元の二人に戻りたい。
屈託なく言い合っていたあの頃に。
一心にそう思っていた。





もう一度信じて 〜その後〜   前編




グ〜キュルルルル〜

ナミは自分の腹の音で目覚めた。なんという恥ずかしい目覚めだろう。

「目ぇ覚めたか。」

ゾロがベッドの傍らの椅子に腰掛けて、腕組みしながらじっとナミの顔を見ていた。
窓から入る月明かりで、ぼんやりとゾロの顔が見えるだけだったが、その緑色の瞳が暖かく光って見えた。こんな優しい表情のゾロは見たことがない・・・・。

「やだ、ずっと見てたの?」
「ああ。」

かぁっとナミは赤面する。ずっと寝顔を見られていたなんて。
その上、腹の音も聞かれたかと思うと、穴があったら入りたかった。

「腹、空いてるみたいだな。」
(やっぱり聞かれてた・・・)
「待ってろ、今なんか貰ってきてやる。」
「あ、ゾロ?」

上体を浮かせてナミが呼びかけたのにも答えず、ゾロは部屋を出て行った。
呆気に取られながら、再びぱふんと枕に頭を戻した。
窓の方に顔を向けた。
雲間から、白い月がおぼろげに顔を覗かせている。

(もうそんな時間なんだ。)

ゾロはカフェテリアから一人前の食事をトレイに載せて運んできてくれた。
ホカホカのパン、暖かいスープ、香ばしい香りの肉のソテー。デザートには瑞々しいメロンがついてた。
いつもなら、食べ物を見ても吐き気を催すことが多かったのに、今夜は不思議なことに何にも感じなかった。こんなことはめったにないこと。食べられる時に食べておかねば。
遠慮なく食べていて、ふと顔を上げるとゾロと目が合う。ゾロの目は笑っていた。

「ゾロは食べないの?」
「俺は夕方にチョッパーと一緒に食ったから。」
「そう・・・・あ、そういえば、チョッパーは?」
「・・・・・コーヒーもらってくる。」
「?」

微妙に話を逸らされた気がする。

「ごちそうさま。こんなにまともに食べたのって何日ぶりかしら。」
「そうなのか?」
「そうよ、悪阻でね。サンジくんが特別に料理してくれたものでなんとか食いつないでたって感じ。」
「気がつかなかった。いつもお前を見てたのに。」

その一言にドキっとした。
二人は見詰め合った。
こんなに静かな気持ちで、お互いが対峙したのはいつ以来だろう。

「ナミ・」
「何?」
「あの時は・・・・悪かった・・・・。俺が、迂闊に薬にヤラれたばっかりに。」

二人の間を決定づけたあの日。
仲間から、そうではない何かに。

「いいのよ。私だってそれを承知で受け入れたんだし。」
「・・・・本当は、こういうことは、あの後すぐに言うべきだった。それなのに言えなかった。お前がそんなに苦しんでいたとは思ってなかった。お前はいつも通りに振る舞っていたから・・・もうなんでもないんだと。」
「その割りには、ずっと私のこと気にかけてくれてたわね?」
「お前が変わり無いことを、常に確認したかったんだと思う。そうすることで、俺の・・・・気持ちが、少しでも軽くなるから。」
「今だから言えるけど・・・私達、どうしてもっと早く話し合わなかったって思うわ。話せば分かることだったのに。二人とも悩んでるって。」
「甘えてたんだ、お前に。嫌だった、言葉にするのが。すればそれだけで全てが動いて、変わっていってしまうようで。曖昧なものは、曖昧なままで済ませたかった。それで何も無かったことにできると思い込んでたんだ。全て元通りだと。でもダメだな。それじゃダメだ。気持ちはあの日に戻っちまう。わだかまりはいっぺん吐き出さないとダメだ。そうしなければ、きっとずっとあの時点に立ち止まったままだったろう、二人とも。」
「たぶんね、それまでがすごく居心地が良かったからだと思うの。仲間同士であることが。それを変えたくなかった。絶対に。すがりついてでも。」

「でも、この子が変えてくれた。」

ナミがお腹に手を置いた。

「そうだな。」

ゾロも、ナミの手の上に重ねるようにして手を置く。

「俺達をもう一度向き合せてくれたのは、コイツのおかげだ。」

時間が経てば、前と同じような関係に戻れると思っていた。
しかし、表面上ならいつも通り振る舞えても、内実は変質していく。
他人からは前と同じように見えたとしても、それは以前と同じようでいて非なるもの。
何よりもそのことに思い知るのは自分達自身。
それなのに、元の関係に戻りたい気持ちばかりが先走りして、大事なものを見失っていた。
もしあのまま突き進んでいたら、心のどこかに相手への不信を抱えたままだったろう。
きっと、元の仲間になど戻れなかったに違いない。
でも、この子ができたおかげで、立ち止まって考えた。
お互いを見つめ直す機会を持つことができた。

「私、アンタの重荷になりたくなかったの。ホントよ。」
「お前、何度もソレ言うけど、俺は重荷だなんて思ってねぇよ。」
「でも、この子のことで責任取ろうとしてるでしょ。別に私のこと、なんとも思ってないのに。」
「あのなぁ・・・。俺はなんとも思ってねぇヤツだったら、ここまでノコノコ来ねぇよ。」
「でも。」
「あの日から、お前のことが気になって気になって。四六時中お前のこと見てたし、考えてた。泣いてないか、悲しんでないか、落ち込んでないか。終いにゃ、笑ってても気になる。誰と楽しそうに笑ってるのかってな。」
「それって・・・・」

昼間のチョッパーの言葉が蘇ってきた。

"ゾロも、ナミのことが気になって仕方が無かったって言うんだ!
 なぁんだ、二人とも同じ気持ちなのに、すれ違ってるだけなんだって分かったら、
 俺、可笑しくて笑っちゃったよ!"

ナミも、あの時からずっと、ゾロのことをいつも気にかけていた。
でもそれは、ゾロも全く同じだったってこと?

「それに今だから言えるんだが、俺はなんとも想ってねェヤツに、助けてくれなんて言わねぇ。」

ゾロがナミの目をまっすぐに見つめる。

「お前だったからだ、ナミ。」

「・・・・・うん、うん!」

自然と涙がこみ上げてくる。
ナミは口を手で覆い、嗚咽しだした。
そんなナミを見て、ゾロは椅子から離れてベッドに腰掛けた。
腕を伸ばし、枕に預けられたナミの身体を抱き寄せる。勢い、ナミは顔をゾロの胸に埋めることになった。

「泣くなよ。」
「・・・・・なんか、力が抜けたっていうか、ホッとした・・・・ずっと気持ちが張り詰めてたから。」

ゾロの胸で、ナミがしゃくりあげる。

「ずっと見てたのに、子供ができてるっつーことだけは頭が回らなかった。無意識に考えないようにしてたのかもしれない。」

ナミがゾロの胸の内から顔を上げて、ひたとゾロの目を見据えた。

「私、この子を産んでいいのね?」
「ああ・・・そうだ。」

確かな言葉。
またもや、見る見るうちにナミの瞳に涙の膜が張る。


自暴自棄になって、自分のことなんかもうどうでもいいと思っていた。
いっそこの世から消えてしまえたらと。

それなのに今は、自分がこの世で最も尊い存在になったような気がする。
ゾロに認めてもらったことが、力を与えてくれた。
ゾロの子をお腹に抱いていることが、誇らしかった。


ナミが目蓋を閉じると、目尻から涙がこぼれ出す。
昼間、それをゾロは手で拭ってくれた。
今度は、別の感触がもたらされた。
ああ、ゾロの唇だ。
目を開けると、ゾロの顔が目の前だった。その緑の瞳の中に確かに自分が映っている。
目が合っても、ゾロは気にする風でもなく、尚もナミの頬に唇を寄せ続けた。
不意に顎を持ち上げられた。あ、と思った時には唇に口付けられていた。
一度離れると、また角度を変えて口付けられた。温かくて、湿った感覚が唇を覆う。
あの時も――口付けられたと思う。無我夢中でよく覚えていないがそれは、押し付けられたというか、ぶつけられたような、衝動的で暴力的なものであった。
でも、今日のこれは明らかに違う。ゾロが自分の意志でもってナミに対してしてくれているもの。ゆったりとした空気がそれを醸し出している。あの時とは、全然違う。
唇は一瞬離れたかと思うと、今度は顎に、そして首筋へと降りてきた。
途端にナミの鼓動が早鐘のように打ち出した。
ドキドキする。こんなにドキドキしたら心臓がおかしくなってしまうのではないかと思うくらいに。

「ゾロ、その、まさか・・・・する気じゃないわよね?」
「・・・・・そうだったらどうする?」
「だ、だめよ。私、妊娠してるのよ?」
「チョッパーは、妊娠中でもイイって言ってたぞ。」
「それは安定期に入ってからのことでしょ。私はまだ初期だから、止めておいた方がいいと思う。」
「・・・・・。」

しばらくナミの目をじっと見つめた。
やがて、ふーっとため息をついて、ゾロがナミから身体を離した。

「難しいもんなんだな。」
「ごめん。せっかくちゃんと産めるって分かったんだし、いたずらに赤ちゃんを危ない目に合わせたくないの。」
「別に謝るこっちゃねぇよ。」

ゾロはクシャッとナミの髪の毛をかき回すように撫でると、ベッドから立ち上がった。

「ゾロ?」
「もう寝ろ。俺も寝るから。」

そう言って、ゾロは部屋から出て行こうとする。

「ま、待って!行かないで。」

慌てて呼び止めた。ゾロが振り返る。

「お願い、今夜はそばにいて。」

ナミは身体を移動させて、ゾロが寝られるスペースを空ける。

「一緒に寝よう?」

小首を傾げ、甘えたような口ぶり。
そんなナミの様子に面食らったような表情をしたゾロだったが、少し天を仰ぐような仕草をした後、何も言わずにナミの隣に身体を滑り込ませた。
ナミの身体を強引に引き寄せ、抱きしめた。

「寒くないか?」
「うん、平気・・・・。」

それどころか温かくてたまらない。
ああ・・・・幸せで溶けてしまいそう。
ゾロに大切に身体をくるまれて。
自分の全身をこのたくましい身体に預けて。
こんな日が来ようとは、誰が想像しただろう。
こんなに安らかな気持ちになるとは、誰が想像しただろう。

「ねぇ。チョッパーが呼びに戻った時、どう思ったの?驚いた?」
「そりゃ驚いた。何事かと思った。お前に何かあったのかと――ま、確かに何かあったわけだが。」

月明かりの中で、ゾロが苦笑いするのが見えた。

「チョッパーの言ったこと・・・・私に子供ができたってこと、聞いた時はすぐに信じたの?」
「アイツが俺の前に現れた時の形相を見りゃ、嘘じゃないって分かる。そもそもチョッパーは嘘なんかつかねぇし。あと、お前の前振りがあったからな。」

前振り?
何のことかと思ったがすぐに思い当たった。
ゾロに、赤ちゃんができたと言ったことを、ナミは思い出した。
その後すぐに冗談だと言って笑ってごまかしたけれど。

「さすがに2回も同じネタ振られりゃ、いくら俺でも分かる。」

その言い草に、ナミはプッと吹き出した。

「・・・・・ねぇ、一つ、お願いがあるの。」
「んー?」
「もう一度、キス、してほしい。」

ゾロの返事はなかったが、ナミに顔を近づけてきたことは気配で分かった。
パチンと音がするくらいの勢いで、ナミは目を閉じる。
スッと唇に何かが押し当てられた。でもすぐ離れる。
物足りない、そう感じたら、また次が来た。
今度は舌で唇を舐められる。最初は上唇を、次に下唇を。ゆっくりとなぞるように。
ゾロの舌が通った後、濡れてひんやりした感覚が唇に残っていく。
いつものゾロからは考えられないような、繊細で微細な動き。
厳しい表情で剣の鍛錬にいそしんでいたゾロ。粗野で荒っぽい気性のゾロ。
そのゾロが、自分に口付けているんだと思うと、じわっと身体が熱くなった。
ゾロの舌がナミの唇のとじ目をなぞる。それに誘われるように、ナミは口を開いた。
ぬるりとそれはナミの口内に入ってきた。歯列を舐めた後は更に奥へと侵入し、ナミの舌を見つけて絡めとった。
舌の動きとは別に、ゾロの唇は隙間なくナミのそれを覆う。息継ぎも許さないほどに。

「ん、ゾロ、苦しい・・・」

逃れようと顔を逸らしても、ゾロの唇は執拗に追ってくる。

「ん・・・・」

また深く口付けらた。
今度は最初から舌が入り込んでくる。
背筋に電流が走る中、ナミも懸命にゾロの舌に重ね合わせて応えた。
唇同士が奏でる湿った音が、病室の中に満ちていった。

「ハァハァ・・・・。」

ようやくゾロが顔を離す。
ナミの息は完全に上がっていた。
それなのに、ゾロの息はそうでもない。心肺機能の違いかもしれないが、なんか悔しい。

「満足したか?」
「うん・・・・。」

ナミは曖昧に答えた。
本当は。
物足りない。
もっと、と求めている、キスだけじゃなくて・・・・。
でも今夜はそんなこと、許されない。

「なぁ。」
「ん?」
「要は、挿れなきゃいいんだろ?」




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