航海 −4−





みたび第3隊の船にやって来たゾロは、カイトに伴われ、ナミの私室に向かった。
ナミの部屋をノックする直前、

「副船長。」

と、カイトが話し掛けてきた。ゾロがカイトを見やる。

「航海長は・・・・ずっと悩んでおられる様子でした。ですから、どんなことを決心なさったにしろ、決して軽はずみな考えでお決めになったことではないと思います。何が起こっているのか私は存じませんが、これだけはお伝えしておきたいんです。」

カイトは最初伏せていたその琥珀色の瞳を上げ、真っ直ぐゾロを見つめた。

純粋な少年の目。
2度の訪問では殺気すら帯びた目線を寄越してきたというのに、今はそんな影は微塵もない。
そこには懇願の色があった。ナミを責めないでくれと。まるでゾロがナミを叱りつけるのではないかと思っているかのようだった。

こいつは本当にナミを慕っているんだな、とゾロは思った。

「分かってる。お前は何も心配すんな。」

そう言って、カイトの肩を軽く叩いた。

むしろ動揺しているのは自分の方だ。
つい先ほど決裂したナミと自分。どの面下げて会えばいいのやら。
それでもナミが自分を呼んだのは、関係修復をナミが望んでいるということ。
ルフィ海賊団の双璧が仲違いしていては船員に示しがつかない。
しかしそれだけではない。
自分はこんな状態でいたいわけではないのだ。
そしてそれは恐らくナミも。



カイトが視界から消えるのを確かめてから、ナミの部屋のドアをノックした。
返事がない。
再びノック。
それでも返事がないので、ドアノブに手をかけた。ドアには鍵がかかっておらず、ゾロはドアを開けた。

ナミは眠っていた。
生成り色のシルクの夜着に身を包み、ベッドの上で縦に立てた枕にもたれるようにして。
起きて待っているつもりが、疲れで睡魔に誘われたといったところか。

これまであまり見たことがない無防備な姿。
ナミは目を閉じていると本当にあどけなくて、まるで少女のようだ。
強気な発言を繰り出す唇も今は軽い寝息を漏らすだけ。
ナミの頬の上に一房落ちている髪の毛に手を伸ばし、耳にかけてやる。
ゾロは手じかにあった椅子を引き寄せて座り、しばらくナミの様子を見ていた。

やがて気配を感じたのかナミが目を覚ました。

「あ・・・ゴメン。呼びつけといて寝てしまって。」

枕に身を預けたまま、顔だけゾロの方を向いてナミはちょっとバツが悪そうに話す。
ゾロを見上げる眼差しは起き抜けとあって力がなく、穏やかだった。
ナミの中にもう怒りは消えていることをゾロは察知した。

ナミもゾロも怒りを持続させないところが実によく似ていた。
どれだけその場では怒りにまかせて声を荒げても、次会ったときにはキレイに忘れていたりする。
これだから今まで付き合ってこられたのかもしれない。
どんなに激しい口論をしてもこれまでに築き上げた信頼関係は揺るがないことをお互いが一番よく知っていた。

そのためあまりお互いに謝罪の言葉を口にしたことがない。
だから今回のように関係修復の機会を作ることの方が稀なことであった。

「いや、俺も今来たところだ。」

そう言った後、2人の間にはしばらく沈黙が訪れた。
先に口を開いたのはゾロだった。

「身体の方はもういいのか。」

「うん、チョッパーが大丈夫だって。」

「そうか。」

我知らず、ゾロは安堵の溜息を漏らした。そして、

「さっきは・・・すまなかった。言い過ぎた。」

それを受けて、ナミは静かに目を閉じた。

「いいのよ。さっきゾロが言ったことは全部自分でも思ったことだもの。当たってるから、取り乱したの。でもね。」

ナミは再び瞼を開き、ゾロの方にその琥珀色の瞳を真っ直ぐ向けた。

「子供は、産む。」

揺るぎ無いナミの決意が伝わってくる。
これはもう、母の目なのか?
何だか今まで自分が知っていたナミがもういなくなってしまったような錯覚をゾロは覚えた。

「ああ、分かってる。もう何も言わない。ルフィ達もそういう意見だ。」

「ルフィ達?みんなもう知ってるの?」

「う・・・。」

ゾロは自分の無神経さを思い知った。ナミはこの事をあまり広めたくないようだったのに。始めは自分やルフィにも隠していたというのに。自分ときたらぺらぺらとルフィ、サンジ、ウソップに話してしまった。

(こういう事柄は、所詮、がさつな俺には向かねぇんだ。)

「すまん。」

「ふふ、あんたらしいか。ま、話す手間が省けたから助かったわ。ありがとね。」

いや、礼を言われると余計立つ瀬がないんだが。

「とにかく、もうお前のすることに口出ししない。お前の好きなようにすればいい。」

「うん、分かった。」

そう言ってナミは笑顔をゾロに向けた。
ゾロも軽く口角を上げると、ナミの肩に片手を置いて立ち上がった。
これで話は終わったと思い、ゾロが部屋を出ていこうとしたその時、

「ゾロ」

不意に呼び止められた。
振り返るとナミはゾロの方は見ずに、空ろな瞳で虚空を見つめていた。

「ゾロには理解できないかもしれないけど、私には子供を産みたい理由があったの。」

ナミは話続ける。ゾロは再び椅子に腰かけ、ナミを見つめ、黙って耳を傾けた。

「私がまだ泥棒やってた頃に旅先の医者に言われたわ。“君は95%の確率で子供は産めないだろう”って。」

その言葉にゾロは目を見開いた。

「95%っていうのが医者らしい物言いよね。でもまあ機能的な意味で産めないということらしかった。その頃の私は無茶ばかりしてて、お腹をよく蹴られたり殴られたりしてたの。それらが原因らしい。でも、当時の私はそれを聞いてむしろ嬉しかった。これでもう身軽でいられるって。何も私を縛るものはなくなったって。」

アーロンに支配されていた頃のナミ。
1億ベリーを稼ぐために身を粉にして盗みを働いていた。
罪悪感を感じる暇も無く、ただ幼く弱い存在でしかなかった。

「あんた達に救われてからも、子供を産めないことで悩んだことはなかった。私にはまだまだやりたいことがいっぱいあったし、今までできなかった分も取り戻さなくっちゃって。男達と一緒に長くいたから、自分も男になったような気になってて―――ビビに子供ができるまでは。」

ナミは両の手を上げ、やがて赤ん坊を抱くしぐさをした。

「ビビとルフィの子供、本当にかわいかった。子供ができてルフィもすごく嬉しそうだったし。そして赤ちゃんをこの手に抱かせてもらって実感したの。ああ、私はこんな愛しい存在を生むことはできないんだって。誰かが私を愛してくれても私はその人にルフィのような思いをさせてあげられない。そう思ったら無償に虚しくなった。私も子供を産みたいと思った。どうして自分は産めないのだろうって。―――とは言ってもこればかりは一人じゃできないんだけどね。私には残念ながらそんな相手はいなかったから、産める身体でも子供を産むことにはならなかったかもしれない。」

そう言ってナミはじっとゾロを見る。
その視線で、自分がもっと強く行動に出ていれば結果は違ったのかもしれないという思いが沸き起こるのを、ゾロは止めることができなかった。

「今回のことは私が油断してたの。だからゾロ達のせいじゃないのよ。」

と、続けてナミはきっぱりとした口調で言った。
ゾロは一瞬自分の考えが見透かされたかと思った。守りきれなかったこと、助けるのが遅れたことで責任を感じる必要はないとナミは言っているのだ。

「私は女としてどっか欠落してるのね。あんな目に遭っても自分の身体の状態なんて気にも止めなかった。チョッパーの方が先に気付いたのよ、妊娠してるんじゃないかって。」

自嘲気味にナミが言う。

「ビックリしたわ。そんなことあり得ないと思ってたから。それと同時にこんな子は産めないとも思った。あんなおぞましい男の子供なんて。でもそれより辛いのは、もしそんなことになったら船を降りなくちゃいけないってこと。私にはそれが何よりも辛いの。みんなと離れたくない。だからゾロに言われるまでもなく、私、最初は堕ろすことばかり考えてたのよ。でも―――産みたいとも思っていた・・・。」


5%の確率でしかできないはずの子供。
私の子になるべく私の中に宿ってくれた小さな奇跡。
自分の中で息づく健気な存在。


「不思議ね。産むって決めたら他の悩みがどうでもいいことのように思えてきて、全部吹っ飛んじゃった。それに私、本当に、本当にすごく子供が欲しかったんだって気付いた。・・・この子の父親のことは辛いけど仕方がない。もし子供に訊かれたらちゃんと話すわ。それでもお前は望まれて生まれてきたんだって伝える。」


母親である私に望まれたんだって。


「それでいいんじゃねぇの。」

両腕を頭の後ろに組んでぶっきらぼうにゾロが言うと、ナミはふふっと笑った。

「ルフィ。」

「ああ?」

「ルフィ・・・許してくれるかな。」

「何の話だ?」

「だから、私が下船するのすごく反対してたでしょ。ビビの時は割とあっさり同意したのに、なんで今回はああなのかしら。」

「ああ、その話か。大丈夫だろ。真っ先におまえが子供を産むことに賛成してたぞ。」

「そうなの?」

「・・・・。」

ゾロは答えに詰まる。
そういえばそうだった。ルフィはナミの下船にすごく渋っていた。
子供は産んでいいと言っているのに下船はだめってか。どういうこった。





話疲れて再び眠りについたナミを残して、ゾロは部屋を出た。

「!」

そこには船長が立っていた。

「てめぇ、いつからいたんだ?」

「ん?最初から。ゾロの跡を付けてきたんだ。」

「・・・・。」

そのまま、ルフィはくるりと背を向けて、ゾロの先を歩き始めた。

「ナミは馬鹿だよなぁ。」

「は?」

「子供が欲しかったんなら一言俺に言えばよかったのに。」

いくらでも協力したのになぁ、とのん気な調子で船長は呟く。



それはゾロも全く同感だった。





***





翌日、ルフィ海賊団で臨時の会議が開かれ、その場でナミの下船が告げられた。そしてナミがイーストブルーに戻ること、チョッパーがその旅に付き添うことも。

ナミもゾロもあんなに反対していたルフィが、今度はあっさり承知したことに拍子抜けだったが、ともかくもホッと胸を撫で下ろした。ルフィがあくまで反対に回ったら、例え2人がかりででも説得は難しかったろうから。

しかし、続いて告げられた今後の船の進路に、2人、いやその場にいた幹部全員が驚いた。

「イーストブルーへ帰るぞー。」

ルフィは少し間延びした口調で事も無げに言った。
船はやっとノースブルーの航海の緒についたばかりだった。まだまだ冒険はこれからだ。
それなのにルフィはイーストブルーへ戻ると言う。

「ちょっと待った、ルフィ!どういうことだよ!やっとノースブルーに入ったんだぜ。それを何でもう一回戻らなくちゃなんねーんだよ!」

ウソップが叫んだ。

「ちょっとな、休む。」

「はあ?何言ってんだよ。」

「1年ほどイーストブルーで骨休めだ。みんなも里帰りしていいぞ。俺もフーシャ村に帰る。」

ゾロとナミは顔を見合わせた。

「そんで1年経ったら、また集まって船出するぞ。全員でだ。」


ナミも、ビビも、俺の子も、ナミの子も。仲間達みんな一緒だ。
船旅は仲間がやっぱりいつも一緒にいなくちゃな。誰が欠けても嫌なんだ。
しかも他でもないナミ。ナミは俺のそばにいなくちゃいけないんだ。
そのナミが船を降りなくちゃいけないんなら、俺も降りるさ。


「ルフィ、いいの?1年も冒険できないのよ?」

堪りかねたようにナミが言った。

「いいさ!航海士がいないのに船が出せるか!」

航海士とはナミのこと。
どれだけ仲間の中に航海術を持った者が増えても、ルフィの中では航海士はナミ一人。

そのことに気付いてナミは口元を手で押さえた。息が詰まり、涙が出そうになる。
ゾロはニヤリと笑った。


別にナミ、おまえのためだけってわけじゃない。俺がそうしたいからそうするんだ。
それに、イーストブルーにはビビ、それと俺の子がいる。
もう船には戻らないと言ってたビビ。
そうはさせるか。時間をかけて口説いて、今度は必ず船に乗せてやる。


「ナミ!次の島の到着はいつだぁ?」

「今から17時間後!」








17時間後、ナミの下船によって、ルフィ海賊団の約8年に渡る航海に幕が閉じられた。



そして約1年後、
誰一人欠けることなく、
ルフィ海賊団は新たな航海に出航したという。






FIN






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<長いあとがき或いは言い訳>
長く痛い、しかも勝手な設定続出のお話に、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
結末に納得される方、されない方、いろいろおられるかとは思いますが、この結末を私は書きたかったのです・・・。

実は、このお話は私のワンピに関する一番最初の妄想なのです(最初からこんな妄想すんな!って感じですが)。
けれど、書き始めた途端に「うわ、長い」と思って放り出してしまいました。
その後、何作か書いて、この話より長い『とある国の出来事』も書いて、自分にとっては原点であるこの話を再び書きたくなってきました。

ところが、書き始めたら書き始めたで、トツトツと詰まります。また、今までサイトに上げてきた作品とのギャップにも悩みました。こんな勝手で痛い話、受け入れられるんだろうかと。
でも、BBSやメールでたくさんの感想や励ましをいただきました。それらが私にはすごいエネルギーとなりました。それでなんとか書き上げることができたのです。
ですから、このお話が曲りなりにも完成を見ることができたのは、読んでくださった全ての方々、そして感想と励ましをくださった皆様方のおかげなのです。この場で改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございましたm(__)m。

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