ココヤシ医院の事情2  −2−





2階へ行って、すぐにリビングのソファでゴロ寝のつもりが、今や目も冴え冴えと、ダイニングテーブルの机の上に置いた荷物の伝票を遠目に見つめる。
当たり前のことながら、そこにはナミの現住所と電話番号が書かれていた。
住所はグランドライン市、グランドライン大学の学生寮となっているのだろう。そう、ナミは今、寮住まいなのだ。
そのことは、ベルメールから聞いていた。
そして、そのことが不満だった。
この一年、ナミは一度も俺に連絡を寄越してこない。何の音沙汰もない。
ナミの現住所も知らない。メールアドレスも知らない。もちろん、電話番号も知らない。
ナミのことは全て、ベルメールを通して聞いているだけだ。

もともと俺とナミは幼馴染ではあったが、俺が引っ越したことにより会うことがなくなった。
そして昨年、9年ぶりに再会したナミは、受験前であるにもかかわらず、受験勉強を放ったらかして測量に打ち込んでいた。それを俺も影ながら支えて協力した。
その間、9年のブランクを埋めるようにお互いのことを語り合った。
簡単には忘れてしまえないような絆が、二人の間にできていたと思っていたのに。
そう思っていたのは俺だけだったようで、その後ナミは俺へ連絡を取ろうとはしてこなかった。
俺が通うイースト大学にも実は合格していたことはおろか、グランドライン大学への進学を決めたことも、俺に伝えてはこなかった。
正直ガッカリした。ナミの俺への関心はそんなものだったのかと、プライドを傷つけられたような気持ちだった。
その後は俺も意固地になって、自分から連絡しようとはしなかった。
ベルメールにナミの連絡先を聞こうともしなかった。

しかし、こうしてナミの字を目の当たりにすると、しばらく共に過ごしたあの頃のナミのことが思い出されてくる。
夜の駅で、階段に座り込んで、白い息を吐きながら、缶コーヒーを手に持って暖を取りながら話し込んだ。日付が変わるまで話し込んで、慌ててナミの家まで送り、ベルメールに叱られたことも何度もある。

ナミが頬を紅潮させて夢を語る。
時には長いまつげを伏せて思い悩む。
街灯に照らし出された白い硬質な横顔。
その輪郭を視線でなぞり、しばし見惚れた。
俺が何かを言うと、大きな茶色の瞳で俺を捉え、全てを聞き漏らすまいと真剣に向き合って話を聞いてくれた。
その瞳の中に俺が映っていることが、訳もなく嬉しかった。

でも、しょせんは自分だけの一人相撲だった。
ナミは俺のことなどなんとも思っちゃいない。
それが遣る瀬無く、寂しく、切ない。
しかし、それを認めるのは嫌だった。
俺だって別に気にしちゃいない。
向こうが連絡をとってこないのなら、こちらからも連絡を取るまい。
ベルメールにナミの連絡先を絶対に聞くもんか。
ナミが俺に連絡を寄越した時、ナミが俺のことを気に掛けていた証拠となる。
そう思った。

それなのに、この宅急便の伝票は激しい誘惑だった。
住所はもちろんのこと、電話番号を暗記しそうになってしまう。
しかし、最後のプライドでなんとかそれは押し止めた。

こんなものを盗み見て連絡するなんて正攻法じゃない。
こんなことするくらいなら、ベルメールにナミの連絡先を教えてくれと問う方がまだマシだ。

ようやくの思いで、荷物から視線を外した。
テーブルから離れ、リビングのソファに深々と腰掛けて、大きな溜息をついた。
ちょっと情けない気持ちだった。こんなもので動揺するなんて。
分かってはいる。意地を張るのは馬鹿馬鹿しいことだということは。
こうしている間にもナミと自分の距離はどんどん広がっているんだろう。この前9年ぶりに再会したように、次に会う日のもそれぐらいの年月が経った後かもしれない。
もともと交じり合うことのない二人だったのだ。最近はそう思うようになって、自分の心の整理をつけるようになっていた。
しかし、時折ベルメールが電話をしてきたり、ココヤシ医院に呼びつけられたりすると、嫌が応にもナミのことを思い出す。それはいかんともしがたい。
他の女と付き合ったりもしたけれど、結局は長続きせず、心はまた元の位置に戻ってきてしまう。
どこかで決着をつけなくてはならない。
そうは思うのだが、それを少しでも先に延ばしておこうとしてしまう。
まだ希望を持っていたいから。
この辺、我ながら女々しいと思う。

ベルメールが上がってくるまでの間、テレビを見て気を紛らし、時間を潰す。
8時半になって、トントンと階段を上がってくる音が聞こえた。

「はー、お待たせ!ちゃっちゃと用意するからね。今夜はゾロがいるから、ビール開けちゃおうっと!」
「戸、見たか?」
「見た見た。いい出来よー。ありがとうゾロ。もうーバイトの子達にバカ受け!!」

ここは喜ぶべきところなのだろうか。
ベルメールはそれだけ言うと台所に飛び込んで、何やら作業を始めた。冷蔵庫をバタバタと開け閉めする音、食器がカチャカチャとぶつかる音がしばらく続き、ガスの火がつく気配がした。
その後、料理を盛りつけた皿をお盆に載せて、ベルメールが現れた。
それでようやく、テーブルの上に置かれた荷物に気づくことになった。

「夕方頃届いたから、俺が受け取っておいたぞ。」

俺はできるだけ素っ気無い態度を取る。

「そ、ありがと・・・・・あ、ナミから?なんだろ?」
「伝票に書いてないか?」
「ビデオテープだって。えーと、あ、そうか。」

ベルメールはすぐに納得したようだった。
ビデオ?なんだろう。
堪えきれずに聞いた。

「何だ?」

しかし俺が聞き返した時には、ベルベールはもう台所に戻っていた。


次にその話題が出た時は、もう食事も終わろうとしていた時だった。
既に手酌でお互いビールを飲んでいる。

「で?さっきの荷物はなんなんだ?」
「ああ、ビデオね。そうだ、ゾロにも見せてあげるよ。」

そう言ってベルメールは缶ビールとコップを持って立ち上がり、俺を居間の方へ導いた。
ベリベリと包みを開くと、小さなビデオテープと何やら菓子折りのようなものが入っていた。
このお菓子、グランドライン市の有名洋菓子店のなの、ナミに送るよう頼んだんだと、聞きもしないのに説明してくれた。
そして、ベルメールはビデオテープをビデオにセットし、再生ボタンを押した。
俺達はテレビの前に胡座をかいて陣取り、映像が出るのを待った。

『現在の時刻、午前9時22分です。ナミのせいで、大幅に出発が遅れてしまいました。』

そんな声とともに、パッとモニター画面に女性の姿が映し出された。
オレンジ色の髪。
ナミだ。
画面いっぱいに大写しにされたその顔は、少し拗ねたような表情だった。

『うるさいわねー。ちょっと寝坊しただけじゃない!』
『楽しみで、昨日眠れなかったんじゃないのぉ?』

ベルメールの声だ。

『子供じゃないんだから、そんなことないわよ!』
『これからH州まで長時間ドライブだというのに、先が思いやられます。』

冷静にナレーターを務めているのは、姉のノジコだろう。

「先週、3人で温泉旅行に行ってきたんだ。」
「先週?」
「うん、そう。先週連休あったでしょ?ナミとノジコがグランドライン市から帰ってきたのよ。」
「帰ってきた!?」
「うん。」

ナミは、夏休みにも帰ってこなかった。
グランドライン大学に入学して以降、一度も帰省してなかった。
それが先週に帰ってきただと?
俺の驚きをよそに、ベルメールは話し続ける。

「それじゃぁということで、急遽出かけることにしたの。」

画面には主にナミとベルメールが映っている。ノジコがカメラマン役であるようだ。
ナミにカメラが向けられると、ナミは輝くような笑顔を零す。
それが正視できないほど眩しかった。

「あーいい笑顔。」

ベルメールも感慨深げに呟いた。

「ナミ、もうこの時には笑ってるけどね、帰って来た時はめちゃくちゃ暗い顔しててさ〜。」

俺は思わず画面から目を離し、ベルメールの顔を見た。

「さすがにグランドライン大学に集まる連中はレベルが高いらしくて。ナミもイースト市内じゃ優秀かもしれないけどさ、そのナミが補欠入学になったぐらいだから。とにかく、他の人達に追いつくために、かなり必死に勉強してるみたい。まー『井の中の蛙、大海を知る』ってところかしら。」

ベルメールは目を細めて画面に映るナミを見つめている。
補欠入学のことは、俺もかなり後になってから聞いた。
そのためにナミは相当慌しくイースト市を旅立ったことも。

「青白い顔して勉強してるナミを見るに耐えかねて、ノジコが強制的にナミを連れて帰ってきたんだよね。私も半年ぶりぐらいにナミの顔見たんだけど、すっかり影が薄くなってたよ。これがあの娘?って感じで。」

影が薄くなる・・・・一体どういう状態だったのだろう。
ナミは見た目も性格も朗らかで明るい。
そのナミが、影が薄くなるというのは容易に想像できない。

「ひどいホームシックでさ。それなのに私がいっぱしになるまで帰ってくるなって言ったもんだから、それを忠実に守ってね。だからあんなになるまで・・・なんて可哀相なこと言ったんだろうって、自分で自分を責めたよ。」

ベルメールは目を閉じ、片手で額を押さえた。後悔の念が滲み出ている。

だから、ナミは夏休みにも帰ってこなかったのか。
実は、夏には一度帰ってきたナミと会えるのではないかと、淡い期待を抱いていた。
でも結局、ナミは帰ってこなかった。
その時はそんなにグランドライン市での生活が楽しいのかと、ひがんだものだ。
しかしその実、ベルメールの厳しい命令に従って帰ってこなかっただけだった。
そんなところに、生真面目で頑固なナミの性格がよく現れてる。

意地を張って、帰りたくても帰らなかったのだろう。歯を食いしばって耐えたのかもしれない。
しかも、18年間ベルメールの愛情に包まれてずっと生きてきたナミが、心の準備もろくにできないまま、いきなり親元から離された。
慣れない環境と見知らぬ地で、しかも自分よりも優秀な学生達に囲まれて、思うような成績も上げられない。
ナミにしてみれば、かつてない辛い日々だったのだろう。
それでも、ベルメールを見返してやろうと、いやむしろベルメールに心配かけまいと、それこそ寝る間も惜しんで必死で勉強して。
あいつは、何でもがんばり過ぎるところがあるから。

ああ、そうか―――


それなら、俺に連絡どころじゃなかっただろう。
俺のことを忘れてても仕方がないよな。


連絡先を教えてこないナミを恨めしく思ってた自分が、急に気恥ずかしくなった。
なんて小さなことにこだわっているのか。
ナミは一人遠くで必死でがんばっているのに。
フーッと大きな溜息をつき、また画面に視線を戻す。

『あ、あのお店可愛いねー。何屋さんかな?喫茶店?』
『美容院でないの?』
『美容院と喫茶店て、区別つきにくくない?』
『あーそうそう。どっちもおしゃれにしてて分かんない時あるよねー。』
『やっと喫茶店見つけたーと思ったら、美容院でガックリーみたいな。』
『アハハハハ。』

車の窓から撮った映像を背景に、女三人の楽しげな会話が聞こえてくる。
ナミが、屈託なく笑っている。
取りとめもなく、車内と車外の風景が流れた後、旅館が映し出された。

『今日の宿でーす。昨夜ネットで予約したのですが、なかなか良さそうです。』 
『部屋も広いですね。3人なら十分な広さです。』
『では、早速お風呂に入りに行きましょう〜。』

場面が変わって長い旅館の廊下を女3人が歩いていく。既に3人とも浴衣に着替えていた。
「女風呂」の暖簾が映し出された。
暖簾をくぐり、引き戸が開けられ、脱衣所へと入っていく。
他の客の姿はなく、わー貸切みたいー♪というナミのはしゃいだ声が聞こえてきた。

これってどこまで映すつもりなんだろう。
そう思った時、画面がブラックアウトした。
次の瞬間には旅館の豪華な食事が映っていた。
少し残念な気がした。
そんな俺の気持ちを察したわけではないだろうが、ベルメールが話し始めた。

「ここの温泉よかったよ〜。乳白色のお湯でね、お肌スベスベになるの。でもまぁそんあことよりも驚いたのが、二人のカラダ!21歳と19歳の女のカラダって、なんであんな暴力的なまでにピチピチしてるわけ?!」

そんなこと俺に言われても。

「親の私が見ても、イイ身体してるなーって思ったわよ。」

そう言われて、ぼんやりと、白い湯煙に浮かぶナミの肢体を想像してしまった。
見たことも無いのに。

「どうせ、ゾロは若い女の子の裸なんか見慣れてるだろうけど。」
「んなわけあるか。」
「そうなの?でもゾロ、もてるんでしょう?」
「全然」
「ウソー!!気づいてないだけじゃないの〜?うちのナナちゃんなんて、どう見てもゾロに気があるの丸分かりなのに。」

ナナちゃん・・・?
すぐには誰のことか分からなかった。ややあって、俺に紙とペンを渡してくれた女の子だと思い出す。
あの時、なんかじーっと見られてるなとは思ったが、まさかそういう意味だったとは。

「そんな男にコレを渡したら、ますますいい気になるかと思うと忍びないんだけど、今日の働きには感謝してるから。」

ベルメールはまるでトランプの切り札を切るかのごとく、人差し指と中指の間に挟んで、カードを俺に差し出した。

「なんだ?」
「ナミからの手紙。預かってたの。」




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