「どうしたんだ?ナミ。妙に嬉しそうだぞ。」

「うん・・・・・なんかね、いいことが起こりそうな予感がするの。」

「予感? 随分あいまいだな。地の果てまで見透す力のあるナミが。」

そうね、これじゃぁまるで・・・・


人間の娘みたい。




イーストレイクの魔女 −1−




「イーストレイクの魔女の会いたいだぁ? おにーさん、そりゃやめた方がいいよ。」
「身ぐるみ剥がされるのがオチだよ。」
「そうそう、すごい金の亡者でね。」
「それに、湖には恐ろしい魔物がウヨウヨしてるっていうし。」
「しかも魔女はしわくちゃの醜い老婆だよ。」
「いや、毛むくじゃらの獣だっていうよ。」
「違う違う。絶世の美女だって。」
「願いをしたからといって、必ず叶えてくれるわけでもない。」
「選り好みが激しいし。」
「気まぐれなんだ。」

ゾロがイーストレイクに辿り着くまでに聞いた、魔女に関する様々な噂。


目の前には、ようやく到着した東の湖(イーストレイク)。
昼間であるにも関わらず、霧が立ち込めている。
その湖の真ん中に小島が一つ浮かんでいて、木々が鬱蒼と生い茂っている。
あそこに、「イーストレイクの魔女」が住む城があるに違いない。
小島と湖畔を繋ぐ吊橋も見える。これを渡ればすぐだろう。
しかし、その吊橋の前に立て看板が立っていたのだ。
その立て看板には、こう書かれていた。


「願いの受付は午前9時から12時まで。
それ以降にお越しの方は、明日に出直してください。
さもなくば――…」



そこまで読んで、ゾロはマントの下から懐中時計を取り出す。
午後1時07分。1時間7分の超過だ。

馬で駆け、森に入ってからは徒歩で1日がかりだった。
こちとら夜を徹してここまで来たのだ。
その客人に向かって、明日に出直せだと?
一体どういう了見だ。

「この火急のときに、こんなもん、」

守ってられっかと一人ごちると、ゾロは大股歩きで吊橋を渡り始めた。
吊り橋は、ゾロの腕と同じくらいの太さの蔓性の植物で吊り上げられていた。
踏みしめる板は苔むして濡れていて、しかも表面はヌメっている。
橋の板と板の間隔は大きく、危うく足を滑らせようものなら、すぐさま湖に転落となりそうだ。
橋の上から覗き見る湖は、まるで墨汁を垂らしたように不透明で、どこに底があるのか検討もつかない。
もしかしたら、底無しなのではないかと思うくらいに。

吊り橋の中ほどまで差し掛かった時、異変が起きた。
ゆらりゆらりと吊り橋が揺れ始める。ゾロは足を踏み外さないよう、蔓を掴んで踏ん張った。
最初は横揺れ、次には小刻みに縦揺れ。どんどん揺れは激しくなるばかり。
そして、眼前で湖面がどんどんせり上がっていくかと思えば、耳をつんざく轟音とともに湖面が裂け、一本の水柱が突き上がった。
と同時に、突然豪雨が来たかのように、凄まじい量の水滴が槍のように降ってくる。それらは弾丸のようにバシャバシャと音を立てて湖面に打ち込まれた。
その水しぶきを浴びて、ゾロはあっという間に全身がずぶ濡れになる。
降りかかる水をなんとかやり過ごしたかと安堵して、咄嗟に目を庇っていた腕を外してみれば、驚いた。
天を衝かんばかりのそれを、ゾロは初め水柱だと思ったが、実際はそうではなかった。

これは、大蛇だ。

体調がゆうに50mはありそうな大蛇が、鎌首をもたげて、ゾロを見下ろしている。
ぐわっと大口が開かれると、そこには鋭利な歯が不気味にズラリと並んでいる。
その大口が、更に大きく開かれて、見る見るうちに橋の上にいるゾロに襲い掛かってきた。

「やろうってのか!上等だ!」

殺気を感じ取ったゾロは、素早く三刀を抜き放ち、一刀を口にくわえる。
不安定な橋の板を蹴りつけて飛び上がった。
目の前にはゾロを呑み込まんと、大蛇が真っ赤な大口を開いている。
剣山のような歯。アレに噛まれたら、全身串刺しだ。
そんなことを考えながら、空中で三刀の切っ先が揃うように構える。


「鬼、」

「斬―――」


しかし次の瞬間、稲光のようなものがゾロの全身を貫いた。

四肢が粉々に砕け散るような感覚。

そして、ゾロの意識が根こそぎ奪われた。




***




朝靄の中、ゾロは馬小屋から馬を引いて、門への道のりを歩いていた。
まだ邸内は寝静まっている。門を出てから馬に乗ろう思っていた。
ゾロの黒いブーツが、地面の枯れ枝を踏みしめると、パキッと乾いた音を立てた。
小さい音なのに、その音はやけに大きくゾロの耳には届いた。

「ミスター・ブシドー!」

ゾロの背後から掛かった凛と通る声に振り返る。
青い外套を羽織った少女が、ゾロの元へと向かって駆けてきていた。

「ビビ・・・・。」
「『イーストレイクの魔女』のところへ行くって本当?」

ようやくゾロに追いついたビビは、肩を上下させて息もまだ整わぬうちに、思いつめた表情で尋ねる。
ゾロは足を止め、ビビに向き直って頷いた。

「ああ。」
「コーザを見つけ出すために?」
「そうだ。」

コーザは、ゾロとビビが仕える富豪ユパ家の一人息子だ。
幼き日、みなし児となったゾロを、父の友人であったコーザの父が屋敷へと連れ帰り、コーザに仕え、よき友となるようにとゾロに言い置いた。
長じて、ゾロはコーザの家臣であり、友人であり、相談相手であり、剣術の指南役となった。

中でも剣術は、裕福な家の師弟が身に付けておかねばならない嗜みの一つである。
その剣術の鍛錬の最中に、お菓子やら飲み物やらの差し入れを運んでくるのはビビの役目だ。
彼女は厨房で働いている。ゾロと同様にみなし児で、孤児院に預けられていたところを、その聡明さと気立ての良さをコーザの父に見い出され、コーザの館で仕えるようになった。

ゾロとコーザは、ビビの姿が視界に入ると、鍛錬の手を止め、ビビを笑顔で迎える。
年齢が近いこともあって、3人はすぐに仲良くなった。
午後のひとときを、他の使用人達の目を気にせず語り合えることは、3人にとっての何よりも大切な時間だった。
それ以外の時でも、3人はすれ違えば互いに微笑み合ったり、目配せをしたりして、自分達だけに分かる挨拶を楽しんでいた。

ある日、ビビが孤児院でお世話になった先生から届いた手紙を、コーザに読み聞かせてほしいと頼んだ。
ビビは貧しい家の生まれで、教育もろくに受けておらず、字が読めなかったのだ。
会って間もなくからビビの聡明さを既に見抜いいていたコーザは、すぐにビビに読み書きを教え始めた。
ビビが厨房の仕事を終えてから、寝る前のわずかな時間、ビビとコーザは庭の東屋で会い、読み書きの勉強をする。
実は、これにはゾロは仲間に入れてもらえず、内心面白くないと思っていた。
とはいうものの、二人が熱心に教え学ぶ姿に、すぐに温かい目を向けて見守るようになったが。

そうしているうちに、コーザとビビの間に友情以上のものが芽生えるのは、時間の問題だった。
しかし、二人が結ばれるのは不可能に近かった。
片や大富豪の令息、方や侍女。身分が違い過ぎた。
二人もそのことは、よく承知している。コーザはいつか身分相応の花嫁を他家から迎えることになるだろう。そしてビビは、そんなコーザをただ黙って見守り、その奥方にも仕えていく運命なのだ。

だから決して流されないようにと、二人とも気持ちを厳しく律していた。
惹かれ合っているのに、それに目を向けない。想い合っているのに、それを口にしない。
自分達は決して結ばれない。だから、そんな想いを抱いてはいけない、もちろん、打ち明けてはいけない。
厳しく心を戒めている姿は、傍で見ていても切なくなるような光景だった。

そんな折に、とうとう恐れていた事態が起こる。コーザの縁談が持ち上がったのだ。
お相手は隣の市の、やはり富豪の娘だった。
コーザとその娘と結婚させることによって、隣市の商業権を手に入れるという、政略結婚だった。
しかし、その縁談がもたらされて2週間後、突然コーザは姿を消した。

失踪か?事故か?誘拐か?

失踪なら自らの意志で出て行ったのだから、とりあえずどこかで無事にしていることだろう。
しかし、事故か誘拐なら、命に関わる。
誘拐だとすると、今回のコーザの縁談を快く思わない者か、ユパ家に恨みのある者の仕業かもしれない。
それならば、コーザは亡き者にされてしまう。

いずれにせよ、捜し出すことが急務だった。
コーザの捜索の任にはゾロが就いた。
コーザが行きそうな市中を隈なく捜索した。
しかしその甲斐も虚しく、コーザは見つからなかった。
もしかしたらコーザは郊外へ出てしまっているのか。
そうなると、範囲が広すぎて、捜索のしようがない。
そして、コーザ失踪3日目の夜、ゾロは主人に呼ばれ、東の湖(イーストレイク)の魔女の元へ行くよう命じられた。
魔女の助けを借りて、コーザの居所を掴め、ということだ。

魔女のことは、ゾロも話には聞いていた。
人の考えを見透かし、世界の果てまで見通すことができるので、人々は事態に窮した時、最後の手段にと魔女の元へ赴くのだと。
その魔女は、鬱蒼とした森の中にある湖に浮かぶ小島に居を構え、数多の妖魔を操り、妖しい呪術で人々の要望を叶えては、その対価として莫大な金銀財宝を奪い取る。時には、魂も吸い取ることもあるという。魔女を頼ったがために、最終的に身を持ち崩し、破滅する人もいると聞く。

しかし、もっと恐ろしいのは、そんな魔女の元へ訪れる人が今まで一度も途絶えたことがないということだろうか。
魔女に頼ってまで叶えたい欲望が、人々にはあるのだ。
そして、そんな魔女の元へ願い出に行く事情が、ゾロにも(正確にはゾロの主人にだが)できたということ・・・・・。



「でも、何も魔女を頼らなくても!」

ビビは眉をひそめ、顔を曇らせて訴える。

「その魔女も、自分の望みを叶えるために魂を売ったと聞いてるわ。そんなものを頼るだなんて。」

イーストレイクの魔女も、かつてはヒトであったという。
百年以上も前のこと、一人の人間の娘が己が欲望を叶えるため、魔女に魂を売り渡した。
以来、自身も魔女となって、人の弱味に浸け込み、甘言を囁いて、欲望を焚き付け、人を堕落させている。
正義感の強いビビ。そんな妖しい力に頼ることが許せないに違いない。

「気持ちは分かるが、ご主人様のご命令だ。仕方がない。」
「どうして・・・・どうして、こんなことになったのかしら。どうして、コーザは出て行ってしまったの?」

ビビは、コーザの失踪後、すっかり面やつれしてしまった。コーザの身が心配で心配でしようがないのだ。
そんなビビを見ているとゾロも心が痛む。
ゾロはビビの肩に手を掛け、少しでも元気づけようと言葉を紡ぐ。

「あいつが自分の意志で出て行ったのか、そうでないのかはまだ分からない。しかし、もしも自分の意志ならば、それはビビ、お前のためだ。」

ビビが涙で凝った瞳をゾロに向ける。

「コーザの気持ち、分かってるんだろう。あいつはお前に惚れてる。あいつは自分が姿をくらますことで、この縁談を破棄しようとしてるんだ。」
「そんな・・・・そんな畏れ多いこと・・・・。」

瞬間、ビビは今にも泣きそうな表情になって、唇を震わせて俯いた。
頭のいいビビのこと、そんなことはとっくに悟っているのだろう。
けれどその立場上、認めることができないのだ。
ビビは自分がコーザと結ばれる可能性は万に一つもないと重々承知している。
それこそ、駆け落ちでもしない限りは。
しかし、そんな選択は決してしてはいけない事だということも、ビビはよくわきまえている。
だから自分の想いには蓋をして、いつかコーザが妻を迎えた時、ビビはどんなに辛くとも微笑みをたたえて、コーザと奥方に仕えていくのだと心に堅く誓っている。

ゾロはそんなビビがいじらしくて仕方がなかった。
思いやりがあって、優しく可憐で、それでいて凛とした強さも持つビビ。
彼女の魅力に惹かれない者はいない。
こんな娘に愛されたコーザは、なんと幸せな男だろう。

しかし、イーストレイクの魔女を頼ってコーザが見つかることになれば、結果的に縁談は進んでしまう。
ビビとコーザの今までの関係に終わりがくる。
コーザが奥方を迎えれば、それこそ近くにいながらにして、決して触れ合えない、それどころか、愛する男が他の女性と睦まじく過ごす様子を見つめる辛い日々が待っている。

そこに考えが至ると、ゾロはこのままコーザを探し出していいのかという気持ちになる。
けれど、もしもなんらかの謀略で攫われたとしたら、そんな悠長なことは考えていられない。
ともかくも、コーザを見つけることが先決だ。
その後のことは、それから考えよう。

ビビは涙を凝らせながらも無理に笑顔を作ってゾロを見送ってくれた。
気をつけて、と。
早くコーザを見つかりますように、と。


ゾロは東の湖(イーストレイク)への道すがら考える。

コーザが見つかって、縁談がまとまってしまったら。

ビビはどうなるのだろう・・・・・。


その時は―――・・・




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