物書き騒動記 −4−
真牙 様
ゾロはきっかり1時間で買い物から戻って来た。
何を仕入れて来たのか、大きなビニール袋を6つも担いで帰ったので、ナミは思わず声を出さずに含み笑ってしまった。
「笑ってる場合か。材料がないことには、料理以前の問題なんだぞ?」
「はいはい、判ってますって。美味しいお昼、よろしくね」
ロビンの出版社への仕事が一段落したので、ナミはスケジュール帳とノート・パソコンを見比べながら今後の予定を練っていた。
(予定を調整すれば2,3日ゆっくりできそうだけど、次の仕事もあるしなぁ。できればここで資料集めをしたいとこよね。図書館で昔の新聞と専門書漁って、足りない分は取材しないと駄目かも・・・)
ネットで必要な項目を探り、使えるかもしれないと思った情報は速攻でダウン・ロードする。
後で本当に必要なものとそうでないものに分けるので、今は雑多な情報をまとめておくフォルダに放り込んでおく。
その視界の隅で、ゾロはキッチンと奥の食糧庫を往復していた。
どうやら日持ちする食材や缶詰類なども仕入れて来たらしい。
一見大雑把に見えるが、その実結構細やかな気配りをするらしい。
とことん見かけによらない男である。
何度目かに戻って来たゾロは、手に中振りの缶を持っていた。
「ああ、丁度トマトのホール缶を見つけたんでボンゴレはロッソの方にしたいんだが、それでいいか?」
「んん、任せるわ。でもそんなんあったの? ロビンが足しといてくれたのかしらね」
「・・・自分の家にある物くらい、家主が把握しないでどうすんだよ」
「大きな家だもの。判らないとこがあったって不思議じゃないでしょ?」
いや、ほんの3ヶ月前にここへ越したばかりなのだから知っていて然るべきなのだが、そんなことはナミにとってはどこ吹く風だ。
身の回りのことすら追いつかない彼女にとって、こんな食料庫のことなど異次元の出来事なのかもしれない。
あっけらかんとした物言いに、ゾロは肺の中の空気を全部絞り出すような溜息をついた。
「そのロビンって奴の苦労が忍ばれるな」
「私だって仕事漬けになってるのよ? たまにはまとめて休みが欲しいわよ。エステ行ったりショッピングしたり、映画見たりしたいのに。でも次の仕事の資料だって探さないといけないし、こう見えても暇じゃないんだからね?」
「資料って・・・あれだけあって、まだ足りないのか?」
ゾロはふと一番雑然とした2階の部屋の様子を思い出したのか、菜箸を動かす手を止めた。
ゾロが頭を抱えるのも無理はない。
ナミがここへ越して最初に仕事部屋に決めたその部屋は、今や一番の幽霊部屋と化している。
この顛末を作り出したナミですら、そこのどこに何があるのか判らなくなってしまったくらいなのだ。
そこをどうにかしようと思ったら、相当の根性と熱意が必要と思われた。
「・・・どうやら本気で俺に喧嘩売ってるようだな」
「はぁ? 別に誰もそんなもん売ってないわよ。なぁに、怖い顔しちゃって」
「これでもプロの端くれだ。意地でもあの前人未到の秘境に文明の楔を打ち込んでやる」
どうやらゾロに喧嘩を売っているのは、あの幽霊部屋の凄惨たる有様らしい。
眼鏡越しでも、その鋭い眼光が剣呑な光を放っているのは明らかだった。
なるほど、ガラスを一枚隔てた視線がこれでは、素顔に至っては大概の人物は尻尾を巻いて逃げ出したくなるだろう。
ナミに言わせれば、怖いと言うよりも鬱陶しいといったところか。
強面を自負する家政夫も、怖いもの知らずのナミにかかっては形無しのようだ。
「昼飯が済んだら文房具屋に行って来る。お前、社会を構成する大人としてはかなり間違ってるぞ?」
「何それ? どういう意味よ!?」
「どうもこうも、お前の通った道すがらには雑務って屍が累々と転がってるってこったよ。自覚ねぇのか?」
(うっ・・そ、それは・・・!)
やくざも避けて通りそうな顔立ちのくせに、至極真っ当なことを正面から言い切ってくれる。
およそ遠慮という言葉に無縁そうな男は、ナミが言葉に詰まったのをいいことにずけずけと言葉を重ねた。
「そ、そりゃ多少ないではないけど、忙しいんだって――」
「資料だって2重に埋没してる物も、もしかしてあるんじゃねぇか? その様子じゃ、整理したらきっと出て来んぞ」
淡々と告げられ、それもナミは言い返すだけの根拠に欠けた。
ゾロに言われなくとも、もしかしたら2重にファイリングしているものもあるだろうと薄々は感じていた。
それというのも原因はこの有様で、探すなら新たに調べ直した方が早かったからなのだ。
「ま、それもこれも飯を食ってからだな」
そう言いつつ、ゾロはナミのノート・パソコンの脇に湯気のたつボンゴレとカップに注いだスープ、そしてサラダを並べた。
テーブルに並んだ料理はどれも美味しそうだったが、並んだ分量はひとり分だった。
「何? ゾロは食べないの?」
「ああ、俺はこっちで食うが?」
対面キッチンの奥のところに置いてあるのか、そこに高椅子を持ち込んで腰掛けようとしているようだ。
ナミは首を傾げた。
「何でそんな隅っこにいるわけ? どうせならこっちの広いテーブルで食べればいいじゃない。それとも私と一緒じゃいやなの?」
「いやっつうか、普通しねぇだろ。まあ俺も、今まで大人数のとこばかりで仕事してたせいもあるが」
「家政夫って、そこの家の人と一緒に食事しちゃいけないの?」
「別にいけないって決まりはねぇが、何となくそうした方がけじめがつくだろ? 少なくとも俺はそうして来たぞ」
「・・・・・」
それが普通なのだろうか。
今までそういった仕事をする人間に関わったことがないので、それを『普通』と言われてしまうのも切ない気がする。
ナミはひとつ溜息をつき、ちょいちょいと手招きをした。
「じゃ、今までのことは今までのこととして。ここでは一緒に食べましょ。少なくとも、誰かいるなら私は一緒の方がいいわ」
「けどそれじゃ・・・」
「なぁに〜? いたいけな雇用主の言うことが聞けないの? 別に私はあんたに無理難題を突きつけてるつもりはないわよ? それともこんなことくらいが、あんたの家政夫としてのポリシーに反するとでも言うわけ?」
口に運ぶでもなく持たれたフォークが、ぴしっとゾロを指し示す。
それに何度か口を開閉させたが、やがてゾロは薄く苦笑するように皿を移動させた。
そのままナミの正面に腰を下ろす。
「お前も変な女だな。家政夫目の前に置いて飯にしたいとはな」
「何か誤解を招きかねない言い回しに聞こえるんだけど、それって気のせい? そもそもあんたが言ったんじゃない。男でも女でも、仕事に対する真摯さをきちんと評価しろって。これは観察のうちよ、誤解しないでよねっ」
「・・・顔赤いぞ?」
「あああ、暑いからよっ! 集中して仕事してる時はいつもひとりなんだもの。ナマモノがいるなら話くらいしたいじゃない」
「ナマモノかよっっ!」
そう――悪い奴ではないのだ。
家政夫としては、もしかしたら結構優秀な方に入るのかもしれない様子で。
ただ、不用意な一言が多いのは否めなかったが。
他の者が見れば微かな変化でしかなかったが、ナミにはゾロがしてやったりと口の端を上げて笑ったようにしか見えなかった。
変に観察能力が高いのは、家政夫としての必須項目なのかもしれない。
さり気なくトマトの酸味を利かせたパスタを口に運びながら、ナミはふと一部資料のことが気に掛かった。
(あ・・・そういえば、ちょっと人目に触れさせるにはどうかなって資料もあったわよね。艶系のやつ書くのに必要だったから。それってやっぱ隠しといた方が、この場合無難なのかしら)
そうは思っても、隠すにはまず探し出さなければならない。
探し出すには、あのもっとも雑然とした部屋を家捜ししなければならないわけで、ナミは探す前からうんざりしそうになった。
「えーとゾロ、資料のとこ片づけるのって文房具屋に行ってからよね?」
「ああ、そうだな。インデックスやクリヤファイルなんかも必要だろうし、仕切り板も要るな。あれじゃ、棚に放り込むだけでは意味がねぇ。少しでも出し入れの利便性を考えんと、また同じことの繰り返しだろうからな」
全身筋肉でできていそうな外見の割には、見事に理路整然とした話し振りだ。
ちょっとポイント加算だな、と感心していると、不意にゾロは軽く肩を聳やかした。
眼鏡越しの翡翠色の瞳が、可笑しそうに微かに揺れている。
「ああ、どこから何が出て来ても驚いたり咎めたりしねぇから、別に隠そうなんて算段しなくていいぞ? 雇用主の秘密厳守は、この業界の最低限で最高の鉄則だからな」
思わず口を半開きのまま凝視すると、ゾロは図星だったかと言わんばかりに細かく肩を震わせた。
それは、真面目な顔を取り繕おうとしているのに、可笑しくてどうしても笑ってしまうといった具合の表情だった。
「お前も一応大人の女なんだし、××な×××があっても別に驚きも非難もしねぇさ。んん、○○○の××××ってのもアリか。そこら辺は趣味にもよるんだろうし、ブツの数だけ千差万別だな」
「んなモンどこにもないわよ、この変態っっ!!!」
一気に首まで真っ赤になったナミの怒号に、ゾロは声をたてて笑った。
それは意外にも快活で、ナミは怒っている筈の心臓が不整脈を刻むように揺れたことを、心の片隅で感じていた。
(これって言葉のセクハラじゃないの? これでいいわけ、家政婦協会! 減点よ、減点だわ! 大きく激しく減点よぉ!!)
「ちょっとそこ! いつまで笑ってんのよ!」
「わ、悪ィ、あんまりあんたの反応が素直なんで・・・」
まだ肩が揺れている。
どうやらツボに嵌まってしまったらしい。
(侮れないわ、この男。さすがは家政夫を名乗るだけあるわ。
やっぱこういうタイプが何かあった時、『私、実は見たんです』って刑事にチクるのよっ!)
変なところで変な認識を新たにしてしまうナミだった。
食事を終えて片づけを済ませたゾロは、速攻文房具屋へと走って仕分けに必要なアイテムを揃えて来た。
「あーと、今必要な資料はないな? ここは最後にするから、とりあえず触るなよ?」
「頼まれたって触んないわよ・・・」
苦渋の独白は、既に遠く廊下の端にいるゾロの耳には届かない。
自分でやったくせに、そのあまりの惨憺振りにナミは完全に見て見ぬ振りモードに入っている。
これでロビンが家政婦を雇おうなどと言わなかったら、一体この惨劇はどこまで拡大するのかナミ自身としても怖い考えになってしまう。
片づけを実行しないのは、一応自分の首を絞めることになるのが判っているからだ。
以前、必要そうな資料だけでも発掘しておこうと一念発起したこともあったが、結局傷を広げただけで敢えなく挫折の末路を辿ってしまった。所詮ナミに家事は向かないらしい。
(いいもん、私は書き物で忙しいんだもん!)
居直ってもここは空しい虚勢にしかならないのだが。
ペンその他一式の入った袋を手近な棚の上に置き、ゾロはとっくに階下へと取って返している。
再び『気合い』のエプロンを掛けたゾロはまたも掛け声で自分を鼓舞し、掃除機を片手に部屋を次々と渡り歩いた。
(でも・・・不思議な感じ)
ナミが家事の下手なのは今まで殆どやったことがなかったので仕方がないが、ゾロがこんなにも家事全般が得意なことも意外だった。
外見で人を判断するわけではないが、ゾロはどちらかというと体力自慢の職業の方が向いているような気がする。
少し譲って思案し、眼鏡のインテリ振りを考慮してもデスクワークが関の山か。
(よりにもよってこんな家庭的な仕事なんて、逆にミスマッチ過ぎて面白いかも)
参考までに、少しこの男をリサーチしてみようか。
今後何かの資料に使えるかもしれないし、観察はナミの得意とするところだ。
そうこうするうちに、ゾロは庭先に出てあの膨大な量の洗濯物を取り込んでいた。
今日は上天気な上に風もいい具合に吹いていたので、洗い物には絶好な日和だったようだ。
既に片づけた部屋の一角を利用し、ゾロは大物小物を山にした前に座って仕分けるようにたたんでいた。
最低限の動きで綺麗に重ねられていく洗濯物を見つめ、ナミは感嘆の溜息を漏らした。
(うわ、早っ! あんな大きなシーツなのに、1,2・・・3つ前後の動作でピシッとたためるモンなのね。プロなんだなぁ。Tシャツなんかも、今にもお店に並べられそうな形。へえ、器用なもんね〜)
「・・・で、あんたは一体何をやってんだ?」
「へ?」
間近で言われてナミははっとする。
そうしてようやく、ナミはどこでゾロの仕事振りを眺めていたのかを知った。
とことこと洗濯物の溢れる室内にやって来たナミは、そのままゾロの脇に腰を下ろして頬杖をついて見つめていたのだ。
その凝視振りにゾロが苦々しく思うのは当然だろう。
「ああ、別に気にしないで。見張ってるわけじゃなくて、見事な手際だなぁっちょっと感心してるだけだから」
「まあ、これでも5年やってるからな。小せぇガキンチョのいる家なんかでは、とっとと片づけねぇと後から散らかされちまうから。自然と手際も良くなるってもんだ。必要に駆られりゃ人間要領が良くなんだよ」
なるほど、説得力はある。
この強面でどうやって子供と接するのか、その辺も見てみたい気もするが。
レンズを1枚隔てた眼光がどれだけ緩和されているのかは大人のナミには判らないが、それでも結構な恐怖感を抱かせるに違いない。
(そうね。ゾロがまだ家政夫で良かったのかも。これでベビーシッターなんかだったら、子供がひきつけ起こしかねないわよね)
そう思いつつ、何気なく手を伸ばしてゾロの眼鏡を外す。
「こら、何すんだ。返せっ」
慌てて伸ばされた腕をかい潜り、縁のない眼鏡を自分の目元に掛けてみる。
そこまでして、ナミは改めてひとつの事実に気づいた。
「・・・あれ? これ、度が入ってないの? 伊達なんて掛けて、鬱陶しくないわけ?」
「いいんだよ、それは仕事用なんだから。公私の切り替えがしやすいし、俺は目つきが悪いって言われっからそのくらいで丁度いいんだっ」
強引だが乱暴にはならないよう、細心の注意を払ってナミから眼鏡を取り返す。
その際思いがけず両者の顔が近づき、ゾロは反射的に頬に朱を上らせた。
「人からかって仕事の邪魔すんならあっち行ってろっ。見て判んねぇのか、これでも忙しいんだぞ!」
慌てて眼鏡を掛けてそっぽを向くが、素顔の上に浮かんだ赤面はなかなか消えそうもなかった。
(・・・こんなガタイが良くて強面なのに、素顔になると思い切り照れ屋だったりするわけ、こいつ?)
意外に的を射ていそうな事実に、ナミは知らず浮かんで来る笑みをどうにも殺しきることができなかった。
その様子を横目で眺め、ゾロは心底嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「・・・徹夜明けの身体にこの気温は、シナプスの伝達機能に支障をきたすほど厳しいよなぁ」
ゾロは何とはなしに呟き、張りついた笑顔に青筋を重ねたナミに素晴らしい右ストレートを喰らった。
「うっし、クローゼット内補完完了!」
午後一杯かけて床周辺を掃除し終えたゾロは、そのまま箪笥その他の衣類関係の整理に入った。
もっとも厄介な状態になっていたウォークイン・クローゼットは、その手腕の元に陥落して見事に再生した。
「わー、綺麗に片づいてる。何だ、寄せればまだこんなにスペースがあったのね〜」
「そうだな、女の胸と一緒だ。クローゼット片づけの極意は『寄せて上げる』、これに限る」
「・・・それも何かのポリシー? 私にはセクハラにしか聞こえないんだけど」
「あー、紙一重かもな。もともとこういった作業は女仕事だから、自然例えも女関連になんだよ」
(――そうなの? ホントにそうなの!? 何か、ごまかされてる気がするんだけど・・・)
眉間に皺を寄せて考え込む傍ら、ナミは細かく肩を震わせているゾロの様子に気づかない。
どうやらゾロは意外にからかい好きの笑い上戸らしかった。
強面に見えるのは、どうやら生来の顔立ちだけのようだ。
こんな職業を選ぶくらいなのだから、顔に似合わず世話好きなのかもしれない。
「ああ、そういや風呂の用意が済んでたんだった。入って来るといいぞ」
「あ、そうなんだ。今日も暑かったものね〜。汗かいてべとべと。んん、早速入らせてもらうわ」
綺麗に収納されたラックから下着を出し、浴室に行こうとしてふと思い出したように踵を返す。
何事かと首を傾けるゾロの目の前で軽く手招きし、ナミは長身のゾロを軽く屈ませた。
伊達眼鏡の鼻先を素早くずらし、素の瞳を正面から覗き込む。
「ここで背中を流してって言ったら、それはアリなの?」
ヘイゼルの瞳に括目されたゾロは、反射的に真っ赤になって大きく退いた。
「あってたまるかっっ!!」
「な〜んだ。あんたガタイ良さそうだから、観察できればいい参考資料になると思ったんだけどな〜。残念っ♪」
ナミはしてやったりの微笑みを浮かべ、彼女の貞操観念だか言動だかに打ち震えるゾロに手を振った。
ゾロはぐったりとうな垂れ、クローゼットの入り口で思い切り脱力していた。
「本気でもねぇくせに、俺がいいって言ったらどうする気だったんだよ・・・」
もちろん、そんなゾロの呟きを聞く者は誰もいなかった・・・。
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(2004.07.19)Copyright(C)真牙,All rights reserved.