風が流れる。
季節が流れる。
万緑を誇っていた光り輝く頃は徐々にその風合を増し、辺りを赤や黄色や茜に染め変えていく。
その移行に人は嘆息し、感謝の思いをそこに送る。

──なんてことは、学祭を前にしたかれらにはあまり関係ないようである。






緑橙祭   −1−
            

真牙 様



「──で?」

広い生徒会室の片隅で、角材と大工道具、垂れ幕用の布に埋もれたふたりのうちの一方が苦虫を噛み潰したような声音で言った。

「明日は本番だってのに、何でここの準備がこんなに進んでねえ上に、俺とお前のふたりしかいねえんだよ!?」
「仕方ないじゃない。みんなクラスの様子だって見に行かなきゃならないんだから」

ぶつくさ文句を言ったゾロを、布のサイズを測りながらナミがたしなめる。

かれらの通う高校の学園祭が明日に迫っていた。
この準備に追われ、午後は授業まで潰しての大わらわとなっている。
本来なら生徒会の役員たちが中心となって作業すべきなのだが、その姿はここに誰ひとりとしていない。

「だからってナミ、この状況は既にヤバイんじゃないのか? 本番は明日だってのに何でメインの看板ができてねえんだよ!?」
「大丈夫よ。角材はもう大体揃ってるし、あとはペンキと白布を仕入れて来ればOKだから」
「そこからかよッッ!!」

絶叫に近いツッコミを右から左へ受け流し、ナミはピタリとその目元に指を突きつけた。

「仮にも運動部総部長でしょ? どうせクラスの方は大方できてんだから、力仕事の必要なこっちに協力して然るべきなのよ。どうせ体力余ってんでしょ?」

入学してから約3年、よく回るこの頭と口に勝ったためしがないことを思い出したゾロは、ぎりぎりと歯噛みしながらも黙るしかなかった。

かたや剣道部部長を兼ねる運動部代表。
かたや華道部部長を兼ねる文化部代表。
何かとお祭り好きな会長の下に発足された生徒会は、各方面に秀でた人選がなされたとの定評があった。
その実裏を返せば、個性も強いかっ飛び集団と揶揄されても久しいのだが。

「さて、買い出しに行くわよ」
「ああ、こっちはやっとくからさっさと行って来い」
「ちょっとゾロ・・・あんたこのか弱い細腕で、ペンキをいくつも担いで来いって言うの? その身体の筋肉は伊達ってわけ? ああ、それとも脳みそまで筋肉なのかしら」

立て板に水の論法に、ゾロは吼えるように頭を掻きむしった。

「だああ、もう! そんな雑用なんざ、後輩連中に押しつけりゃいいだろうが!!」
「駄目よ、生徒会で後輩っていったら書記のビビしかいないじゃない。あんた更に鬼畜なこと言うつもり?」
「てめえの方が余程鬼畜だ・・・っ!」

それでも渋々立ち上がるのを見て、ナミは内心勝ったと拳を握りしめた。




学校関連の雑務を引き受けてくれている雑貨屋は、坂を下って5分のところに数件軒を連ねている。
行きは手ぶらでも、そこで必要な品を揃えれば帰りは相当量な荷物に膨れ上がっていた。

ゾロはばらばらにならないようひとつの箱に収めてもらったペンキ箱を抱え、その他に花を作るためのボックスティッシュを肩に担いでいる。
ナミは大判の布地をコンパクトにまとめてもらったので、それを胸の前に抱えているのみだ。
大物が出された瞬間無言でそちらへ手を伸ばしたので、一応女に重い方を持たせないくらいの配慮はあったらしかった。

「一応そっちを私に押しつけないくらいの配慮はあるのね」
「どうせ持ち上がらねえの重いのって文句言うくせに」
「当たり前でしょ? この細腕と、あんたの象が踏んでも壊れないような太腕を比べないで」
「そこまで言うかよ」

憮然とした表情に眉間にしわまで寄せるので、一見ゾロの顔はかなり怖くなっている。
だが、見慣れているナミにすれば怖くも何ともなかった。

「はいはい、さくさく頑張って。特別にエネルギー補給させたげるから」

そう言って振り向き様に、ゾロの口にチョコレートの欠片を押し込んだ。
一瞬指先に触れた唇が意外に柔らかく、ナミはちょっとだけどきりとした。
今までそうして触れたことはなかったなと思いつつ見ていると、ゾロはその甘さに顔を顰めていた。

「甘え・・・」
「そりゃそうでしょ。辛いチョコなんて聞いたことないわよ」

他愛のないことを話しつつ生徒会室へと戻る。
そこは相変わらず誰もいなかった。

「ったく、どいつもこいつも・・・。しゃーねえ、看板仕上がんなかったら最悪だから気合い入れてやるか」
「それはそうね。じゃ、始めましょ」

基本枠のサイズは決まっているので、さっさと印を入れる後からゾロがのこぎりを入れていく。
太い角材をまるで豆腐か何かのように切り分けていくので、思わずナミにも好奇心が沸き上がる。

「面白そうね。ちょっとこっちやってみてもいい?」
「おい、へっぴり腰が無理すんな」
「失礼ね。やってみなきゃ判んないでしょ」

むきになって片足で押さえつけ、そのままのこぎりの刃を滑らせる。
ゾロがやると何とも簡単そうなのに、ナミののこぎりはギコギコと軋むような音をたてるばかりでちっとも進まなかった。

「ったく、のこぎりで切る時ってのは刃の向きがあって、それに逆らってるとどうにもならねえんだよ。いいからおがくずの片づけか、そっちの幕の用意でもしてろ」
「な、何よ。私だってもうちょっとトライすればこのくらい──」

だが意気込み空しく、角材は悲鳴じみた軋みを上げるばかりだ。

「おら諦めてさっさとどけ。作業が進まねえだろ」
「ふんだ、ちょっとくらい上手に刃物が扱えるからっていい気にならないでよねーだッ」

悔しまぎれの捨て台詞で身を翻し、天幕の方へ移動しようとした時、不意にナミの身体が傾いた。
今まで散々床にぶちまけていたおがくずに、振り向き様思い切り足を取られたのだ。
勢い余って転倒する姿に、ゾロはぎょっとなってナミを見た。

「あいったたた、ドジった〜」
「なぁに間抜けやって──っておい、大丈夫か!?」

呆れたような口調で何気なく視線を振ったゾロが、ナミを見た途端表情を強張らせて怖い顔になる。

「ちょっと滑っただけよ。あいたた、お尻痛い〜」
「バカか! ケツの心配してる場合じゃねえだろ!!」

凄まじい剣幕で怒鳴られ、ナミはむっとなって言い返そうとした。
が、いち早くゾロの手がナミの左手首を掴み、反論のタイミングを失う。
全身で転んだので気づかなかったが、ゾロに掴まれた左手の平からはぼたぼたと鮮血が滴っていた。
おそらく転んだ際に、のこぎりの大刃の方に引っ掛けたのだろう。

「うわっ、何これ!」
「『何これ』じゃねえ! ああ、こんなにおがくずだらけにしやがって・・・ちょっと来い!」

怖いくらい真剣な眼差しのまま廊下へと引きずり出され、そのまま角の水道のところへ連れて行かれる。
そこで思いっ切り蛇口を捻ると、ゾロは問答無用で傷口を流水へと晒した。

「いいい、痛い痛い! ゾロしみる、痛いってば!」
「んなこと言ってる場合か! おがくずなんて雑菌だらけのモンさっさと流さねえと傷が残んだろうが!」

凄まじい力で握りしめたまま、ゾロはナミの手を離さない。
痺れていたのは水の冷たさなのか、それともゾロの握力のせいなのか。
そうして圧迫していたせいか、血の流れはやや収まったようだった。
水から上げそのままナミの手を顔の近くに寄せ、ためつすがめつ眺める。

「・・・おがくずが一欠片残ってんな。取れっかな」

何をするつもりか、と聞く間もなく、ゾロはそのままナミの掌に唇を寄せた。

「──――ッッ!!」

ねっとりと柔らかなゾロの舌が、冷えきった傷口を丁寧になぞっていく。
痛みよりも羞恥心で硬直していたナミは、咄嗟に反撃すべき言葉が出なかった。

そうして幾度も往復したとある地点で、ちくりと痛みが走る。
それと同時にゾロは唇を放し、洗い場へと唾を吐き出した。
そこには血に混じった小さなおがくずの欠片がひとつ落ちていた。

「んな深い場所じゃなくて良かったな」
「よ、よ、良かったじゃないわよ! あ、あんた一体何すんのよッッ!!」
「何ってそりゃ、傷の──!」

手当て・・・と言おうとして、ゾロははっと自分の行動を振り返り、一気に真っ赤になる。
そんなつもりはなかったが、傍から見ればそれは手当て以上の奇妙なシーンに見えたに違いないからだ。

「セ、セクハラじゃないの、これって!?」
「た、単なる手当てだろ! 昔砂利道ですっころんで膝をやっちまった時、こうして手当てしてもらったんだ! そのお陰で傷口がひどくならねえで済んだって、周りに褒めてもらったんだぞ!」
「それとこれとは話が・・・」

そこまで言いかけた時、ふと廊下の向こう側が騒がしくなった。
遅ればせながらやって来たのは、正規の生徒会のメンバーだった。

「おりょ? 何やってんだふたりとも。もしかして俺たち、お邪魔だったか?」
「「違うっっ!!」」

「いや〜、遅くなって悪かったよ、おふたりさん。これで結構あちこちルフィも呼び出されるもんだから、マネージメントするウソップ様としては辛いぜ」
「や、それは会計の仕事じゃないし!」

「やいこらゾロ、いつまで麗しのナミさんの手を握ってやがるんだ! とっととその無骨な手を放しやがれ!」
「副会長のてめえがしみじみしねえから、挙句こんな事になんだろ!」

「ま、待って下さい。様子が変じゃありません? 何ていうか、おいしい雰囲気を邪魔されたにしては、少し空気に甘さが足りないような・・・」
「ってビビ違うから!!」

意味不明なやり取りにうんざりしたゾロは、小さく舌打ちして正面からビビを捉えた。

「おいビビ、今すぐナミ連れて保健室へ行け。手ェ怪我したんだ」

そこまで言われて、改めて掌に走った大きな傷跡に気づく。

「てめ、よくもナミさんに怪我させやがって!」
「もとはと言やあてめえらが遅いからだろうが! うら、遅れた分きりきり働きやがれ!!」
「へ〜い・・・と、ゾロ? お前チョコ持ってるか食ったかしたか?」

すれ違い様、ルフィがゾロの顔を覗き込む。
ルフィの犬並みの嗅覚に舌を巻きながら、ゾロは威嚇するように叫んだ。

「んなこたどーでもいいだろが! どいつもこいつも仕事しろ!」
「いよっしゃ、この天才ウソップ様に任せろい」
「さ、ナミさんは保健室へ行きましょ」
「え、ええ」

ナミはうっすらと指の跡の残った手首と、先程何気なくかの唇に触れた指先とを思いながら保健室へと向かった。
その2ヶ所は、心なしかほんのり熱を帯びていた。




さすがに人数が増えると効率がいいのか、ナミたちが戻る頃には大分作業は進んでいた。

「あら、この調子なら看板は何とかなりそうね」
「や、何とかならなかったら困んだろ。明日の顔になんだぜ、コレ」

もともとこれが最後になっていること自体がおかしいのだが。

「じゃあビビ、私たちはこっちの垂れ幕をやっちゃいましょ。ミシンかけて作業するだけだから早いわよね」
「ち、ちょっと待って下さい、ナミさん! 手の傷縫ってはいないんだから、そんな振動与えたら傷口が──って言ってる矢先に開いてるしーッッ!!」

──5分後。

ナミは再度保健室へと送られ、片づけ専門の厳命を下された。
だが作業は順調に進み、明日の学祭を迎える用意はつつがなく整った。




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