カテドラルアイランド―――サウスブルーにある、数少ない世界政府非加盟国。
非加盟国は無法な国が多い中、この国は高度な文明と秩序を保っている。
また、美しい海と珊瑚礁に囲まれる有数のリゾート地でもある。

そしてもう一つの顔が世界最大級の海軍基地。
カテドラルアイランドは大規模な土地を世界政府の海軍に無償で貸すことで、非加盟国ながらも世界政府からその存在を認められている。

しかし一方で治外法権であることから、世界政府の干渉は一切排除される。
ここでは世界政府の指名手配犯もただの一市民となる。
ここは世界政府に追われる犯罪者達がしばしの心の安息を求めて辿り着く夢の島なのだ。

人々は言う、この島は地上のラストリゾート(最後の頼み)だと―――





愛のある島 −1−





「あの、ナミ教授。お客様がお見えになってますけど…。アポイント無しの方ですが。」
「そう、どなたなの?」
「それが…。」

ナミはその日の午後に受けた訪問に目を見張った。
緑色の頭、同色の腹巻。腕には黒い手拭い。
かつての海賊仲間のロロノア・ゾロの訪問に。

「よぉ。」

ゾロはナミに向かって、軽く手を上げた。
そうされても、あまりの驚きにナミはしばし硬直する。

(なんで、こいつがここに来るわけ?)

そんな思いが頭の中に去来する。

この国は世界政府非加盟国であるが故に、世界政府の法は通じないし、その庇護も受けられない。だから、独自の法律と秩序がある。そのうちの一つが入国者の厳しい取り締まりだ。
世界のナラズ者達が世界政府からの逃亡生活に疲れ果ててこの島にやって来たとしても、入国するには厳格な審査が待っている。その中の一つが銃刀砲の持込禁止。世界で腕を鳴らした自らの武器を、この国に持ち込むことはできない。
だから、ゾロも今日は片時も離さず身に付けている3本の刀を腰にさしていなかった。
剣を持たない剣豪。なんだか言葉として矛盾している。

「久しぶりね。2年ぶりかな?」

「ああ、もうそんなになるかな。」

ナミは3年前に船を降りて、カテドラルアイランドにやって来た。
グランドラインを制覇したその航海術と知識を買われ、この島の大学の教授として招聘されたのだ。
その頃にはナミも賞金首となっていたが、それは世界政府の中での話。この国ではそれも意味のないことだ。
今は大学から部屋と人員、そして湯水のような予算を与えられ、かつて海で得た膨大な情報を基にまさに夢であった世界地図の製作に取り掛かっている。

「それにしても、どういう風の吹き回し?あんたがこの島に来るなんて。」

以前、ナミはかつての仲間達をカテドラルアイランドに招いたことがあった。
しかし、ゾロだけは刀を没収されることを不服として、結局入国しなかった。
入国審査所で金網越しにゾロと話をしたのが2年前。あれはまるで拘置所に拘留中の容疑者と弁護士が接見するような感じだったとナミは懐かしく当時を思い出す。

「ま、ちょっと気が向いてな。あれから2年もたったんだ。俺も少しは丸くなったということだ。」

「それはどうかしらね。ここに来るまで無駄に周りを威嚇してたんじゃないの?さっき案内してきた子、怯えてたじゃない。」

「そうだったか?そりゃ気付かなかった。悪いことしちまったな。」

全然悪びれる風でもなく、ゾロは答えた。

「いつ着いたの?」
「正午頃。」

今は午後3時。入国審査で約1時間。波止場から中心市街地までバスで約1時間。残り1時間で彼はナミのいる大学までやって来たということ。

「あんたにしては比較的早くここまで辿り着いたわね。」
「ああ、大学名を覚えてたからな。人に訊いたら分かったよ。」
「なるほど。それで何の用なの?」
「あ?」
「用も無しにこんな所まで来ないでしょ。あんたは。」
「用が無いと来ちゃいけないか。」
「え?」
「お前に会いに来たんだ。」
「な」

(―――何言ってんの、こいつ?)

ナミはさすがに焦った。ゾロがこんなことを言うなんて予想だにしなかったから。しかし、

「冗談だ。」

ナミの動揺を察したのか、天然なのか、ゾロはニヤリと笑ってあっさりと言ってのけた。
思わず身体がガクッとなってしまう。

「ゾロに冗談が言えるようになるなんて、やはり月日は流れたのね。ところで、今夜はどこで泊まるの?宿はもう取った?」
「いや、まだだ。」
「じゃ、うちに来ない?空いている部屋があるから。今日はごちそう作るわよ。ゾロの歓迎会ね。」
「そりゃ、ありがてぇな。」
「それじゃ、今やってる作業を片付けてしまうから、1時間ほど、学内のどこかで時間を潰してくれる? 」
「了解。」

ナミはいつも自宅から大学まで自転車で通っている。だいたい時間にして20分ほど。
今日はゾロとともに自転車を押しながら、歩いて帰途に着いた。
途中、スーパーに寄って食材を購入。ナミの家に着く頃には陽が没しようとしていた。
トワイライトの光景にゾロは一瞬見とれ、初めて来た場所のはずなのに、ひどく懐かしい場所に来たような錯覚を覚えた。
ナミの家は中心街から少し離れた閑静な住宅地の中にあった。

「いいところだな。」
「でしょ?こう見えても結構いい給料貰ってるのよ。」

ナミはそう言いながら、ドアの鍵を開け、中へとゾロを導く。
室内はシンプルな中にも温かみのある雰囲気を醸し出していた。
その様子でゾロは、ナミが今、幸せな生活を送っているのだと分かった。

「ジュニアー!ジュニア!帰ってるの?」

ナミはダイニングのテーブルの上に食材を置くなり、更に奥の部屋に向かって叫んだ。
すると、ダイニングを仕切るドアが開き、少年が入ってきた。

「お帰り。今日は早かった―――。」

そこまで言って、その少年はゾロの存在に気付き、目を大きく見開いて言葉を止めた。

「ビックリした?すごいお客様でしょ?」
「ゾロさん!!お久しぶりです。お元気そうですね!」

少年は口を開けられるようになると、途端にはしゃいだような声を上げた。

「久しぶりだな、ジュニア。大きくなったな。」
「いつ来られたんですか?」
「今日の昼。」
「いつまで?」

その質問にゾロはわずかに躊躇の色を見せた。やがて、微笑んで、

「気が済むまでいるさ。」

と答えた。

「じゃあ、当分の間、おられるんですね。」
「ああ。」
「やったー!」

少年は飛び跳ねて全身で喜びを表した。

「ジュニア、今日はご馳走作るわよ。手伝って!その前に手を洗ってきてね。」
「はい。」

ナミに言われると素直に返事を返し、少年は洗面のある方へと向かった。



「ホントにデカくなったなー。」

ゾロが感慨深げに言った。

「もう10歳だもん。」
「それに礼儀正しい。あれがホントにお前とルフィの子か?」


モンキー・D・ルフィ・Jr。それが少年の名前だった。
ルフィとナミとの間にできた子供である。
彼は10年前に誕生し、7歳になるまでは海賊船の中で育った。
髪と瞳の色がナミと同じ色であること以外は、外見はルフィをそっくり写し取ったようなジュニア。
それゆえ、父親であるルフィの言動をよく知っているゾロには、彼の丁寧な物言いは非常に違和感を覚えるものだった。

「そうよー。私に似て、とーっても礼儀正しいし、頭もいいの。」

頭の良さはともかく、礼儀正しさはナミに似てもルフィに似ても受け継ぐはずのないものだ、とゾロは内心思ったが、口には出さなかった。





その日の夕食はとても和やかなものだった。
主にナミとジュニアが畳み掛けるようにゾロに質問し、ゾロが一言二言答えた後、その十倍くらいの質と量の話を2人は繰り広げるといった具合。ゾロはどちらかというと聞き役に回ってしまっていた。

やがて、時計が10時を告げた。

「さ、ジュニア、もう寝ないと。」
「うん…。」

ジュニアは名残惜しそうだった。

「俺は明日もいるんだから、また、明日たっぷり話そうな。」
「そうだ、明日、別荘へ行こうか。」
「別荘?」

ゾロはナミに訊き返す。

「ここから北へ10キロほど行った海岸にあるの。ほら、海軍基地がある…。」
「海軍?」

ゾロがその言葉に強く反応した。

「心配しないで。確かに海軍基地はあるんだけど、世界政府の海軍はこの国では何の力も行使できないのよ。ホントに訓練してるだけなの。それに別荘のあるところはそこから大分離れてるし、この国のリゾート地でね、海がとてもきれいなの。」
「ゾロさんも行くでしょう?」

ジュニアがすがるような目をした。
ゾロはやさしくほほ笑むと、

「ああ。」

と答えた。

「良かった!じゃあ、もう寝ます。おやすみなさい、ゾロさん、母さん。」

そう言って、ジュニアはナミの頬にキスした。

「おやすみ。」
「おやすみ。」


「ゾロ、明日何か予定があったんじゃないの?」

ジュニアが部屋に戻った後、しばらくしてナミが訊いた。

「なんでそう思う?」
「なんでって・・・・。」

本人は気付いてないのだろか?今日のゾロはナミが今まで知っているゾロとは随分と違うことを。
覇気がない。
何か気がかりなことがあって仕方がない、そんな様子。
始めは長く会わなかった年月が彼を穏やかにしたのかと思ったが、これは違う。
何か意気消沈しているようなのだ。
そして何が原因なのか、もうナミには察しがついていた。

「ところで、ルフィの消息は分かったのか?」

そんなゾロの問いにナミは首を横に振る。

「まだ、なにも。」



2年前、海軍との激しい戦闘で、ルフィは勝利を収めながらも最後は海に落ちていった。その時、他のクルー達は彼のそばにはおらず、海兵だけが周りを取り巻いていた。
その時、その海域で発生していた激しい潮の渦に飲み込まれ、ゴーイングメリー号はもちろんのこと、おびただしい数の海軍の船がその渦に飲み込まれていった。
ルフィを除くクルー達は散乱した木切れに捕まり、辛うじて助かった。
しかし、ルフィは。
悪魔の実の能力者ということで、海軍は最初から溺死したと思われていたが、その証明と世の海賊達への見せしめのために、遺体の回収には全力が注がれた。
けれども、結局ルフィの遺体は発見されず、死亡は確定されていない。

ナミはこの戦闘の時にはもう船を降りていた。
だから、事件のことはこの島で聞いた。
ルフィはナミがこの島に住んでいることを知っているし、何度かナミとジュニアを訪ねて来たこともあったから、ルフィが生きているのなら、必ずこの島に帰ってくるはず。
ナミは、ルフィの生存を信じて疑わない。
しかし、2年経った今も、ルフィはまだこの島には現れていない。

きっと、どこかで冒険してるのよ、とナミは言う。
その冒険が楽しくて、ここに帰ってくるヒマがないのだと。

「そうか。」

そんなナミをよく知っているので、ゾロもそれ以上は何も言わない。

「ゾロも何も言わないのね。」
「は?」
「この前はサンジくんが来たの。彼も同じ質問をして、『そうですか』って一言だけ。」
「あいつ、来たのか。」
「うん、彼は先月。というか、結構しょっちゅう来るのよ。3ヶ月から半年に1度の割合で。」

ルフィがいなくなってから、ルフィ海賊団は自然消滅した。しかし、他のクルー達のその後の動向は何となくだが知っている。みんな、ナミに知らせを寄越してくるからだ。
サンジはサウスブルーにあるレストランで働いている。
明らかにナミを意識しての就職。
ナミがいるサウスブルーにいたい、というわけだ。
ルフィとナミは、ナミが船を降りて、この島に来た時に正式に婚姻を結んだ。
今や世界政府も認める立派な夫婦だ。
しかし、現在、事実上、ナミは未亡人。
それを承知の上でのサンジの再三の来訪。
彼の目的はみえみえだった。

「まさか、その度にヤツをここに泊めてるんじゃないだろうな?」

ナミが気軽にゾロを自宅に泊まるよう誘ったことを思い出し、思わずそんな質問がゾロの口を衝いて出てしまった。

「泊めてるわよ。当たり前じゃない。」

当たり前ときたもんだ。

「てめ、そんなマネ、ルフィが知ったら怒るぞ。」

自分も今夜泊めてもらうことはとりあえず棚に上げて、ゾロは言う。

「何よ、心配してんの?私とサンジくんがどうにかなるって。んなわけないでしょう。」
「わかるもんか。俺と別れた後、すぐにルフィとくっつきやがったくせに。」

その言葉に一瞬、ナミが固まる。
飲みかけていたグラスをテーブルの上に置き、ゾロを見つめた。

「随分と…昔のことを言い出したわね。」
「随分も何も。俺はあの時けっこう傷ついたんだ。」
「そんなの初耳だわ。」
「若かったから、言えなかっただけだ。その上、すぐに子供作りやがって。」

その子供がジュニアである。

「あ、あれはね、ちょっとしたはずみよ。」
「はずみで子供作んな。」
「な、何よ、あんたが私のこと振ったんでしょう。その傷心のためにフラフラと…ルフィと…。」
「違う。てめぇが俺を振ったんだ。」
「あんたが振ったも同じよ。他の女のことを考える男に抱かれる私の気持ちを考えてもみてよ。地獄よ。」
「・・・・。」
「ま、もう昔のことだけどね。」
「・・・・ああ、昔のことだな。」





―――ナミ、好きだ!好きだ、好きだ、好きだーーーーっ!!愛してる!!!
―――ハイ、ハイ
―――なんだ、その返事!人が真剣に言ってんのに
―――だから私も真剣に言ってるでしょ、ハイハイって
―――真剣さが足りねぇ!


ルフィは、ナミがゾロといわゆる深い仲になったことを知るやいなや、突然そんなことを言い出した。それまでそんな素振りも見せなかったのに。
おもちゃを取られて、初めてその大切さを知った子供のように。


―――ナミは絶対に俺のことを好きになる!
―――今だって、充分好きよ?
―――そういうのとは違う「好き」なんだ!俺のこと好きになれ、好きになれ、好きになれ〜


何度も繰り返されるルフィの言葉。
どこかで心地よく感じている自分がいた。


―――俺とナミ、うまくいく
―――ナミとゾロ、うまくいかない


この言葉を聞いたときは、さすがにルフィを殴り飛ばした。
この時には、もうゾロに別の女(ひと)の気配を感じていたから。
自分が否定している言葉をこうもあっさり言われて、腹立たしかった。
ルフィの真実を見抜く眼力を、このときほど恐ろしいと思ったことはなかった。

そして、結局、ナミが先に音を上げて、ゾロから離れてしまった。


―――やっぱり俺の言ったとおりだったろ?
―――あんた、ホントにむかつくわね





「ナミ。」

名を呼ばれて、ハッと我に返る。
あの頃には想像もつかなかったが、今はもう穏やかな気持ちでゾロを見返すことができる。

「なに?」
「・・・・。」

自分で呼んでおいて、ゾロの言葉は続かなかった。

「なによ、どうしたのよ。」

少しの逡巡の後、ゾロは思い切ったように言葉を滑らせた。

「俺は来月、もう一度グランドラインに入る。そして、今度こそ、ミホークを討つ。」

一瞬、ナミは目を見開いたが、すぐに、

「そう。」

とだけ答えた。

ゾロの大剣豪への夢は、ルフィ海賊団の解団によって、途中で頓挫していた。
しかし、夢を捨てたわけではなかった。時間を置いて、また追う日が来るのを待っていた。
そして、その日がとうとう訪れたというだけのこと。




それでは、
ゾロは、別れを告げにこの島にやって来たのか―――







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