緑橙祭 −2−
真牙 様
そうして開催された学祭は、お祭り大好き会長ルフィを先頭に盛大なる盛り上がりを見せ、過去最高の来場者を記録した。
だが盛り上がりが派手だっただけにその反動も大きく、常に先陣切って走り回っていたルフィは、ここに来て物悲しさにがっくりへこんでいた。
「あ〜あ、これでしまいかよ。つまんねえ〜・・・」
「仕方ないじゃない。でも過去最高の盛り上がりで大成功よ、私としては万々歳だわ」
校庭の中央に焚かれた大きなファイヤーストームに木片を投げ込みつつ、ナミは満足そうに微笑んだ。
「ナミさん気合い入ってましたものね、今年は」
「ん〜ん、世界中で今日誕生日を迎える幸せな間抜けたちを、こんな形で祝ってやるのも悪くないんじゃないかと思ってね」
ややあって、少し離れた場所でジュースを飲んでいたゾロが噴き出すのが見えたが、ナミは素知らぬ振りを決め込んであらぬ方を向いた。
「あー、あとは灰色の受験勉強か〜。もっぺんやりてえくらいだよな、この『りょくだいさい』をよ」
「・・・ちょっと待ってルフィ? あんたまさか、この3年間ウチの学祭をその名前だと思い込んでたの?」
「おうよ、違うのか?」
ナミは痛むこめかみを押さえ、一語一語区切るように言い聞かせた。
「い〜い、ルフィ? あれは『りょくとうさい』って読むのよ。何でもこの学校の創立者が風雅な人で、一年のうちのこの秋の移り変わる景色の彩りが大好きだったんですって。だから夏の緑から秋の橙へ変化する風合いを讃えて『緑橙祭』なのよ」
「どっちだっていいって。けどそれだと、ゾロとナミのための祭りみてえだよな〜♪」
聞くともなしに聞いていたのかゾロは再び噴き出し、憤慨したサンジはルフィに食ってかかった。
「やいルフィ、変なこと言ってんじゃねえ! 大体俺はこの学祭名が気に入らなかったんだ! どうせなら『黄橙祭』と改めるべきだろ!」
「それじゃ秋だけだろ? いっそ『緑黄祭』だと野菜祭りみてえで、それはそれで面白そうだけどな」
「「気色悪ィこと言うんじゃねえッッ!!」」
二方から鋭いツッコミが入り、哀れルフィはグランドに沈んだ。
そうこうするうちに片づけも大方終わり、あとは帰るのみになった。
そこへ、人込みをかき分けてビビがやって来る。
「ああ、ナミさん良かった。これ、邪魔じゃなかったら持って帰って下さい。ほら、華道部の背景ディスプレイに使ったかすみ草放っといたら枯れちゃいますもの」
「あ、そっか。いっぱい使ったものね」
「──あ、でもナミさん、その手じゃ持って帰るの辛いですよね?」
そう言ってビビはナミの左手に視線を落とす。
夢中になっていると何とか忘れていられるが、ふとこうして向き合うとまたいらぬ痛みを訴えている。
「大丈夫だ、俺が送るから」
「ブシドー先輩がですか? なら安心ですね。じゃあこれ、お願いします」
ふたりはナミが口を挟む間もなく話を完結させてしまい、ゾロは花とナミの鞄を掠め取って歩き出した。
戸惑ったナミはビビとゾロとを交互に眺めていたが、ビビがひらひらと手を振るので覚悟を決めて踵を返した。
――が、駅までの道すがらナミは何度も小走りになり、上がった息でとうとうゾロの学ランの裾を掴んだ。
「ちょっとちょっとゾロ! 早いって、もっとゆっくり歩いてよ! まったく競歩やってんじゃないんだから、少しは男女のストライド差ってモンを理解しなさいよ」
「ああ? 早かったか? これでもゆっくり歩いてるつもりだったんだが」
「全然ゆっくりじゃないわよ、無神経男!」
ぜいぜいと息を弾ませているナミを見、少しは思うところがあったのか、再び歩きだしたゾロはかなりゆっくりになっていた。
そのまま電車に乗り込むと、車内は帰宅途中のサラリーマンに混じってナミたちの制服姿がちらほらあるのみだ。
ふと路線図を頭の中に思い描き、ナミはそのままゾロを仰ぎ見た。
「今思ったんだけど、この路線の沿線状にそれぞれの家はあるのよね? でもウチの方が2駅分遠いから乗り越す形になるし、あんた帰りちゃんと戻れるの?」
かなりの方向音痴でも有名なので、ナミを送り届けた後ちゃんと帰れるかどうかは怪しいところだ。
「バカにすんな。そこまでひどかねえ──と思う」
やや自信がなかったのか、台詞の後半は口の中でもごもごしている。
ナミは声をたてずに肩を震わせて笑った。
「これからもっと広いフィールドに出て行かなきゃならないのに、そこで迷子になってたらシャレにならないわね」
「迷子って言うな、ガキじゃあるまいし!」
むきになるその反応がガキなのだが、照れたその表情が意外に可愛らしかったので、ナミはそれは言わないことにした。
(・・・ん? 可愛い?)
はたと今の思考に気づく。
この憮然とした朴念仁の塊のような男を、今一瞬でも可愛いと思った自分の思考に驚いた。
今日までの学校生活の中、クラスがずっと一緒だった事もあって男女の域を越えた友情のようなものは感じたことがあった。
可愛い、と思ったこともあるにはあるが、それは今まで根底にあったものとは別物のようにも思えた。
(な、何よ。今更何考えてんのよ、私)
暴走しかけた思考を引き戻すようにブレーキをかける。
せっかくいい関係ができているのに、こんな一時のふらつきで壊したくはない。
「・・・何ひとりで百面相してんだ。次だろ、降りる駅」
「えっ? あ、ああそうね、次ね」
慌てて思考を引き戻し、何事もなかったかのように笑って見せる。
そんなナミを見て、ゾロは小さく肩を竦めた。
駅を出ると、さすがに11月の空気がじわりと身に染みた。
「さすがこの時期の、しかも夜ともなると寒いわね」
「あ? ああ、そうだな」
駅を背に歩き出す。
時間も時間だし、すぐに商店街は抜けてしまうので、いつしか人の姿はまばらになっていた。
「なあナミ、さっきの・・・」
「え?」
「その、今日誕生日を迎える幸せな奴云々っての・・・あれって、誰のことだ?」
出し抜けに言われ、ナミは思わず言葉に詰まった。
あの場でなら勢いで言えたものの、ここで面と向かってはさすがに言いにくい。
しかもこの男はそのことを判っているのかいないのか、そのことも今ひとつ判別がつかない。
「え、えっと・・・思い当たった奴が思い当たれば、それでいいんじゃないかって。たまたま学祭で祝ってもらったような形になったんだから、それも嬉しいんじゃないかってそう思っただけよ」
「──そっか」
また沈黙が降りる。
まっすぐ前を見ていたゾロは、ふと大きな交差点を指差した。
「おい、あの角はどっちだ?」
「え? ああ、あれは右へ渡んないと――」
「やべえ、信号変わっちまうじゃねえか! 走んぞ!」
もう一度待つのは面倒だったのか、ゾロはいきなりナミの手を取って駆け出した。
ちゃんと、怪我をしていない右手を。
意外に大きな手の感触にまた一段大きく心臓が跳ね上がる。
不意うちは無防備なところへいきなり無遠慮に切り込んで来るので、意識してガードできない分始末が悪い。
ナミは急激に上がる心拍数を、走ったせいだと必死に言い訳した。
通りを渡り終え、住宅街の路地へと入る。
外灯がぽつぽつと灯る通りに入っても、ゾロはその手を握りしめたままだった。
ただ、強引に引いていた時のように無造作ではなく、壊れ物を扱うかのようにそっと気遣う握り方だった。
(えっと・・・)
ナミはやや前方を行くゾロの横顔を見上げた。
オレンジに近い外灯のせいか、その頬が微かに染まっているようにも見える。
それとも外気の寒さに反応してのものなのか、ナミには判別がつかない。
やっとの思いでねじ伏せた感情があっさりと首を上げる。
指先に心臓が移ってしまったかのように、やけに鼓動がうるさい。
ややあって、ナミはおずおずと消え入りそうな声で呟いた。
「ゾロ・・・あの・・手・・・」
途端に、握っていたゾロの手にピクリと緊張が走る。
そのままあらぬ方を向き、喉の奥で唸っていたゾロは、かなり間を置いてから口の中でもごもごと言った。
「・・・その・・・いやか・・・?」
振り向こうとしないゾロそっと見上げる。
いつしかその横顔は、仄暗い灯りの下でもそれと判るほど真っ赤に染まっていた。
ふと心の奥底にぽつんと灯が灯る。
それは今までこの男に感じたことのない種類の想いだった。
「やなら、その・・・」
不意にその指先の力が抜けかけ、ナミは咄嗟にきゅっと力を込めた。
またもその腕に激しい緊張が走る。
それはナミにも伝わったが、決して不快な思いではなかった。
「別に、いやじゃ、ない、よ・・・」
消え入りそうなナミの声に、ゾロは一言「そうか」とだけ応じた。
再びふたりの間に沈黙が降りる。
聞こえるのはふたり分の靴音に息遣い、そして耳元にまで届く鼓動のみだ。
決して不快な静けさではなかった。
むしろ互いに触れ合った掌を通して伝わる熱が、そこにいるふたりを絶対の存在として感じさせてくれる。
優しくも、確かにそこに在るものとして歓喜の心を促す。
初冬の澄んだ空気に頭が冴え渡る。
静けさの中に虚勢をすべて捨てれば、ぽつりと残っていたのは純粋な嬉しさだった。
ただここに、ふたりで歩いている現実が嬉しい。
その手に触れ、共に歩ける事実が嬉しい。
ナミは、知らず微笑みながら囁いた。
「少し、寒いね」
「そうでもねえよ・・・」
相変わらずあさっての方を向いたまま、ぼそりと低い声が呟く。
目一杯照れているのだと思うと、その胸の内にはふんわりと温かな想いが湧き上がった。
家まではもう少しある。
そこまでを、こうして歩くのも悪くはなかった。
地上には家々から洩れ出る光、天上には小さくまたたく星々の光。
それらに見守られ、互いは互いの立ち位置を僅かに移動する。
それはほんの少しだけ、今日とは違う明日を約束していた。
<FIN>
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