ココヤシ医院の事情 −5−
それからというもの、大学祭までの間、ナミを家まで送り届けるのが俺の日課になった。
大学の講義の後、剣道の稽古へ行き、その足でココヤシ医院へ行って、右耳の治療を受け、そしてまた大学に戻る。
丁度、建築科でも好きな建築を点描画で描くという課題が出て、それを学祭で貼り出すことになっていた。そのために製図室に篭る。
その作業をした後、10時頃に測量学実習室へナミを迎えに行く。
大学からナミの家までの僅かな時間を、俺とナミはしばらく共有した。
時には買い食いしたりして、駅前の階段に座ってしばらく話し込んだこともあった。
ナミは測量の面白さを俺になんとか理解させようと一生懸命になって説明してくれる。俺も測量学はそのうち受けることになるから、とても勉強になった。そして、今この時を測量に賭けるナミのことを、理解できるようにもなった。
俺はというと、どうして建築科を目指したかをナミに話して聞かせた。こんなことを他人に話したのは初めてのことだった。
とにかく、お互いの9年間の空白を埋めるかのように長い時間、話をした。
そんな日々がしばらく続き、やがて俺の右耳の鼓膜も無事再生した頃には大学祭が目前に迫っていた。
学祭の前日、午後9時頃、初めてナミの方から俺のいる製図室へやって来た。
10人中10人は振り返るであろうナミに呼ばれて出で行く俺に、同期の奴らから冷やかしの声や口笛が飛ぶ。廊下に出た俺が振り返ってギロッと睨み返すと、ピタリとそれらは止んだ。
「どうした?」
「あのね、完成したの。今展示が終わったとこ。」
「へぇ。見てもいいか?」
「まだダメ。明日、お祭りが始まったら見に来てくれる?」
「ああ、そうする。お前も来るのか?」
「ううん、来ない。平日だし、学校あるし。」
「学祭の最終日だったら土日にかかるから来られるだろ。」
「土日は模試があるの。それに自分の中で今日までって決めてたから。」
そうか。
では今日で儀式は終了したのだ。
測量への夢を諦める儀式。
「お前、本当にそれでいいのか?」
「うん、いいの!最後の最後に思いっきり打ち込んでみたかったの!もうこれで思い残すことはないわ。」
ナミは両腕を上げて軽く伸びをしながら、誇らしく笑った。
その表情は晴れやかで明るかった。
「明日からはもう受験勉強一筋よ!わき目も振らずにやるわよー!」
「間に合うのか?」
「それを言わないで!私だって焦ってるんだから。でもやるっきゃない!」
「ま、せいぜいがんばれよ。」
「うん、死にもの狂いでがんばるわ。とういうことで、ゾロ、今まで本当にお世話になりなした!どうもありがとう!」
唐突な言葉に俺は驚いた。
そうだ、儀式は終了した。つまり、もう俺もお役御免な訳だ。
そう思うと、ひどく惜しいような気がした。
もう、ナミとこんな風に会うことはないのだ・・・・。
「来年、もしイースト大学に無事合格したら、後輩としてどうぞヨロシクね。」
俺の内心の思いも知らずに、ナミはそう言いながら、右手を差し出してきた。
俺も手を伸ばし、ナミの手を握った。
ナミの手は俺よりもずっと小さくて、柔らかくて、そして少し冷たかった。
ナミは、俺と握手をした途端に、少し泣きそうな表情になった。
今日を限りに置いていく夢
それに対する未練のためだろうか
俺は右手を強く握り返し、手前に引いた。その拍子でナミは俺の胸に倒れこんできた。
「ゾロ?」
突然のことでナミは一瞬身を強張らせたが、すぐに力を抜いて身体を預けた。
温もりがお互いに伝わる。手は握り合ったまま。
「泣くことないだろ。お前自身が決めたことだ。それに、お前の本当の夢は、何もかもこれからのはずだろ。」
俺はナミの耳元で囁いた。
「・・・・うん、そうだね。本当にその通りだわ・・・・」
「お前の次の夢は、きっと叶う。」
そう言うと、ナミは俺の胸に体を擦り付けるようにしてしがみついてきた。
俺はナミの柔らかな身体の感触に少し気が動転したが、恐る恐るそんなナミの身体に両腕を回した。
廊下で抱き合う俺達を、製図室と測量学実習室の連中が覗き見していたと知ったのは、ずっと後になってからだ。
その週の土曜日。
俺はベルメールを大学に呼び出した。
学祭はけっこうな盛況を見せていた。
この土日で、タレントのトークショーなどのメインイベントが集中しているのだ。
「うわぁ・・・・ここ来るの久しぶりだぁ。実は私もここの大学出なんだよ。」
「そうなのか?」
「そうよー。」
スキップでもしそうなベルメールを、俺は工学館へ誘導する。
玄関ホールには俺が描いた建築の絵が貼られているので、それがベルメールの目に触れないよう気を配りながら、測量学実習室へ連れて行った。
都市工学科の学生が、いらっしゃいませーと愛想よく俺達を迎え入れた。
この学生とはナミを迎えに行く度に顔を合わせていたので、俺とちょっと年上の女性との取り合わせに、どういう関係なのかと興味津々という目をしていた。
測量学実習室には、ナミが心血を注いだ作品がの壁一面全体を覆うように展示されていた。
都市工学科の学生達が手分けしてイースト市全体を自らの手で測量し、作成した大地図。
傍には共同製作者名が刻まれたプレートがあり、その中にナミの名前も含まれていた。
「これが・・・・ナミがやってたことなの?」
ベルメールはすぐに察しがついたようだった。
俺の無言が答えだった。
「あの子、子供の頃から地図を見るのが好きだったんだよね。絵本なんかよりも地図帳を与えておくだけで、何時間でも見飽きずにいるのよ。」
ベルメールは愛しそうに地図を見つめる。
「馬鹿だねぇ、あの子は。こんなに好きなのなら・・・そうと言えばいいのに。」
「分かるな?ベルメール。ナミは医者になるためにこの夢をここに置いていくことにしたんだ。」
「分かってるさ。まったく、変に遠慮なんかしちゃって。本当に馬鹿だよ。やりたいことを諦めるなんて。」
「ああ、親子そろっての馬鹿だな。でも、夢の一つや二つ、諦めるのは悪いことじゃない。それはお前が一番よく知ってるだろう?」
ナミとノジコのために、軍人になる道を諦めたベルメール
ベルメールのために、測量士への道を諦めたナミ
「ああ、よく知ってるよ・・・・私は素晴らしい夢を実現させたよ。」
ココヤシ町に住んで、可愛い娘二人と一緒に暮らせた。
これ以上の夢があるものか。
「あんた、いいの?このこと、私に話したりなんかして。ナミに口止めされてたんだろ?」
「ま、もう時効だろ。それに、あんたもやっぱり知っておくべきだろうと思ったんだ。」
「うん、そうだね。知ってよかった。ナミの気持ちを大切にしなくちゃね・・・・きっと、もう私が説得しても後戻りしないんだろうね。」
「しねぇな。アレは相当強情だ。聞くようなタマじゃない。」
そんなところも親子そっくりだ。
それに、ナミはもう別の道に邁進してる。
それでいいじゃねぇか。
そう言うと、ベルメールもゆっくりと頷いて微笑んだ。
***
月日が過ぎた。
学祭の前日にナミと抱き合って以降、俺はナミと会うことは無かった。
本当のことを言うと、会いたい、と思った。
でも、ナミはただでさえ遅れていた学力を取り戻すのに必死で勉強している。
そう思うと、俺の寂しさを紛らわせるためだけにナミを呼び出すなんてことはできなかった。
4月になれば、ナミは俺の大学に入ってくる。
それだけが俺の心の拠り所だった。
こんなに待ち遠しい春は、かつて無かった。
しかし、4月になってからも大学でナミの姿を見かけることは無かった。
注意して入学者名なんか調べちゃいない。
当然ナミなら合格してくると思っていた。その点は何も心配していなかった。
それに、イースト大学は総合大学だから、学生だけでざっと8000人はいる。
同じ大学でも学部が違えば1年のうちに1回会うかどうかの規模だ。
正直言うと、ナミが進路結果を伝えてこないことにがっかりしていた。自分には多少そうされる権利があると思っていたのだ。
俺が関心を持つほどには向こうはこっちのことなんざ想ってなかったってことか。
でもまぁ、少なくとも3年間は学生生活を共にするんだ。
その間になんとかなるだろう。
そんなことを考えながら歩いていたので、前方への注意がおろそかになった。
ゴーン!
見覚えのある縫い目の硬球が足元に転がる。
野球のユニフォーム姿の男が手を振りながら走ってくる。
「おー、ワリイワリイ。」
「またてめぇか…」
「シシシ。鼓膜破れたかな?」
「どこに目がついてんだ。今のは明らかに顔面だろう。」
「あ・・・・」
「う・・・・」
ツツーーー・・・・
鼻血だ・・・・
鼻血といえば・・・・耳鼻科だな。
俺はいい口実ができたとばかり、いそいそとココヤシ医院へ出かけた。
「お、ゾロ。ちょっとご無沙汰だったね。あー、今度は鼻血か。」
「ああ、もう止まったんだが、念のため。」
「そりゃ殊勝な心がけだね。」
鼻鏡でピラッと開いて鼻の中を覗きこまれ、綿棒で何か塗られて止血の処置が済んだようだ。
「右耳の調子はどう?」
「問題ない。」
「そうかい。じゃ、お大事に。」
「ちょっと待った。」
「何?」
「何じゃねーだろ、あんだけ俺に世話になっておきながら、その態度はなんだ。」
「私、今あんたの顔は見たくない気分なの。」
「どういうことだ。」
「あんたのせいでナミは・・・」
「ナミがどうしたんだ?うちの大学、ダメだったのか?」
「受かったよ。」
「そうか。」
よくがんばったな、ナミ
しみじみとそう思った。信じてはいたが、ベルメールの口から聞いて、ようやく確信を持てた。
それにしても、このベルメールの態度はどうも妙だ。
俺のせいとはどういうことだ。
しかし、それよりもナミがイースト大に無事合格してたという情報を得たことの方が重要だった。
「全然大学で見かけないから、どうなったのかと心配してたんだ。でも受かったんなら、そのうち会えるだろう。」
「会えないよ。」
「は?」
「ナミねー、もうひとつ受験してたの。グランドライン大学の医学部。」
グランドライン大学―――首都にある、この国の最高学府だ。競争率30倍を超える超難関大学。
「それが受かっちゃってね!ナミ、グランドライン市へ行っちゃった!」
ノジコもグランドライン市だし〜だからこの家には今私一人で住んでるの〜もう〜めちゃくちゃ寂しい〜なんでこんなことになったの〜?娘と暮らすことが私のささやかな夢だったのに〜ゾロ、あんたが妙にナミをやる気にさせたんだよ!どうしてくれるのよ〜
という、ベルメールの嘆き節なんか馬耳東風だった。
イースト大学で恩の字だと思ってたのに、グランドライン大だって?
―――ナミ、お前、ちょっとそりゃ、
いくら何でもがんばり過ぎだろッ!!
4月を心待ちにした俺の立場は・・・。
「そ、そうか、ま、4年の辛抱だしな。」
俺はベルメールを慰めるように言いながら、必死で自らを励ましていた。
そうだ、4年経てば、ナミはこのココヤシ医院を継ぐために、この町へ戻ってくる。
4年はちっと長いが・・・・それまでの辛抱だ。
「ゾロ、医学部は6年だよ。」
トドメを刺されたような気がした。
FIN
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<あとがき或いは言い訳>
長らくのご拝読ありがとうございました。ね?全然ゾロナミにならなかったでしょ?(^_^;)
医療モノを書くと決めて以後、考えたネタは4本(パラレル3本、原作設定1本)、実際書き始めた原稿は3本(うちボツ原稿2本)という難産ぶりでした。ここ数ヶ月、全然自作を更新できなかったけど、自分的にはすごく書いてた期間だったのです・・・(汗)。
私は正にこのオチを書きたかったので満足してるんですが、のおさんからはブ−イングが出ました(笑)。続編は善処するということで(^_^;)。長らく手元に置いてたキャラ達なの愛着が湧いてるのも確かなんです。
ともかくも、のおさんに投稿すると約束しなければ、このお話は絶対に生まれていませんでした。この話を書く機会を与えてくださったのおさんに、心から感謝いたします。どうもありがとうございました!
んで、のおさん!のおさんのなかよし、これからも楽しみにしてますからね〜。がんばってねv