ココヤシ医院の事情2 −3−
一瞬、雷に打たれたかと思った。
たっぷり10秒はそのカードを見つめ、そしてゆっくりと受け取った。
手が震えやしないかと心配だった。
それは薄いブルーの封筒で、表に「ゾロへ」と書かれていた。
俺はチラとベルメールの方を見た。案の定、目を輝かせて興味津々な顔でこちらを見ている。
「ささ、開けて読んでご覧なさいよ!」
「いや、家に帰ってから読むよ。」
俺は意識的に声を押さえて言った。
本心を言うと、今すぐ封を開けたい。
でもこれは、ナミが俺のことを想って書いてくれた手紙に違いなく、それならばそれを読むことは、とても神聖なことのような気がする。だから、できれば一人の時に心を落ち着けて読みたかった。
逸る心をねじ伏せて、俺は手紙をポケットに突っ込む。
ベルメールはえーッと不満そうな声を上げたが、それ以上は強請ってこなかった。
というのも、その時けたたましく玄関のベルが鳴ったからだ。
「急患かしら。ちょっと下行ってくるわ。」
ドタバタとベルメールは階下へと下りていった。
玄関の戸がガラガラと引かれる音がすると、1階ではわっと喧騒が広がった。
ベルメールの「診察台へ!」という声が聞こえた。
本当に急患らしい。
それはまさしくチャンス到来だった。
今なら俺一人で手紙を読める。
慌ててポケットから手紙を出し、焦る手で封を切る。
「ゾロへ
長らく連絡もしなくてゴメンナサイ。
ゾロを驚かせたくて、イースト大に受かったことも入学するまで黙っていようと思っていました。
でも、私はグランドライン大学に入学することにしました。
ゾロとは離れ離れになってしまうけど、また会いたい。
もしゾロも同じ気持ちなら、連絡ください。
私の携帯番号は○○○−××××−▽▽▽▽です。携帯アドレスは――
気軽に考えてね。連絡なかったら、望みはないとスッパリあきらめるから。
でもやっぱり連絡が来ることを祈りつつ。
ナミ」
この瞬間、俺は天にも舞い上がりそうな気持ちだった。
勝利の女神が俺に微笑みかけてくれたかのような、世界が光で満ちて見える。
やっぱりナミも同じ気持ちだった!
そのことが嬉しくて仕方がなかった。
しかし、最後の日付を見て、俺の身体は凍りついた。
―――3月30日
3月30日!?
今は11月だ。
ナミがこの手紙を書いてから、ゆうに7ヶ月が経過していることになる。
7ヶ月というのは、結構、いや相当長い月日だろう。
そう、ナミが「連絡がなかった」と判断するくらいには。
もう・・・・・手遅れなんじゃ。
ナミは俺のこと、あきらめてしまったかもしれない。
天国から地獄へ叩き落されたかのように、世界が暗転した。
いや、そもそも、ナミがベルメールに手紙を託してから、なぜこんなにも長く、この手紙は俺の手元に届けられなかったのだろうか。
なぜこんなに月日が経過してから、この手紙は俺に渡されたのか。
おそらく、ナミは補欠入学が決まった時点でこの手紙を書き、ベルメールに託して旅立ったのだろう。
しかし、ベルメールはその手紙を長らく俺に渡さなかった。
4月に俺は一度ナミのその後を聞きにココヤシ医院に訪れていたにもかかわらず、だ。
そして、ベルメールは7ヵ月後の今日になって俺に渡した・・・・。
「ベルメールめ〜!!」
とるものとりあえず、俺は1階へ下りていった。
診察室と待合室を仕切るドアをバタンと開く。
途端に、子供の火のついたような泣き声が耳をつんざいた。
「あ、ゾロ!いいところへ!」
「おい、ベルメール、この手紙はなんで―――!」
「いいから!ちょっとこの子を押さえてくれる!」
有無を言わさぬ口調に、俺はその場の状況を見た。
診察台に母親と思しき女性が座り、その膝の上に男の子を抱えていた。
ベルメールは片方の手に鼻鏡を持ち、もう片方の手に綿棒を持ち、それを男の子の鼻に突っ込みたいのだが、男の子が暴れてできない様子だ。
男の子は絶叫して激しく抵抗している。
「いやぁーーー!なにすんのぉぉぉーー!!」
「なんにもしないよー、あとちょこっと止血するだけ。もう少しの我慢だから。おかーさん、もっとしっかり押さえてください!」
ベルメールが一歩男の子に近づく。すると男の子は海老反りになって暴れる。
若い母親は形だけ押さえはするものの、ここぞという時に手加減してしまうらしく、子供は逃れてしまう。
ちっとも治療ができない状態だった。
「ゾロ!あんた、おかーさんの代わりにこの子抱えて座って!」
「は?」
「は、じゃない。早くする!」
母親は俺を見て、子供を渡すのを嫌そうだったが、ベルメールの命令には逆らえず、渋々俺に子供を渡した。
「いやぁ!いやぁ!」
しかし、子供は俺に抱かれるのも嫌がり、手足をバタつかせて暴れる。
「ゾロ、しっかり抱えて。そうじゃないと、いつまでたっても、終わらないわよ!!」
そうだ。いつまでも終わらない。
早く終わらせて、俺はベルメールに問い詰めたいことがあるんだ。
そうと決まれば、俺は子供を羽交い絞めにして抱えて診察台に座る。
子供の腕を両脇に挟み、子供の手が顔まで届かないよう押さえつける。俺の両手で子供の顔を挟んでベルメールの方に無理矢理向けさせた。バタつかせていた足は俺の足でしっかり挟み込む。
いくら男の子でも、大の男にはさすがに全く太刀打ちできない。
これで悲鳴以外は完全に子供の抵抗を封じることができた。
「いやぁ!人殺しー!人殺しーー!!」
ベルメールが素早い動作で、綿棒を2回、子供の鼻の穴に突っ込んだ。
それでおしまい。
驚くほど呆気ないものだった。
「まったく、誰が人殺しよっ。」
「結局、なんだったんだ?」
「鼻血。来た時はドバーッと出てて。母親もパニックになってた。」
俺の耳の奥では、子供の悲鳴がまだ木霊してるような気がした。
「最近の母親は子供に甘くて。力入れて押さえてくれないのよね。どこかで『こんなことして可哀相』とか思ってる。動く方が危ないし、長引いて可哀相なのに。」
ベルメールは診察室の洗面で手を洗いながらブツブツ呟いた。
「最後に悪かったわね。もう帰る?」
そう言われて、肝心なことを聞かねばならぬことを思い出した。
「おい、この手紙は一体なんだ?」
ベルメールは手を拭きながら、キョトンとした顔をして俺を見る。
俺は更に言い募った。
「この日付!3月30日って。なんでそんな手紙を今頃?」
「ああそれねー。」
納得がいったという風にベルメールは呟くと、急にうなだれた。
手の指をいじくりながら、ぼそぼそと話し始める。
「その日に、グランドライン大の補欠入学の通知が来てさ、ナミは大急ぎでグランドライン市へ行くことになって、その時に渡されたの。なにあんた、ナミに携帯の番号とか住所とか、全然教えてなかったのね?」
ぐっと言葉に詰まった。
そういえばそうだった。
「それで、ナミは仕方なく私に託したみたい。あの娘も、私にゾロの電話番号聞くなりすればいいのにさ、しなくて。まぁそれはいいのよ。」
「ああ、そのことはもういい。それよりも、なんで俺にすぐ渡さなかった!この後すぐ、俺はここに来たじゃないか!」
4月初め。ナミの受験結果を気にしながら、やはり鼻血が出たのを口実に、いそいそとココヤシ医院までやってきた。
その時初めて、ベルメールの口からナミがグランドライン大に進学したことを知った。
しかしベルメールは、手紙を俺に渡さなかった。
「なんでだ!?」
「ゾロに腹が立って。」
「はあ?」
ベルメールは当時の事情を語る。
当初の合格発表では、ナミはイースト大には合格したけど、グランドライン大はダメだった。
本人は最初気落ちしてたけど、もともとグランドライン大は腕試しの意味合いが強かったから、すぐに元気になった。
私は密かにナミのグランドライン大不合格が嬉しかった。
ノジコは航空大学校に進学してグランドライン市に行ってしまい、その上ナミも行ってしまったら、正直寂しくて仕方がない。
イースト大なら自宅から通えるし、少なくとも6年は一緒に暮らせる。そう思っていた。
ところが、忘れもしない3月30日。ノジコも帰省していた日だ。
グランドライン大学からナミの補欠合格の通知が届く。
もうイースト大へ行く心づもりをしていたナミも、これには驚くとともに動揺した。
イースト大とグランドライン大、どちらに行くべきだろうと。
もうイースト大に入学金を支払った後だったし。
でもノジコは、絶対にグランドライン大に行くべきだという。この国の最高の教育機関であるグランドライン大で補欠入学が出るなんてことは、本当に稀なことだ。こんなチャンスはまたとないし、非常にラッキーなことだろう。
もちろんノジコには、そうすればナミと近くに住める、という思惑も見え隠れしていた。ノジコも一人グランドライン市にいて、寂しいのだ。
そして結局、ナミはグランドライン大への進学を選んだ。自分の力を試してみたくなったのだろう。
私も心のどこかでは、ナミがこういう決断をすることを予想していた。
入学準備の関係上、その夜、ナミは慌しく出発することになった。
その時、ナミから走り書きの手紙を託された。
『ゾロがいてくれたから、受験勉強もがんばれたの。』
『だから、グランドライン大に合格できたのは、ゾロのおかげなの。』
はにかみながらもナミは、可憐な花のような笑顔で語った。
そう・・・・・つまり、私とナミが離れ離れになるのは、ゾロのせいってわけね。
ナミの笑顔とは裏腹に、私の腹はたいそう黒く染まっていた。
ゾロがこの手紙を受け取った時のニヤけ顔が、今から容易に想像できる。
くそぅ、ゾロめ。
誰が、渡してやるもんか!
だから、4月にゾロと会った時も、それ以降ゾロがうちに顔を出した時も、手紙を渡す気はサラサラなかった。
ナミは忙しいのか、私のことを信用してくれてるのか、そのことについて問い質してくることもなかった。
おかげで私は手紙のことなんか、すっかり忘れてしまっていた。
先週の連休にナミが帰ってくるまでは。
旅先で、ノジコが席を外した時を見計らって、ナミは私に訊いて来た。
『ベルメールさん、ちゃんとゾロに手紙渡してくれた?』
『やーねー、渡したに決まってるじゃない。アハハハハ・・・・。』
『そう・・・・。』
ナミはうなだれた。
その表情に、胸を穿たれた。
帰省した時と同じ、憂いを帯びた顔になっていたから。
なんということだろう。
せっかく旅行で明るい顔を取り戻したのに。
そうなると、急速に罪悪感が沸き上がってきた。
こんなことなら、さっさと手紙を渡してしまえばよかった。
「・・・・というわけなのよね。」
ベルメールは、さすがに申し訳ないと思っているのか、神妙な顔つきでその場に佇んでいた。
俺は、呆れて物も言えなかった。
つまりベルメールは、娘をグランドライン大に取られた腹いせに、手紙を俺に渡さなかったのだ。
そうしてよく思い出してみると、俺がその直後にココヤシ医院を訪ねた時、ベルメールの俺への態度が妙だった。
『私、今あんたの顔は見たくない気分なの。』
『あんたのせいでナミは・・・』
その時は何のことか分からなかったが、そうか、あれはこういうことだったのか。
俺のせいでナミは遠くに行ってしまった、とでも言いたかったのだろう。
それと同時に、激しい怒りが込み上げてきた。
そのために俺が、ナミが、どれだけ悩んだと思ってるんだ。
俺はナミから何の連絡もないと悩み、
ナミは俺から連絡がない・・・と悩んだはずだ。
「貴様・・・。」
「いや〜ん、ゾロってば、怖い顔!」
「何がいや〜んだ、妙な声出しやがって!この落とし前、どうつけてくれる!?」
襟首を掴まんばかりの勢いの俺に、ベルメールが慄いて後ずさる。
「分かった!この落とし前は・・・・今、この場でナミに取り成しあげるから!」
「どうやって!」
「電話、電話するよ。今すぐ!」
そう言うやいなや、ベルメールは受付に備え付けてある電話のところへ走っていった。
俺もその後に続く。
医院の電話は今時珍しい黒のダイヤル式だ。
ジーコロジーコロとダイヤルを何回か回す音が聞こえた。
緊張した面持ちでベルメールは受話器を耳に当てている。
俺のあまりの剣幕に恐れをなしてるようだ。目が「どうかナミが出ますように!」と必死だ。
そしてその望み通り、ナミが出たようだ。ベルメールの表情と声がパッと明るくなる。
「あ、ナミ?私よ。元気?今日ビデオ届いたよ。ありがとう。」
「実はね、アンタに謝らないといけないことが・・・・あの手紙さー。え?そう、ゾロへのあの手紙。あれ、今日やっと渡したんだよね。」
直後、ベルメールが受話器から耳を離した。受話器の向こうでナミが大声を喚き立ててるのが、俺にも聞こえた。
「ごめんて!そうよ、全部私が悪いの!そのことでね、ゾロもめちゃくちゃ怒っちゃってさー。もう今すぐにナミに取り成してくれーって泣いて頼むもんだからさ。」
余計なことは言わなくていいんだよ!しかも嘘ばっかり!
「え?ゾロ?いるよ。すぐそばで聞き耳立ててる。あ、じゃあ代わるわね―――ハイ、ゾロ。」
そう言って、ベルメールは送話の部分を手で塞ぎながら受話器を寄越してきた。
「え!」
「え、じゃないでしょ。ナミよ、ナミ。アンタが夢にまで見た。」
だから余計なこと言わなくていいんだって。
「私は2階へ行くから、好きなだけ話しなさいよ。」
そうは言いつつも、ベルメールはなかなか出て行こうとはしない。
ニヤニヤしながら俺を見つめている。そんなベルメールをシッシと手で追い払った。
残念そうに後ろを何度も振り返りながら、ようやくベルメールが姿を消すのを見届けてから、俺は受話器に顔を近づけた。
「もしもし・・・・。」
『あ?ゾロ?』
ああ、ナミの声だ。
ビデオなんかじゃない、生のナミの声。
約1年ぶりに聞くナミの―――・・・
そう認識した途端、身体中の血液が目まぐるしく駆け巡り始めた。
それに合わせて心臓が鼓動を早める。
受話器を持つ手が急に汗ばんだような気がした。
まさか声を聞いただけで、こんなになるなんて。
電話の向こうでは、俺が話すのをナミが息を潜めて待っているのが、痛いほど分かる。
俺は深呼吸した。
さあ、一体何から話そうか。
FIN
←2へ
<あとがき或いは言い訳>
前作から約2年ぶりの続編であります(汗)。
ああ、ゾロとナミは急接近してしまったナ(どきどき…)。
当初はもっとすれ違わせようと思ってたのですが、書いてるうちにストレスが溜まってきて。
やはり私もゾロとナミが仲良くしてる姿を見るのが好き!
だから今回は大接近なのデス!(自分的には・笑)
時間の澱様の企画『なかよしv病棟』へ投稿させていただきました。
のおさん、アップしてくれてありがとう〜vvv のおさんも最終章がんばってね。