夢の魚
roki 様
その島は地図からも忘れられたような、小さな島だった。
人はもちろん生き物のほとんど見付けられず、自分達の2艘の小舟はそれに似合うように小さすぎて、まるで遭難した人間のようだ。と思うと少しおかしかった。
本当に笑ってしまう。たった3人の。いや自分は違うから、たった2人の海賊なんてあるんだろうか?
その水音に気づいた時、ナミは一人で薪を拾っている所だった。
最初は砂浜にぽつぽつと落ちている流木を拾っていたが、どれもたっぷりと湿っていて使えない。
それで少し森の中まで入り込むことにした。あまり奥までは入らないように注意していたのだが、少し夢中になっていたようだ。
水音が聞こえてきたのは、その時だった。
「滝の音……?」
耳に軽く手をあてて、耳をすましてみる。確かに大量の水が、高い場所から落ちる音だった。川が近いのかもしれない。
それで気づいて振り返ってみると、先ほどまで木々の間にちらちらと見えていた水平線が、今はもう見えない。
森は静かだった。
時々ギィーギィーと鳴く鳥の声が聞こえてくるが、獣の動く姿は見えない。
その静けさが、彼女の用心を軽くしてしまったのかもしれない。
すでに薪は、腕では抱えられないぐらいに集まっている。
とりあえず肩に回していたロープをはずすして、引きずって運べるように薪の山をまとめて括った。
どうしようかな。と薪に足をかけ、ロープの端をぶらぶらとさせながら考える。
砂辺には、最近手を組んだばかりの『海賊』がいるはずだった。『海賊』と言っても2人しかいない海賊だが、べらぼうに強い。
まだどんな凶暴な獣がいるかもわからないのに、1人で森の奥まで入っていくのは危険だ。それぐらいわかっている。
上空でバサリと音がしたので振り扇ぐと、鳥が1羽、バタバタと羽ばたいていった。
空は高く青く澄んでいて、ゆっくりと流れる雲が見える。
ナミは腿に仕込んでいる護身用の棒を取り出して組み立てると、薪はそのままにして森の奥へと入り込んでいった。
思ったより近くに、その川は流れていた。
ブッシュを手でかき分けながら水音の方へと近づいていき、最後の茂みをかき分けて、急にひらけた場所がそうだった。
「わぁ…」
それほど大きくもない川だ。穏やかな水の流れが、日の光をキラキラと反射させている。
10mぐらいの高さの岩場で囲まれて、そこから小さな滝がしぶきを上げながら落ちているのが見える。
その滝へも川の対岸へも、泳ぎの達者な彼女には簡単にたどり着けそうだった。
川の中心に大きな岩がある。その上に、小さな白い鳥が2羽、羽根を休めていた。川サギの種類のようで、細い首をきょときょとと動かしては、時々こっちを見ている。
ナミは滑らないように気をつけて、川の中を覗き込んでみた。
こんな森の中の川にしては透明度は高い。川魚が何匹かで群を作って泳いでいるのが見える。
小石を拾って、放り込んでみた。チャプンと音を立てると、石はゆっくりと沈んでいって、見えなくなった。
「気持ちよさそう…」
実はもう川のせせらぎが聞こえてきた時から、泳ぎたくて仕方がないのだ。
すでに一週間、海を旅してる。彼女の船は小さい割に機能はいいのだが、浴室なんて気の利いた物はついてない。船はもう1艘あるが、そっちは問題外だ。マストとオールのみで、船室さえついてない。
衛生と不快感から、湯を沸かして身体は拭いたりしているが、水浴びできるならそれに越したことはない。
靴を脱いで川辺に座り込み、つま先だけを水面にすっと浸してみた。
「うわっ。つめたい」
ヒンヤリとした感触が足下を包む。そのままジャブジャブと飛沫を跳ねさせると、岩場にいた鳥達が驚いたように飛び立っていった。
「ふふ。ごめんねー!」
少し開放的な気分で、ナミは明るく鳥達に声をかけた。
やはりここ数日は心身共に緊張していたようだ。誰かと行動を共にするというのは久々なので、意識的にも無意識にも気を張っていたのだろう。
「おまけに相手は海賊だしね」
誰にともなくつぶやいてみる。
でなければ、自分にそう言い聞かせているようにも見えた。
「どうしようかなー…。すぐにでも飛び込みたいけど……」
これだけ日の高い時間に裸で無防備になるのは、やはり迷う。無人の島で、他に男が2人なのなら尚更だ。
ここ数日行動を共にして、彼らに身の危険を感じた事はないのだが、だからといって下手な挑発もしたくない。
「夜にこっそり来ようかな…アイツらにこの場所を教えるのは明日でもいいや」
出掛けてから、かなり時間も立ってしまった。
そろそろ帰らないと不審に思って、探しに来られても困る。
それに
(ひょっとしたら心配してるかもしれない)
そう思って、ナミはちょっと自分に笑ってしまった。
「なんてね」
もう一度、強く足で水を跳ねさせると、立ち上がってスカートの土を払った。
早く帰らないと夕方になる。それまでには焚き火の準備をしないといけない。
薪を引きずりつつ浜に戻ると、砂浜に押し上げられた自分達の船があるだけで、食料の調達を頼んだ2人はまだ帰ってきてなかった。
砂浜には、無造作に放り投げられた白いシャツと腹巻き。それに靴が転がっている。その側を小さなヤドカリが、ちらちらと歩いていた。
「なんだ。これならもう少しゆっくりすればよかったな」
ちぇっと少しふくれて、辺りを見回すと遠くから砂浜を歩いてくる人間がぽつんと見えた。
ナミは太陽の光を片手で遮ると、少しずつ近づいてくる男に向かって呼びかけた。
「ゾローー!ルフィはどうしたのー?」
「さあなー。気がついたらどっかいっちまった」
「もうーー!アイツも方向音痴なんだから、探すの面倒じゃない」
「…何だその『アイツも』ってのは……」
ゾロはナミの側まで近寄ってくると、不機嫌そうに眉をひそめた。
上半身は裸で、膝までめくったズボンも頑丈そうな裸足も、濡れて白い砂がついている。右肩には何か紐のような物を担ぎ、左手には彼の武器である3本の刀を携えていた。
「何か取れた?」
「ああ。向こうの岩場に魚がたくさん溜まってたぞ」
そう言うと、肩に担いでいた物を彼女の目の前にぶらさげた。
アイナメやアジが10匹以上、器用にも昆布で鰓から通してぶら下げている。すでに血抜きもしてあるらしい。
「すごーい!こんなにたくさん?」
「ああ。木の枝でついた。随分簡単だったぜ」
「ここってあんまり人が来ないのかも。鳥とか私を見ても驚かないもん」
ゾロは魚をナミに渡すと、足で簡単に砂を払い、転がしてた靴につま先を突っ込んだ。
「ねぇ。火をおこしてよ」
「俺が、やんのかよ」
「私は、魚の腸を抜かないといけないの!」
「…ったく、人を使う女だな…」
ボリボリと頭をかくと、それでもナミが集めてきた薪を並べ始めた。
「ルフィは何処までいったのかしら」
「森ん中にでもいったんじゃねェのか?」
「なんでちゃんと見ておかないのよ」
「俺はあいつのお守りじゃねェ」
肩をすくめると、マッチは?と尋ねた。ナミが自分の麻袋から取り出して、放る。
「海に入れないから、退屈したんだろ。そのうち帰ってくるだろ」
「大丈夫かしら」
「火ィ焚いて、魚焼いてれば匂い嗅いでくるだろ」
「そんないい加減な」
「美味ェ!!美味いなーー!この魚!なぁ、もっとくれよ!ナミ!」
「……少しは遠慮しなさいよ」
ナミは呆れながらも、焚き火で炙っているアイナメの焼けた奴を1本取り上げた。
腸を抜いて塩で味付けしただけだが、どの魚も大きさの割に身が締まって美味い。
じゅうじゅうと焼かれ、にじみ出た油が火に落ちて煙をあげる。その煙で燻されて香ばしい匂いが魚につく。
「ほら。ちゃんと味わって食べなさいよ」
「おおう!サンキュー!」
ルフィは嬉しそうに受け取ると、大きく口を開けて一口で食べてしまう。
「言った側から一気に食べてるんじゃないわよ!!」
ナミが思いっきり怒鳴りつけても、ルフィはシシシと笑うだけで、鳥の雛のように次をねだった。
炎の向こうには、ゾロがラム酒を口にして、いかにものんびりとくつろいでいる。
すでに陽は落ちていた。焚き火の火は勢いよく燃え上がり、夜空にパチパチと火の粉を飛ばしていた。
火を熾し、魚が美味しそうな匂いをさせる頃に、ルフィは本当に森の中から飛んできた。
その時に果物もたくさん抱えてきたので、それにナミが持っていた食料からパンやハムなどを少し分けたので、夕飯はそれなりに豪勢になった。だが、ルフィはまだ足りないらしい。
「ナミ。もう少しくれよ」
「アンタねぇ。どういうお腹してるのよ…。いいわよ、じゃあコレあげるから」
ナミが自分が食べようとしていた焼き魚を、パンもつけて渡してやった。
「おぉ!悪いなぁ!ありがとうナミ!」
特大の笑顔で返して、一気に平らげようとし---ナミが睨み付けていたので、今度は少しずつ口に運ぶようにした。
「そうそう。ゆっくり食べれば消化にもイイし、脳が刺激されて食べた気になれるわよ」
「へー、そうなのか」
もぐもぐと口を動かして、本当に感心したように頷いた。
「つまり、不思議脳だな」
「確かに、こいつのはそうだろうな」
「アンタも、人のこと言えないでしょ。ほら!こぼさないでよ!」
「うお!もったいねぇ!」
「……なんか母親みてェだな……」
「…私に、こんな子供がいるわけないでしょ!!」
叫ぶと、足下の貝殻を火の向こうの男に投げつける。あっさりよけられた。口惜しい。
「もう…。アンタ達と一緒にいると疲れるわ」
「そっかぁ?楽しそうだけど」
ルフィはあっさりとそう返すと、残った魚を骨ごと口に放り込んだ。
楽しそう
「なに言ってるのよ」
ぶっきらぼうに返すと、ゾロにラム酒を回すように請求した。ルフィ経由で戻ってきた酒瓶には半分しか残りがなく、悪態をつく。
でも「楽しそう」という言葉は、心の中でぽかんと浮かび上がり、無視を決め込む彼女に煩く存在を主張するのだった。
三日月が美しい光を発しながら、中空に浮かんでいた。
波が浜辺にうち寄せる音が、穏やかなリズムで聞こえてくる。
昼間熱せられた海から風が陸へと吹き上がって、焚き火の煙を揺らした。
だいぶ小さくなってきた火を、ナミは木の棒でいじっていた。
隣では男共が、毛布もかけずに大いびきで寝ている。
平和なものだ。自分が刃物をもって、襲い掛かったらどうするつもりだろうか。
それとも舐めているのか。本当に信用しきっているのか。
「…まぁ今はやらないけどね……」
感謝しなさいよ。
と心の中でぶっきらぼうに吐く。だってまだグランドラインどころか、まともな船もないんだもん。
乱暴に火の中をかき回した。白い炭と化していた薪が、ぼろりと形を崩す。
(もうすぐだ)
1億ベリーまであと少しだった。
2千万もいらない。せいぜい千500万もあれば十分だ。
残りは一気に溜めて、帰ったその足で1億をアーロンに叩きつける。
この航海で最後にする。
そう想像した瞬間、背筋にピリッと電気が走った。
凄い。自分はここまで来たのだ。8年間の軌跡が頭の中でフィードバックして目眩がした。本当にたった8年なのか。もう自分は100年もこうやって生きてきたような気がする。
「もうすぐだわ……」
だからこそ気を抜くことは出来ない。
眠りこけている黒髪の少年と緑髪の男に、顔を向けた。
焚き火の明かりは、平和そうに寝ている2人に淡い影を揺らしている。
何か幸せな夢でも見ているのだろうか。それとも何も見てないのか。
僅かな羨望と針のような妬み。
最後に手を組もうとした相手が、こういう奴らだったのは良かったのか悪かったのか、彼女にもわからない。
今まで出会ったどんな海賊とも違う。それは判る。
でも普通の海賊なら、こんな風に迷わず、嘘の笑顔を振りまいて、こっそりと爪を研ぐことも出来たのに。
迷ってる?何に?
「考えるの止め!」
ナミは焚き火に、持っていた棒を放り込んで、立ち上がった。
これ以上は危険だ。コイツらは自分の琴線の何かに触れてくる。全くの無意識で。
このまま考え込むと、その気づきたくない事に気づきそうだ。
ナミは自分の船に戻ると、着替えとタオルを持ってきた。カンテラに火を入れると、彼らが寝ているのをもう一度確認して、森の中へと入っていった。
カンテラの明かりに集まってくる虫に閉口しながらも、ナミは昼間の川までやってきた。
昼はそれほど感じなかったのに、滝の音がやけに深く轟くように響いて聞こえる。
明るい場所で見た時は安らぎと静けさに満ちていた。
だのに今は暗闇の中で、冷たく拒絶しているようだった。
流石に少し後悔した。
「やっぱり昼に入るべきだったかも…」
カンテラの明かりぐらいでは、対岸も見えない。その分、昼間より大きく深く感じる。
どうしよう。でも一度気になりだすと、身体を洗いたい欲求は度し難く感じた。
「ええい!ここまで来てなによ!ぱっと入って、ぱっと出ればいいのよ!」
無理矢理に気合いを入れると、服を脱いでタオルと一緒にカンテラの側に畳んだ。
護身用の棒だけは、そのままつけておく。これだけは何があっても、離すわけにはいかない。
裸になると急に心細くなった。周りが森だという事実が、彼女の不安をさらに追い立てた。
湿気を伴った蒸し暑い空気が、彼女の白い肌にねっとりとまとわりついた。
ナミの左腕には、きっちりと防水性の布が巻かれている。
他人と --特に海賊と-- 行動を共にするときは、必ずこれを巻く。
彼らがアーロンを知っているかどうかわからないが、用心に超したことはない。海賊嫌いの癖に実は海賊だった事を知れば、不信に思うだろう。
普段、海賊に近づくときはわざわざそんな事は言わないのだが、彼らにはうっかり言ってしまった。
まぁ、その時は仲間になるつもりはなかったのだが。
川辺に座り込むと、恐る恐る爪先を水に入れた。昼にそうしたよりも、さらに冷たく感じる。
だが今は、これ以上無防備な姿をさらしているより、さっさと川に入ってしまいたい。
川辺の石に掴まりながら、ナミは川へと足を入れた。
静かな夜に、飛び込んだときの水音が響く。
「あら?ここは浅いわ」
思い切って全身を入れても、せいぜい胸の辺りまで水に浸かるぐらいだ。
柔らかい川底の泥や小石を足でさらいながら、深さを確かめる。思っていたより川の流れも穏やかだ。
「なんだぁ…これなら大丈夫…かな?」
水をかき分けながら、それでも用心しつつ中へと入っていく。
川は穏やかな角度で徐々に深さを増していき、だんだんナミは歩くより泳ぐほうが長くなっていった。
そうやって水に馴染んでいくうちに恐れが薄れていき、開放感と心地よさに包まれていく。
どぶん…と全身を水に入れると、ゆったりとクロールしながら水を掻く。
暗い静かな森に、彼女の水音だけが響いていった。
(気持ちいい)
緊張がどんどん水に溶けていく。中心まで来るとそれなりに深いようだがもう気にならない。
手が何か固い物に触れた。あの川の中心にあったあの大きな岩だ。
手探りしながら水面に顔を出す。スベスベした手触りの岩に頭を預けながら、足だけはゆっくりと立ち泳ぎをする。
カンテラの明かりは、もうここまでは届かない。彼女の数メートル先で、小さな明かりが小さな円を描いている。
バシャバシャと顔を洗う。耳の後ろも洗い、首筋や肩を撫でて身体のあちこちも擦る。
「はぁ……」
気持ちよさそうな溜息をついて、水の流れに身体を揺らした。
横手から滝の音が響いてくる。暗闇の中で、その音だけが存在を示していた。
一度水の中にざんぶと身体を入れると、ナミは音に向かってバシャバシャと泳いだ。
さっきまで彼女を迷わせていた恐れは、全て身体から流れてしまったようだ。
元から彼女は泳ぐのが好きだった。水の中が好きだった。頭の中がどんどん空っぽになり、シンプルになっていく。迷いや焦りが、水の中へと溶けだしていく。
滝に近づくにつれて、岩が増えていった。岩から岩へと移動しながら、ナミは進む。
今や轟々とした水音は目の前に迫り、僅かに水しぶきが飛び散っているのも見える。
滝の落ちる周りだけがポカンと空間があり、岩がその周りを囲むようになっている。
ナミはその僅かに上に出いてる岩の上に、身体をあげた。
岩は滑らかで水コケでぬるっとしていたので、何度か足を滑らせそうになった。
「ふぅ…」
人心地がついてホッとすると、ぼんやりと滝を見上げた。
だんだん目も慣れてきて、水が落ちる気配まで何となく見える。水音も耳に心地いい。
この川を囲む森と岩場が、ちょうど夜空を丸く切り取っている。
ちょうど真ん中に三日月が浮かんでいる様は、舞台の装置のようだった。
(明日になったらアイツらにココを教えてやろう)
自分が先に水浴びしたと言ったら、どう思うだろうか。ルフィは悔しがるだろうな。ゾロは眉をひそめて、呆れたように溜息をつくだろう。ふふふ、バカめ。目に見えるようだわ。
また、自分は彼らのことを考えている。
はっとして、己を振り返った。
まるで楽しい思い出のように、想像してにやけたりしている。
(ちょっと、いい加減にしてよね)
いったい何なんだ。自分はどうしてしまたのだろう。
別に過去に仲良くなった人間がいなかった訳じゃない。一時の恋人もいたし、親切にしてくれた人間だっていたのだ。
でも、彼らは全て海賊ではなかった。騙す予定ではなかった人達だ。
どれだけ優しく好意を寄せられても、それを有り難く受け取っても、自分はいつでもキッチリと線を引いていた。ノジコやゲンゾウに思いを馳せ、アーロンとの約束だけを噛みしめていた。
だのに何故あの2人だけは、簡単に自分の心の中を支配するのだろう。
そこまで考えて、やっと判った。緊張をほぐしたいから1人になりたかった訳じゃない。
気を抜くと緊張がなくなっているのが怖くて、それで距離を置きたかったのだ。
たかが1週間かそこら行動を共にしたからって、なんで-----
「おーーーい!ナミーーー!どーーこだーーー?」
不意打ちだった。
ギョッとして振り返ると、川辺に置いたカンテラの明かりが2人の人影を照らしている。
「おい見ろよ、ゾロ。ここに着替えがあるぜ」
「…呆れた女だな……。なんでこんな夜中から川に入るんだよ」
遠慮のない話し声が静寂を乱している。静かな夜が一気に騒がしくなった。
ナミは自分が素っ裸なのに気づいて、思わず肩を抱きしめると岩の上で縮こまった。
カンテラが持ち上げられて、あっちこっちに揺れている。自分を捜しているのだ。
「滝はどっちにあるんだ?」
「音はあっちだろ」
「音しか聞こえねぇよ」
「だから、あっちだろ……ん?」
カンテラを持ったゾロが、こっちをよく見るように、さらに掲げた。
見つかった。
「おいナミ。ナミだろ?」
「え?どこどこ?」
「ほれ、あっち…」
声がそう聞こえた途端、ナミは耐えきれなくて川に飛び込んだ。
高くあがる水しぶき。そのまま深く潜る。この辺りは以外に深い。
このまま上がりたくなかった。どんな顔をしていいのか。最も最悪なのは、自分が身に何もつけてないという事だ。しかも奴らの足下に服も下着も転がっている。最悪だ。
ナミは少しパニックに落ちながらも、何とか冷静になろうと努力した。
だいたい、いつまでも水の中にいる訳にはいかない。
覚悟を決めると、ゆっくりと水面に上がっていった。
なるたけ水音を立てないように顔を出すと、川辺では何やら騒いでいる。
「さっきの本当にナミだったのかよ」
「ああ。間違いねェよ…何やってるんだアイツ」
「スゲェなぁ。アイツ泳ぐのうめぇんだな!」
「しかし、いい加減潜ってから長えんじゃねェのか?」
「だよなぁ」
カンテラの明かりがあちこちに揺れている。
ナミは中央の岩まで、気づかれないようにこっそり移動した。
ここまでなら明かりは届かない。岩にへばりつくと、ふっと息をついだ。ゆっくりと息を整えると、なるたけ冷静な声を出した。
「ちょっと」
「うお!」
ルフィが驚いたようにキョロキョロしている。
「何処だ?」
「…あっちだ。あの真ん中に何か、でかいのがあるだろ。わかるか?あの方角だ」
光がゆらゆらと動いて、自分が掴まっている岩をゾロが指している。
「んーー?何だアレ?おーいナミ。何処かわかんねぇから手を降れよ」
「何処だっていいでしょう。何しに来たのよ!」
何処までも呑気なルフィに苛立って、怒鳴りつける。
「…何しに来たって、お前がどっか行くから探しに来たんじゃねェか」
「……気づいてたの?」
「おお。ゾロが」
そう言って隣の男を指で指す。
カンテラを持った男が、ボリボリと頭を掻いているのが見えた。
「…何だっていいだろ。それより不用心すぎだぞお前」
「そうだ!こんな面白そうなの独り占めなんてずるいぞ!」
川にひそむナミに向かって、それぞれに抗議の声をあげる。
「…別に教えないつもりじゃなかったわよ!明日になったら、ちゃんとそのつもりだったもん!」
「えーー?なんですぐに教えないんだよー!」
「……教えたら覗くじゃない……」
「あぁ?」
思いっきりクエスチョンマークをつけた声が上がる。
その抑揚が、恥ずかしさと不思議な怒りを彼女に湧きおこさせる。
ナミはそれを隠すように、思いっきり彼らを怒鳴りつけた。
「いいから!女の子が水浴びしてるのを覗くなんてサイテーよ!少しは気を使いなさいよ!わかった?わかったら、先に帰ってて!」
息継ぎせずに一気に言いきる。
ナミにだって判っているのだ。
今の自分は圧倒的に立場が弱い。だから無理に虚勢を張っている。
そんな自分に2人は気づくだろうか。
「えーー?何で先に帰らせるんだよー!ずるいぞ、お前。俺だって泳ぐ!」
「---------ダメッ!」
ルフィがいまにも服を脱ぎ捨てそうになっているのを、慌てて制止する。
「なんでだよー!」
「だから!私が上がってからにしてよ!泳ぐんでもなんでも!」
「じゃあ早く上がればいいだろ」
「だからアンタ達がいたら、上がれないでしょ!!」
「テメェの裸なんざ見ねェよ」
「何ですって!それが女の子に言う台詞!?」
「……どっちなんだよ、テメェは…」
呆れたように呟く唐変木に、女の子の微妙な心理なぞ判るわけがない。
元々そんな事などお構いなしのルフィは、すでに上着のボタンをはずしている。
「イイじゃねェかナミ。一緒に泳ごうぜ」
「イヤよ!ナニ考えてるの!」
「いったい何がそんなにイヤなんだ?」
麦わらをはずしたルフィは、さも不思議そうに首を傾げた。
「アイツはな。俺らが自分を襲わないかって心配してるんだよ」
ゾロがあくまでも普通の顔で、ルフィの問に答える。
それを聞いてナミは、警戒するように身を強張らせた。
「襲う?」
「ああ」
「犯られないかって事か?」
「ああ」
「なんだ」
そんなことか。と呟くと、ルフィはナミのいる方角に向かって、はっきりと答えた。
「俺もゾロも犯らない。これでいいだろ?」
そう言うと、話はそれでお終いとばかりにさっさと残りを脱ぎだした。
「なっ…ちょ、ちょっと!そんな口約束……」
慌てたナミが叫ぶより早く、ルフィはズボンを一気に降ろした。カンテラの明かりの中で、ルフィの裸体が浮かび、反射的にナミは顔をそらした。
「ひゃっほーー!」
ルフィが助走をつけると、奇声をあげて勢いよく川に飛び込んだ。恐ろしく躊躇がない。
夜の静寂をぶち破るように、川面に激しい水しぶきが立ち上がった。
ルフィが飛び込んだ辺りから波が大きく押し寄せて、ナミの肌を打った。
(ガキだ)
ガックリとした気分でナミは、跳ね回る水面を眺めた。川辺で、やっぱりゾロが呆れて腕を組んでいるのが見える。
「…アンタは泳がないの?」
「さてな。どうすっか…。まあ水浴びも悪くねェな」
「……もう勝手にしたら」
「なんだ、諦めたのか?」
「意識してるのも馬鹿みたいよ」
「全くだ。自意識過剰なんだ、テメェは」
「煩いわね!もっとマシな口効けないの?それから諦めたってのは、別に体を許したとかそういう事じゃないからね!」
「だからそれが自意識過剰だって…」
そこまで言い合って、お互い気づいた。
川を挟んで、沈黙が流れる。
「ねえ」
「ああ」
「長くない?」
「…長いな…」
お互い、視線をルフィが飛び込んだあたりに注いだ。
飛び込んでから、一向に上がってこない。水面は今は静かだ。
大きなあぶくがゴボリと上がってきて、川に浮かんだ。
「ルフィ!」
ナミは息を吸い込む暇もなく、慌てて体を潜らせた。
水面下は真っ暗だった。ただ遠くに小さな光が水面をゆらゆらしてるのが、朧にみえる。
……何か、水中でもがいている影が見える。
(ルフィ!)
大きく手を掻いて、その影に必至で泳ぐ。遠くの光が乱れて、くぐもった音と共に何かが水中に飛び込んできた。
その時には、ナミの手が水中で暴れているルフィに触れた。腕だ。慌ててそれを掴むと、水面に向かって引っ張ろうとする。
せっかく助けようとしてるのに、ルフィがバタつくので上手くいかない。
その時、急に強い力が加わって、一気に彼らを水面へと引っ張られた……。
「ぶはあげほげほおえー!!」
「だ、大丈夫?」
ゲホゲホとむせこみんでいるルフィの背中を、ナミは平手で叩いた。
その隣にシャツを着たままのゾロが見える。脱ぐ手間を惜しんでそのまま飛び込んだらしい。
ルフィは自分を支えている2人の腕を、ガッシリと捕まえて離さない。焦ったようにバタつかせている足が水面まで跳ね上がり、その反動で頭が沈みかけてまた暴れる。
「ちょ、ちょっと!落ち着いて!落ち着きなさい!大丈夫だから!」
「わーーー!!ぶく。沈むしずぶ!」
「おい」
「ルフィ!お願いだから暴れないでよ!よけい沈むでしょ!」
「ぐはげほ!わーーっ!!」
「おいってんだろ」
「ちょ、ちょっとルフィ!ゾロ!何とかして……」
「足立つぞココ」
騒ぎまくる2人に、冷静にゾロが声をかけた。
「は?」
ルフィとナミがキョトンとして、振り返る。
「足、伸ばしてみろ」
「へ?」
ぱちぱちと目をしばたかせると、ルフィはそれでも2人の手を離さないまま、水中を足でさらってみたようだ。ナミも立ち泳ぎしていた足を伸ばしてみる。
「あ」
「あ」
水の深さは、ちょうどナミの顎ぐらいだった。
「…………」
ヒンヤリと殺気さえ込めてルフィを睨んだが、彼ははじかれたように笑い出した。
「なーーんだ!だっはっは!」
「だっはっはじゃなーーい!」
思いっきりナミが吹っ飛ばし、ルフィは水の中に叩きつけられた。
ゾロは溜息をつくと、情けなさそうに自分の船長を眺めた。
「なんでこんな浅いところで溺れるのよ!」
「いやー焦った。俺、泳げねぇんだよ。基本的に」
「じゃあ飛び込むな!」
「忘れてたんだよ〜」
悪びれなく言うルフィにもはや怒る気力もなくなった。
気がつけば、明かりのギリギリ届く所で、3人固まって立っている。
夜の森に、彼らの騒ぐ声が響き渡っていった。
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