夜、夢照らされ・・・   後編

            

高木樹里 様


その晩は、まさに星月夜だった。
けれどナミは、ゾロと別れたその体制のまま、何時間もそこにうずくまっていた。


ゾロの言葉の意味。
棘のある語調、軽蔑を含んだ背中。

少年は知らない。
彼女が、どれほどの覚悟を背負っていたのか。

少女は悟った。
自分が、どれほど浅はかだったのか。


「確かに『バカな考え』よ・・・分かってる。でも、もう後戻りできないの・・・」


脳裏に、ロビンの言葉がリフレインする。

『本気とは思えないわ』
『人間になって、彼に会えたとしても、その後どのように生きていくおつもり?』
『その一つの目的だけに、未来を手放すとおっしゃるの?』
『・・・きっと悲しまれるわよ』


あぁ、全部その通りだ。
たまたま通りかかって助けただけの人間に、それもただもう一度会う、それだけの為に、人魚の身体も、家族も、城も、友達も、海も。
自らを取り巻く万事を見捨て、宝を掠め、呪いを浴び、にわか仕込みの両足で陸に上がって、挙句追い求めたものに見放されて。
当然の報いだったかもしれない。

「それでもいいって・・・思ったじゃない・・・惜しくはないって・・・言ったじゃない・・・!」

自分に言い聞かすように呟くナミ。
それでも、後悔の念は渦を巻いて絡みつき、取れそうもない。

「会いたかった・・・だけよ。会えたじゃない・・・・!」

無理矢理納得するように声に出す。

目的は達成された筈なのに。
巻きつく渦が胸を締め上げている。


『ふざけんな』


低い声が耳の奥で凛冽に響き、渦が一段と濃くなった。





「ナミ!!」

突然海から響いた声に、ナミはびくりと身を震わせた。
幻聴だろうか、聞き覚えのある声――

暗闇に目を凝らすと、覚えのあるヘアバンドをした頭が見受けられた。
うんと幼い頃、誕生日プレゼントだよと言ってナミ自身があげた紅のヘアバンド。

「ノジコ?!」
「ナミ?良かった見つかった!」

青い髪を振り乱して、ノジコは浜辺に乗り上げた。


ノジコは、ベルメールの長女であり、ナミにとっては姉にあたる。つまり、人魚の小国の第一王女だった。
2歳差のこの姉妹は、小国の姫君として、常に一緒に大事にされてきた。
お陰で非常に仲が良い。姫として成長した今でも、昔と何ら変わらずにどんなことでも相談できるほどに。

それでもナミは、この一件をノジコに漏らすことはなかったのだが。


「ノジコ・・・どうして」
困惑するナミに、ノジコが荒い息を抑える間もなく答える。

「ロビンに聞いたのよ。それで、あんたを急いで探してた――これ、見て」

そう言って彼女が差し出したのは、一本の短刀。


「あんた、こんなとこに一人でいるってことは、その人間に撥ね付けられたんじゃないの」
「・・・別にそんなんじゃないわよ。言われて当然のことを言われただけ」
「でもそいつ、あんたと一緒にいる気はないんだろ?もしそうなったら、いずれナミは泡になって消えちゃうって言うから、ロビンに“お願い”したんだ」
「何を・・・」
「ナミ、よく聞いて」

ノジコは、ずいと近付いて真剣な顔でナミに言い聞かせた。


「ナミ、明日の正午までに、これでその人間を刺しな。殺してそいつの返り血を浴びるの。そうすればあんたは助かる。人魚の身体を取り戻せる。何も不自由なく、また海で生きていけるんだ」

「え・・・?」


驚きに目を見開くナミに、ノジコは大きくうなずく。

「それしか方法はないんだ。ナミ、その人間を殺して」



暫し、脳内を空白が埋め尽くした。


助かる・・・。
人魚に戻れる・・・?
海に戻れる・・・?

けれど、それにはゾロを殺さなくてはならない。



天秤が左右に揺れ、そして片一方に崩れていくのを感じて、ナミは力なく笑った。

「無理だよ、ノジコ」

青い人魚の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
「何で、ナミ・・・!」
「あいつ、剣士なの。刀を3本も持ってるの。きっととっても強いのよ。オーラが強いの。私には、あいつを殺す力はないよ」

それを聞くと、ノジコはぶんぶんと大きく首を振った。

「大丈夫だから。言っただろ?『ロビンに“お願い”した』って。この短刀で、少しでも傷を付けられた者は即死するの。隙をつくだけでいいのよ」

確信を持った言葉に、今度はナミの表情に震駭の色が浮かぶ。

「・・・ちょっと待って、それどういう――」



そして、ようやく気付いたのだ。
ノジコの、左肩から鎖骨を伝い右肩へ、更には腕を下って右ひじへと伸びる、長く濃い紋様に。


「ノジコ!!」
思わずつかみかかる。
星辰に照らし出されたナミの顔は、青白く血の気が引いていた。

「何して――」
「あんたを助けるにはこれしかないの!!魔女の呪いは魔女でも解けない、それは知ってる。けど、呪いを重ねることはできる!ナイフの内部に秘薬が仕込んであるんだ・・・」
「・・・っ」

ナミは、ぐっと唇を噛む。


「私・・・海にいる全員を捨てて陸に上がったのよ。一人の人間に会いたいが為に」
「知ってるよ」

搾り出すような声で自白する元人魚に、青い人魚姫がくしゃっと笑いかけた。


「母さんが、心配で気が狂いそうになってるの。早く帰って、思いっきり叱られてくれなきゃ」





ノジコが海に帰って行った後、そこにはナミと短刀だけが残されていた。




















「・・・お前、まだいたのか」

翌朝、日の高くなってきた頃。
ゾロが木目に覆われた小船を引きずって浜に出ると、昨日と同じ場所にナミが佇んでいた。

ただし、その瞳には昨日のような輝く生気はない。

「・・・ここ、砂浜よ。船つける場所じゃないでしょ」
「知らねぇよ、そんなこたぁ。こんなイカダみてぇなのなら平気だろ、要は出られりゃいいんだ」

よいこらせ、と木片の塊を波に向かって押し出す。
船は一瞬海に浮いたが、白波に押し戻されてまた岸辺に乗り上げた。

ナミが、見ていられないとでも言うように溜め息をつく。
「バカじゃないの・・・。手伝ってあげる」
「うるせぇ、いらねぇよ」
「いいから黙って手伝われなさいよ。このあたりの海流なら分かるから、それに乗れば後はラクなの」


しばらく2人は、うんしょうんしょとひたすら船を沖へ沖へ押していった。
ナッミの足は変わらず鋭く痛む。けれど、海の冷たい水に晒されて、若干緩和されたように感じた。
ゾロの3本の刀が乗っただけの船でも、強い海流に乗るまでに優に20分は要した。


海流を捉えたのを確認して、2人同時に逆側から船に乗り込む。
少女は、やはり立っていることなどできずに、すぐに船の縁にへたりこんだ。

「は〜っ。つっかれたー」
「あぁ、ありがとな」
「・・・ドーイタシマシテ」
「そんで、手伝ってもらってこんなこと言うのも何だが、お前このまんま乗ってていいのかよ?」


早速というふうに口にするゾロに、ナミは、その話題もうちょっと忘れててくれて良かったのに、と少し惜しく感じた。

「昨日も言ったじゃない、連れて行ってって。だからいいでしょ?」
「俺も昨日も言っただろーが、ダメだって。よかねぇよ」

お前の願いを聞き入れる気はサラサラないんだと言わんばかりに手をヒラヒラと振る。

「・・・何でよ。お荷物にはならないわ、ナビゲーターやるって言ったでしょ。私、あんたより海には詳しいつもりでいるんだけど」
「そんな理由じゃねぇよ」

ゾロは、ひたとナミの瞳を見据えた。
その射抜くような視線は、何度見ても慣れることがない。


「俺の野望にお前を巻き込む気はねぇんだ。お前にゃやることがあるだろ。家帰って、そんでとっとと足治せ。そうでなくても、女連れてなんか行けねぇよ」


翠色の瞳に写るのは断固とした覚悟。
ナミは、かつて同じ色を目に宿した自分が、黒髪の魔女を説き伏せたのを思い出していた。

彼を説得するのは、無理のようだ。



「そう・・・仕方ないわ」


ナミは、服の下に手を入れた。

そして、隠し持っていたノジコのナイフを――














勢いよく、海に投げ捨てた。





遠くで、金属が水に落ちるボチャンという音がする。


「ナミ・・・?」
「仕方ないわよね」

オレンジ色の少女は、優しく笑っていた。
太陽は真上から降り注ぎ、その髪を伝って光がこぼれる。


「ねぇ、ゾロ?私ね、足、病気なんかじゃないの。歩き方知らないだけなの。ずっと足を持ってなかったから」
「・・・?!」
「でもね、ゾロにもう一度会いたくて、足をもらったの。ゾロに会う為だけに、人間にしてもらったのよ」
「何が・・・」
「会いたかったよ」




「会いたかったよ、ゾロ」





その声は、少年が聞いたナミの言葉の中で、一番柔らかいものだった。


けれど同時に、絶対的な拒絶を含んでいた。





少女はふらつく足で縁に立つと、ゆっくりと後ろへ倒れていった。






「・・・ッッ!!」




バシャンという音と共に水しぶきが飛び散り、オレンジ色の髪さえ覆い隠した。










ゆったりと水面が遠ざかっていくのを、ナミは不思議な気分で眺めていた。
たった1日やそこら、海底にいなかっただけで、ひどく懐かしい感じがする。

もう以前のように水中で呼吸はできなかったが、苦しくはなかった。
身体が海水に溶けていくのを感じた。
薄れていく意識の中で、ナミは海と陸、相反する空間に思いを馳せていた。


ノジコ、ごめんね。
ロビンに呪いをかけられてまで私が戻る道を用意してくれたのに。
でもやっぱり、私には殺せなかったよ。

あぁ、母さんが心配してるって言ってたっけ。
手紙、残していったんだけどな。
ごめんね母さん、謝りたいけど、もうそんなこともできないみたい。


それもこれも、全部ゾロの奴が悪いんだから。


いきなり目の前に落ちてきて、溺れてて、しかもあんな――凛とした顔して。
けど一度目を開けてみれば、無茶苦茶な方法で海を渡ってるし、いつ死んでもいいみたいなこと言うし、愛想はないし口調は乱暴だし。


でも、もういいや、全部。


少女は、心の中で小さく微笑んだ。



私はこのまま海に還ろう。

滴に溶けて泡と弾けて、貴方を進める波になろう。

この広い大海原で、貴方が目指すものを見失わないように。

誤ったみちに逸れることなく、真っ直ぐに歩んでいけるように。


そこまで想う自分に気付いて、ナミは形をなくしつつある顔で、ふと苦笑した。

結局、何のことはない。最初から答えは出ていたのだ。


ナミは、彼に惚れていたのだと。





「ばいばい、ゾロ」


その声は、泡になって飛んでいった。










「・・・ンのバカが・・・!」

ドボンという深い音。

緑色の髪の少年が、泡に包まれて沈んでいくオレンジ色の頭に向かって、まっすぐ潜っていく。


彼の手が、あぶくになっていく少女の顔を捕らえ。



2つの唇が、音もなく重なった。










・・・どこだろう、ここ。
ぼんやりと開いた目に映るのは、海面ではなく一面の青い空。

「よう、目ぇ覚めたか」

低音の声がすぐそばで聞こえ、ナミは思わず飛び起きた。

「ゾロっ・・・あんた・・・!」
「何だよ。元気じゃねぇか」

平然と言うゾロとは反対に、ナミは混乱していた。
頭に残っている最後の記憶は、身体が溶けていく最中の数秒間。いや、数十秒?数分?夢見心地で、はっきりとは分からない。
ただ、この身が泡になっていく実感も、意識が遠のいていく感覚も、確かに覚えていた。

ならば何故、今、この小船の上に、五体満足で座っているのか?


「あんた・・・私に何かした?」

詰問を投げかける。が、返答なし。

「ねぇ、何かしたの?!」
「・・・何だよ、んなキレるようなことか?」

小っ恥ずかしそうに頭を掻く。耳元が、妙に赤い。





「・・・いつだかもらったモンのお返しだ」




「・・・ッ!!」

今度はナミの頬に朱が上った。





「ったく、それにしても・・・」
ゾロが、盛大に溜め息をつく。

「連れて行けってしつこいと思ったら、今度はこんな強硬手段に出やがって・・・。そんなに島を出てぇのか、お前?」
「・・・ちょっとワケアリでね」
「あぁそうかい」
「・・・聞かせてあげよっか?今度は、あんたが命の恩人だもの」

そして、ナミは悪戯っ子のような笑顔を見せる。


「もちろん、信じる、信じないはあんたの勝手だからね」



ナミは、今までの出来事をゾロにかいつまんで話した。
人魚姫であったこと。
一目見て彼を美しいと感じたこと。
ロビンの呪いのこと。
海を捨てたこと。
ノジコのナイフのこと。
これから生きていくには、彼から離れられないこと――。



「ね?私は、連れて行ってくれなきゃ生きていけないの」
「・・・連れて行ったところで、すぐに死ぬぞ。俺は、食う金つくる手立てっつったら賞金稼ぎくらいしかないからな。それくらい危険なんだ」
「なーんだ、じゃぁどっちにしろ死んじゃうんじゃない」

あ〜あ。困っちゃった。おどけたように言ってナミが笑う。

ゾロは、そんなナミの腕をぐいと引っ張って引き寄せた。

「・・・お前は、やっぱり連れて行かねぇ」
「分かってるわよ。もう連れて行ってくれるとは思ってないし」
「・・・でも」



蒼翠の瞳に、射抜かれる。







「心は、連れて行く」





「・・・え?」


彼の言わんとする意味を測りかね、ナミは唖然とする。


ゾロは、真剣な面持ちで言葉を続けた。



「お前を傷つけたくはねぇから、連れては行けねぇ。けど、お前の心は俺が持ってく。この先、ずっと、俺は片時もお前のことは忘れねぇ。この海がお前だと思って進む。星空を見ればお前の声に耳を澄ます。だから、お前も俺のこたぁ忘れんな。絶対だ」


16歳の彼の、正直な、精一杯の言葉だった。
ナミの胸は欣幸に震えたが、一方で冷静な頭脳が、それではダメだと口を挟む。

「ゾロ・・・私、どっちみち陸にアテはないの。この島だろうと。呪いが私を殺さなくても、生きていけないよ」

その台詞に、少年はあぁと何でもなさそうに答える。

「そんなら海で生きりゃいいじゃねぇか。俺の血が要るんだろ?」
「は・・・何言って・・・?!」

当然のように刀を抜くゾロの手を、ナミは慌てて抑えた。

「バカなことしないで!!ゾロが大怪我しちゃうじゃない!第一その話は、ノジコのナイフにかかってた呪いよ!しかもノジコは殺せって!きっとそうじゃなきゃ・・・」
「物は試しだろ。俺の身体なら心配すんな。寝れば治る」

ニッと笑って、ゾロは刀の切っ先を、左腕を横断するように滑らせた。

真っ赤な鮮血が太い腕から噴き出した。

「きゃっ!?」

飛び散る温血が、ナミにかかる。
するとどうだろう。






ナミの下肢が消え、その場所に、あの髪と同じ尾ひれが現れたではないか。



「ヘェ・・・!こいつぁ紛れもなく人魚だな」
「・・・!」

驚きに声も出ない人魚は、確かめるように何度も手で尾ひれにぺたぺたと触れた。


「治ったじゃねぇか、足」
「・・・嘘みたい」
「これで、家帰れるんだな?」
「・・・うん」
「そんじゃ、万事解決だ」


ゾロが朗らかに笑う。
つられてナミも笑顔になった。





「じゃあね、ゾロ」
「おう」
「あ、・・・そうだ」
「?」

「漂流するのは勝手だけど、溺れるのも程々にしときなさいよ!」
「・・・余計なお世話だ!」



赤い耳を隠すように、海の向こうへと向き直った少年の背中に、人魚はチラッと笑いかける。




「・・・ばぁか」



そして2人は、大きく手を振って別れた。
1人は次の陸へ進む為、1人は元の海へ帰る為に。




















そして、3年の月日が経ち。

ゾロは、オレンジ色の髪の少女に出会う――。




FIN


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(2008.09.04)


<投稿者・高木樹里様の後書き兼言い訳>
「ナミ誕にパラレルを1本書くぞ!」と自分にお題を出して出来上がったのが今作です。あ、ウチにはカレンダーがないので今何月かなんて知りません。(^−^)(殴
コンセプトは“ゾロナミで『人魚姫』”。きっかけは『ポニョ』のCMです。いやー、パラレルって難しいですね。(ネタが浮かばず苦労しました)
これは、あくまで人魚姫の世界観を元に書いています。なので、ワンピ原作の『人魚』とは別物とお考え下さい。ゾロのみ、原作の人間像そのままの“3年前”の姿となっています。
あ、あともう一つ言わせて頂くと、タイトルの「夜、夢照らされ・・・」というのは、特に意味を持っていません。言ってみれば仮題です。本当のタイトルは、これをローマ字表記に直し(yoru yume terasare)アナグラムしてみて下さい。出てきた英文が真のタイトルであり、私がこうあってほしいと思うナミ像です。

タイトル、分かる方いらっしゃるかなぁ?(笑
最後までお読み頂き、ありがとうございました。



<管理人のつぶやき>
助けた人間(ゾロ)に惹かれ、一大決心をして人間になった人魚姫ナミですが、彼についていくことはついに叶わず。諦めて海に身を投げ出した時は切なかった;;。
でも奇跡が起きた。ゾロの精一杯心を込めた言葉も胸に響きました。ゾロは自分の道をまっすぐ目指していく。もちろん、心の中では人魚姫ナミとともにあるのでしょうね。別れの場面は若者らしく爽やかでした。ラストは、パラレルであるはずなのに原作設定に繋がっていくような、不思議な感覚を覚えました^^。

高木樹里さんの5作目の投稿作品にして初パラレルでした。素敵なお話をありがとうございましたv

 

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