ついた。

出掛ける用事もないので、薄いキャミソールシャツとミニスカートという出で立ちだ。
初対面でいきなりぼさぼさ頭にすっぴん顔を見られてしまったが、そこは乙女心の何とやらで気持ち薄化粧をする。

そんなことをせずともナミは充分綺麗なのだが、締め切りに色仕掛けは通用しないのでその辺への気配りは少々薄くなっている。



何気なく再度キッチンへと足を向けると、ゾロは冷蔵庫を相手に顰め面をしていた。

「どしたの、冷蔵庫に喧嘩でも売ってんの?」

「・・・ここはひとつ、是非売りたいぜ。ったく、どんな管理してんだか」

一旦ドアを閉め、足元に置かれていたゴミ袋の口を閉じる。
新たな物を用意しながら、ゾロは渋面でナミを見た。

「この家で買い出しなんかやってんのは、当然あんただよな?」

「えーと・・・私は基本的にやってないの。ここへの食材は宅配サービスのと、ロビンが時々足りない物を足してくれるくらいで・・・」

「――そうか。物はコンスタントに入るのに、それに見合った速度で消化してないんだな」

なるほど、と独白して、幾重にもビニール袋で梱包された物体を一瞥する。
茶色く濁った水分の塊のようだが、そんな物があった記憶はもちろんナミにはなかった。

「何それ?」

「玉ねぎの溶解したやつだ。ちなみにきゅうりも溶けてた。水分のある野菜だって、冷蔵庫に何十日も放置されりゃこの有様だ。それがいやなら買う量を見直すか、さくさく消化するこったな」

こうなってはもう、もったいないと残念がる余裕もない。廃棄処分とばかりに袋に放られ、冷蔵庫はかなり風通しが良くなった。

「あらら、すっきりしたわねー。見事に空っぽ〜。あれ、この卵パックごと処分しちゃうの? これはさすがにもったいなくなぁい?」

「なら割ってみるか? 先刻振ったら、何か水っぽい音がしたからあんまお勧めはしたくないが」

「・・・ヤメときます」

「ああ、その方が賢明だ」

きっとそれも溶解現象を引き起こしているのだろう。
想像するとかなり寒くなりそうなので、ナミはそれ以上ツッコまないとこにした。

「んなわけで、俺は少し買い出しに行って来る。昼に食べたい物はあるか?」

さも当然のように言うので、ナミは思わずまじまじとゾロの横顔を見上げてしまった。
その視線に戸惑いを覚えたのか、ゾロはやや眉間に皺を寄せ、肩を聳やかして「何かついてるか」とぼやく。

「お昼って・・・買い物行った挙句、ゾロがお昼御飯作ってくれるの?」

「お前――俺がここに何しに来てると思ってんだ? 当然だろうが、それが仕事なんだからよ。何今更なこと言ってやがる」

「ああ・・・そうね。そうだったわね・・・」

本当に、ナミは今更のように呟いた。
掃除や洗濯をしてくれるだけでもかなりありがたいと思ったのだが、ここに食事の世話が加わるのか。

(そうか、ロビンが『衣食住100%のサポート』って言ってたもんね。考えてみれば当然か)

どうやら男の家政夫が来たというファースト・インパクトが未だ若干残っていたらしい。

そこまで甘えていいならば、ナミの取るべき態度は既に決定されたも同然だった。

「じゃあね、お昼はパスタをお願い! ロッソでもビアンコでもいいからボンゴレがいいな。コンソメのスープもつけてね。ついでにミモザ風のサラダもついてると泣いて喜んじゃうかも〜」

「・・・先刻あんだけ食ったのに、もうどっかに行っちまったのかよ」

「あれはおやつよ。それに、美味しい物は消化がいいのよ」

途端に掌を返したように言い募るナミに苦笑し、ゾロは手を拭いてからエプロンを外した。

ふとガレージの方に目を向ける。
そこには新車同然の綺麗な4輪駆動車が納められており、ゾロはひゅうと口笛を鳴らした。

「へえ、いい車持ってんだな。あれも買ったのか?」

「あーと、あれは新人賞獲った時の副賞で貰ったの。でも私、ペーパードライバーだから全然乗ってないわ」

「あぁ? ペーパーになるの判ってたのか? なら、何で免許なんか取ったんだ?」

もっともな問いに、ナミは仕方ないといった具合に肩を竦めた。

「しょうがないじゃない。何かの確認書類求められた時、運転免許証が一番効力を発揮するんだもの。こういうとこって、何か間違ってるわよね。だったらペーパー用の許可証でも作ってくれりゃいいのに」

そんなナミの苦労話を半分聞き流していたのだろう、生返事のゾロは心底もったいなさそうに顔を顰めた。

「・・・豚に真珠か」

「何て例えを引き合いに出すのよ!! そもそも、それが雇用主に対する態度なわけっ!?」

ナミは怒り心頭で髪を掻きむしりそうになった。
他に言いようはないのかと、この男の言語センスを疑いたくなってしまう。

もちろん言葉を駆使して文を作るナミに、この無骨丸出しの男が敵う筈などないのだろうが。

「――らしい方がいいのか?」

「当然でしょ? そもそもここに来た初っ端から、あんたぞんざいな言葉使いしてくれちゃってるじゃない」

ゾロは思い切り溜息を漏らし、じっとナミに目を向けた。
絡みつくような視線に一瞬どきりとし、ナミは狼狽を隠すように大きく咳払いした。
拳を腰に当て、轟然と張りの良い胸を反らして「さあ言ってみろ」と言わんばかりに瞳に力を込める。

ゾロはやれやれといった具合に頭を掻き、やがて恭しく右手を胸に当てた。
長身で姿勢がいいので、態度だけは一応様になっている。

「ってえと、こんな具合か? 『申し訳ありません、お嬢様。只今買い物に行って参りますので、少々お待ち頂けますでしょうか。昼食のご注文につきましては、誠心誠意応えさせて頂きますので』」

「うわぁ、思いっ切り棒読みな上すっごくいやそう!」

ナミは心底寒気を感じて自分の両肩を抱いた。
実際感情の籠もっていない今の台詞でコレならば、感情を込められたら脱兎の勢いで逃げ出したくなるかもしれない。

今までどんな態度で雇用主たちに接して来たかは知らないが、少なくともナミは、自分には慇懃な態度は取られたくないと思ってしまった。

「・・・駄目ね、寒いわ。仕方がないから今までの言葉使いでいいわ。でも、あんまりぞんざいにされたら怒るからね?」

自由の女神のように振り上げた腕をそのまま鼻先に突きつけられ、ゾロは微かに口の端を上げて応じた。

「了解、にわか御主人」

「あ、何かバカにされてる感じ。厭味〜〜っ」

ナミが地団駄を踏んでいると、ゾロは小さく笑って擦れ違い様にその頭を撫でていった。

「こらー! 子供扱いするな――っ!」

「そうやってムキになるのが子供なんだよ。判ったか、お子様」

背中越しにひらひらと手を振りながら出掛けて行くゾロを見送り、ナミは力一杯舌を出した。
ロビン辺りが見たら苦笑しそうな、美人台無しの表情である。
いや、逆にコケティッシュで可愛いと、あの静かな微笑みでコメントをくれるかもしれない。

そっと自分の頭に触れてみる。

大きな手だった。
ごつごつしてはいたが意外に優しく、何より心地好い熱を帯びて温かかった。

(な、何考えてるの、私。あいつは家政夫のくせに、とんでもなく失礼な奴なのよ? 年頃の女の子捉まえて子供扱いするような朴念仁なのよ? そりゃ悪い奴ではなさそうだけど、それ以上何があるってのよ!?)

無意識の感受を、意識を持った部分が全力で猛抗議する。

そして、なぜ自分の中でそんなせめぎ合いが起こるのか、その時のナミには漠然として解らなかった。




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(2004.07.18)

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