グランドジパング平安草子〜春愁篇〜 −一−
智弥 様
「よーし、キブネに桜を見に行くぞ!!」
春のうららかなある日―――。
都の桜が散り始めた頃、ルフィが唐突にそう言った。
突拍子もないルフィの言動に慣れている面々は、出仕している全員がなんとか仕事に折り合いをつけて休みをもぎ取り、全員揃ってキブネへと赴いた。
その道すがら、サンジとゾロは浮かない顔をしていた。その理由をこの場にいる全員が知っていた。
それは半年程前の、昨年の夏の出来事だった。
昨年の夏はふた月近くも都に雨が降らず、帝の命によってコウシロウが祈雨の儀式を行うことになった。ゾロはその補佐を務めたのだが、その時に誰もが予期せぬことが起きた。
ゾロがその身に、神を依りつかせたのだ。
儀式に際してコウシロウは北方の祭神を招神したのだが、何者かの妨害が入り、機転を利かせたゾロがそれを行い、その場は事なきを得た。
それからの祭神とのやり取りに加え、ゾロが三日三晩意識不明に陥ったり、ゾロの意識がない間に再びその身に祭神が憑依したり、その祭神に無茶な依頼をされたり、といったことが立て続けに起こった。
そしてその神の依頼が、サンジの身にも大きく降りかかったのだ。
北方の祭神はタカオカミノ神とクラオカミノ神という二神で、依頼をしてきたのはクラオカミノ神だった。
その依頼というのは、雨を降らせたければ、西の大陸から渡ってきた大妖によって封じられたタカオカミノ神をその呪縛から解き放て、というものだった。
神の依頼を受けたゾロはその調査の過程で、神隠しが頻発している事を知った。そしてそれが、大妖によって唆された桜の木霊が、サンジと逢瀬を重ねるため、ひいては自分の願いを叶えるために行っていたことを知った。
そしてゾロはキブネの地で、それら全てに終止符を打った。サンジに恨まれるのを覚悟の上で。
結果、サンジは本気で愛した姫を、永遠に失う事となってしまった。
その後、ゾロはひと月以上寝込む事となり、サンジは自分の想いを持て余していた。その二人が和解し、表面上は元通りに振舞うようになったのは、十一月を過ぎた頃だった。
それから慌しく時が流れ、新年を迎え、気がつけば春を迎えていた。
桜の木が徐々に芽吹くとともに、サンジは何やら塞ぎこむようになっていった。
それを見ていたウソップとルフィは、ゾロにどうしたらいいのか相談していた。ゾロとしては原因がわかっているうえに、それに自分が関わっている以上そっとしておいてやりたかったのだが、ルフィはそれを良しとしないのもわかっていた。
ルフィの方針は、楽しい事も辛く悲しい事も仲間皆で分かち合う、というものだからだ。
そのくせ自分が本当に辛くなったときなどはそれをおくびにも出さず、一人で抱え込もうとするのだ。周りで見ているほうが胸を痛めてしまうほどに。
そんなルフィに誰よりも先に気づき支えるのは、やはりゾロだった。その逆もまた然り。しかしそうでありながらも二人は馴れ合うこともなく、互いに支えあい切磋琢磨する関係だった。
何の解決策も見出せなかったゾロは、最終的にはルフィの好きなようにすればいいと、助言してしまった。結果的にはいつもそれでなんとかなってしまうし、意外と的を外してもいなかったりするための苦しまぎれの一言ではあったのだが、冒頭のルフィの言葉を聞いて、いささか早まったかとゾロは後悔したが後の祭りである。
ゾロは近づいてきた山の景色を馬上から眺めやった。
新緑が芽吹きだした木々の合間合間に、雲珠桜と呼ばれる桜の淡い色が彩りをそえている。それはまるで山にたなびく霞か雲のようで、なんとも幻想的な景色だ。
そういえば昨年もこれくらいの頃に桜を見に、キブネを訪れたんだったなぁ、とゾロはなんとなく感慨深く思い出していた。
キブネは冬には雪に厚く覆われ、人が立ち入ることは出来なくなる。そして夏は高所ということもあり、都よりも涼しいのだ。その関係もあってか、キブネの桜は都の桜が散り始める頃に咲き始める。それを知ったルフィが桜を見に行くぞと騒ぐのは、当たり前といえば当たり前だった。
そうして、春にここをいつもの面々で訪れたのだった。
キブネに到着するなり、ルフィはサンジに向かって言った。
「サンジは行くところがあるんだろ?俺たちはここで適当に花見して待ってるから、ゾロと一緒に行って来いよ。な、それでいいだろ、ゾロ」
ルフィ特有の笑顔でそう言われてしまえば、ゾロもサンジも反論など出来ず、しばらく気まずそうに互いの顔を見やっていたが、盛大なため息を吐いたのちにどちらからともなく奥へと向かって歩き出した。
「おいおい、良かったのかよ、これで」
ウソップが心配そうに二人の後姿を見送りながら言った。
「いいも何も・・・ルフィが言い出したことだし、止められると思う?」
同じく二人を見送っていたナミがため息混じりにそう言って、ルフィを指差した。
二人のあからさまな非難の眼差しに、ルフィはいささか心外そうに顔をしかめた。
「しかたねぇだろう。こうでもしなきゃあいつらいつまで経っても、わかだまりがなくならねぇじゃねぇか」
「それを言うなら、蟠り、でしょ」
「おう、それだ」
ナミが言葉の訂正を入れると、ルフィは当然のように頷いた。
「まあ、たしかにな。あれからのあいつらときたら、見てるこっちがじれったくなるくらいには、鬱陶しかったからなぁ」
「そうね、時には荒療治も必要ってことかしらね」
ウソップが納得したように頷けば、ナミもそれに同意する。それを受けてルフィは我が意を得たりとばかりに胸を張った。
「ま、二人が帰ってくればわかるさ。これで駄目だったら、その時はその時で別の手を考えるだけだ」
珍しく至極真っ当な意見を述べるルフィに、ウソップとナミは笑顔で頷いた。
二人は無言で山道を登っていた。
キブネ川を挟んで居並ぶ二つの霊峰は、清冽な神気に覆われていた。そのうちの一方であるキブネ山は、以前訪れたときとは比べものにならない神々しさが満ち満ちていて、本来あるべき姿に戻っている。
異邦の妖異は完全にこの地から姿を消している。妖気の残滓も何もかも残ってはいない。ゾロは無意識のうちに安堵の息を吐いた。その様子を、サンジはちらりと横目で見やった。
ゾロが寝込んでいる間、ゾロに頼まれたチョッパーやロビンがキブネの様子を確かめては報告してくれていて、もう大丈夫なのは知っていたのだが、回復したあと仕事の遅れを取り戻したり、正月を迎えるにあたっての準備やら何やらで忙しくしているうちに、キブネは雪に覆われ立ち入りが出来なくなってしまった。そしてうやむやにしているうちに今の季節を迎えてしまい、今日こうして実際に自分の目で確認してようやく、ゾロは心底から安心することができたのだ。
二人が目指している場所に行くには、キブネ神社を預かる神職の者が住む社務所の前を通る。そしてその先に本宮がある。
青空にそびえる巨大な峰を見上げたゾロの胸に、苦いものが過ぎるのを自覚した。
この地の神事を司っていた禰宜と宮司は、異邦の妖異によって落命した。惨たらしく殺され、その皮膚を化け物に奪われ成り代わられた人間たち。
その事実を、長い間誰にも知られることはなかった。
社務所の側を通ったとき、サンジが神妙な面持ちでひっそりと呟いた。
「・・・鎮魂は、おまえの師匠が極秘に執り行ったんだってな」
「何故おまえが、それを知ってる?」
それはあくまでも極秘だと聞いていたゾロは、なぜサンジがそれを知っているのか訝しく思い、胡乱げに眉をひそめた。
それに気づいているのかいないのか、サンジはなんでもないことのないように答えた。
「関係者は全員、シャンクスから聞かされてるぜ」
「・・・そうか。あくまでも極秘だと聞いた」
サンジの答えに得心して、ゾロは重々しく頷いた。関係者は全員ということは、ルフィたちも知っているということだ。
キブネは水神、帝が雨を祈願するこの国の守護だ。その神事に与る者が惨殺された以上、何が起こったのかを報告しない訳にはいかなかった。
今上の帝と左大臣に、コウシロウは事の次第を奏上した。
この国に、異邦の脅威がおとずれていた、と。そして、神隠しから始まり祈雨の祈願へと至る一連の事件を、余すことなく伝えたという。全てが済んでからの事後報告となったことでコウシロウは、厳罰を受ける覚悟だった。
だが、帝の彼に対する信任は篤く、罰せられることなく、逆に早期に事を収めたということで、労いの意味を込めての褒賞までいただいてしまった。左大臣は終始、この件についての意見は差し控えていた。
そんな恐ろしい事態が起こっているなどということが知れ渡れば、都は恐慌と混乱に満ちたであろうとの、帝の思慮だった。
『なに、案じてはおらんよ。コウシロウよ、おまえがいるのだからな』
大陰陽師コウシロウが護り続ける限り、いかな化け物とて都に手出しが出来るはずもない。
帝の言葉をコウシロウの口から伝え聞いたゾロも、そう思い頷いた。
他の誰でもない師匠の護りがあるのだから、絶対に大丈夫なのだ、と。
そう思ったゾロは次の瞬間には、コウシロウに頼らずとも「都や仲間たちは自分が護るから心配はいらない」と断言できるだけの実力を早く身につけたいものだ、と考えていた。そして、そんな弟子の心中を見事に読み取ったコウシロウは、今回の一番の功労者が何を言うのか、と苦笑した。
本当に、謙虚なのはゾロの美徳だが、ここまで無自覚だとさらに自覚を促したくなるではないか。いい加減ゾロに後を譲って楽をしたいんですけどねぇ、などとコウシロウが考えていたことは、もちろんゾロは知らない。
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(2011.06.29)