物書き騒動記   −6−
            

真牙 様



次の日の午後、一週間振りにロビンがやって来た。
前回の渡した原稿の校正結果と、次回作の内容と日程の確認のためだ。

「あらあらあら」

エントランスに入り、今回仕事用に使っている部屋まで行く道すがらロビンは周囲を見回し、つい先日訪れた時とのギャップに目を瞠っていた。

「優秀な家政婦さんが来てくれたようね。あの惨劇をここまで復興してくれるなんて」

「復興って・・・災害みたいに言わないでよ」

「あら、あなたに掛かるとたかがそれだけのことも拡大するって自覚はないの?」

意味深な微笑みには更に含むものが感じられたが、ナミにそれを否定することはできなかった。
さっさと抵抗できるくらいなら、この家はあんな惨劇にならずに済んだのだ。

「できればお会いして挨拶したいのだけれど、いるのかしら?」

「ああ、今買い物に行ってるのよ。じきに帰るわ」

言いながらお茶でもと、ナミは紅茶の缶を取る。
ぴったり閉じられた蓋を力任せにこじ開けようとするので、ロビンは見兼ねてそれを取り上げた。

「私がやるからそこに掛けていて。でも本当、見違えるほど綺麗になったわね。たったこれだけの日数で建て直しができるなんて素晴らしいわ。まあ、たった3ヶ月でこれだけ広い家をあの惨状にできるあなたの手腕も凄いけれど」

「・・・ロビン、それ全然褒めてないわ」

「褒めているのよ。形あるものを壊すことだって、相当のエネルギーが必要だわ。それができるということは、それもひとつの才能なのよ。自覚はないかもしれないけれど」

さすがの型破りなナミでも、そんな才能はいらないと即座に思ってしまった。



そうしてテーブルの上に書類を広げ、あれこれ意見を出し合っているうちに玄関のドアが開き、家の中をすたすたと移動する気配がした。

「あ、戻ったみたい」

ナミが呟いて、ものの数分もしないうちにそこへゾロが顔を出す。

「・・・あら? あなた――」

「あ、もしかして出版社の方っすか? 初めまして、どうも、いつもお世話になってます」

「・・・ちょっと、何で私はぞんざいな扱いなのに、ロビンにはそんな丁寧な言葉を使うのよ!?」

ロビンには敬意を払うように軽く頭を下げたのに、ナミにはまったくそんな態度は見せない。
それがひどく勘に障り、ナミは可愛らしく頬を膨らませた。

「だから、それは自分でいやだって言ったんだろ? 俺はちゃんと訊いたって、何回言わせんだよ」

「そういう問題じゃないのっ。雇用主は私なんですからね!」

「だったらどういう問題だよ・・・」

ざっくばらんなふたりのやり取りを見ていたロビンは、ふと首を傾けるようにゾロに視線を振った。

「あなたが、こちらに直接配属された家政夫さん?」

「ええ、そうっすけど何か?」

「ああ、いえ・・・そう。何か、あちらも思うところがあったのかしらね。・・・いいえ、ごめんなさいね、何でもないわ」

柔らかく微笑み掛けられたのを口の端を小さく上げることで受け、ゾロは一旦部屋を出て行った。

再度戻って来た時、その手にはお盆と小さく切り分けられたベークドのチーズケーキが乗せられていた。

「あ、美味しそう。何で私がスフレよりベークドが好きだって判ったの?」

「あー、それは偶然だが、これには濃縮ミルクのカルシウムがたっぷり練り込んであるからな。お前、よく怒るだろ? 典型的なカルシウム不足だ、改善項目のひとつだな」

「だぁれのせいで怒ってると思ってんのよっ!」

もちろんナミが心底怒っているわけではないことくらい、ゾロもナミも充分に判っている。
判っていてなおこうして突ついてからかうのだから、ゾロも相当図太い神経の持ち主と言えるだろう。

そのふたりを等分に眺めて、ロビンは軽く肩を竦めて意味深な笑みを浮かべた。

「じゃ、俺も仕事がありますんで後はごゆっくり。失礼しました」

やればこういう態度も取れるのだと言わんばかりに、ゾロはさり気なく礼節に則った態度で室内を出て行った。

それをじっと見送ったロビンはそのままナミに視線を留め、一見したら判らない微妙な具合で表情を綻ばせていた。

「・・・何、ロビン? 何か言いたそうな顔ね!?」

「いいえ、別に。ただ一言添えていいなら、まるで新婚さんみたいねとコメントさせて頂くわ」

「し、し、新婚さんっっ!?」

思わずひっくり返った素っ頓狂な声が喉から転げ出る。
次いで真っ赤になる顔を見て、さすがのロビンもころころと声をたてて笑った。

「まあ、ナミさんたら照れ屋さん。悪い人ではなさそうだから気に入ったのね。仲がいいのは美しいことだわ」

「ちょ、ちょっと待ってよロビン! あいつはただの家政夫よ、何変な勘繰りしてんのよ!!」

「あら。後ろ暗いことがないのなら、堂々としていればいいのではなくて? 私は何も、誰に告げ口をしようと言っているのではないわ。ただ、第3者の目から見たあるがままの現実を言ってみただけなのだけれど」

(だから、それを言わないでって〜〜!)

「丁度いいでしょう? 次は恋愛テーマの短期集中連載が待っていたし。外見的にもお似合いの組み合わせよね。彼も見た目がかなりワイルドだから、『美女と野獣』の王道で行けるのではなくて?」

「ソレとコレとは話が別でしょっ!」

「あら、これはあくまでネタの話よ?」

「・・・・っ!」

ロビンは梟のようにくすくすと肩を揺らし、動揺するナミに一切の追随を許さない。
所詮社会の荒波に揉まれ慣れた百戦錬磨の彼女には、ナミのようなインドア系の人間が敵う筈はなかった。

その後も校正済みの原稿の報告は続いたが、ナミは話の殆どが右から左へと抜けて行くのを感じていた。





ロビンが帰ってからというもの、ふたりの間には微妙な空気が漂っていた。

ナミにしてみれば憎からず思ってはいるものの、あくまで一家政夫としてゾロを見ようとしている。
そう思い込んでいなければ、とてもまともな神経のまま他人である若い男とひとつ屋根の下で暮らせはしないからだ。

(そ、そうよ、それだけよっ。それ以上何がどうあるっての!?)

ゾロにしてみても同じようなことが言えた。
もちろん家政夫たる者、雇用主の話に聞き耳を立てるのはポリシーに反するのでふたりの会話の内容は知らない。

それでも――。

ロビンが帰ってからというもの、まるで毛を逆立てた猫のように逐一反応するナミに触発されているのかもしれなかった。

生意気口も旺盛だが、よくよく見れば確かにナミは魅力的な娘だった。

まさか今回に限ってこんな雇用主に当たるとは思ってもみなかったゾロは、最初に自分の言った言葉を戒めとして常時噛み締めるようにしている。
そうでもなければ、自分で自分の首を絞める顛末を迎えかねないからだ。

(そんな情けない愚は犯してくれるなよな、俺)

そんなわけで、ふと視線が合ったりするとふたりはどことなく照れたような引き攣ったような笑みを浮かべていた。


均衡は、未だ保たれている。





「えーと、ここにヒロインは戻ってくるから彼がこっちから・・・って、あのお邪魔虫はどこにいたっけ・・・」

ペンを片手にノートの白紙部分にぐりぐりと丸をつける。
ネタ帳を兼ねたそれに関係図を書き込み、ナミはぐいっと椅子を引いて背伸びをした。

作品を書き始める時は、まずおおまかな関係図とプロットを立ち上げるのが習慣になっている。
そうしておくことにより細かい設定がしやすいし、何より大きく脱線せずに済むからだ。

「う〜ん、今回は奇を衒わずに王道で行った方がいいかな〜・・・」

どの道短期集中連載なので、そう長くは引っ張らない予定だ。
起承転結もつけやすく、一般大衆ウケする方がこの場合好まれるのかもしれない。

「ああ、私も商売人のひとりに仲間入りかしらねぇ」

「・・・一段落着いたか? とりあえず茶でも飲んで一服したらどうだ」

「わっ、びっくりした! あんたまだ起きてたの? もう丑三つ時よ? 今夜は私これのプロット立てて書き出しするから、下手したら徹夜しちゃうかもなの。だから、ゾロは先に寝てていいのよ? こんなとこまでつき合ってると、日中忙しいあんたが倒れるわよ?」

「そういうわけにはいかねぇさ」

意外にもきっぱりとゾロは首を振った。

「これがあんたの仕事なら、それをサポートするのが俺の仕事だ。気にすんな、俺だってロボットじゃねぇ。休める時に休みながらやってるんだからよ。だからあんたは、存分にやりたいようにやればいいんだ」

「あ・・・ありがと」

(へえ。意識もきっちりプロなんだな・・・)

ナミはたっぷりクリームの乗ったウィンナーコーヒーに口をつけ、そっとゾロを上目遣いで盗み見た。

てきぱきと家事をこなす姿を見続けているので、精悍な顔がだんだん和らいで見えつつある。
こんな、男そのものの外見なら選べる職業も数多くあっただろうに、よりにもよってなぜこの職種を選んだのか、ナミには不思議でならなかった。

「・・・ねぇゾロ、聞いてもいい?」

「んん? 何だ?」

「あんた、ガテン系でもお堅い仕事でもこなせそうなのに、何で家政夫って仕事を選んだの?」

何気ない問い掛けだったが、ゾロの動きが微妙に止まったのはその直後だった。
視線を微かに彷徨わせ、浅く溜息を漏らして一度目を伏せる。
口許に浮かんだのは、どちらかというと苦笑に近い笑みだった。

「・・・悪ィが、そういったプライベートなことには答えかねるな。契約外だ」

「そ、そんなつもりはないわよ、ちょっと聞いてみただけじゃないっ。何でも堅っ苦しく考えないでよ!」

「そうか? 何だか俺の弱点でもねぇかって、目ェ爛々と光らせて狙ってるように見えたぞ?」

「あんたは邪推し過ぎ!!」

「いてぇ!」

ナミは思わず、持っていたノートの平でゾロの額を打ち据えた。





「・・・で、ここでヒロインは――何するんだっけ? ああ、彼に告るのね。ってえと・・・ああ、何かしっくり来ない」

ぶつぶつと口の中で呟きながら、軽い資料と一緒にノートを捲る。

「なぁんか、このヒロインてば素直に動いてくんないなぁ。意地張ってんだか鈍いんだか、一キャラの分際で・・・」

それ以前に、このキャラクターの愛情表現自体が稚拙なような気がする。
自分自身にそういった状況が不足しているからだろうか。

「かといって出版社の呼んでくれるパーティは堅苦しいしね〜・・・」

若い娘が家に籠もって原稿ばかり書いているのも不健康だと、ロビンや社長が幾度となく様々なパーティに招待してくれる。

そういった社交の場には当然スマートな態度の若い男もいるわけで、ナミも満更ではない様子で会話を楽しんでいる。
その場限りの軽い会話ならばともかく、資料に埋もれて耳の肥えているナミには、かれらの話は時折あまりにも薄っぺらく感じることがあった。

「やだなぁ、言葉の耳年増かしら」

ナミが今をときめく人気作家だと知れると群がる男は数知れないが、肝心なナミの方にそんな気は殆ど起こらなかった。

“飾る”ことが商売の世界にいると、事実と虚構の境界線があやふやになりがちなのかもしれない。

(私自身にときめきが足りないのかも・・・)

これで恋愛小説も書いているのだから、読者が聞いたら号泣するかもしれない。

ナミは小さく溜息を漏らし、顔でも洗って来ようと立ち上がった。



薄暗い廊下を曲がり、洗面所で勢い良く顔を洗う。
つい数日前まで雑然としていたここも、ゾロの手腕で見事にホテル並みの輝きを取り戻している。

「ホント、変な奴。何も好き好んでこんな、男が苦労する職種選ばなくてもいいのに・・・」

余計なお世話かもしれないが、思わず呟かずにはいられない。
完璧なまでに磨き上げられた家には感謝するが、その経緯には並々ならぬ事情があるように思われてならない。

(・・・って何よ!? これじゃまるで、私があいつに興味があるみたいじゃない!)

思わず浮かんだ思考にぎょっとし、慌てて手を振ってそれらを追い払おうとする。

ふと鏡の中の自分と目が合い、そこに熟れたトマトのように真っ赤になった自分がいることを発見してしまった。

(か、家政夫が珍しいからよ! しかも男だからよ! そうよ、そうに決まってる・・・)

何度も大きく深呼吸し、もう一度顔を洗って自分を落ち着かせる。

「ともあれ、今はヒロインなのよ。もうちょっとこう・・溢れる想いが足りないというか・・・」

ぶつぶつと呟きながら、今回仕事部屋に使っている2階の端へ向かう。

その道すがら、ナミはふと手前の部屋の違和感に気づいた。
応接室にも使えるように、低い猫足のテーブルやソファセットが置いてある場所だ。

そこの窓辺に近い長ソファに、月明かりを背に長身の人影が座っているのが見えた。

「・・・ゾロ?」

小さく声を掛けてみるが反応はない。
腕と足を組んだままの姿勢で、どうやらうたた寝しているらしかった。

「だから先に寝てていいって言ったのに・・・」

夏とはいえ、こんなところでうたた寝していたら風邪を引いてしまう。
かといってナミには、こんな体格のいい男を担いで行く力はない。

ナミは大きく溜息を漏らし、リネン用の物置からタオルケットを1枚引っ張り出して来た。
そのままそっとゾロの胸元まで掛けてやる。

レースのカーテン越しに差し込む月明かりが、柔らかく室内の隅々にまで降り注いでいる。
薄い闇に慣れた瞳は、室内の様子やゾロの姿形までをしっかり捉えていた。

眼鏡越しに伏せられた睫毛は意外に長く、組んだ腕の下にある胸は規則正しくゆったりとした動きを繰り返している。

ナミは何気なくその隣に腰掛け、じっとその顔を覗き込んだ。

(あ、目を閉じてると意外に幼いって言うか表情が和らぐって言うか、結構ハンサムの部類に入るかも・・・)

こんな間近で男の顔を見たこと自体久し振りだったので、ナミはついじりじりと顔を寄せてしまう。

27歳ともなれば、もう結婚して子供がいてもおかしくはない年齢だ。
住み込みの家政夫をしているし証拠の指輪も嵌めていないので、もしかして結婚はしていないのかもしれない。
まあ男の場合、恥ずかしいという理由から指輪をしないことも多いので、指輪をしていないからといって即独身とも限らないのだが。

悪戯心を起こし、指先でそっと伏せられた目元からすんなり通る鼻梁、薄い唇までを辿っていく。
短く刈り込まれた髪は適度な弾力があり、さわさわと意外に触り心地が良かった。

(こんな朴念仁で無骨そうだけど、口説く時は思いっ切り艶っぽい顔したりするのかしら)

切れ長の鋭い瞳は、見つめられた者の心の奥底まで斬り込んで来そうだ。
その勢いに任せてこの逞しい腕で絡め取られたら、僅かな抵抗など風前の灯火に等しいに違いない。

(この唇で、どんな口説き文句を囁くのかしら。キス、したら・・どんな感じがするんだろう・・・)


無意識だった。

ずっと連載用のプロットを考えていたので、どこか心の片隅でヒロインとシンクロしていたのかもしれない。


理屈も何もなかった。

しなやかな指先でなぞっていた頬に触れ、そのまま掠めるように唇を合わせる。
しっとりとした柔らかさを確認するように、一度離した唇を確かめるようにもう一度触れさせる。

恋の初心者がするような触れるだけの口づけだったが、それは思いの他ナミにじんわりと迫る熱を呼び起こした。


――どのくらいそうしていたのか。

不意にゾロの肩がピクリと揺れ、ナミははっと我に返って弾かれたように身体を離した。

(な、な、何? 私、今一体ナニしてたわけっっ!?)

一気に赤面するのを止められず、口許を押さえたままソファの端まで後退る。
心臓が凄まじい勢いで早鐘を打っていた。起きていたら、ゾロの耳まで聞こえそうな勢いで。

幸いなことに、ゾロは未だ眠っているようだった。

(ななな、何なの! これじゃまるで私がゾロの寝込みを襲ったみたいじゃない!)

いや、まんまそうだろうという理性の声を遥か彼方に蹴り飛ばし、ナミは慌ててその部屋を飛び出した。
入り口でちらりと振り返り、再度ゾロが眠っていることを確認する。

(こ、これは実験なのよ、取材なのよ! 今回のヒロインの心理描写に必要だったと、物書きの本能が叫んでいたのよ!!)

――実際に叫んでいたのは、ナミの感情の方だった。



「―――――――・・・」

月明かりのソファの上で固まった身体を身動ぎし、ゾロはようやく長い溜息を吐き出した。

真っ赤に染まった顔から噴き出す汗を無造作に拭い、甘く柔らかな感触の残っている唇をそっと親指の腹でなぞる。

「何・・考えてやがんだ・・・」

疑問と羞恥の独白に、応えるものは何もない。



保たれていた筈の均衡は、早くも微妙に揺れ始めていた――。




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(2004.07.22)

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