大学の講義が終って、道場に行こうと思って通りを歩いている時だった。

ゴーン!

別にボヤッとしてたつもりは無いんだが、いきなり右側頭部に衝撃を受けた。
というか、ほとんど耳にぶち当たった。
思わず衝撃でよろめく。
ボテボテと・・・・独特の縫い目のある硬球が足元に転がっているのが視界に入る。

「おー、ワリイワリイ。」

野球のユニフォームに身を包んだ黒い髪の少年がニシシと笑いながら近づいてきた。
人にタマをぶつけておきながら暢気そうな態度だ。
男は俺の右側に立ち、タマが当たった辺りをシゲシゲと見ている。

「な・・・・・な・・・か?」

は?なんつった?
俺は男に顔を向けた。

「なんともないか?」

ああそう言ったのか。
確かにジンジン痛むが、

「大丈夫だ。」

それだけ言って、その男を置き去りにして剣道場へ向った。
道場について、いつものように稽古を始めたが、どうも違和感がある。
右耳に。

「どうしたんです、ゾロ?なんか変ですよ。」

師匠が気づいて心配そうに言う。
やがてその違和感の原因に気がついた。

「どうも…右耳が聞こえにくいような気がする…。」
「ええっ!?」

左耳は聞こえるから、言葉は分かるんだが…。
耳が聞こえなくなったらどうしたらいいんだ?

「病院!すぐに、耳鼻科に行きなさい、ゾロ!」





ココヤシ医院の事情 −1−





約30分後、俺はイースト市ココヤシ町にいた。
耳鼻科といえばここしか知らない。
小学生の頃、ハナ垂れ小僧だった俺は足しげく「ココヤシ耳鼻咽喉科医院」に通っていたのだ。

小学4年の時に隣の市に引っ越しをしたので、ここには通わなくなった。
その頃から剣道を始め、身体も丈夫になって、耳鼻科にお世話になることも無くなった。
だから、耳鼻科に、しかもここに来るのは9年ぶりになる。

医院は少しも変わっちゃいなかった。
一際目を引くレンガ造りの西洋館。歴史的風情を感じるどっしりとした建物。
その赤茶けたレンガ壁にはツタの葉が這っている。
秋なので、だいぶ枯れて茶色くしおれているが、夏になるとツタの葉がレンガの壁を一面に覆うほどになる。
逆U字型の鉄柵の門扉から玄関までの2mばかりのアプローチにもレンガタイルが敷き詰められている。年月の経過で今では草で埋もれそうだ。
ここを歩くのが昔は好きだった。

「え?ゾロって、あのゾロかい?」

この医院の院長であるベルメールが、俺が診察室のドアを開けるなり言った。

「ぎゃぁ!デカくなって!なんだい、その豹変ぶりは!」

ベルメールは少しも変わってないように見える。
開けっぴろげなところも、豪快なところも。
そして、底抜けに明るいところも。
これでも多少は老けたのか?

「あんな鼻水ズルズルの泣かされボウズだったのに〜。あーやだやだ。他人の子供を見ると歳を感じて。」

ベルメールはあからさまに嫌そうに顔をしかめる。
俺も嫌だよ。自分の子供の頃をよく知るヤツと会うのは。

「今大学1回生?イースト大の?ひょえ〜、頭いいんだね、けっこう。」
「何学部?工学の建築学科?へぇーーー。」
「そうか、下宿してるんだ。家を出たんだね。ご両親は元気にしてらっしゃる?」

矢継ぎ早に俺の個人情報に関する質問が続いた後、

「で?今日はどうした?」

ようやく本来の問診に入る。
俺は一通り事情を説明した。ベルメールは額帯鏡(耳鼻科の医者が頭にかぶる丸い鏡のついたもの)を頭につけると、ライトを点けて俺の右耳を覗き込んだ。

「あー、鼓膜が破れてるね。」
「治るのか?」
「治るよ。裂けてるだけだから、すぐ塞がるだろう。」
「そうか、良かった。もうすぐ大会があるから、ちょっと心配してたんだ。」

感覚の違和感が、緊張のみなぎる試合で影響するのではと思った。
決勝ともなるとそんな微妙な感覚の違いが勝敗を決するかもしれない。

右耳に綿棒を突っ込まれながらも話は続く。

「大会ってなんの?」
「剣道。」
「そうか。そうやって身体を鍛えたんだね。それでこんなに立派になったってわけだ。」
「それだけじゃねーけど。」
「あんた見てると、娘の小さい時のこと思い出しちゃったよ。よく一緒に遊んだよねぇ。」

娘。ベルメールには二人の娘がいる。
一人は俺より一つ年上。青い髪をしていた。
もう一人が一つ年下で、オレンジ色の髪をした・・・・ナミだ。
名前なんか思い出したのは何年ぶりだろう。

その二人の娘とはよく遊んだものだ。
親同士が仲が良く、共働きだった俺の両親は、俺をここによく預けたりしたのだ。
その頃ひ弱だった俺が、俺よりも身体もでかくて腕力も強かったこの医院の娘2人に寄ってたかってコテンパにされてたことは、墓場まで持っていく生涯の秘密だ。

「うちの娘達、美人になったよ?」
「ふーん。」

子供の頃、黙ってると可愛かったような記憶はある。
あくまでも黙っていればの話だが。

「しかも頭良くてね。ノジコはグランドライン市の航空大学校へ行っちゃうし、ナミもイースト大学医学部合格確実って言われてるしね。」

俺の気の無い返事がお気に召さなかったのか、それとも俺がデカくなって、大学にも行ってることで奇妙な対抗意識が芽生えたのか、ベルメールは急に娘自慢を始めた。
相変わらずの親バカ子バカだ。

(あたしたちはね、おいしゃさんになるのよ!)
(ベルメールさんのあとをつぐのが夢なの!ねーー?)

記憶の断片がユラユラと立ち上り、そんな言葉がふっと蘇った。

「ゾロ」

名前を呼ばれて俺はベルメールを見た。
けっこう真面目くさった顔をして俺を見ている。

「ちょっと頼みがあるんだけど、聞いてくれる?」
「あぁ?なんで?」
「あんたなら信用できると思うし。」
「いったい何なんだよ。」
「診療時間が終わってから話すよ。二階で待ってて。昔と全然変わってないから、自分の家と思ってくつろいでたらいいから。」
「なんで俺が。」
「夕食出してあげるから。」

ぐっ。
一人暮らしであるため、そして、決してマメな方ではないため、いつも食事内容が貧相なのだ。
それを知ってるわけでもあるまいに、なかなかいいポイントを突いてくる。
おまけにベルメールの作る料理は美味かった。それは9年経った今もよく覚えていた。

「わーったよ。」

俺はしぶしぶ了承した。





***





ベルメールの医院は2階建て。1階が診療所で、2階が住まいになっている。
階段を上がるとすぐに台所と居間がある。
昔は俺がここへ上がってくるとワッとナミが殴りにかかってきたもんだ。
ナミをなんとか交わしても、次にノジコの第二波が待っている。二段構えの恐ろしい攻撃だった。

今日はもちろんそんなことは起こらない。
それどころか、2階には誰もいなかった。
少し拍子抜けする。
実は、9年ぶりに二人に会うのかと密かに緊張したのだ。
会ったとき、なんて言葉をかければいいのか。
あれこれ頭を巡らしてもいたのだが。

「久しぶり」とか?
「元気だったか」とか?
どれもピンと来ない。
昔は確かに親しかったが、9年もの時間がお互いの間には流れている。
そんな相手に対して、一体どういう応対をすればよいのやらさっぱり分からなかった。


診療終了時間は午後8時。まだ1時間ある。時間つぶしをすることにした。

「お、テレビが液晶になってる。」

独り言を言いながらテレビを点けた。
そんなことを見るにつけ、年月の経過を感じた。


「ごめんごめん。随分と待たせちゃったね。」

診察を終えたベルメールが慌しく2階に上がってきた。
時刻は8時半になっていた。

「すぐに夕食作るから。もうちょい待ってね。」

これから作るのかとゲッソリした。どっと疲れが…。
ところが、本当にすぐに料理が出てきた。
きちんと下準備がされていたようだ。
久しぶりに嗅ぐ、美味しそうな家庭料理の臭い。
しっかりした陶器の皿に盛り付けられたボリュームたっぷりのおかずに、湯気がゆらめくホカホカごはん。漆塗りのお箸。
やはりコンビニ弁当とは全然違う。

用意された食器は3人分。俺とベルメールと・・・・ナミの分。
ノジコの分がない。
ノジコはグランドライン市の航空大学校へ行ったと、ベルメールは言った。
ということは、当然現在はグランドライン市に住んでいるんだろう。

いただきます、と言おうと思ったところでふと気がついた。

「ナミは?」

本来のここの住人より先に食べるというのは気が引ける。
ナミも高校生になってるはず。もうすぐ9時になるというのに女子高生がまだ帰宅してないとはどういうことなのかと少し疑問にも思う。それともこの家では普通のことなのだろうか。
それに対し、ベルメールは幾分力なく答えた。

「ナミはね、塾。」

ああ、そうか。
ナミも今年は3年生。今は秋。受験シーズン直前だ。
俺も昨年の今ごろは直前講習とかいって塾へ行ってたっけ。
けっこう終了時間が夜遅くなるんだ塾は。
納得して俺は目の前の夕食に遠慮無く手をつけた。

「ナミさ・・・・。」
「あぁ?」

食べてる途中でベルメールが口を開いた。
見ると、ベルメールは全く食事に手をつけていなかった。

「本当に塾に行ってんのかなって思うのよね。」
「はぁ?」

思わず食べる手を止めてしまう。

「塾って、11時までやってるの?遅すぎない?」
「えと・・・・。」

俺はあまりマジメに通ってなかったので、分からない。
熱心なヤツはそんな時間までやってたかもしれない。

「その割りに最近どんどん成績が下がってるみたいなのよねぇ。」
「そういう時期もあるだろ。こう、成績には波があるんだよ。上がる時もあれば下がる時もある。受験の時にちょうど絶好調になるように、」
「あの子、ちゃんと塾に行ってんのかしら?」

俺の意見なんか聞いちゃいねぇってか。
溜息をついて、俺は言った。

「行ってないと思ってるのか?」

ベルメールがうなづく。

「あの子、なんか私に隠し事してんだよね。」
「・・・・。」
「いいんだよ、もう18だし。親に言えないような秘密も一つや二つあるだろうさ。でも、いくらなんでも帰ってくるのが遅すぎるよね。」
「本人に直接聞きゃいいだろ。」
「聞いたよ。塾だって言うんだ。自習室っていうのがあって、そこなら0時くらいまで開いてるんだって。」

「考えられるのは男なんだけど…。」

少し妙な気持ちがした。
俺の中ではナミは9歳の姿のままなので、急に『男』と言われてもピンとこない。
思わず、誘拐犯と一緒にいる子供いうイメージなどを思い浮かべてしまう。

「それぐらいのことなら話してくれると思うんだよ!」

もし話してくれないなら許さないという勢いでベルメールが言う。
確かに。彼氏ができたことを隠すような親子関係じゃない。
ここの親子はベタベタだから。
その昔、ことあるごとに猫がじゃれあうように抱きしめ合っていた3人のことをよく覚えている。
一人除け者にされて、うらやましいなんて思ったくらいだ。

「一体何をしてるんだか。」

今度はベルメールが溜息をついて言った。

「で、俺にどうしろっていうんだ。まさか俺にナミが何やってんのか探れって言うんじゃねぇだろうな。」
「そう、実はそうなの。ナミの後をつけてほしいんだよね。」
「そんな探偵みたいなマネできるか。」
「私や私の知り合いじゃ面が割れてるし。すぐに感づかれると思うのよね。その点、今のゾロならきっとナミは気づかないと思うのよ。だから尾行にはピッタリよ!」
「断る。」
「あんた、うちの娘が何か犯罪に巻き込まれてたらどうしてくれるの?悪い友達に騙されて、無理矢理・・・・『アアッ、イヤ、やめて』」
「自分の娘をダシにして、何ヤラシイ声出してやがるんだっ。そもそも、そういうコソコソしたことは性に合わねぇんだよ、俺は。」
「そうかい。なら仕方ないね。この技だけは使いたくなかったけど。」
「なんだよ。」

スッとベルメールの瞳に何か冷たいものが走った。
嫌な予感がする。

「じゃーん!ロロノア・ゾロくんの恥ずかしい写真集!」
「なんじゃそれはぁ!」
「アンタがうちに遊びに来てた時に撮った写真の抜粋。例えばこれはね、小学1年の時にうちでお昼寝してね、おねしょした時の写真。裸ん坊で泣いてるでしょ?こっちはナミのスカートめくりに興じてる写真。そんでこれは・・・・。」
「もういい!やめろ!」
「頼みきいてくれなきゃ、コレ、ご両親に送付するわよ。」
「脅迫かい!」
「私も背に腹は替えられないのよ。大事な娘のためだから。返事は二つに一つ。どうする?」
「分かった、やるよ、やりゃあいいんだろ!」
「そうこなくっちゃね。じゃ、頼んだわよ。いいわね?約束したからね?謎をつきとめるまで続けてもらうから、そのつもりで!」

ベルメールが勝ち誇ったように豪語した。





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<まえがき或いは言い訳>
時間の澱様の企画『ゾロ&ナミ なかよしv病棟』への投稿作品です!
私、大学生の時、耳鼻咽喉科医院でバイトしてたんです。診療助手と会計やってました(レントゲン写真の現像とか聴覚検査とかもしてました)。
そのことをチャットでのおさんに話したんですね。そしたら「四条さんも立派な医療関係者だ!」と言われまして・・・・投稿することになりました(笑)。
出来上がってみると医療モノからかけ離れていましたが(汗)、快く受け取ってくださったのおさんに心から感謝です(>_<)。ありがとうございました!

 

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