うだるように暑い昼下がり。
買出しを終えたゾロとナミが空腹を抱えて船に戻ってきた。
しかし、頼みの綱のサンジがいなかった。
あまりにも腹が減っていたため、自分達で作る気力もない。

二人は外食するため、再び町へ出た。





プロポーズ  −1−





普段なら、外食にしてもなんにしてもナミが率先して店を選び、ゾロが面倒くさげについてくるというパターンが多い。この日も途中まではそうだった。
しかし、今日は途中から違っていて、ゾロがある店の前で立ち止まる。
ナミが訝しげにその店の外観を見回す。看板に「蕎麦屋」の文字。

「ソバって読むの?なにコレ?」
「俺の村では、夏といったら蕎麦かそうめんと相場が決まってたんだ。懐かしいなー。」

ゾロは郷愁をそそられたように表情を和らげている。いつも眉間に皺を寄せたような顔をしているのに、今は珍しくその皺が伸びている。その店を見つめる顔は、少年に戻ったかのようだった。
こんな表情のゾロを見るのは初めてかもしれない。その様子に、ナミは少なからず興味をそそられた。

「じゃ、入ってみましょうか。」

紺色の木綿の暖簾を手でよけてくぐると、タタキの床に年季の入った飴色の木製テーブルが並んでいた。
テーブルの間隔が狭く、ともすればギュウギュウ詰めにも見える。
店の奥には扇風機が置かれ、明らかに「強」のボタンが押されて、ブンブンと煩いくらいに首を回している。その風に合わせて風鈴がけたたましく鳴り響いている。
決して広くない店内であるが、味は確からしく、席はいずれも客で埋まっていたし、何よりも活気があった。
客層はほとんどが男性客で、ナミが店に入った時、何人かから好奇の目を向けられたぐらいだった。

「ザル二枚」

ゾロ達と入れ替わるように空いた席につくと、茶を給仕してきた店員にすぐさまゾロが指を二本立てて注文した。

「ちょっと、メニュー見なくていいの?」
「この暑さには、ザルが一番だ。」

自信満々の答え。どうしてそこまで言い切れるのか。
そんな疑問が頭に浮かんだが、そもそも食事のことでこんなに我を押し通すゾロも珍しい。ここはゾロにまかせてみることにした。
それからほどなく、注文の品が運ばれてきた。早い。

「ヘイ、お待ち」

笑顔の爽やかな年若い店員が、ゾロとナミの目の前にドドンと二つのザルを置き、続いて薬味とめんつゆ、伝票を置いていった。
いただきます、と言葉を唱えて箸を持つ。
ゾロに食べ方を教えてもらう。蕎麦をつゆに浸けて食べるのだと。
その後も目の前でゾロが珍しく雄弁にブツブツと蕎麦の食べ方について何か講釈を垂れていたが、ナミは無視して食べ始めた。

「美味しい。」

ナミの口から自然と素直な感想が漏れた。
だろ?とゾロが目顔で応える。
その直後、ゾロがズズズーーーッと大きな音を立てて食べ始めた。

「ちょっと、ゾロ、やめてよ。行儀悪いでしょ。」
「アホ。さっきも言ったろ。これが正式な食べ方なんだ。」

スミマセン、聞いてませんでした。
それにしてもそんなわけが無かろうと思ったが、周りからも同じような音が聞こえてきた。どうやらゾロの言うことは正しいらしい。
それならばと腹を決め、ナミもゾロを倣って、でも少し遠慮がちに音を立てて蕎麦をすすった。
とその時、その言葉は耳に飛び込んできた。

「結婚してほしい。」

ブッとナミは口に含んでいる蕎麦を吹き出しそうになる。
なんとか堪えて、蕎麦を一飲みしてから、上目遣いで前に座るゾロを窺った。
彼はというと、口から線状に何本もの蕎麦を垂らしたまま、固まっていた。
何を勘違いしたのかと、ナミは自分自身に苦笑いする。

(そうよね、ゾロがそんなこと言うハズない・・・・ということは)

今度はチラリと隣を見る。
その言葉を発していたのは、隣のテーブル席のカップルだった。
年の頃はナミ達とそう変わらない感じだ。男は黒髪で細い黒縁のメガネをかけた真面目な印象。背広を着たらそのままビジネスマンになりそうな。女の方は明るい栗色のウェーブした髪を背中に垂らしている。利発な瞳が印象的な美しい娘だった。
男が真剣な眼差しで女を見つめている。
女も慈愛のこもった瞳で男を見返していた。その顔にはあともう一歩で笑顔になるというような表情が浮かんでいる。

「前にも伝えたけど、今日改めて言うよ。よくよく考えた。やっぱり僕のパートナーは君しかいない。これからの人生を、君とともに生きていきたい。」

なんて真摯な言葉だろうか。ナミは目を瞬かせながら完全に蕎麦を食べる動きを止めて聞き入っていた。
ゾロはようやくぶら下がってたソバを全部飲み込んで、口をもぐもぐと動かしている。その他はどこか耐えるような表情をして、相変わらず固まったままだった。

「だから、プロポーズを受け入れてほしい。」

男が言い切ると、女は目を伏せて、考え込むような仕草を見せた。
しばし沈黙。不思議なことに、ナミにはこの沈黙が何十分にも感じられた。
やがて、女は何かを決意したように顔を上げた。

「ありがとう、とてもうれしい。」
「じゃあ!」
「でも、やっぱりあなたとは、結婚できない。」
「な、なぜ?!どうして?」
「あなたには、私は相応しくないもの。あなたは、この町一番のお店の大事な跡取り。それに引き換え私は、しがない画家の卵だもの。」
「でも、君は才能に溢れている。君の絵は今に世界中でもてはやされるようになる。僕が請け負うよ。」

男の言葉を女ははにかみながらも嬉しそうに聞いていた。しかし、

「ありがとう。でも、やっぱりダメ。私はみなし子だもの。素性の分からない人間なのよ。そんな私は由緒正しい家柄のあなたに相応しくない。お父様も、それで反対されてるんでしょ?」
「親父のことは・・・・その、必ず説得するから!」
「無理よ。あなたはお父様に逆らえないわ。それに、逆らってほしいわけでもないの。私は今のままで十分幸せなのよ。」

そう言うと、女はカバンを肩に掛けて、立ち上がった。

「待って!あきらめないでくれ。」

男も立ち上がり、女の手を掴む。

「僕達はもっと幸せになれるよ!」
「お願い、もうこのことで私を苦しめないで。やっと決心したのよ。」

泣きそうな表情をして女が男の手を振り解き、身を翻して店の扉を開けて出て行った。
男も慌てて立ち上がり、カバンを抱えて追いかける。
しかし戸口で、

「お客さん、お勘定。」

という実に無粋な声が掛かった。

扉がバタンと閉まると同時に、店内のあちこちの客から「ふーーーっ」という大きな溜息が漏れた。
どうやら店の中にいた全員が、息を詰めて恋人達の会話に聞き耳を立てていたらしい。

「あれ、どこの息子さん?」
「柊屋さんの倅だろ。美術商の。」
「娘さんの方は?」
「さぁ知らないね、どこの娘だろ?」
「どうなるのかねぇ」
「しかし、なにも蕎麦屋でプロポーズしなくてもねぇ」

それまで静まり返ってた店内が急にざわめき始めた。話題は言わずもがなだ。
もちろん、ナミも例外ではなかった。
止まっていた箸を動かしながら、ナミはゾロにしきりに話し掛けた。

「あー、びっくりした。」
「・・・・・。」
「私、プロポーズの場面なんて初めて見た。」
「・・・・・。」
「いいわねー。私もいつかあんなこと言われてみたいわ〜。」
「・・・・・。」
「でも、なんか難しい問題を抱えているみたいだったわね。」
「・・・・・。」
「うまくいくのかしら・・・・。」
「・・・・・。」
「あんな場面に出くわしたら、うまくいってほしいと願ってしまうわね。」
「・・・・・。」
「ね、どう思う?」
「・・・・・。」
「ちょっと!なんか反応しなさいよ!」

あまりの反応の無さにナミが大声を上げた。
その声に周囲が一斉にこちらを見て、ナミは慌てて口を噤んだ。

「ああ?」

ソバを平らげて、爪楊枝で歯をつつきながら、ようやくゾロが声を出す。

「だから、あの二人、うまくいくかどうかって聞いてるのよ。」
「そんなもん、俺が知るわけねぇだろ。」

確かにその通りなのだが。
あまりに素っ気ないゾロの答えに、ナミは不満げな顔をした。

「お互い好き合ってるみたいだし、うまくいくといいと思わない?」

ナミは一つため息をつき、頬杖をついて、かつてカップルが座っていた席をやさしく見つめた。

「・・・・・うまくいかねぇんじゃねぇの。」

そんなナミに冷や水を浴びせるかのような身も蓋も無いゾロの答え。
ナミは驚いたように頬杖をついてた手を解いた。

「・・・・なんで・・・・そんなこと言うのよ・・・・。」
「男の方は親父に頭が上がらないって感じだったろ。女の方もそれがよく分かってるみたいだったし。」
「でも、説得するって言ってたじゃない。」
「今までやって無理だったんだから、これからも望みは薄いだろうな。」
「そんなの、分からないでしょう。」

なんでなんでなんで、なんでこの男は、こんなことを言うのだろう。
通りすがりだけのカップルの話なのだから、多少贔屓目に見てもいいではないか。
それをなんでこんなに頑なに。
過去にそんな経験があったわけでもあるまいに。

・・・・・・。

まさか、そんな経験が・・・・?

そんなナミの思考を知ってか知らずか、更にゾロは追い討ちを掛けるように言った。

「相手が悪かったってことだ。お互いもっと良い相手を見つけるこったな。」
「・・・・。」
「傷の浅いうちに別れておいた方が、お互いのためだ。」
「・・・・好きになった人が、最良の相手なんじゃないの?」
「あ?」
「結婚できると思って、人を好きになる訳じゃないでしょ?いつの間にか、好きになってるのよ。」

急に情感のこもった声になって、ゾロは口から爪楊枝を離して、ナミの顔を窺った。
ナミは置いてあった湯のみを両手に持ち、そのゆらゆら揺れるお茶の水面を見つめながら話している。

「好きになっちゃいけないって思っても、好きになったりするの。心の動きはどうしようもない。そして、好きになった相手がたまたま身分違いだったり、海賊だったりするんだわ。」

ナミはグビリと一口お茶を飲み、ふぅと溜息をつく。

「でもね、女にとっては、好きになった人と一緒になるのが、一番の幸せなの。」

ナミは顔を上げると、どこか夢見るように儚げな笑顔を見せた。
それは普段のナミが見せないしっとりとした表情で、ゾロは思わずそんなナミをマジマジと見つめてしまった。

(なんだこいつ?これじゃまるで・・・)

そう思ったら、もうそのまま口を突いて出ていた。

「えらく具体的だな。お前、そんなヤツがいたのか?」
「は?」
「だから、身分違いの男に懸想して、うまくいかなかったとか・・・・テッ!」

ナミは顔を上気させて、ゾロの鼻を思いっきり摘んでやった。

「何バカなこと言ってんのよ!」
「てめ、なんてことすんだよ!」

ゾロは慌てたように鼻面を手で押えている。

「そういうアンタこそ、そういうご経験がおありなんじゃ?ご令嬢を好きになって、でもどうにもできなくて、その後も諦めきれずに悶々と引きずってるとかね!」
「んなワケあるか!」
「やけにあのカップルに否定的だし?アンタの過去のトラウマにでも触れちゃったのかと思ったわv」
「馬鹿馬鹿しい。話にならん。俺はもう行くぞ。」
「ちょっと!待ちなさいよ。誰が奢るって言ったのよ。自分の分は自分で払いなさいったら、ゾローー!」

先に店外へ出たゾロを、バタバタとナミが追いかけて行った。

バタンと店の扉が閉まる。

再び店内のあちこちで、盛大な溜息が漏れた。




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