プロポーズ −2−
先をずんずん歩くゾロに、血相を変えたナミが追いつき、お金のことでギャンギャン吠えたてた。
ゾロはうるさそうに金を投げ渡し、「釣りはいらねぇ」と言ってやったら、「足りないわよ」とあっさり返された。
その後は二人とも仏頂面で町の往来を歩く。賑やかな町並みとは不似合いなくらいに黒いオーラを撒き散らしながら。
いっそ離れてしまいたいが、こんな形のまま別れるのはマズイという意識がお互いどこかにあり、なんとか二人をその場に踏み止まらせていた。
蕎麦屋へ行く時は、「暑い暑い」「腹減った腹減った」と言い合って闊歩した道のりを、帰りは気まずい沈黙のまま歩く。
しばらくして、ゾロは横を歩くナミの表情をチラリと盗み見た。
今はもうそんなには怒っていないようだ。
ただ、どこかしら物思いに沈んだ顔をしている。
そんなナミに慣れなくて、ゾロは急に落ち着かなくなった。
(なんなんだ。やりにくいったらねぇ。まだ怒ってる方がマシだ。)
こんなナミは苦手だった。
あの恋人達のことに思いを馳せているのだろうか。
それとも。
―――好きになっちゃいけないって思っても、好きになったりするの
―――心の動きはどうしようもない
―――そして、好きになった相手がたまたま身分違いだったり、海賊だったりするんだわ
本当に妙に具体的だった。
まるで過去にそういう経験があるかのように。
いや、もちろんそういうことがあっても不思議ではない。
アーロンとの顛末以外のことは、ナミの過去をゾロはほとんど知らないのだから。
身分違いの男と恋仲になって、親に仲を引き裂かれたとか・・・・。
そんなことを考えてハッとした。何をらしくないことを考えているのかと。
ゾロとてプロポーズの現場に出くわしたのは初めてのことだった。
そしてナミが、あのプロポーズの言葉にバカみたいにはしゃいでいたことも妙に気に障った。
それで全て調子が狂ってしまったのかもしれない。
ゾロは頭を掻く。
不意にナミが足を止めたので、ゾロも立ち止まる。
「私は船に戻るけど、あんたはどうする?」
ナミがこう聞いてくるということは、ここが町と港への分岐点なのだろう。
買出しも終わったし、今後これといって予定もない。ログが溜まるまではもう自由時間なのだ。
夜は船で泊まるにしても、まだ日が落ちるには十分時間がある。
ナミは、ゾロが町に残るかどうか訊いているのだ。
ゾロは太陽を見上げて、そうだなぁ・・・と考えた。
町に行っても特に当てがあるわけでもない。
誰かさんと違って女を漁りに行く気にもならないし、そんな軍資金もない。
そこへ、ふと見かけた人物に目を瞠り、ゾロは体の動きを止めた。
「ナミ。」
ゾロの声は心なしか緊張を孕んでいた。
ナミもそれを敏感に感じ取り、ゾロを真剣な目で見据える。
「何?」
ゾロは見るべき方向を顎でしゃくった。
そちらに顔を向けると、ナミも僅かに息を呑んだ。
先ほどのカップルの片割れ――あの青年の後ろ姿が目に入ったのだ。
蕎麦屋を出て行き、恋人の後を追って行ったようだったが、見失ってしまったのだろうか。
しかし、青年は迷いのない足取りで歩いている。
まるで彼女がどこにいるか確信しているかのように。
青年は港の倉庫街までやってきた。居並ぶ倉庫の一つの中に入っていく。
ゾロとナミも足を忍ばせて、倉庫の入り口の縁に身を隠しながら中の様子を窺う。
そう、結局ゾロもナミも気になって、彼の後をつけてきたのだった。
明り取りの窓しかないせいだろう、昼間だというのに倉庫の中は薄暗かった。中からは外気よりも幾分ひんやりとした空気が漂ってくる。
覗き込んでも、入り口付近には大きなダンボール箱がいくつも積み上げられていて、青年がどこにいるのか、何をしているのかが判然としない。むしろひっそりとしてて、人の気配がしない。しかし、確かに青年がここへ入っていくのをこの目で見たのだ。
ゾロとナミは思い切って中に身を滑り込ませた。
ガラクタの山が上手い具合に二人の姿を隠してくれる。
ジリジリと中へ中へと進んでいく。
倉庫の奥ではランプが灯されていた。
ナミが箱の陰に身を潜めて顔だけ出して様子を窺う。少し遅れて、そんなナミの背後を覆うようにゾロも立ち、同じように覗き込んだ。
そこには、青年がいた。
そして、その恋人の姿も。
二人して倉庫の一番奥の壁に向って立っている。
その壁には、大きなキャンバスが立てかけられていた。
大きさにして畳4帖分くらいだろうか。ほとんど壁画のような大きさだ。
床には新聞紙が何枚も重ねて敷かれていて、絵の具と思しき缶がいくつも置かれていた。
壁といわず、床といわず、様々な色の絵の具があちこちに飛び散っている。
壁際に小さいキャンバスが何十枚と立てかけられている。
そうと気づいた途端、テレピン油の匂いがツンと鼻をついてきた。
確か、恋人の女性は自分のことを「画家の卵」と言っていた。
ということは、ここは彼女のアトリエなのかもしれない。
そして、その大キャンバスに描かれている絵が何か理解した途端、ナミの心は大きく震えた。
「イーストブルー・・・・。」
「なに?」
思わぬ言葉を聞いて、ゾロがナミを見下ろして聞き返す。
「これは、イーストブルーの絵だわ。」
大キャンバスいっぱいに広がる青い海。
そして点在する緑豊かな諸島群。
それらが白い薄い雲間を抜けて覗いて見える。
まるで上空高く飛翔する鳥が、イースト・ブルーを見下ろしているような、そんな光景。
「ほら、あれがフーシャ村があるドーン島。それからあれが・・・・」
ナミがいくつかの諸島名を挙げていく。もっとも、ゾロには「そんな名前だったっけ」という感覚だったが。
もちろん、その中にはルフィ、ゾロ、ナミが出会ったオレンジの町、ウソップと出会ったシロップ村の島の名前も含まれていた。
「そしてあれが・・・・コノミ諸島・・・・。」
ナミは思わず声を詰まらせる。
そこに、ココヤシ村があるのだ。
懐かしい地名。見覚えのある島々の形。慣れ親しんだ海の色。
生まれ育ち、大切な仲間達と出会った故郷、イーストブルー。
ここを乗り越えて自分達はグランドラインへとやって来た。
「しかし、なんでイーストブルーの絵を・・・?」
「分からない。彼女に何か縁(ゆかり)があるのかも。それとも・・・。」
「なんだ?」
「イーストブルー、ウェストブルー、ノースブルー、サウスブルー。4つの海を描く連作なのかもしれない。イースト出身の私達にとってグランドラインが未知の海であるように、グランドラインの人々にとって4つの海は、見たことのない海であるはずだもの。」
なるほど、とゾロは頷いた。
外界の海からグランドラインへ入りにくいように、逆にグランドラインからも外界へは出にくい。
だからグランドラインの人々にとって、4つの海はまだ見ぬ憧れの対象なのかもしれない。
恋人達は、そのイーストブルーの絵と、かなり長い間黙って対峙していた。
やがて、恋人の女性の方が動く。床に置かれていたパレットとペンティングナイフを手にし、絵に近づいていった。彼女は見事な長い栗色の髪を結い上げて、ピンで後頭部で留めていた。
カリカリとキャンバス地に絵の具をナイフで塗りつけていく音が聞こえる。
無造作に描いているようなのに、不思議なことに彼女の手が離れた場所から、次々と新たな海が生まれていく。
次に青年が動いた。
脚立に上がり、絵の上部の諸島群を描いていく。
ここにも、生き生きとした緑を湛えた島が姿を現した。
青年は美術商の息子とは聞いていた。だから絵を描いても不思議ではないが、てっきりたしなむ程度なのかと思っていた。
しかし描いている姿を見ているうちに、そんな生易しいものではないことが分かってきた。どう見ても本格的な絵画の心得のある人だ。
つまり、2人とも画家の卵だったのだ。
絵を志す者同士が惹かれ合い合作するようになったのか、
合作を通じて恋に落ちたのか、
その辺は定かではないが。
恋人たちは描いている間、一言も言葉を交わさなかった。時を忘れたかのように描き続ける。
2人の絵への情熱が倉庫内を包み込み、ナミ達もその熱気に圧倒され、目を釘付けにさせられた。
惹きつけられるまま絵が描かれていく様をずっと見守り続けた。
やがて、始まりと同じように彼女の方が先に手を止め、画材を床の上に置くと、静かに絵の前に佇んだ。
頭の後ろのピンを外すと、結い上げられてた長い栗色の髪が背中にハラリと流れた。
遅れて青年も筆を止め、彼女の横に並び立つ。
お互い顔を見合わせると、どちらからともなく手を繋いだ。
まるで絵を描くことを通じて、やはりお互いにはお互いしかいないと確信したようであった。
そして、そのまま静かに自分達の絵を見上げている。
最初に見た時よりも描き進められ、いっそう煌く青い海。懐かしいイーストブルー。
そして、それを見詰めている仲睦まじい恋人たちの姿。
さながら美しい装飾を施された額縁で切り取れば、それだけで一つの絵のよう。
その光景はとても美しく神聖で厳かなものだった。ゾロもナミもしばしの間、見とれずにはいられなかった。
一体どれくらいそうしていたことだろう。
「おい・・・そろそろ行くぞ。」
「ん、もうちょっと・・・・。」
恋人達は再び向き合い、見つめ合った。
そして、恋人達の顔がそっと近づいていく。
「・・・・ッ! 行くぞ!」
ゾロがナミの腕を掴み、強引に引っ張った。
「いいところなのに〜」と嘆きながらもナミは素直に引きずられていった。
「悪趣味もいいとこだ。」
「だってめったに拝めるもんじゃないでしょ。」
キスシーンなんて、と悪びれずに舌を出して言うナミを睨みつける。
外に出ると、辺りはすっかり夕闇に包まれている。いったい何時間ここで過ごしたのか。
あの二人と同じくらい集中して見ていたので、時の経つのをすっかり忘れていた。
昼間はあんなに暑かったのに、今はその熱気も嘘のように引いている。
海から一陣の風が吹き、ナミの前髪を巻き上げ、秀でた額を撫でていった。
「あの二人、やっぱりお似合いなんじゃないかなって思う。いつかお父さんにも認めてもらえるんじゃないかなぁ。」
「そうだな。」
絵心の全くないゾロ達を、あれだけ長時間釘付けにするほどの絵を描く力があるのだ。
父親は美術商だというのだから、実際に絵を前にすれば、彼女の才能を見抜けないはずがない。
そうなれば、今すぐには無理でも、きっと二人の関係を認めてくれるだろう。
そしていつかは、彼女が青年のプロポーズを受け入れる日が来るに違いない。
そう遠くない日に、きっと。
「なんだよ。」
じっと見詰められてるてることに気が付いて、ゾロが怪訝そうな声を出す。
「いやぁ、意外。あんなに反対してたのに・・・・って思って。」
チッとゾロが小さく舌打ちした。
「別に反対してたわけじゃねぇ。それに、あれだけのもん見せ付けられりゃな。親父さんも認めざるを得んだろう。」
「じゃ、賭けは私の勝ちってことで。」
「いつ賭けたんだよ。」
「しまった、こんなことなら賭けておくんだったわ。」
まったくお前はと、呆れ顔でナミを見る。
「それにしても、今日はやけに郷愁をそそられる日だったわねー。」
そう言われると、蕎麦屋にイーストブルー。
ゾロにとっては今日一日で懐かしいものが2つも。
「確かに、そうだな。」
ゾロはハハッと笑い声を漏らした。
「それじゃ、そろそろ帰りましょうか。」
「おう。」
そうして、二人は珍しく晴れやかな気持ちで、船までの道のりを歩き始めた。
FIN
←1へ
<あとがき或いは言い訳>
あまりに暑くて「蕎麦食いてぇ」と思った時に思いついたお話。でもホントにそれだけだったので、なかなかオチが決まらず苦労しました(そらそうだろう)。
イーストブルーの島の名前については逃げているのが丸分かり。この辺はツッコミ無しでプリーズ。因みに参考資料は「BLUE」です^^。
それから、くっついてないゾロとナミを無償に書きたくて。うんスッキリ(笑)。