尾行1日目は失敗した。
言っておくが、ナミに感づかれたとか、尾行を巻かれたとか、そんなんじゃない。
ナミの通う高校まで辿り着けなかったのだ。
ベルメールにそう報告すると殴られた。
今度は懇切丁寧に描かれた地図を貰う。
ココヤシ医院の事情 −2−
尾行2日目。
なんとか高校までは辿り着いた。
時刻は3時半。授業も終わり、掃除の時間なんかも終わった頃だ。
校門の前には都合のいいことにコンビニがあった。そこで立ち読みをする振りをして、校門から出てくる生徒をチェックする。
ベルメールの話によると、ナミは下校して直接塾へ向かうのだという。
だから、塾まで行って、ちゃんと講義を受けて、そしてまっすぐ自宅に帰ってくるかを見届ける、もしもどこかへ寄り道する場合はその行き先を突き止めるというのが俺に課せられた任務だった。
しかし、一抹の不安がある。果たしてナミを見分けられるかどうかだ。
最後に見たのが9歳のナミ。
オレンジ色の髪はよく覚えているが、顔は大雑把な印象しか残っていない。
一昨日に見せられた俺がスカートめくりをしてる写真のナミも、もちろん子供の頃のもの。
現在のナミの写真を見せてもらうべきだったと後悔する。
もし、今日も尾行に失敗した場合はベルメールに写真を要求しよう。
制服を着た生徒がゾロゾロと校門から溢れ出てくる。
全員が同じように見える・・・・没個性はなはだしい集団。
1年前は自分も高校生だったのに、今見る生徒達がひどく幼く見えるのが不思議だった。
意識的に女子高生ばっかり目で追っているのだが・・・・・なんであんなにスカートが短いんだ?
フッと風が吹きゃ見えそうじゃねぇか。っていうか、ちょっと段差のあるところ、そう、階段の上とか歩かれたら、下から丸見えなんじゃねぇ?いいのか、あれで。
昨年までの自分の同級生の女子達のスカート丈なんか気にしたことがなかったのに、久しぶりに制服軍団を目にして、物珍しさもあってそんなことを考えてしまった。
校門の出入りが少し途切れた時、立ち読みに意識を戻した。
手にしてた雑誌に、好きな建築家の特集をやっていて、読み耽ってしまった。
読み始めるとキリがないので、買うことにしてレジへ向かう。
しかし、そこで金がほとんど無いことに気がついた。
少なくとも高校→塾→ココヤシ医院の駅までの電車代は確保しておかなくてはならない。
渋々雑誌を元の棚に戻した。
そこで、視界の片隅に女子高生を捉えて、慌てて目を向ける。
3人の女子生徒が連れ立って歩いていた
先ほどまでの習性でスカート丈のチェックからしてしまう自分に苦笑いする。
そのうちの一人が非常に短い丈だった。しかもゆらゆらと揺れるスカートの裾からスラッと伸びている二本の足が素晴らしく美しかった。まるで鹿のように健康的でしなやかな白い足。
そしてゆっくりと丸い尻、くびれた腰、背中、頭という風に眺めていく。
髪の色はオレンジ色で―――
オレンジ色!?
では、あれがナミか!
直感でそう思った。
オレンジ色の髪の女が他にいるかもしれないという考えは、この時には無かった。
大急ぎでコンビニを飛び出し、前方を行く女子高生の後を追った。
ナミの塾は、高校の最寄駅から電車で2駅のところ。
自宅とは反対方向の路線にあるので、ナミは高校から直接塾へ通っているようだ。
ナミは駅で友人たちとは反対ホームに向かった。
そして、ナミは連絡橋を渡るべく、階段を上るようだった。
・・・・ちょうど先ほど考えた「短いスカート丈。階段下から覗けば中が丸見え」状態になりそうな予感があった。
別に何か期待をしていたわけではない。尾行のために仕方なくナミの後ろを歩いているのだ、と自分に言い聞かせた。
階段を上り始めたところで、ナミは右手を尻に回し、スカートの裾が広がらないよう手でそっと押さえた。だから、何も見えなかった・・・・。
というか、見えそうで見えない。白い腿は目の前で揺れているのに。
こういうのが一番モヤモヤした気持ちになるのは俺だけではないだろう。
そもそも手で押さえるというのが嫌な感じだ。それではまるで、背後のヤツが覗くと思っているみたいではないか。そういう他人を疑いにかかっているところが不愉快だ。
そんなに見せたくないなら、いっそのこともっと裾の長いスカートを履きやがれバカ野郎、と心の中でひとしきり罵った。
塾は最寄駅から徒歩10分ほどの距離にあった。全国規模の大手塾とあって8階建ての立派な建物だ。
ナミにとっては来慣れた場所なので、なんのためらいも無く塾の中へ入っていく。
俺はというと、さすがにちょっと場違いなようで気後れした。しかしそうも言ってられない。意を決して建物の中へ入る。
自動ドアをくぐった時、ナミはエレベータに乗り込むところだった。俺も慌てて駆け込む。
図らずも、ちょっと目立った行動になってしまい、エレベータの箱の中にいる人々が俺を一斉に見た。
もちろん、ナミも。
この時、バチッと目があった。まずい。俺は内心冷や汗を掻いた。
しかし、目が離せない。
俺は、この時初めて9年後の、18歳のナミを見たのだ。
秀でた額。くりくりとした大きな茶色の瞳と長い睫毛。すっと通った鼻。ツンと持ち上がったピンク色の唇。柔らかそうな頬。
ああ、そういえばこんな顔してたな、昔も。
そう、昔から、黙っていると可愛かった。
9年前は、俺よりも背が高かった。しかし今は俺がナミを見下げる形になる。
そして、昔は骨ギスの棒キレのようだった体が、今は信じられないくらいに丸みを帯びていた。
あまりに俺がマジマジと見たので、ナミは少し気色ばんで俺を見返してきた。これで完全に気づかれたかと思った。
けれど、ナミは案外あさっりと、俺から目を反らした。
ナミは、俺だということに、気がつかなかったようだ。
ホッとした。しかし一方でそのことに、少し・・・・気落ちする自分もいた。
ナミは5階で降りて、そのまま早い歩みで一つの教室へと入っていった。
その教室の前に掛かっているプレートに注目する。
「医学歯学コース」と書かれていた。
講義は2時間単位。ナミは5時から7時まで「医学歯学コース」に篭ることになるようだ。
一つの授業しか受けてないとすれば、終了時刻は7時。そのまま真っ直ぐ帰れば遅くとも8時半頃には家に帰り着くはず。それが11時になっているということは、もう一つ別の授業を受けているのか。或いは自習室に篭って勉強しているのか。
俺は手持ち無沙汰なので、その自習室へ行くことにした。
自習室は1階にあった。1階ロビーと間仕切りはしてあるが、腰高より上はガラス張りなので、自習室の中からでも玄関を往来している学生達の姿を見通すことができた。エレベーターホールも見えるので、ナミが降りてきたらすぐに分かるだろう。
予定の2時間をややオーバーした午後7時半頃、ナミは降りてきた。
そのまま自習室には目もくれず、玄関の方へと歩いていく。
どうやら、ナミが帰宅が遅い理由としてベルメールに語った「塾の授業の後、自習室にいて遅くなってる」という言い訳はウソだったようだ。それともたまたま今日だけ早く帰ることにしたのだろうか。
いずれにせよ、この後ナミが真っ直ぐに家に帰るか、帰らないかでその答えが分かるというものだ。
俺も立ち上がり、自習室を出て玄関へ向かう。途中、周りの男達がチラチラとナミに視線を送っているのが手にとるように分かった。当の本人は全く気づいている様子は無いが。
ナミはやや急ぎ足で駅へと向っていた。そのまま駅へ入るのかと思きや、駅の手前のタクシーに乗降場所の近くで立ち止まった。続いて腕時計に目をやる。そして辺りを見回した。
―――どうも、人待ち顔だ。
その時、車のクラクションが鳴り響いた。と同時にナミの顔がパッと輝く。
ナミは駆け足で車の方へ歩み寄っていった。ウィンドウが下りて、車の運転手と二三言言葉を交わすと、ドアが開き、ナミはその中に身体を滑り込ませた。そして車はすぐに発進した。
あまりにも速く進む事態に、俺はしばらく茫然と眺めていた。
しかし、すぐに我に返る。
追跡だ。
とにかく追跡だ。
そう思ってタクシーを捕まえようとした。
けれど、そこで気がついた。
今日は金が無いということ。
「くっそ!!」
左手の拳を思いっきり太股に打ちつけた。
2日目も尾行は失敗した。
***
ナミの尾行を断念した後、その足で俺はココヤシ医院へ向かった。
時刻は8時半になっていた。
もちろん、ナミはまだ帰宅していない。
高校から塾までは、ナミにはなんら不審な行動は無かった。
その後、ナミは何者かの車に乗ってどこかへ行ってしまった。
まさかナミが車を使って移動するとは思ってもみなかった。
だから、そういうことを想定しての軍資金も支給されてない訳で。
タクシーも拾うことができず、ナミの尾行は途中で中断を余儀なくされた。
右耳の治療を受けた後、ベルメールの夕飯を食べながら話した。
「・・・・車に乗ってどっかへ行っちゃったの?」
「ああ」
「無理やり・・・・?」
「それは違う。運転してるヤツと知り合いのようだった。言葉も交わしてたし・・・・赤のプジョーだった。ナンバーは・・・・・。」
「ナンバーまで覚えてんの!アンタこの方面に才能あるんじゃない?」
「馬鹿言うな。それより車に覚えはないのか?誰か知り合いが乗ってるとか。」
「全然ナイ。そんな上等なモン乗ってるヤツなんていたら紹介してほしいよ。」
ベルメールは溜息交じりに言う。
「運転手の顔は見た?」
「いや、車の後部から見てたから、顔は見えなかった。でも、男だった。」
運転席で動く影は、助手席に座ったナミよりもずっと上背があり、肩幅も大きかった。
「やっぱり男か〜。そうだよね、それしか考えられないもんね〜。」
じゃあ、どうして話してくれないんだろう〜〜と恨みがましくベルメールが頭を抱えて言い募る。
「ハッ、もしかして、親に言えないような相手なんだろうか・・・・。」
「なんだそれは。」
「相手は妻子持ちの男!つまり不倫よ!」
思わず掻き込んでた飯を吹き出しそうになった。
ということは何か?あの後、二人はどこぞのラブホテルにでもシケこんだってことか?
俺はその直前を目撃したって訳か。こりゃ刺激的だ。
「それとも流行りの援助交際?それともAV出演?ねぇ、どれだと思う?」
「・・・・・。」
「近所のレンタルビデオ屋のAVコーナーで自分の娘の作品が並んでた日にゃ、私どうしたらいいの?」
とりあえず借りるしかないんじゃないかと思ったが、黙っていた。
それに、事態が事態なのに、妙に茶化したようにしゃべるベルメール。
こいつは・・・・。
「本当はそんな訳ないと思ってるんだな?」
「・・・・・ご明察。よく分かるね、ゾロ。」
「何年の付き合いだと思ってるんだ。」
「9年もブランクあるけどね。」
「男はナミの恋人じゃないと?」
「おそらくは。でもどういう関係なのかは分からない。いっそ恋人だったら、単純明快でいいんだけど。」
ベルメールは弱々しい笑みを浮かべた。
「ゾロ、私はナミが影で何をしていようとも信じられる。ただ、秘密にしていることが気になるんだ。ナミは私に内緒で何かやってても、どこか抜けてるから、いつも私には丸分かりだった。でも、今回はそうじゃない。徹底的に秘密にしている。どんなにつついても表情も崩さないし、まるで誰かが用意した答えを読み上げるような完璧な言い訳する。こんなことは初めてで、返って怖いんだ。だから心配なんだよ。」
「・・・・明日は、必ず、突き止めるから。」
ナミの行き先を。
「頼むよ、ゾロ。」
そう言って、ベルメールはすがるような目をした。
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