グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −一−
            

智弥 様




 丑の刻頃、右大臣シャンクス邸の屋根の上に三つの人影があった。真夜中とはいえ誰かに見咎められる危険性があるにもかかわらず、その人影はそこから動かない。
 それもそのはずで、彼らの姿は、徒人では視ることの敵わない存在であるコウシロウの式神たちだからだ。
 なぜ彼らが屋根の上にいるかというと、ゾロが昏睡状態に陥っているからだった。
 普段のゾロならば式神たちが傍に居ようとも何ら問題はないのだが、身体が弱っている時はそういう訳にはいかない。ゾロは問題ないと言うだろうが、彼らにとってはそれ以前の問題だった。
 式神とはいえ、神は神。彼らが放つ神気は甚大かつ苛烈なもので、少しでも力がある者は神気にあてられると、無意識に畏れを抱き身体が竦んでしまうのが常だ。普段からごく普通に、それこそ徒人に接するように彼らに接するゾロやコウシロウがおかしいのだ。
 だからこそ、普段の気力も体力も霊力も万全なゾロならば、彼らの神気をうまく受け流すことも受け止めることもできるのだが、いま現在のゾロはそれらすべてを使い果たしている状態で、そんなゾロには彼らの神気は毒にしかならないことを、彼らは知っているのだ。
 だから彼らはゾロを気づかい、少しでも距離を取ろうと屋根に上がり、できるだけ神気を抑えているのだった。
「それにしても、ゾロ坊が寝込むとはなぁ。今日で丸三日だろ?」
「ゾロさんほどの方が寝込むなんてねぇ」
「たぶん、明日中には目を覚ますはずよ」
 フランキーが気づかわしげに言えば、ブルックが頷き、それにロビンが答える。
 ゾロが意識不明になったことと、シャンクス邸に滞在していることには訳があった。
 ここふた月近くの間、都には雨が降らなかった。そこで祈雨の儀式を行うことになったのだが、それがすべての発端だった。


 ことの起こりは乞巧奠を五日後に控えた七月の初めに、ゾロがコウシロウに呼ばれたことから始まった。
「は・・・?いま、なんと?」
 ゾロはぽかんとした顔で、いま言われた内容を聞き返す。
「ですから、このたびの祈雨の儀式において、ゾロ君を私の補佐につけたいんですよ」
「それは・・・、ほかに優秀な方たちがいるでしょうに」
「そうなんですが、やはり慣れている人と一緒のほうが、仕事がやり易いでしょう?」
 にこにこと笑いながら、コウシロウはさも当然のように言う。それに対して最初は何を言われたのか理解できなかったゾロだったが、理解した瞬間、眉間にしわを寄せた。
 今回の祈雨の祈祷を帝直々にコウシロウが命じられたことは知っていた。しかし、その補佐にまだ陰陽生であるゾロを指名してくるとは。いつもなら、都の北に座する霊峰に帝が祈雨を願うか、陰陽師が数人がかりで行うものだとコウシロウとて承知しているはずだ。
 しかし、目の前にいるこの師匠は必ず自分の言い分を突き通すに違いないし、どう足掻いても口では師匠に勝てない自分が事態を回避できるとは到底思えないと、ゾロは深々とため息を吐いた。
 とりあえずゾロは、なぜ自分を指名したのかを訊ねることにした。さきほど言っていた理由のほかにも、なにやら裏がありそうな気がしたからだ。そうでなければ、コウシロウがほかの陰陽師たちを差し置いてまで、ゾロを指名するわけがないのだ。
 普段は右大臣と結託してゾロに無理難題を吹っかけてはくるが、決して宮廷にいる陰陽師たちを蔑ろにしているわけではない。むしろ、宮廷陰陽師たちの手を煩わせないためだけに、細々としたどうでもいいくだらない勘違い気のせい、で片付けられる貴族たちの依頼をゾロに押しつけてきていると言ってもいいくらいには気を配っているはずなのだ、たぶん。
 しかし、そうやって貴族たちが持ち込んでくる雑事を片付けていくたびにゾロの名声が高まっていくことと、それこそがシャンクスとコウシロウの本当の目的であることを本人のみが知らないでいるのだが。
 ゾロが思いきってコウシロウの真意が知りたいとそう言えば、コウシロウはあっさりと答えてくれた。
「ここふた月あまり、雨が降っていないでしょう」
「・・・たしかに。秋の初めとはいえ、夕立すらないですね。空気も乾燥してるし、そろそろ降らないと干上がってしまいますね」
 ゾロはこめかみに指をあてて、記憶を手繰りながら答える。
 たしか、螢を見に行ったのが梅雨の晴れ間を見計らってのことだったし、一日だけの止雨の祈願をしたから、それは覚えている。それからは梅雨の終わりとともに、いつのまにか雨が降らなくなり、気がつけば、雲ひとつない青空がもうふた月あまりも続いている。
「ええ。ですから、帝から私に勅命が下ったのは知っていますね?」
「それは、知ってますけど・・・。この時機に、ですか?」
 先日、帝が祝詞を奏上し、陰陽寮で人形に穢れを移す儀式を執り行い、それを鴨川に流すという夏越祓が行われたばかりだった。
 はっきり言って、この儀式、気休めでしかないとゾロは思っている。
 紙の人形で全ての穢れが祓えるのなら、都に魑魅魍魎が跋扈し、百鬼夜行が変わらずに都を徘徊するわけがないのだ。
 そして、五日後には乞巧奠がある。その準備で内裏全体が慌ただしい雰囲気に包まれている。かくいうゾロも、ゾロが陰陽生になったことと、そのあとに入寮してくる者がいなかったことで、陰陽寮に一人しかいなくなってしまった直丁を積極的に手伝って雑用に精をだしている。
 つまり、全体的に慌ただしくも忙しいこの時期に、雨乞いを行う余裕は陰陽寮にはないのである。
 ゾロのもっともな疑問に、コウシロウは笑顔で頷いた。
「ええ、それは帝も重々承知していらっしゃいます。だから、祈雨の祈願は乞巧奠を終えてからです。だから、そのときにですね」
 その笑顔にゾロはなにやら嫌ぁな予感がして、わずかに身を引いた。
 そして、ゾロの予想通り、いやそれ以上のことを、コウシロウは口にした。
「北方の山の御祭神にこちらまでお越しいただいて、直接お願いしてしまおうかな、と思いまして」
「・・・・・・・・・はあっ?!」
 たっぷり三呼吸分を数えて、ゾロは素っ頓狂な声をあげた。
 都の北方に座する霊峰の祭神の御名を、創世神話や書紀ではクラオカミノ神、書紀の一書の記載にはタカオカミノ神と記されている。クラオカミノ神とタカオカミノ神は同一の神、または、対の神とされていて、しかも天津神であり、この国で五指に数えられる由緒正しき竜神だ。そんな神を招神しようとは、突拍子もないことを言い出すものだと、ゾロは頭を抱えたくなった。
「・・・わざわざ招神しなくとも、直接本宮に赴けばいいのでは?」
 いつもならそうしているだろうと言外に告げるゾロに、コウシロウは困ったように笑う。
「そうですよねぇ。私もそう申しあげたんですが・・・」
「まさか、何かしらの圧力が?」
「その、まさか、なんですよねぇ」
 コウシロウはのほほんと笑っているが、その目は決して笑ってはいないことにゾロは気づく。
 帝に圧力をかけられる者など、大内裏広しといえども一人しかいない。
「左大臣、ですか・・・」
 ゾロがそう呟けば、コウシロウは頷いた。
 現在の左大臣は東宮エースの父ではない。エースの父である先の左大臣は二年ほど前に病気で亡くなり、その後に当時右大臣だった現在の左大臣がその職に就いたのだった。
 しかし、彼は十六年前のルフィ誕生の秘密を知らない。なぜなら彼は、当時アーロン一派の幹部と目されていたからだ。しかしながら、アーロンを失脚に追い込み、一派の洗いだしを隅々まで行っても確固たる証拠が出てこなかったことと、その後の動きに不穏なものはなく勤勉に政務に励んでいたこともあり、徐々にその地位を確立していき、今に至っている。
 そして、右大臣であるシャンクスともとくに表向きは仲が悪いわけではなく、政策においてはかえって積極的に意見を求められたりしているらしい。
 つまり対外的には、辣腕を振るいながらも他の意見を取り入れる理解ある左大臣、で通っているのである。これではいくらシャンクスが疑っていようとも、表立った行動に移ることができない。そういう意味では、したたかなたぬき、と称賛するしかない。
 その左大臣が、コウシロウへの帝の勅命を知ったあと何を思ったのか、都中に触れを出したのだ。その左大臣曰く。
『見事招神を成し遂げ、都に雨を降らせたあかつきには、それに相応しい官位を与え、左大臣家に召し抱える』
 しかも、招神に成功した術者を推薦した者にも、その相手の身分や立場によっては、金品などの現物から政治的立場や発言力などといったものも含んだ、それなりの見返りがあるということだ。
 なんとも豪気な、とも思うが、どちらに転んでも左大臣に損はない。招神がうまくいけば優秀な術者が左大臣の手に入るし、失敗しても術者に官位を与える必要も推薦者に見返りをやる必要もないときている。さすがはたぬき、といったところか。
 おかげで、本来の手順に則って本宮に赴いて雨乞いをしようとしていたコウシロウまでが、それに準じなければならなくなった。そのことを左大臣に伝えれば、
「主上からはお許しをいただいております故、コウシロウ殿は何もお気になさらず、我らにお付き合いください」
と、にこやかに一蹴されたという経緯があった。
 帝の許しがある以上、コウシロウに拒否権はない。それでしかたなく都の北方守護である祭神を招神する、などと言い出したのだ。


「それで?あんたはどうするの?」
「どうするってもなぁ・・・」
 簀子に腰を下ろし、ゾロは狩衣の袂をぱたぱたと扇ぐように動かして、ぬるいわずかな風を送りながら言葉を濁す。そんなゾロをナミがじっと見つめている。
 出仕を終え帰邸したゾロに、コウシロウが文をひとつ手渡した。中を見ればナミからゾロに宛てた文で、久しぶりに笛を聴きたいから、帰ったら邸に来てほしい旨が書かれていた。
 そして笛を片手に訪れると、すぐさまナミの許へと案内された。挨拶もそこそこに、ゾロはナミにねだられ笛を吹かされた。その音はあいかわらずゾロの人柄を表したように、無骨で実直で雅やかさは全くなかったが、以前よりも伸びやかで軽やかで艶を帯びたようだった。
 ゾロは少し前に、ナミと共に訪れた右大臣所有の別邸で、鎮魂のためとはいえ笛を吹くはめに陥った。その時に二度吹いたが、始めは横笛師の魂を依り憑かせていたし、成仏させたあとはその横笛師の置き土産のおかげで恥をかくことはなかった。
 しかし、この手のものは一度きりと決まっている。
 そこでゾロは、その後しばらくしてからもう一度笛を吹いてみたのだが、なんと驚くことに、ゾロの笛の腕前が上がっていたのである。どうやら置き土産でしかなかったものを、ゾロは上手く自分の能力として取り込んでしまったらしい。
 ブルックの見立てでは、ゾロは元々その手の才能がないわけではなく、これまではどちらかと言えば興味がないために発揮されることがなかっただけではないか、という。
 そのうえナミという聞き手ができたことで、それからのゾロは、剣術の鍛練のほかに時間を見つけては笛の習練をブルックにつけてもらうようになっていた。
 ゾロが一曲吹き終わると、うっとりと聴き入っていたナミはそんなことをおくびにも出さずに、まるで世間話をするかのように雨乞いの儀式について話し出した。だいたいの事情はシャンクスから聞いていたらしい。
「まあ、乞巧奠は昨日、無事に終わったし、今回の儀式は失敗できないらしいからな。受けるしかないだろうな」
 困ったように首筋を撫でながらゾロは苦笑した。受けるかどうかの返事は、乞巧奠が終わるまで待ってもらっている。
 しかも、ナミの許に来るときに、シャンクスとすれ違いざま笑顔で頼まれてしまったし。
 おそらく招神に成功するのはコウシロウだけだろうという確信が、ゾロにはある。そしてそうである以上、左大臣に召し抱えられる術者が出ることもない。左大臣お抱えの優秀な術者など、何をさせるつもりかわかったものではない。
 そう考え、諦めのため息を吐きながら、ゾロは再び口元に笛を運んだ。




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(2010.09.15)



 

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