ナミが目覚めたときには国王の姿はなかった。
まるで風のようね、と昔からの変わらない感想を胸に抱き、起き上がる。
窓まで歩き、観音開きの窓を開けると、本物の風が部屋に舞い込んだ。
重く、湿った空気は雨の匂い。
外はあいにくの曇空で、まだ朝早いというのに大粒の雨が降り出している。
でも、嫌ではなかった。
一事件を片付け、久々の逢瀬の後。
今日はゆっくりと過ごしたかった。雨に閉じ込められるように。

雨に…閉じ込められる…?

その言葉と、窓の外、眼下に見える風景が突然、ナミの中で結びつく。
半分にかけた大きな土管が、輪になった植栽の中央に埋もれている。
そうだ。
あの中で昔、私は…子供の自分を無くした。あの人のせいで。






雨に濡れて

kim様



幼なじみだったナミとルフィ、ゾロ、ウソップの4人はよく遊んだ。
城中を駆け回り、時には屋根の上までが砦。
彼らにかかっては退屈な場所などひとつもなく、全てが夢の魔城と化した。
だが、その眩しかった季節もいつかは終わる。
ゾロやウソップの声が掠れ、ナミの胸が膨らみ始めた頃、4人は余り遊ばなくなった。
そんな状況を寂しいというより当然のものとして受け入れていた子供たちが久々に4人集まった、
そんな日の話だった。

遊ぼう、って言い出したのは誰だったかしら?
しかも「かくれんぼ」。笑ってしまうほど幼稚な遊び。でも誰からも抗議は出なかった。
4人とも気付いていたからかもしれない。
こうやって誰彼なく騒ぎ、泥んこになって転げまわれる日々の終わりが近いことに。

鬼はルフィだった。範囲を決め早速隠れる。
後宮の中庭のこのあたりは、ごく幼い頃から遊びなれた場所で4人とも隅々まで知り尽くしていた。
そこで身体も小さいとはいえない奴らが隠れるのである。
知恵の見せ所だ。
ナミは早速目をつけていた場所へと走った。
中庭の一部は造成中で、そこに大きな土管がある。その中に隠れよう、と決めていた。
そこには先客がいた。ゾロである。

「あんた…まさか、そこに?」
「お前もか!」
「ずるい、私が先に目をつけていたのに」
「俺のが先についたんだぞ」

言い合いはあっさり終わった。
「2人で入ろう」ということになったから。もともとそんなに真剣でもない。
ただこの土管は立っていて、入るには足場が必要だった。
だからこそ隠れるにはいいのだが、二人で組めば進入が楽になる。
そういうわけで先にナミを足場にしてゾロがあがり、天辺でナミの手を引く、
そんな風にして二人は中に入った。
下りたとたん、ルフィの声が響く。

「これから探すからなーー!」
「間一髪だったな」
「そうね」

2人は十分広い土管の中に座り込んだ。が、その次の大声を聞いて仰天した。

「俺に最初に見つかった奴は、おやつ10日間分それに小遣い半分提供――!」
「しまった、忘れてたぜ」
「ほんと、久々だもんね」

2人は頭を抱えた。ルフィが鬼になるとこの手の懸賞を勝手にかける。そして必ず実行する。
ぜったいに見つかりたくない。
もし見つかったら二人でいるから半分になるかといえば、2人分取られるだけ。
でも。こんな場所なら多分、みつからないよね。
ナミがそういうと、ゾロもそうだな、といって笑った。

こうやって2人で話すのは、4人で集まる以上に久々だった。

「最近、何やってるの」
「あ?稽古だよ」
「剣の」
「そうさ。お前は」
「私はね、勉強」
「面白いのか、それ」
「すっごくね。宮殿の外の世界を知るのよ」
「ふうん…俺は身体を動かしていたほうがいいな」

他愛もない会話から、二人は互いが今打ち込んでいるものを知る。
将来の話。学校のこと。夢。
話はルフィやウソップに及び、ゾロでさえも毎日会わないほど4人がばらばらだとナミが気付いたとき。
雨が降り出した。

「あ、やだな」
「どうする、出るか」
「いや。絶対まだ探してるもん。それに私、今買いたい本があるんだけど、それ高いのよ」
「俺だって狙ってる剣があるんだ」
「お父様に貰えば?」
「くれねェんだよ。最初の剣は買え、とさ」

ルフィに渡す金なんかない、ということで潜伏を選ぶ。
だが、雨は瞬く間に大粒に変わり、やがて土砂降りとなった。
すでに全身はずぶぬれ。
夏の前とはいえ、滝のような雨に打たれて2人の体温はどんどん下がった。

「やべェな」

最初に言い出したのはゾロだった。

「もどるか」
「やだ。見つかったらどうするの」
「そういう問題じゃないだろ、お前震えてるじゃないか」
「こんなのあとで熱いお風呂に入ればへっちゃら。もうちょっと我慢しよ」
「しょうがねェな」

ナミの懇願に負けて、ゾロはもう少しだけ待つことにした。
だが、これは最悪の判断だった。
雨は一向にやまない。身体はますます冷えていく。

「やっぱり、出るぞ」
「うん」

今度はナミも素直に頷いた。ゾロがナミの背を踏み台にし、上端に手をかける…が。
届かなかった。

「!?」
「ゾロ…早くして…重いよ…」
「ナミ…」
「どうしたの」
「出られねェ」
「ええっ!」

ざっ、と床に下りるとゾロは土管の中を見た。

「ちっ」

この土管は築山の中に埋もれる形で立っていた。だが下は土ではなく砂地。

「雨で、吸い出された見てェだ…足元が下がってる」

ゾロの言ったとおりだった。
土管を見れば、砂が先ほどまであった線より、20センチぐらい下がっている。
このわずか20センチが、脱出を阻んでいるのだ。

「もう一回やってみる」

ナミが先に出る手もあったが、ナミではゾロの身体を持ち上げられない。
ゾロはナミに我慢させ、少し飛び上がってみたが無理。
ざらついているはずの土管の壁も、雨のせいでつるつる滑り足場とならない。
逆にゾロは掴むのに失敗し、体を土管の壁にぶつけて落下した。

「いってェ…」
「ゾロ!これ、傾いた!」

足場がゆるくなっていたところへ衝撃が来て、真っ直ぐ立っていた土管が傾いた。

「くそっ!」

さらに。

「ゾロ…寒いよ…」

もう1時間近く雨に打たれている。ナミの体力は限界だった。
カチカチと歯の根が合わない。
このまま、こんなところで死んじゃうかもしれない…。
ナミがそう思ったとき、突然、雨脚が弱くなった。見上げて理由がわかる。
ゾロが壁に両手をつき、ナミを庇っているのだ。

「ゾロ」
「こうすりゃ少しはマシだろ?」

この頃ゾロとナミの身長差は10センチもなかった。ほとんど顔がくっつきそうなくらい側にある。
ナミは目をそらし、ゾロに背を向ける格好で壁にむいた。横にあるゾロの腕が目に入ってくる。

(なにこれ…)

そこにあった腕は、子供の腕ではなかった。
がっちりした腕。長く伸び、でも節くれだった大きな手。
肘から手首にかけて筋肉が浮かび上がっている。

(やだ、ゾロ、大人の人みたい…)

その瞬間。後ろにいるゾロの体温を感じた。雨に打たれているのに、どうしてこんなに熱いの?

「ナミ、大丈夫か?」

耳元で聞こえる声は、覚えていたゾロの声と全く違う。
…違う。これは、ゾロじゃない。一緒にずっと遊んできた、幼なじみの男の子じゃない!

「ナミ?」

様子がおかしいナミに、ゾロが身体を近づける。

「やだっ!」

ナミがゾロを突き飛ばした。
その衝撃で土管が大きく傾く。
ほとんど流失してしまった砂は安定を欠き、横倒しになるのを止めることはできない。

「きゃああ!」
「ナミ!」

ゾロは抗うナミを抱きしめ庇う。
土管は横倒しになり、大きく割れ、二人は外へ放り出された。
ナミはかすり傷だったが、ゾロは倒れうめいている。足元が血で濡れている。

「あ、あたし…」

ナミは助けを呼びに駆け出した。
瞳から雨ではない雫がぽろぽろとこぼれる。何故泣くのか、自分でもわからなかった。



回復はゾロのほうが早かった。
ナミはその夜熱を出し、3晩も寝込んだからだ。
自由に起き上がれるようになった時には、ゾロはすでに城外にいた。
剣の合宿、だという理由だった。
ナミはゾロに会いに行かず、ゾロもナミを訪れず…そうして月日が経って行った。





雨はまだ降り続く。ナミは飽きることなく、窓の外を見る。
女は最初から女ではなく、女になる、のだという。
子供の終わりと、始まり。

(ねえ、どちらが悲しかったの?)

あの頃の自分に問い掛けても答えは出ない。
けれど。
それは、避けられないことだったのだろう。



夫に抱かれた翌朝、別の男を想う。
突然、あの時の熱が身体に蘇り、ナミは瞳を閉じ自分の体を抱く。
どこまでも濃く、噎せ返るような緑が、瞼の奥に広がった。







FIN


 

<管理人のつぶやき>
ちょうど『とある国の出来事』のラストを受けて、お話は始まり、雨から昔のことを思い出す。それは夫のことではなく、別の男性のこと・・・。この辺のシチュエーションだけでどきどきしてしまった私です。また、ナミがゾロを幼馴染みではなく、男として意識していく過程が、少女らしい初々しさがいっぱいで、胸きゅん(死語?)になりませんでしたか?。

the old devil moon」様とリンクをさせていただいた頃に、kimさんが『とある国の出来事』を読んで、思いついたお話があるとおっしゃっていたのです。それをついに書き上げて、送ってくださいました。さすがはゾロラバー。「約束」は必ず!とのことです。頼もしい!!
kimさん、素晴らしいお話を、本当にどうもありがとうございました!!
それから、読まれた方は感想をBBSに書いてくださると、うれしいなぁ〜(^.^)。

さて、私もそろそろ過去編をアップしようと思っています。kimさんのお話とどう違うか読み比べてみてね。

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