砂の城 −6−

            

おはぎ 様






 その島は思っていたより小さく、指し示された場所は思っていたより遠かった。
 目的地である大木の下に目指すべき背を見つけ、たしぎはようやく一息つく。その背は最前からぴくりとも動いていなかった。寝ているのだろうか。今日は春めいた日差しが降り注ぐ、絶好の日和である。寝ていると思った方がいいかも知れない。
 更に数歩登ると、大木の傍らに寄り添うように墓標が一つあるのに気づいた。覚えず、また足が止まる。白い墓標だ。新鮮な花が添えられ、綺麗に磨き抜かれている。誰の墓であるのか、ここからは判らない。ただ何となく、見当は付いた。
 その墓標は夏には木陰から暑すぎる日を防ぎ、冬には垂れ込めた枝が雪から守ってくれる絶妙な位置に建てられている。景観は最高に良く、視界一杯に海が広がり、島に出入りする船がよく見えた。
 きっと、島で一番最初に朝日が当たるのもここだろう。夕陽が最後まで見えるのもここなのだろう。ここに墓を建てた人間が、どれだけその墓の主のことを想っていたか判る気がした。
 そして、その傍らに寄り添うようにあるのは。

 花よりも鮮やかに目に飛び込んでくるのは……。

 白いそれに誘われるように、彼女はもう一歩足を踏み出した。
 そこで初めて、木の下の背が身じろぎする。頭の下に敷いていた腕を一本だけ抜き、鼻の頭を掻きながらちらりと彼女の姿を認める。最後に別れたときとなんら変わりないその姿は、時間さえも彼女の中から抜き去ってしまうようだ。
 「……遅かったな」
 ほんの数分、彼女が遅れたかのような声音。
 彼女は僅かに苦笑する。
 そうすることで気が楽になり、後の何歩かはほとんど意識しないまま歩いた。相手は相変わらずの無表情で、歩く彼女の姿を瞳に映している。喜ぶわけでも慌てるわけでもない様子に、真実、今日ここで会うことを示し合わせていた気さえした。
 傍らに立ち、木陰の男と正面から対峙した。近くで見ても変わりない。あのときの男の姿、そのままだ。両足を投げ出して、頭の下で腕を組み、手持ちぶさたな様子で彼女を見返している。
 異なることと言えば、男の代名詞とも言うべきものたちが何処にも見あたらないことだろうか。
 「あなたの故郷なんて、誰も知りませんでしたから」
 「そうか」
 目線だけで彼女の足先から頭までを撫で、男は呆れたように鼻を鳴らした。
 「にしちゃあ、よくたどり着いたもんだ」
 「東の海を虱潰しに回りました。一人だけ、わたしの顔を見てものすごく驚いているおじいさんがいて、その人に生まれた島の名を聞いたんです」
 「 ──── 」
 「この顔で良かったと、初めて思いました」
 小さく笑うと、応えて瞳が柔らかくなる。そこに含まれた穏やかさに、彼女は内心息を呑んだ。男はいつだって抜き身の刀のようで、鋭く尖り他を圧していた。それが男の本質だと思っていたのに、どうだろう、その静けさは。凪いだ海面の如き落ち着きは。
 特に理由もなく、ここへ来る途中にあった初老の男性の姿を思い出した。笑みを絶やさない優しい雰囲気や物腰など、この男に似ているとは思えなかったが、それでも似ていると思う。
 たしぎは思考を弄びつつ、視線を白い墓標へ転じた。ゆっくりと、墓標を指さす。いや、正確に言うと目標はそれから少し離れた地面に突き刺さっていた。近くで見ても、墓を守り寄り添うように立っている、新たな白い墓標。
 その墓標の名を、彼女は何よりもよく知っていた。

 そして、それが意味するところも。

 「他のはどうしたのです?」
 小さく呟くと、男は当たり前のように肩をすくめた。
 「折れた」
 「……」
 それは、戦いのすさまじさを容易に知らしめる。
 何があったかは、海軍の中でも伝わっていなかった。その場は誰も通らず、誰が見守ることも許されなかった。
 挑む者と。
 迎え撃つ者。
 その場所には、その二者しか存在し得なかったのだ。
 「 ──── どうした?」
 低い声音に、からかうような色が混じる。物思いから覚めると、思った通り僅かに男の口角が上がっていた。
 「取らねえのか? てめえの夢だったろ?」
 たしぎは小さく笑って、首を左右に振る。
 「あなたは、やっぱりわたしのことを誤解してますよ」
 「あぁ?」
 「わたしの夢は、すべての悪人から刀を奪うことです。だから、この刀を集める必要なんてありません」
 「 ──── そうか」
 「まあ、あなたがまた刀を取って戦うっていうのなら話は別ですが」
 悪戯めかして微笑むと、男は初めてはっきりと笑った。彼女が知っているかつての男そのままの、何か企んでいそうな人を馬鹿にしたような笑みで。
 「お前こそ、俺を誤解してるよ」
 「……」
 「俺が目指したのは世界一になることで、世界一の座に座り続けたい訳じゃねえ。んなものに、興味はねえよ」
 二人の視線は遠く、墓標の上で混じり合った。微かに風が吹き、供えられた花が首を揺らした。紫の小さな花は、墓主の好きな花だろうか。
 「本物の世界一はずっと前からあそこにいて、これから先もあそこにいるんだ」
 「……そうですか」
 「不満か?」
 「まさか」
 喉の奥で笑う。
 「これから、世界一の剣豪なんて称号がなくなるな、と思っただけです」
 「それもいいさ」
 男は両腕を首の下から抜き取って身体を折り、身体半分ほど左にずれる。何をしているのかと見つめる彼女に、座るよう合図がきた。大人しく腰掛け、二人で墓標の花がそよぐ様を意味もなく眺める。
 「似てますかね」
 「似てねえよ」
 歳取りすぎだ、お前は。と呟く声音は不機嫌で、笑みを誘われた。
 頬に当たる風は柔らかく、心地よい。ここで昼寝したらさぞ気持ちがいいだろう。どうせ男はすぐ寝てしまうのだから横で寝ようかと考えていると、小さな声がそれを止めた。
 「 ──── で?」
 きょとんとする。
 「……で?」
 「で、どうなんだ?」
 「何がです?」
 見当も付かず首を傾げる彼女に、あきれ果てた声が降ってくる。
 「てめえ、手紙読んでねえのか?」
 「手紙なんて……」
 甲斐性も気遣いも何もない人間から貰った記憶などない、と断言し掛けてふと気づく。今となってはかなり以前に貰っていた紙切れが頭を過ぎった。心当たりと言えば、あれしかない。
 顔を上げたが、男は急に片膝を立て海の方を眺めはじめ、ちらりともこちらを見ようとしてない。表情など伺い知れない。声だけが畳みかける。
 「で?」
 「な、何のことか見当も付きません!」
 「 ──── へえ、そうかよ」
 結局逃げてしまった彼女を深追いせず、声は微かに笑ってそこで話を終わらせた。何となく残念なような、拍子抜けした気さえして戸惑う。こんな話をするために、ここへわざわざ来たんじゃないのに。
 だったら何のために来たのか。
 そう自分で問いかけて、たしぎははて、と逆方向に首を傾げた。思えば、ここへ『来る』ことがいつの間にか目的になっていて、その先のことなど何も考えていない。来てから考えればいいと思っていた記憶もあるにはあるが、今何もない以上、記憶だけがあっても無意味だ。
 と、男は急に体重を彼女の方に移動させてきた。両手両足を地面に投げ出し、頭だけを傾けてくる。懐かしい匂いと重さに混乱し、肩同士が触れあって緊張する。どうしようかと身体を固くして困っていると、男は唇を開いた。
 「寝る」
 宣言と共に、いびきが漏れ始めぎょっとする。
 確かに寝付きはいいと思っていたが、信じられなかった。念のために顔の前で手を行き来させ、やはり本気で眠ったらしいと結論づける。
 寝息が首筋に当たってくすぐったい。頭はかろうじて当たっていないのだが、目を上げるだけで飛び込んでくる短い睫毛や薄く開いた唇が、どうにも落ち着かない気分にさせた。周囲は静かで、自分の心臓の音ばかりが耳に付く。
 何だか妙な心地だ。
 今まで、あれほど刀や身体を交えたはずなのに、男の寝顔をこんな近距離で見るのは初めてだ。いや、横顔を見ることさえ少なかった。いつだって男は彼女の前にいて、その背を晒している。それが定番になっていた。
 だからあのときも、結局彼女は男の背中に言葉を贈ったのだ。
 たしぎの思考は自然、男がくれた手紙に戻った。
 厭きるほど読んだ最後の数文字に。
 いい加減慣れてもいいはずなのに、思い出すたび赤くなる頬を擦った。その鼻先を心地よい風が流れる。導かれるように風の行く末を探すと、白い墓標と目が合う。自分は会ったことなどないが、おそらく自分の人生に一番影響を与えた墓標と。
 改めて墓を眺めても、何の感慨も湧かないことに笑う。悔しさを感じるだろうかとか、自分が埋められている気がするのだろうかとか、罪悪感を感じるかとか、あるいは懐かしさに近いものを感じるのだろうかとか色々想像していたが、何もない。
 この墓標は、彼女にとって他人だ。おそらく、毎日花を供えている人か、この男にしか意味などないのだろう。墓標が語る言葉も声も、彼らにだけ聞こえる類のものだ。
 そこまで考えて、男に目を転じた。この場所を教えてくれた人によると、男は毎日午後になると必ずここに来て、夕暮れまでをここで過ごすのだそうだ。何をしているのか、その人も知らなかった。想像できる気もしたが、止めた。
 代わりに緊張を解いて、男を真似て足を投げ出し、お腹の上で手を組んで男にもたれ掛かってみる。目を閉じる前にまじまじと男を眺めた。

  ──── 多分。
 おかえりなさい、とか。
 おめでとう、とか。
 待ってたわ、とか。
 そう言う台詞はすべて、聞こえない声によって言い尽くされているのだろう。たしぎが改めて告げても何の意味もない。
 だから、彼女はこう言うだけだ。


 「 ──── やっと、追いつきました。ロロノア」


 地面に投げ出された大きな手に自分のを重ねて、ゆっくりと目を閉じる。
 その一瞬前、男の頬に笑みが走り、手に力が込められたように思えたのは多分気のせいだろうけれど……。
 彼女は微笑みながら、男の後を追って夢の世界に滑り出していった。




 *****




 追いつ追われつ。
 それが自分たちの関係だった。
 いつだって、背中を見ていた。
 いつだって、足音を聞いていた。

 その絵が止まったとき。
 その城が崩れたとき。

 何が始まるのか。


  ──── そこから先は、誰も知らない。









END





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<管理人のつぶやき>
私はたしぎがどんな女性なのか、深く考えたことがありませんでした。
そのため、ゾロとたしぎが一体どんな繋がりを持ってきたのか、全く想像することが出来ません。
それが、「愛のある島」でゾロたし設定を作っておきながら、自分ではゾロたし部分の続きを書けないと思った理由です。
でも、おはぎさんのこの話を読んで、ああ彼らはこんな絆を築いてきたのか、今にも途切れそうな糸を、二人は命を賭けて絶たれないように守ってきたんだ、とそんな風に思えました。本当に不思議で、稀なる関係です。このゾロにして、このたしぎあり。この二人でしか成り立たない、そんな関係。
途中描かれるゾロとナミの関係にも心を奪われます。これもかけがえの無い絆と言えるでしょう。それを感じて胸に痛みを抱くたしぎが切ないですね。
ゾロはこんな二人の女性、くいなも入れると三人の素晴らしい女性と関わりを持ってるんですね!この幸せ者め!(笑)

海の幸・山の幸のおはぎさんから、「愛のある島」のゾロたしの続きを書きたいとのお申し出があったのが、8月。完結まで長い道のりでしたね。でも、こんな大傑作を拝読できたことがすごくうれしいです。また、自分の作品がこのお話の前話となれたことを誇りに思います。
おはぎさん、どうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした!

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