俺達はいったん駅の方へ戻った。位置的にナミの家よりも駅の方が近い場所だった。とにかく一度明るい場所へ出た方がいいだろうと思ったのだ。

俺の車の助手席にナミを座らせ、駅の自動販売機で缶コーヒーを買ってきた。
ナミは缶を両手で持つと、一口一口噛み締めるようにゆっくり飲む。
コーヒーの温かさが全身に回ったのか、ようやく張り詰めていた表情が微かに緩んだ。





ココヤシ医院の事情 −4−





「少しは落ち着いたか?」

問い掛けると、ナミはコックリとうなづいた。

「どうもありがとう・・・・」
「いや」
「じゃあ、これで・・・・」

そう言って、ナミはドアを開けようとした。

「ちょ、待てよ。また夜道を歩いて襲われたいのか!」

ビクッとナミが肩を竦めて、バツが悪そうに俺を見た。

「送っていってやるから。でもその前に聞きたいことがある。なんでイースト大に来てるんだ?」
「なんで・・・・ゾロがそのこと知ってるの?」

う。
逆に聞き返されて言葉に詰まる。
尾行してました、とは言えない。
少し考えて答えた。

「俺、今イースト大へ行ってるんだ。しかも建築科。お前が今日入って行った測量学実習室の斜め向かいの製図室によくいる。」

それで今日、たまたまお前を見かけたんだ、と嘘をつく。
ナミはそれを信じて、大きな目を更に大きくして驚いていた。

「ゾロ、イースト大生なの?しかも工学部?・・・・全然気づかなかった・・・・。」

俺もだ、とゾロは苦笑いした。

「で、なんでうちの大学に来てたんだ?しかもこんな遅い時間まで。」
「・・・・。」
「お前、医者になりたいんだろう。それならまずやることがあるだろ。」

塾で、ナミが「医学歯学コース」を選択してたことを思い起こしていた。

「もう11月も半ばだ。試験まで3ヵ月もないぞ。うちの大学で油売ってるヒマあんのか?お前もうちに来たいんだろ?いくら頭が良くったって、舐めてかかるると受かるモンも受からねぇぞ。」
「それよりも大切なことだと思ったから・・・・」
「ああ?」
「今しかできない、今だけなの。これが終ったら、わき目も振らずにやっていくつもり・・・・」

訳が分からん。
ナミはまだショックから抜けきっていないようだ。
フロントガラス越しに駅の喧騒を見つめながら、自分にしか分からない論理でしゃべっている。

「なんだよ、大切なことって。」
「・・・・・。」

黙んまりか。
どうも埒が開きそうにも無い。

「ま、いい。とにかく家まで送って行く。」

俺がつっけんどんに言うと、ゆるゆるとナミは俺に視線を向けてきた。

「ゾロ・・・・。」
「なんだ?」
「今日のこと、ベルメールさんに言わないでね。」
「今日のことっていうのは、痴漢に襲われたことか?それとも大学に行ってることか?」
「両方」
「お前、こんな目に遭ってまだ行くつもりなのか。」
「うん」
「なんでそんなにしてまで行くんだ。」
「・・・・。」
「俺に黙っておけって言うんなら、理由ぐらい話せよ。」

少し強く言うと、ナミはうなだれて、やがて口を開いた。



小さい頃からいつかベルメールさんみたいな医者になるんだって思っていた。
うちの医院は曾おじいちゃんの頃から代々お医者さんだった。
ベルメールさんは最初軍人だったけど、代々続いた医業を途切れさせるわけにはいかないから、医者になったんだって言ってた。
私もノジコもそれを信じてて・・・・。
でも、中学生になった時、ノジコが、戸籍抄本をとってきた。そこに書いてあった・・・・「養女」って。
それで初めて、実は私達二人がベルメールさんの本当の子供じゃないんだって知った。
近所でうちと親しいゲンさんに強引に聞き出したら、ベルメールさんが任地で私達を拾ってくれたのだと分かった。

ベルメールさんは私達を育てるために軍人を辞めて、この町に戻ってきて医者になった。
軍人として将来を嘱望されていたのに。それを棒に振って私達のために―――
それを知って、私もノジコもますますがんばって医者になろうと思った。
私達のために夢を諦めて医者になったベルメールさんのためにも、跡を継ごうと。

でも、まずノジコに転機が来た。
3人で初めて出かけた海外旅行で飛行機に乗って、ノジコが空の魅力に取り憑かれた。
悩むノジコの背中を押したのは私だ。

(ベルメールさんの跡は私が継ぐ。だから、ノジコは好きな道を行って。)

それでノジコは航空大学校へ進学した。

残された私に転機が来たのは高校1年生の時。
社会見学で行った発掘調査の現場で、初めて三角測量を体験した。
自分で測定したものを紙に落とし込んでいくと、目の前にある遺跡現場の図が出来上がったことに感動した。

昔から地図を見るのが好きだった。でも自分の手で描けるなんて。
それから測量について調べたりした。測量士という仕事があることも知った。

そして、今年の夏に第一志望校であるイースト大の見学に行った時、都市工学科の先生と知り合って、自分の測量に対する想いを語ってみた。
そしたら、やってみないかと言われて、土日に行われる野外測量実習に参加してみた。
面白くって、信じられないくらい熱くなって取り組む自分がいた。

けれど、それにうつつを抜かしていると、成績がどんどん下がってきて、このままじゃイースト大の医学部は無理って言われるまでになって。
それで今度の大学祭での発表作品の製作が終わったら、キッパリ止めようって心に決めた。
だから、それまでは測量に関わっていたい。
あと残された時間は僅かしかないから。



そこまで聞いて、俺は疑問に思ったことを口にする。

「お前、本当は医者になりたくないんじゃねぇの?」
「そんなことない。」
「そうか?測量の方が本当にやりたいことなんじゃないのか?それらな無理して医者にならなくても。」
「無理してない。」

どう聞いたって無理してるだろ。
測量に関わることをしたいのに、それを捻じ曲げて医者になろうとしているように聞こえる。

「ベルメールに正直に言やぁいいだろ。あいつは、お前がしたいことを認めてくれるはずだ。」
「だめよ!そしたら、医学部受けるなって言う。そうじゃないのよ。医者はなりたいとは思ってるの。ベルメールさんの跡を継ぐことが私の夢なの。でも、その前にこれだけはやっておきたいのよ。これは・・・・大切な儀式なの。私にとっての」

儀式。何の儀式?
夢を諦めるための儀式なのか?

「だからゾロ、絶対にベルメールさんには言わないでね。」

真剣な目でそう念を押されると、反論できなくなってしまった。


俺は車をナミの家の前で止めた。
ナミは車から降りたものの、家の中に入るのを躊躇っている。
それもそうだろう。時刻は12時を回っていた。
おそらくこんな遅くに帰るのは初めてで、ベルメールの剣幕を恐れているに違いない。
俺は車のドア開けて、車から降りた。

「おら、俺も一緒に行ってやる。俺と会って話し込んで遅くなったって言えばいい。」
「ありがと、ゾロ・・・。」
「それより、その服、ベルメールに見つからないようにしとけよ。」

暴漢に襲われて肌蹴た胸元を、ナミはマフラーを前で結わえることによって隠していた。


「こら、ナミ!一体何時だと思ってるんだ!!」

ドアを開けると、ベルメールが仁王立ちで待ち構えていた。
帰りが遅いナミを心配して、玄関先でずーっと待機してたようだ。

「ごめんなさい。ゾロとバッタリ会って!すごく久しぶりで感激してずーっと話してたの。」

ナミは俺との口裏を合わせ通りにそう答えた。

「ゾロ!あんたがついていながら、どうしてこんなに遅くなるのよ!ちょっとは考えなさいよ、アンタと違ってナミはまだ高校生なんだからね!」

ベルメールの怒りの矛先が俺に向く。指を突きつけんばかりの勢いで捲くし立ててくる。

「だから、ちゃんとこうして俺も謝ってるだろ!」
「まだ一言も謝ってないくせにそんなこと言うんじゃない!」

喧喧諤諤と話し出した俺とベルメールのやりとりを、ナミは目を丸くして見つめていた。
それに気づいて、俺もベルメールも話を止めて、ナミの方を見る。

「すっごい。二人とも9年ぶりなのに、全然驚かないのね。それにベルメールさん、一目でゾロってよく分かったわね。私なんて、ゾロがこんなに大きくなってるから、すぐには気づかなかったのに。」

まるで昨日の今日で会ったみたい、と何も知らないナミがニッコリ微笑んで言った。
そうだった。
ナミは、俺とベルメールが結託してナミの尾行をしていたことを知らない・・・・。

「あ、いや、そんなことないよ。うわぁ!ゾロ、デカくなって!なんだい、その豹変ぶりは!ビックリしたなぁ、もう。」

ベルメール・・・・それはいくら何でもワザとらし過ぎるだろ・・・・。


「で、どーだったのよ?」

ベルメールはナミを風呂へ入るよう急きたてた。ナミは「ゾロが帰ってからでいい」というのに、ベルメールは無理矢理ナミを風呂場へ押し込んだ。
俺とサシで話がしたいのがミエミエだった。

「二人で仲良く帰ってきたんだから、ナミの行き先、突き止めたんでしょうね?」
「ああ。」
「どこだったの?」
「言えない。」

無碍にそう言うと、ベルメールの表情が固まった。

「言えないって、どういうことよ?」
「ナミに言うなって言われた。」
「〜〜〜〜。」

ベルメールは深い溜息をついた。
俺が約束を断固として守る性質だとよく理解しているのだ。

「分かった。じゃ、聞き方を変えるよ。あんたから見て、ナミがやってることは、止めたくなること?」
「ま、本人がやりたいなら仕方ないんじゃないか。」
「・・・・そうか。それならいいや。」
「いいのか、それで。」

あっさり引いたベルメールに、逆に俺の方が不安になってしまう。

「あんたがいいって言うんなら、そうなんだろう。私はあんたを信じるよ。」
「えらい信用されてんな。」
「そうよー。でも、妙なことになったらゾロに責任とってもらおうっと♪」
「お前、それでも親か!」

「なになに?何の話?」

ナミがジャージ姿で居間に入ってきた。オレンジ色の頭にバスタオルをかぶせて拭きながら。

「あんた、随分早いわねぇ。カラスの行水みたいじゃない。」
「だって、ゾロがいるから。」

早く上がってゾロとお話したかったの、なんてナミは言う。
ちくしょう。可愛いこと言いやがる。





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