まだ陽が登る前の空は、淡い青と薄いねずみ色が混ざった静かな色をしている。
布団を畳んで押入れに収納すると、がらんとした部屋にぴんとした空気が流れる。
障子を開けて、朝陽を迎え入れる準備をし、部屋の真ん中に正座をして目を閉じる。

瞼の上に光が落ちて、新しい一日の到来を告げる。
毎日欠かさない対話の時間。じっと写真を見つめて、心の中で語りかける。



 くいな……、オレはまたお前より一つ年を取ってしまったなァ……






お父さん WA 心配症 〜Happy Birthday Daddy!!〜 −1−
            

ぞの 様






「お、おはようございます! 師匠!」
「おう」

朝陽が差し込む道場には、すでにたしぎが居て、素振りを始めていた。今日は少し冷え込んでいて、吐く息がほんのり白い。慌てて来たのだろうか、たしぎの髪ははねていた。

「もうすぐ推薦入試だな。実技はオレが教えてるんだから問題ねェが、筆記の準備は大丈夫か?」
「え? あ、は、はい……まあ、なんとか……はは」
「おいおい……大丈夫なのかホントに」
たしぎはいつもわたわたしていて、挙動不審なのだが、剣を持たせたときの目つきと集中力は、ときどきオレでも驚くほどだ。まァ、こいつなら筆記試験も難なくクリアするだろう。面接は……ちょっと心配だが。

「師匠、おめでとうございます!」
「ん? ……あァ」
「今日のお誕生会、私もお手伝いさせてもらいますね!」
「お誕生会……」

この年になってお誕生会でもないが、まァ、祝ってくれるってんだからいいか。それに、誕生日ってことで今日は際限なく酒が飲める。いつもうるさいナミも、今日ぐらいは黙って飲ませてくれるだろう。

「お父さんっ! 早く朝ご飯食べてよ! 私、遅刻しちゃうじゃないの!」

道場の扉をバーンと開けて、長女のナミが仁王立ちでオレを睨む。誕生日の朝くらい、もう少し優しくしてくれてもいいものだが。
「あァ、今行く」
「あ、おはようございます。たしぎさん!」
そう言って深々と礼を交わす女二人。たしぎは道着だからいいものの、ナミの短すぎるスカートでは、体を少し曲げただけで大きな尻が飛び出しそうだ。何度言っても聞きゃしねェ。今時はそれが「フツー」なんだと。
しかし、年頃の娘の太ももを、そこらじゅうの男共に見られるのは、親としては非常に腹が立つ。一日中張り付いて隠してやりてェくらいだ。

「私が準備してる間にさっさと食べてよね!」
「って、おめェは食わねェのか?」
「私はいいの。朝練終わってからサンジ君と食べるから」
「ん……なにィィィィッ!?」

あのグルグルマユゲと朝メシ食うだァ?

「きゃあ! 何すんのよ!?」
「ナミッ!! ダメだ! うちで食ってけ! あんなヤツと食うメシはまずいに決まってる!」
「何言ってんのよ? サンジ君のお弁当、すっごくおいしいんだから!」
「料理する男なんてダメだ!!」
ナミの腕を掴んで引き止めようとすると、ナミはだぼだぼの靴下に覆われた足を振り回してオレに蹴りを入れようとする。短いスカートは簡単にひるがえって、その中が見えそうになると、オレは慌てて目をそらした。その隙に、ナミはオレの手から逃げてバタバタと母屋の方へ走って行った。
たしぎがフォローするように後ろから言った。
「大丈夫ですよ。ホラ、サンジ君はあのバラティエの跡取りなんですから……」
「ダメだ!!」

ナミの太ももをあのグルグルマユゲに至近距離で見せてなるものか!
朝練だァ? 大勢の男共がボールを蹴って行き来するところで、ナミがあの短いスカートで立ってみろ。小さな風が起こったらすぐにナミのスカートはめくれちまうだろうが! そんな飢えた狼共に純粋無垢なナミは生け贄にされちまうのか?

……ダメだダメだダメだっ! ダメだったら、ダメだ!!

うしろでたしぎがくすくすと笑って言った。
「師匠、心配入りませんよ。部活はマネージャーだってちゃんとジャージに着替えるんですから。それに、ナミちゃんだってしっかりしてますから、自分のことはちゃんと自分でできますって」
ギロリ、と振り返ってたしぎを睨んでも、たしぎはくすくす笑い続けていた。

「ホント、師匠はナミちゃんとビビちゃんのことになると、人が変わりますよね」
「そりゃそうだ! 大事な娘二人を、どこの馬の骨かわからねェ奴にそう簡単に渡してたまるかってんだ!」
たしぎは笑いをこらえながら、また夕方に来ますと言って入口で一礼して帰っていった。

「おやじィ〜、早く朝メシ食えよ。姉貴はもう学校行っちまったぞ?」
呆れ顔で立っていたのは、長男のウソップだ。ここんとこ何だかませてきて、髪に泡なんてつけてやがる。色気づきやがって。
「何ィ?」
「オレももう行くからな」
「行くからって、おめェ、ビビと一緒に行かねェのか?」
「兄妹揃って登校なんかするかよ、恥ずかしい」

とか何とか言いながら、おめェはあのお嬢様と仲良く登校するんだろうが。
知ってんだからな。メリー病院のカヤちゃんにご執心だってことくらい。
まあ、ウソップはよくしゃべる割には意外とオクテなヤツだから、間違ってもカヤちゃんに手ェ出すなんてこたァないと思うが。

「それによ、ビビにはちゃーんとお迎えが来るんだよ! でっけえリムジンがよ! 乗れるかってんだ、あんな目立つ車!」
ウソップがそう言った途端、外でパパァーンという大きなクラクションが鳴った。

「おおーい! ビビーッ! 学校行くぞぉーっ!」

真っ黒なリムジンのサンルーフから顔を出して叫んでいるのは、町の大富豪の息子、ルフィ。言ってしまえばボンボンだ。両親は何だ、東南アジアにでっけェゴムのプランテーションを持ってるとか、リゾート開発で世界中を飛び回っているから、ひとり日本に残されたドラ息子はやりたい放題だ。アニキがいるらしいが、今はどっかに留学中だとか言ってたな。

……そんなことはどーでもいいんだ!

「こら! ルフィ! そんなでけェ車でこの狭い路地に入ってくんなっていつも言ってんだろうが!!」
「おう! オヤジ! ビビはまだか?」
「てめェにオヤジなんて呼ばれる筋合いはねェ!!」
「ビビはどこだ? 早くしねーと遅刻だぞ?」
「なら先に学校へ行け! ビビにはそんな車に乗って登校なんかさせん!」
ルフィはししししっと笑って、「まあいいじゃねえか、こっちの方が快適だし」と笑った。
そういう問題じゃねェ!!!

「お父さん、まだ朝ご飯食べないの? 私、もう行くね?」

ふっ、と空気が和むような声が聞こえて、見るとセーラー服のビビが心配そうにオレを見て立っていた。
制服の丈も買ったときのまま、もちろん、スカートもしっかりと膝を隠している。ナミとは大違いだ。
青い髪をポニーテールにして、清潔感を漂わせている。

「今日は早く帰るからね。お父さんのお誕生日だもんね!」
「あ……あァ」
この心優しい次女ビビは本当にいい子だ。まだ14歳だというのに気配りがよくできるんだ。
親バカだと言われるかもしれねェが、目に入れても痛くねェってのはこういうことを言うんだな。
昔から少し病弱で、よくカヤちゃんの病院にかかったもんだ。
ウソップとは双子だっつうのに、アイツは男だからってのもあって、病気ひとつしたことがねェ。
ビビは生まれるとき、ウソップよりもかなり遅れて外に出た。あのときのくいなの辛そうな顔は、今でも鮮明に思い出せる。

くいながいなくなってもう5年か……。

いつもナミがウソップとビビの手を引いて、オレの後をついてきてたな。寂しい寂しいって泣いている二人を、母親のように抱きしめていたナミ。そしてナミも、弟と妹が寝ついた後に、オレの布団の中に潜り込んで、静かに泣いていた。まだまだ母親に甘えたい頃だったろうに。

だから、オレは誓ったんだ。

三人の子供たちはオレが命をかけて守ってやるんだ、と。

「お父さん、いってきまーす!」
ビビの楽しげな声が聞こえて見ると、リムジンのサンルーフからルフィと一緒に体を乗り出して、オレに手を振るビビがいた。

「こらっ!! ビビッ! 学校には歩いて行けっていっつも……健康に……!」
オレの最後の言葉はパパァーンというクラクションにかき消されて、リムジンは狭い道を大きなエンジン音で走って行った。

ハアーッとため息をつくと、垣根の向こうから「もういいかな?」という声が聞こえた。

「おう、いいぞ、チョッパー」
「おはよう、ゾロ。今日も騒々しい朝だったな」
「いつものことだ」
そう言ってオレはチョッパーに茶を入れて縁側に腰を下ろした。太陽はもう高い位置に登っている。
チョッパーはくいなに手を合わせてから、オレの肩をポンポン、と叩いた。

「誕生日おめでとう、ゾロ」
「おう、ありがとう。よく覚えてたな」
オレがそう言うと、チョッパーはぴょん、と垣根を飛び越えて、バイクから封筒をひとつ取りだしてすぐにまた戻って来た。
「ホラ」
そう言ってモコモコの手で手渡されたのは、出版社の茶封筒。
「ここに、ハッピーバースデイって書いてあったから、思い出したんだ」
見ると、封筒の表にマッキーで味気なくその文字は書かれていた。
「ロビンか……」
「さっき出版社に寄ったら朝早いのにいたぞ? なんか徹夜明けだったみたいだ」
「ハハ……原稿待たせてるからなァ……」

誕生日おめでとう、とは言うものの、封筒の中身にはあまり期待しなかった。そして案の定。

『お誕生日おめでとうございます、先生。プレゼントをあげたいところですが、その前に私は先生からいただかなくてはならないものがあります。プレゼントはその後で。   待つのがキライな編集担当より』

「こりゃ……今日中に原稿を仕上げろってことだな」
「お前もすっかり売れっ子作家だな、ゾロ!」
「まあ、これも敏腕担当がついてくれたお陰だろうな」
「専属バイク便のお陰でもあるぞ!」
「あァ、そうだな。ありがとよ、チョッパー」
「う、うるせーな! コノヤロー!」
誉めて欲しそうだったから誉めたのに、何故かいつもチョッパーは笑いながら怒る。まあ、長いつきあいにもなれば、わかっててわざと誉めまくってその反応を見て楽しんだりする。
だが、今日は心から礼を言った。
「本当に、……ありがとよ、チョッパー。貧乏時代は本当にお前には世話んなった。今日のオレがあるのはお前のお陰だよ……」
「コッ……!」
「しかし、たった一通の封筒だけ届けていて大丈夫なのか? ……たぬき運輸は」
「トナカイ運輸だっ!!」
間髪入れずにチョッパーはつっかかってきて、オレは大口を開けて笑った。
「いいんだっ! 会社のことはもう任せてあるんだから!」
「のんきな社長だぜ」
「うっ、うるせえっ!!」
「さて……そろそろ仕事するかな」
ずずずーっとお茶を飲み干すと、オレはふう、と息をついた。
「おう、じゃあオレもそろそろ行くぞ。また夕方に来るからな!」
そう言ってチョッパーはバイクにまたがり、さっきのリムジンとは反対方向に走って行った。

今日の空は真っ青だ。そこに浮かぶ白い雲がわたがしみてェだ。

「わたがし……縁日……縁日殺人事件、ってのもいいなァ……。ま、まずは今の原稿を仕上げねェとな!」
そう言って立ち上がって湯呑みを持って台所へ行った。そこで初めてオレはまだ朝メシを食っていないことに気づいた。

テーブルの上には花が飾られていた。白い花。名前は知らねェが、昔よく、くいなとナミが摘んできた。
いつの間にか、オレたち家族にとって特別な花になっていた。

すっかり冷たくなった朝メシを食べながら、この花を摘んでいるナミの姿を思った。いつの間にか布団に潜り込んでくることもなくなった。いつの間にかくいなみたいにオレに説教するようになった。生意気になっても、やっぱり子供の頃から何ひとつ変わっちゃいねェ。オレの大事な娘だ。

わずかに揺れる白い花をしばらく眺めていた。
短いスカートで、花畑を楽しそうに走っているナミの姿が目に浮かんだ。座り込んで、この花を摘んでいるナミ。

短いスカートで……。座り込んで……?

ナミは一人でこの花を摘みに行ったんだよな? そうだよな?
そうじゃなければビビと一緒に行ったんだよな? そうだよな?
間違ってもあのグルグルマユゲと一緒だったなんてことはないよな?


その日、オレは夕方ナミが家に帰るまで、まったく原稿には手をつけることができなかった。




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