物書き騒動記   −5−
            

真牙 様



穏やかに、順調に時間が流れる。

家政夫としてのゾロのサポートは、なかなかにナミのツボを心得ていて心地好いものだった。

あれほど雑然としていた家の中が見る見るうちに綺麗になり、『文化的な人の住める状態』に戻っていった。
面倒だと放置されていた梱包されたままの箱も開封され、収まるべき場所に収まって整然と整えられた。

現代の秘境とロビンに揶揄されるナミの家は、ゾロの手によって見事に再生を果たした。





「おはよ、ゾロ。今日もいい朝ね」

「おう。今日はエステの予約を入れといたから、午前中のうちに行く用意しといた方がいいぞ」

「あ、そうなの? うっわ、久し振り〜。いっぱい磨いてもらおっと♪」

うきうきとテーブルに掛けるナミの目の前に淹れ立てのダージリンを置き、今朝は珍しくゾロも目の前に座る。

「さて――返事を聞こうか」

「んん? 何の?」

きょとんとした様子のナミに苦笑し、ゾロは組んだ両手を所在なげに開閉させている。

「忘れたのか? 今日で3日だ。俺のサポートが気に入ったのか入らないのか、その返事を聞かせる期限だろうが」

「――あ」

ナミは今更のように間の抜けた声を上げた。

たかが3日、されど3日――それだけの時間が流れたことが、本当に今更だった。

ゾロが来てたった3日だというのに、以前から住み込んでいるようにすっかり馴染んで違和感がなくなっていた。
そう言えば、とわざわざ思い出す努力をしないといけないレベルまで、彼の采配はさり気なくナミの生活に溶け込んでいたらしい。

「・・・俺は誠心誠意仕事を果たした。それに下されるあんたの審判に、否やの声を上げるつもりも権利もない。聞かせてもらおうか。今後俺を、ここで採用するのかしないのか」

「う・・・」

眼鏡越しの視線は静かだった。
今まで散々じゃれるような会話をしていただけに、逆にこういった真剣な面持ちは心の奥に斬り込んで来るようで心臓に悪い。

ナミは小さく吐息を漏らした。
テーブルに肘をつき、両手を絡ませて顎を乗せる。
丁度上目遣いになる位置で、ナミはじっとヘイゼルの瞳をゾロに向けた。

「・・・あんたって、口悪いわよね」
「・・・よく言われる。自覚も、まあ・・ある」

「言葉のセクハラはギリギリチョップだし」
「それは、その、コミュニケーションの一環のようなモンで・・・」

「夜中に庭をうろついてた時は、泥棒か変質者かと思って危うく警察沙汰にするところだったし」
「いい月だったから見回りがてら散歩してたんだよ。庭の手入れ具合も確認したかったから」

「しかも何、今日のエプロン? 初日の『気合い』で始まって昨日は『根性』、しかも今日は『忍耐』ってどういうコト?」
「・・・心意気だ」

「女の下着触って平然としてるし」
「そ、それは仕事だから・・・っていちいち邪な顔丸出しにしてにやついてる方がいいのかよ!? 変態マニアか」
「うるさいわね。女の魅力とプライドの問題よ。私を雇用主として認めてんだかいないんだか判んない態度だし」
「だから、それは初日に聞いたぞ? 慇懃な態度がいいのかって」
「却下! あんたにされると寒いのよ。自覚ないの?」
「ない。んなモン気にしてたら仕事に障るし何もできん」

だんだん憮然となるゾロの表情に対し、ナミは綻びそうになる口許を抑えようとしているのがありありと見て取れる。
それが判っているので、ゾロはますます眉間に皺を寄せた。

「――結論を言えばいいだろう? 俺に気を遣う必要はないんだ、こっちも仕事だからな。切るなら切るで、はっきり言ったらどうだ?」

「あんた、結論を急いで人生失敗しまくってない? 人の話は最後まで聞きなさいよっ」

「・・・は?」

初対面の相手なら悲鳴を上げて逃げ出しそうな強面が、あんぐりと口を開けた間抜け面を晒している。

ナミはわざとらしく咳払いした。

「ナミちゃんの脳内データを集計したところによると、プラスとマイナスがかなり拮抗してたんだけどね〜。仕事振りは、我が秘境に文明の風を呼び戻してくれたことからも良く判るし、御飯も家庭料理のレベルからしたら充分美味しいわ。私の仕事中への段取りは、これから見ることにして・・・うん、差し引いた結果辛うじてプラスってとこね」

「ってことは・・・」

「うん。だから――協会へは、戻らなくていいわ。引き続きここの家政夫をやって頂だい。ああ、誤解しないでよ? 私は未来を担う『男性の家政夫』たちの可能性を摘み取りたくないから、泣く泣くこの苦渋の決断をするんだからね? 間違ってもあんたのためじゃないのよ!? 番犬代わりなんだからね!」

「番犬かよっ」

鳩が豆鉄砲を喰らったかのように呆然とナミを見つめていたゾロは、やがて思い直したかのように口の端を上げた。

「・・・どうした? 顔が赤いぞ?」

「こここ、紅茶が熱いからよっ! 変な誤解しないでよねっっ!!」

珍しく垣間見せた穏やかな表情がすべてを見透かしていると言っているようで、ナミは照れ臭くてわざとぶっきらぼうに叫んだ。

それも見越したかのように、ゾロは立ち上がってポンポンとナミの頭を叩いた。

「了解、にわか御主人」

「だから、子供扱いしないでってば!」

斜めに振り返って「はいはい」と誠意のない答えを返す。
ナミは足をばたつかせて猛抗議した。

「も〜〜、エステのお店にはあんたが送ってよね! 私は思いっ切りペーパードライバーで、運転できないんだからねっ!」

「ああ、世のため人のため、責任持って送ってやるよ。途中で誰か轢いちまったら、そいつが浮かばれねぇからな」

「何ですってぇぇ!?」

更に抗議しようと立ち上がりかけた目の前に、さり気なく生成り色の皿に乗ったマーブル模様のマドレーヌが出される。

「すぐ朝飯にするからそれでも食ってろ。チョコとバニラのマーブルだ、美味いぞ」

ナミは凄まじい勢いでそれにフォークを突き立てた。

「何よ、食べ物でごまかそうっての? 私はおやつにつられるほどお手軽でもお安くもないんだからね、おかわりっ!」

ゾロはたまらず噴き出し、堪え切れずに腹を抱えて笑った。

「ちょっとそこ、いつまでも笑ってると減点するわよ!」

「おう、好きなだけすればいいさ。すぐに挽回するからよ」

一見根拠のなさそうな物言いだったが、薄いガラス越しに宿る強い視線はさり気なくナミの心の柔らかい部分に斬り込んでいた。

(な、何よ、いきなりそんな綺麗な笑顔見せないでよ。びっくりするじゃない!)

またも一段跳ね上がった心臓を必死に宥めつつ、ナミは視線を逸らして深呼吸する。


男の家政夫なんて、と思った暮らしは、なかなかどうして快適な心地好さを漂わせている。

どうやら、この生活はまだ当分続きそうだった。





ところ変わって、とある事務所の一角――。

様々な形式に綴り込まれた膨大な書類を相手に、ひとりの女性事務員がせっせとそれらをチェックしている。
日が経過して、予定と進行状況に不都合とミスが生じていないかチェックするためだ。

「ええと、これは3日前にスタートした人たちのデータね――って、え・・・?」

彼女は信じられないものでも見たような表情で凍りつき、深呼吸して2枚の書類を見比べた。

「・・・えーと」

空調完備の室内だというのに、彼女のこめかみをいやな汗が流れ落ちる。

「只今戻りました――っと、どうした、顔色悪いぞ?」

丁度そこへ外回りから戻った男性職員が声を掛ける。
彼は砂色の髪を掻き上げて汗を拭い、長い水色の髪を震わせる彼女の様子がおかしいことに気づく。

「ご、ご苦労様・・・って、コレどうしよう・・・」

すっかり青褪めた彼女が持っているのは、つい数日前に決済されたばかりの案件だ。
この日は珍しく何件もの依頼が重なり、その処理に追われたことをふと思い出す。

「それって、この間稟議通って3日前に人を派遣させた案件だろう? 何か不備でもあったのか?」

「不備も何も、コレ・・・」

恐る恐るといった具合に、彼女はそっと彼の手元にふたつの書類を提示する。

依頼して来たふたり分の略歴。
そこに派遣された協会側の人間の履歴。

「・・・アレ?」

渡された書類に目を通した瞬間、男の動きが一瞬で固まる。

書式は完璧だった。
添付されている書類も記入方法も、どこにも間違いはない。
受けつけた担当のサインも、検印した上司のサインもきちんと漏れなく入っている。

違っていたのは――派遣先だった。

「依頼主は年配の男性と若い女性で、派遣されたのは――げっ! ロロノアさん!?」

「ど、どうしよう? あの人絶対怒るよね、怒ってるよね!? 下手したら流血沙汰になるかも・・・」

「そんなこと言ったって、検印まで通ってるのに――ってこれ、内容なんかろくすっぽ見ずに判を押すんで有名な支局長の印かよ!」

「・・・」

「・・・」

ふたりの間に不気味な沈黙が流れる。
空調の微かな音が妙に室内に大きく響き、夏の陽射しの差し込む事務所内の体感温度を一気に下げる。

「・・・ロロノアさんから連絡は?」

「い、今のところないの。もしかして怒りのボルテージを振り切って、今頃のっぴきならない状況になってるんじゃ・・・」

「ホントにないのか? もう一方の彼女からも? いや、彼女はどこに派遣されたって問題はないだろうが・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

またも重い沈黙が流れる。

「この場合、矛先はどこに向けられるのかしら・・・」

彼女の泣きそうな表情に、彼はぎょっとしたように慌てる。
彼は凄まじい勢いでファイルを閉じ、乱暴な手つきで所定の位置に押し込んだ。

「――ロロノアさんから、連絡はないんだな!?」

鬼気迫る勢いに、彼女は別のファイルを抱きしめたまま言葉もなくこくこくと頷く。
ポニーテールにされた長い髪が、大きく縦横無尽に揺れた。

それを見た彼は、淡く色のついた眼鏡を押し上げて絞り出すような声音で言った。

「じゃあ・・決まりだ。『俺は――俺たちは何も見なかった』」

「そ、そうね! もしかしたら彼意外に真面目だし、間違って派遣された先でもきちんとお仕事してるのかも――」

「そ、そうだな! ヤツは若いし男だが、それでもあの強面と表情と声音以外で苦情が来たことないしなっ!」

「そうね、そうよねっ。ふふ、ふふふふ・・・」

「そうさ。連絡がないんだから、た、多分大丈夫だ! は、はははは・・・」

乾いた笑いがふたりの間を横行し、三度重〜い沈黙を呼び寄せる。

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

備えつけの医療キットを漁って探し出した胃薬は、もはやふたりにとって何の慰めにもならなかった。





そんな、家政婦協会事務所でのたうつ事務員の胃痛と良心の呵責と滂沱の涙をよそに、ナミの生活は順調かつ快適だった。

「ちょっと、遅いわよ! 20分も待ったじゃない!」

出入り口の待合ロビーのソファに掛けていたナミは、迎えに来た背の高い人影を見るなり開口一番詰ってやった。

図書館で調べ物をしている間にゾロは買い物に出掛け、資料があっさり見つかったのでナミの方が手持ち無沙汰になっていたのだ。

「仕方ねぇだろ。スーパーでタイム・サービスがあったんだからよ」

「・・・そういうの聞くと、あんたって家政夫ってよりも主夫って感じね」

相変わらず外見と台詞のギャップが激しく、ナミでなくとも思わず笑みを誘われる。
そう言われるのも慣れているのか、ゾロは軽く肩を聳やかしただけだった。

「その点は似たようなモンだろ。どっちも家事に深く関わるしな。ともあれ、これだけ食材を仕入れりゃあんたの栄養失調も改善すんだろ」

「栄養失調? この飽食の現代に何寝ぼけたこと言ってんのよ。私、そんなに骨っぽい?」

「背格好や体型の問題じゃねぇんだよ」

やれやれと言いたげに長い溜息を漏らす。
ディーラーで微調整してもらい、足に使われるようになった四輪駆動車が一番手前に止まっている。
何気なくボンネット脇に寄りかかったゾロは、不意にナミの頤に指を伸ばした。

「昨日エステに行って散々磨き込んでもらったから、血行が良くなった分顔色は少し改善されてるけどな。けど、若さを盾に無理してっとそのツケは必ず回って来んだよ。ほれ、舌出してそこのミラーで確認してみろ。俺のと比べて血色悪ィだろうが」

「あ、ホント。私の方が少し白っぽいなぁ。これって栄養失調なの? それなりには食べてるんだけどなー」

「バランスが悪いんだろ。それに、忙しかったりすると食事抜いたりしてねぇか? 原因はその辺にあると思うが」

ナミは思わず感心してしまった。
何日でもない間に、ゾロはさり気なくナミを観察してそこまで見抜いていたらしい。

確かに過去2回音信不通になったのは、疲労と睡眠不足と空腹のトリプルパンチだったように記憶している。
もともと割と忙しい方だが、更に多忙を極めるのはこれからの時期なのだ。
飽食の時代にあって、栄養失調などという情けない理由で倒れている暇はない。


「ママー、あのお姉ちゃんたち何してるのー?」

「これっ、邪魔しちゃいけませんっ」

不意に近くで、囁くような声音で鋭く諌める声がする。

何気なく視線だけ向けると、丁度隣の駐車スペースに止めてあった車に乗り込もうとしていた母娘の姿があった。
若い母親と視線が合うと彼女は薄く頬を染めながら軽く頭を下げ、そそくさと逃げるように車に乗り込んで行ってしまった。

そこで初めてナミは、くっつけんばかりの距離でゾロと頬を寄せ合っていたことに気づいた。

コロンか整髪剤だろうか、微かにミントのような香りがする。
深い息遣いもゆったり上下する胸板も間近に見え、ナミは思わず凝視するように目を瞠ってしまった。

その親密な距離に遅ればせながら気づいたゾロは、一気に真っ赤になって慌てて身体を引き剥がした。

「いや、そのっ、何も変なことは考えてねぇからな! 訴えるとか減点するとか言うなよ!」

「な、何よっ、わざわざ弁解する方が怪しいんじゃないの!? そりゃ私が魅力的なのは認めるけどさ〜」

「いや、ソレは普通自分で言わねぇだろ・・・」

(あれ? 子供の自意識過剰って言わない――?)

何かにつけてすぐそうからかわれていたので、今回もそうした言葉がすぐ返るものと思っていた。
なのにゾロの言葉は尻窄まりで、口の中でもごもごと要領を得ない。

「ふぅ〜ん? ようやく雇用主が魅力溢れるうら若き乙女だって自覚したのね♪」

「この場合、乙女も魔女も妖怪も大差はねぇだろうしな・・・」

「だから、あんたの比喩は大概失礼だってぇのよっっ!!」

ナミはたった今ファイリングして来たばかりの資料の束の角で、ゾロの腹部の鳩尾に近い部分を思い切り叩いた。

一瞬息の詰まったゾロは激しく咳き込み、うっすら涙を浮かべた瞳でナミを睨んだ。

「ペナルティよ! 夕食にはデザートを1品追加してもらうからね!」

「・・・食い意地で手を打つかのよ」


22歳の分別ある大人の見本として、ナミは憤慨しつつも聞こえなかった振りをしてやることにした。




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(2004.07.21)

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