潮騒。
海風に乗り飛び立つ鳶。
舞い上がるのは、月に似て黄色いボールだ。






Fly to catch the moon  −1−

            

高木樹里 様


県立東ノ海高校、通称東高。
湘南の海と山の狭間で、巨大な敷地に建てられた、至って普通の公立高校。
そこそこの進学実績とボロい校舎、それに陽気な校風で知られる。

県内有数の面積を持つのは、早い話が山一つ丸ごと高校の敷地にしてしまったから。
進学実績を保っているのは、のんびり屋で勉強せずに遊び呆けている生徒達を必死に伸ばそうとしている、教師陣の非効率的かつ涙ぐましい努力の賜物。
校舎がボロいのは、潮風に吹かれ続けて痛んでしまった為。
そして校風が陽気なのは、海っ子の住まうこの地域の土地柄であると思われる。

山と海が入り混じる自然の中で、生徒は各々充実した高校生活を送っていた。
その中心は、勉学であったり、趣味であったり、学友との遊びであったり、勿論これも。




「ゾロー!今日って部活あんの?!」

朝早くからコートでシュートの自主練をしてきた男子生徒に、教室に入ってくるなりなかなかの剣幕で詰め寄るオレンジ色の髪の少女。
一日の始まりからロクなことがないなと、緑色の短髪の下の眉間に皺が1本追加された。

「・・・あるよ。当然だろが」
「知らされてない私には当前じゃないのよッ!!今月の予定表、もらってないんだけど!」
「何でそれで俺に当たる・・・文句ならルフィに言えよな」
「ルフィが予定だ何だって細かいこと出来ないの知ってるから、あんたに当たってんでしょ!!」

八つ当たりだと堂々自覚した上での苦情か。
ゾロは更に増えそうな眉間の皺を、溜め息でなんとか解消した。

「顧問もなぁ・・・予定表なんか最初からお前に回せばいいものを・・・」
「ルフィのクラスの担任だから、ルフィに渡すのが手っ取り早いんでしょうよ」

朝からぷりぷりしたナミと、その鬱憤の捌け口になるゾロ。このクラスでの毎度見慣れた風景であった。



「あ、あとそれと」

ナミが、思い出したというように指を立てる。

「生徒会からの通達。コート周りは綺麗にしておくことと、ゴールのネットを新調したいなら顧問を通して予算を申し出ること」
「コートが綺麗にならねぇのは俺らのせいじゃねぇ。雑草が勝手に生えてくんだ」
「言い訳したいのは私も山々だけど、そう言ったって活動停止処分くらって困るのは私達でしょ?」
「・・・つーか、ゴールネット面倒くさくねぇか?別に使えなくねぇだろ・・・」
「イ・ヤ。穴だらけじゃないのよ!突き抜けて飛んでったボール探し回るこっちの身にもなって!」
「・・・ちっ・・・」

心底不愉快そうに顔をしかめるゾロ。
昼休みなどに勝手に遊びに入っては、自分達のコートでサッカーをしていく奴らがいる。
あのゴールはそもそも、蹴りのスピードで飛んでくるボールを想定してはいないのだ。ゴールネットの老化が著しいのはそこにも原因がある。

「それからー」
「まだあんのかよ!覚えてらんねーよ!」
「マリモ頭の筋肉化した脳みそじゃ無理もないわね。でも言うだけ言わしてもらうわ」
「・・・てめぇ黙って聞いてりゃ好き放題・・・」
「オフの日に、一緒にヤニとかテーピングとか消耗品全般買いに行きたいの。その為にも、早く予定表ちょうだいね」
「一人でとっとと行って来いよ」
「荷物持ちなしでどうやって帰って来いって言うのよ」
「・・・・・・」

返す言葉が見つからないゾロであった。










さて、短いながら導入部分となる冒頭をお読み頂いた諸君に、改めて伺おう。


彼らは、一体、何の部活動についての話をしているのか?




解答は、下記の通りである。



「まったく、コートの外では脳がない連中ばっかりなんだから・・・私がいなきゃ、男子ハンドボール部、成り立っていかないわね」
細い腕を組み大袈裟に息をついて、当然のように言う女子マネージャー・ナミ。


辟易が、ゾロにまた溜め息をつかせた。










ハンドボールというスポーツをご存知だろうか。
『手でやるサッカー』と表現されることが多い競技ではあるが、実のところ、そのノウハウはむしろバスケに近いところがある。
言うなれば、フットサルコートでバスケットボールをしているようなところだ。

無論、ルールは似ているようでバスケとかなり違う。
バスケのトラベリングは3歩でアウトだが、ハンドのオーバーステップは4歩までOKだ。
その代わりピボット(片足を軸に回るように足を付くこと)は認められず、1歩に数えられてしまう。
ドリブルも認められているが、ダブルドリブルの基準はバスケよりも厳しい。
基本的にOF有利なスポーツではあるが、正面からのみ、DFはボールを持っている相手と接触できる。
突っ込んできた敵OFの腰と、ボールないしは腕をつかみ、動きを封じてしまうのがDFのセオリー。
1回の攻撃の制限時間はおよそ30秒。それ以上経ってもシュートを打たないと、『パッシブ・プレー(消極的攻撃)』と見なされ攻撃権を失う。
選手交代は、プレー中に何度でも行え、審判への報告もいらない。
バスケで言うフリー・スローは、サッカーのPKならぬPT(ペナルティー・スロー)だ。
ちなみに、サッカーのようなオフサイドやシュミレーションはない。

プレイヤーは7人。うち1人がキーパーである。
試合時間は前後半20〜30分ずつ。ハーフで10分空く。
コートは縦40m、横20m。ゴールは高さ2m、幅3m。ボールの大きさは高校男子なら3号球だ。
冬季の大会を除いて、そのほとんどの試合が土のグラウンドの上にゴールを置いたコートで行われる。
ゾロ達のコートも、校舎の脇の山沿いに、ぽっかりとあった。
日当たりの良いおかげで、周りを囲む草木が無駄に元気なのが悩みの種だ。少し気を緩めればコートが侵食されかねない。


ハンドのシュートで最も一般的なのは、ジャンプシュートと呼ばれる、左足で踏み込み上にジャンプして、ボールをつかんだ右手を振り下ろす形のもの。
それが、敵DFをフェイントで抜いた後に打つならカットイン、DFの上から打つならロングシュートとなる。
角度の狭いところから打てばサイドシュートだし、ポストの位置で打てばポストシュート。どのポジションだろうと、まずはこのシュートあっての攻撃だ。

コートには、ゴールから6mの距離で半円が描かれている。
その6mラインの内は敵であろうと味方であろうと、自陣のキーパー以外入ってはならない。
基本的に、シュートはその外から打たなければならない。だからOFとキーパーの接触はほとんどないのだ。
その聖域を侵してシュートを狙う、たった一つの戦法がある。




「スカイプレー?」
「あぁ。そいつをできるようになっとこうぜ」

休み時間、ナミの苦情をそっくりそのまま伝えに来たゾロを前に、ルフィがその言葉を口にした。




スカイプレーとは、簡単に言えば“空中へのパス”である。
主に、ジャンプシュートを打ちに飛んだOFが、6mライン内の空中にボールを放り込み、それを味方がジャンプして空中でキャッチ、そのままシュートするという、ハンドボールで最も迫力あるプレーを言う。
バスケ界では、上級者にとって空中で2、3のプレーは常のようだが、ハンドボールはとにかく接触の激しいスポーツ。つかむ・引っ張る・突き飛ばす・引きずるなどは日常茶飯事である。
そういった中で、DFに絡まれてからの細かい動きはなかなかできない。よって、いかに敵のDFを翻弄し、思うように動かし、スペースをつくり、万全の体制でシュートまでもっていくかがカギとなる。
そして、例え6mラインの中に入っても、足がついていなければ反則は取られない。
故に、スカイプレーは、DFに触れられることなく打てる、ある意味理想的なシュートなのである。
普通にDFを抜いてシュートを打つ場合も、最後の1歩でジャンプしてラインの内側へ飛び込むことが多いが、所詮たかが知れているというもの、上空のボールに飛びつく時ほどにはゴールに近づけない。


スカイプレーとは、バスケで言うところのダンクシュート。イメージとしてはむしろアリウープ。
高校女子ではまずできない、男子でもなかなかお目にかかることはできない代物なのである。





「何だってまたそんな高等技術・・・少なくとも湘南地区で戦ってるうちは、基礎しっかり固めときゃ勝てんじゃねーのか」
ゾロの声には明らかに呆れの色が混じっていた。

ルフィが、途端に断固とした顔になる。
「それは違うぞ!ゾロ!」

そして人差し指を、目に刺さる勢いで突きつけ、一言。

「できた方がカッコイイだろ!!」


どうせそんなところだろうと思った、と呟いたのは、ゾロの頭の片隅だった。










5月に3年生の引退した今、東高男子ハンド部は、ルフィやゾロ達2年生を中心に練習していた。
この代はなかなかに良いメンバーが揃っており、地区に留まらず県大会でも、結果が期待できそうだという噂が立っていた。

ハンドボールは、都道府県レベルで大会を催しても、集まるチームの総数は他のメジャーなスポーツとは桁が1つや2つ少ない。
県でも男子は80ほど、湘南地区なら20といったところか。
女子はその半分程度である。
そしてもう一つ、経験者というもののパーセンテージが極端に少ない。全員が0から始める。
よって、ちょっとしたことで結末は大きく左右され、誰もが高順位へ近付くチャンスがあるのだ。

今年は、その最大の好機だった。





季節は晩夏。

もうすぐ、夏休みが、終わる。




















「ゾロ〜、まだやるの?」
ナミの声音がはっきり『暑い疲れた帰りたい』と言っていたが、ゾロはシカトした。

晴れた日曜日の昼下がり、定休日でありながら、彼らは学校のコートにいた。

ナミの買い物の荷物持ちをし、おまけに何故か昼食を奢らされた後。
「少しくらい俺の用事にも付き合え」と言って、彼女をコートに連れて来たのだ。


さっきからゾロは1人で黙々とシュートを打ち、ナミはそれをひたすらビデオに撮っていた。

「シュートフォームの確認だっつってんだろ。撮ってるだけじゃなくて、アドバイスの一言くらいねぇのか」
「ずっとビデオ持ってるだけでも疲れんのよ!!協力してやってんのに何よその言い草」
「荷物持ちと昼メシ代合わせたら、それくらいでも釣りが来ると思うぞ」
「買い物はあんた達が使う物買ったんじゃない」

言い争いも全て記録に残ることを知りながら、2人は部の共有ビデオを回しっ放しにしていた。


コートの傍らのベンチには、午前中の買い物の品が山積みになっている。

「ヤニはすぐ使い切っちゃうし、皆しょっちゅうケガするからテーピングだって切らしちゃう訳にいかないし。マネさんだって大変なんだからね?」
「あーはいはい。分かった分かった」
「感謝してないでしょ」
「恩着せがましいんだよ」
「あーもーうるさいわね。喋ってないでさっさと終わらせてよ」
「・・・てめぇが言うか?」

ちなみに、彼らの言う『ヤニ』とは、プレーの際滑り止めに使う松ヤニのことである。
ベタベタな水飴状で、指先に付けて使う。洗う際には専用のクリームが必要で、水や石鹸だけでは取れない。服に付いたりなどしたら、洗剤でも落ちない。砂まみれになる中で使うからにはこれくらい、というほどの、超日常級の頑固さを持つ。



ハーフラインあたりで、ゾロはポン、と一度軽く前にドリブルをついた。
キャッチするとその流れのまま、トン、トンと踏み出す。
眼前にはだかる低いコーンの前で、左へのフェイントを1発、抜きざまに加速。
左足が、ダンッと地面を強く弾く音がした。

宙に舞い上がったゾロの目線が、右腕を後ろに引いたシュートフォームのまま、一瞬、泳ぐ。
左隅から右へ、また左へ。


ヒュッと風を切る音を立てて飛んだボールは、ゴール右下の角へ襲いかかった。
ガァン!!という金属音を轟かせ、ボールはバーに当たって、ゴールネットへ飛び込む。


フランキーが日頃「止められねぇよ」と苦笑する、ゾロの得意シュートだ。
目線でキーパーを騙し、足元へ叩き込む。



「うん、いいんじゃない?特に直すことないわよ」
「テキトーに言うな」

ビデオの画面を2人で覗き込みながら、ゾロは思案顔になりナミはボールをいじる。
息のかかりそうな、熱の伝わりそうなこの距離でも、平生と同じくいられるのは、ひとえに幼馴染という関係のお陰だろう。
互いの汗の匂いが混じって、大気の間に充満した熱れと湿りの隙間を縫うように広がった。


ゾロが、汗だくの腕で大きく伸びをする。
「うし、いい加減上がるか」

ナミが「待ってました♪」と笑ったので、ゾロの顔がまた少し不機嫌になった。
それすらも笑われて、今度は苦笑した。





着替えを済ませ、買ってきた品々を部室で整理した後、学校前の坂を下りる。
蒼海は、もう夕焼けに染まりきっていた。

「ゾロ、あんたちゃんと宿題やってる〜?」
「俺がやってると思うか?」
「やんなさい、サボリの副キャプ」
「夏休みも、結局お盆の週以外部活漬けだったじゃねぇか。やってるヒマあっかよ」
「提出間に合わないわよ」
「あー、正直もー出す気ねぇっつうか・・・」
「あそ。知ーらないっ。せっかくナミちゃんが写さしてあげようと思ってたのに」
「どーせ高くつくんだろ?」
「時間の短縮と評価考えたら、安いもんじゃない?」

海に向かって歩きながら、毎年この時期に繰り返す会話を、同じ内容で交わす。
小さな駅に向かう、線路に沿った曲がり道で、ナミはゾロの意に反して、まっすぐ踏み切りを渡った。

「海か?」
「ちょっとだけ」

振り返るナミの笑顔につられて、ゾロは一緒に海岸へ階段を降りた。





「あーっ!夏ももう終わりかぁ」

砂浜で、革靴と紺のハイソックスを脱ぎ捨てて、波打ち際に足を付けたナミが、名残惜しそうに言う。
ゾロは、後ろでどかっと腰を下ろしていた。

「充実してたろ」
「えー、全然遊べないで、もっぱら汗臭い連中と部活三昧だったじゃない。鎌倉の花火大会も行けなかったし・・・青春してないって言うかなー」
「部活でなけりゃ何が青春なんだよ・・・」
「このおバカっ!恋したいに決まってるじゃない!」

断言するナミに、ゾロは困ってしまう。男の自分にそんなことを言われても。

そもそも、彼女ほどの容姿があれば、言い寄ってくる男など十二分にいるだろうに。
現にナミは、クラスでは毎日のように男子に話しかけられる存在なのだ。
その気になれば、すぐに彼氏の1人くらいできそうなものを、彼女自身がそうでないと言わざるを得ない。

「好きな人がほしいな〜・・・今のクラスはじゃがいもばっかりだし」
「失礼な奴だな・・・」
「あら、私に釣り合うような男なんて、なかなかいないじゃない?」

自信たっぷりに言う。こういう謙虚さのないところが、どうしようもなく彼女の魅力だったりもするのだから、厄介だ。



頭上後方で、緑色の電車がトコトコと走っていく。4両しかない列車は、平日の朝など学生だけですし詰めになってしまうが、今なら座る余裕もあるだろう。

「江ノ電、次何分?」
「さぁ。どうせ12分待ちゃ来るだろ」

話題には出たが時刻のことなど大して気にせず、ただのんびりと時間を過ごす。
海には、何にも勝って人を惹きつける力があることを、ゾロもナミも昔から知っていた。


視界の右手側、橋で繋がれた島に明かりが灯る。

「やっぱ江ノ島は夜見るもんよね〜。日本のモン・サン・ミッシェル!」
「月とスッポンだな」
「あんたね、行き飽きたからって江ノ島バカにするんじゃないわよ」
「お前の水族館好きも、ここまで来ると酔狂じゃねぇか?」
「いいでしょ、私は江ノ水も江ノ島も好きなの」


七里ガ浜の海は、徐々に闇に吸い込まれて、返すように宇宙が迫ってくる。
細波がわずかに白く舞うばかりで、海原は夜空と溶け合い、空虚へと姿を消してゆく。




「ねぇ」


不意にナミが浮かべた笑みは、天使とも魔女のものとも見受けられる微笑だった。
水面に映った白い月が、無の空間にゆらりと浮かび上がる。







「あの月を取ってきてよ」




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(2009.02.08)



 

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