このお話は、『とある国の出来事』の続きです。
先にそちらを読まれることをお奨めいたします。
自分は現場にいなかった。
それなのに、何度もその夢を見た。
バラティエ城が炎上する夢を―――
夢の城
その夢を見た後は、目覚めた時に一瞬今がいつなのか、ここがどこなのか混乱する。
あれからひどく時間がたった気がするし、直後のような気もする。
しかし、すぐに気づく。
自分はランスール伯爵家の家督を継いでいて、既に10年以上の歳月が流れていると。
サンジはその夢を見た後、いつもするように、手を自分の目にもっていった。
(ああ、やはり)
この夢を見ると、自分は必ず泣いているのだ。
「お帰りになるの?」
ベッドの上で上体を起こすと、隣に眠る女から声を掛けられた。
上得意の子爵夫人。彼女の夫は軍人で、現在地方へ赴任中だ。
夫の留守中に男を抱え込む、なんてのは今や日常茶飯事。
これも平和がもたらした産物。
道徳心が後退し、背徳心が幅を利かせ、それは心身を快感に導く麻薬のようなもの。
彼女にとって今の自分は態のいい火遊びの相手。
もちろん、それはお互い様なのであるが。
「ええ。しばらく帰ってませんからね。本業の方が心配になってきました。」
「相変わらずご商売熱心ね。」
「貧乏貴族ですから。」
「ま、ご冗談を。随分儲けていらっしゃるんでしょう。」
「まさか。もしそうだとしても、それは貴女のおかげですよ。」
「ふふふ。そんなこと言われたら、またオーダーしてしまうかも。」
「ええ、ぜひ。ご贔屓にお願いいたします。」
着替えを済ませ、子爵夫人の頬にキスをして、その場を辞した。
***
「伯爵!2日も帰ってこられないから心配しましたよ!どこに行っておられたんですか!」
自邸に到着するなり、秘書がえらい剣幕でまくし立てた。
「野暮なこと聞くなよ。」
サンジは子爵夫人との情事をチラリと思い出し、つい顔がニヤついてしまう。
「しかしですね、伯爵がおられないと、できる決済もできません!2日分たまってるんですよ!“時は金なり”。時間がいかに貴重かお分かりですよね!?」
「分かった、分かった。報告聞くから。そんなにがなり立てるな。」
この年若い秘書は熱心なのはいいが、口うるさいのが玉に傷だ。
ビジネス机から椅子を引き、座る。さぁ、なんでもどんと来いというように手招きした。
その後、延々1時間ほど、2日間で溜まっていた案件を聞く。そして、次々に判断を下していく。
「・・・・の価格の決定について・・・・」
「まかせる。」
「・・・・の納品が間に合わないと報告が。」
「間に合わせろ。」
「税務調査が・・・・」
「またか!なんで毎年入るんだ。ウチは狙い撃ちか!」
「・・・・予定地のボーリング調査の結果、軟弱地盤であることが判明しまして・・・・。」
「地盤改良が必要だな、そりゃ。クソ、コストアップだ。」
「それから、スプラウド農家が、生産物の収穫量の一部を横流ししているという情報が入りました。」
「スプラウドが?」
「はい。」
スプラウド農家は、サンジの祖父に当たるゼフがランスール家の当主であった頃からの付き合いのある農家である。
ランスール家はレストラン業を中心に商売を行っている。その中で最も重要となる食材は、専属契約した農家から直接仕入れている。
契約農家は、ランスール家が求める栽培方法で栽培し、かつ全収穫物をランスール家に納入することが義務付けられている。つまり市場には一度も通さない。市場での買取価格よりも、ランスール家の方が高い値段で、しかも全量買い取ってくれるので、農家は市場や景気の変動に左右されずに安定収入を得られるというメリットがある。
一方のランスール家は、栽培方法を指定することにより、均質かつ上質の食材を常に一定量確保できる。
契約農家はいくつかあるが、その中でもスプラウド農家は最古参の部類に入る。
「確かあそこは1年前、代変わりしたんだよな。」
長年付き合いのあった、スプラウド翁の温厚な顔が目に浮かぶ。
しかし、彼は1年前に亡くなり、長男が跡を継いだ。
「その通りです。そして現スプラウド氏が、収穫量の一部を闇市場に流しているとの情報です。」
「闇市か・・・・馬鹿息子が闇市の甘い汁に酔わされたってところか。情報源は?」
「先月解雇されたスプラウド農家の従業員です。彼は納入関係の仕事をしていました。横流しを止めるよう何度も諌めたことから、解雇されたとのことです。」
「ウラはとったか?」
「今年に入ってからの納入量が、前年比10%減です。気候的にも昨年と遜色はなく、スプラウド側は納入量の減少の理由を説明できません。また、闇市場のバイヤーとの接触も確認されていますし、証言も得られています。」
「そうか・・・・。」
「どうされますか?」
「聞くまでもない。これは明らかな契約違反だ。即刻、契約を解除。また、契約不履行で法律院(とある国における裁判所)に訴える手続きに入れ。」
「畏まりました。」
秘書が恭しく頭を垂れた。
ところが、
「いや、待て。」
「伯爵?」
秘書が顔を上げると、サンジは口元に手を当て、何か思案に暮れているようだった。
「1ヶ月間の猶予を与えよう。スプラウドに契約解除の旨を伝えろ。ただし、1ヶ月の間に改心するならば、契約解除はなし。法律院への告訴もしないと。」
急な前言撤回に秘書が驚いた。
「そんな、どうしてです?いつもはすぐに訴えまでするじゃないですか!これでは他の事例とのバランスが取れません!」
サンジは、契約を重視している。
その昔サンジが17歳で事業を継いだ頃、それまで懇意にしていた農家や事業家から、手の平を返したように冷たい仕打ちを受けた。材料や製品の納入を打ち切られたり、買取価格を吊り上げられた。
昔ながらの商習慣のまま、契約書などの書面を交わしていなかったので、そんな理不尽なことにも対抗手段が無かった。
それ以降、サンジはどんな小さな取引でも契約を交わすようにしている。また、契約違反には容赦しない。発覚時点で予告もなく契約を解除。すぐに契約不履行で多額の賠償金を請求する。
この賠償金の支払いのために屋台骨を折られた事業家も多い。
今回のような情けをかけた処断は初めてのことだった。秘書が驚くのも道理である。
「これは、他の事例と同じではない。」
「同じではない・・・・?」
秘書が怪訝そうな顔をして、サンジを見つめた。
その時、
「た、たたたた、大変です!」
執事が飛び込んできた。
少し張り詰めていた空気がそれで破られた。
「何かね、セバスチャン君。キミの『大変だ』は信憑性が薄いんだけどね。」
秘書が、若い執事に少し横柄な態度で言う。自分よりも若い男性は、このランスール邸内にはこの執事しかおらず、こんな言葉使いができる相手も彼しかいないからだ。
「ほ、ほんとうに、ほんとうに、た、大変なんで・・・ハァハァ。」
「落ち着け。セバスチャン。どうしたんだ。」
執事の動転ぶりを見かねたサンジが言った。
「ノ、ノース宮殿から、しょ、召喚状が・・・・。」
「後宮から?後宮の誰からだ?」
ノース宮殿―――後宮―――と聞いて、咄嗟に思い浮かべたのは
オレンジ色の髪に優美な容姿の―――第一王妃ナミ
先日、後宮で会ったばかりの、とある国の国王の正妃
しかし、執事の返答は期待を裏切るものだった。
「第三王妃殿下からです。」
***
ノース宮殿内にある室は、国王の寝所を中心に8室ある。現在埋まっているのは5室。
室とは言っても、それらは一つ一つが独立した宮殿のようなものだ。
サンジは第三王妃が住まう西の室へと向った。
第三王妃もサンジにとっては、大型顧客だ。
彼女はもちろんのこと、彼女の一族も羽振りよくお金を落していってくれる。
彼女の実家は屈指の名門、ポートガス公爵家である。
「みっともないから、その口、閉じろ。」
サンジは同伴した秘書に対して言う。
秘書は口をポカンと開けて、室の壮麗な内装に見入っていた。
彼が後宮はおろか、王宮に足を踏み入れたのはこれが初めて。無理もない。
やがて、大勢の女官達にかしずかれ、第三王妃が部屋に入ってきて、ソファに腰を下ろす。
美しいプラチナブロンドにグリーンの瞳。そして豊満な肢体。後宮一の美貌に魅了される者は多い。
サンジも秘書も、ひざまづいて頭を垂れた。そして、サンジが挨拶の口上を述べる。
それを受けて、第三王妃が優雅な口を開いた。
「いつもお世話になっていますね。あなたのお店の料理は本当に美味しいわ。一族の者も誉めているのですよ、サービスも最高であると。紹介している私も鼻が高いです。」
「恐れ入ります。」
「伯爵、今日は注文をしたくて呼びました。」
「は、ありがたき幸せで。」
とは口では言うものの、そんなもの、書面で十分じゃないか、どうしてわざわざ召還なんてしたのか、と内心思う。
「来週の金曜日、この室で食事会を開きます。その時の料理をお願いしたいの。」
「畏まりました。」
「料理の総責任者をあなたにして欲しいわ。」
サンジはついと顔を上げたが、すぐに伏せて、恐縮した声で返した。
「・・・・申し訳ございませんが、生憎その日は先約がございます。代わりの者を派遣いたします。もちろん、当家では最高レベルのシェフです。」
「私はあなたにお願いしたいの。その先約は解約なさい。」
その言葉に、サンジはピクッと眉を跳ね上げた。
「いえ・・・・そういう訳には・・・・。」
客側からの解約ではなく、こちら側からの解約だと、違約金を支払う必要が出てくる。
それに、信用問題からも一方的な解約は避けたい。顧客の店に対する心情が悪くなり、今後の受注に影響してしまうからだ。
(それに来週の金曜日は絶対に解約したくない・・・・)
サンジは強くそう思った。
「違約金はこちらで出しましょう。その受注額はおいくらでしたか?」
「100万ベリーです・・・・。」
サンジが答えを渋っているのを見かねて、秘書が代わりに答えた。
「違約金の相場は受注額の倍返しですね。本来なら、200万ベリーなのでしょうが、私は1000万ベリーを出しますわ。」
(いっせん・・・・!!!)
秘書が声にならない声で叫んだ。
「これなら、受けてくださいますわね?」
受けますよね!と秘書が、期待の目でサンジの方を見る。
しかし、サンジは相変わらず沈黙を守り、頭を垂れていた。
しばらくして、ようやく口を開く。
「申し訳ございませんが、やはり解約はいたしかねます。先方との約束の方が先であり、それをこういう事情で一方的に破棄したとあっては、その方との今後の関係が損なわれます。」
「それはそうでしょうが、その先約を解約したところで、大きな損害があるのでしょうか。」
それを聞いて、サンジは確信した。
第三王妃は、先約が誰であるのかを知っている。
それを知った上で、こんな無理な注文をしてきているのだと。
サンジの心中には気づかず、第三王妃が言葉を続ける。
「先約の方は、小さな伯爵家の出の方。一族としても小さく、お断りしたところであなたの店へ及ぼす影響は微々たるものだと思いますが。」
「・・・・。」
「言うまでもないとは思いますが、私の申し出を受けなければ、どうなるかお分かりですね?」
半ば脅迫のような第三王妃の物言い。
ここまで言うということは、有無を言わせず受け入れさせるつもりなのだ。
また、絶対に受け入れると確信してもいるのだろう。
そして、これを断れば、第三王妃はもちろんのこと、ポートガス家とその関係一族からの注文を打ち切られるということだ。
そうなると、損害額は億単位になるかもしれない・・・・。
さぁ、困った。
どうしようか。
***
それから二週間がたった。
その間、秘書が必要最低限しか口を聞いてくれない。
それもそのはず。大型注文先から次々とキャンセルの申し込みがあったのだから。
第三王妃は社交家で、貴族界全体に睨みが効く。
彼女に睨まれれば、ただではすまないと心得る貴族達は、彼女の意向を敏感に察知し、追随する。
だから、多くの貴族達が連鎖反応のようにサンジへの注文を途切らせた。
秘書が、それらについて、硬い口調で報告をする。
サンジは座って報告を受けるので、秘書の冷たい言葉のシャワーを浴びるようだった。
しかし、その日は幾分柔らかな口調を秘書から感じた。
「スプラウド氏から、謝罪の申し入れがありました。横流しの事実を認める、今後は絶対にしないと。」
「そうか。」
「契約打ち切りの警告が堪えたのでしょうね。」
「そうだろうな。」
「あの・・・ひとつお聞きしてもいいでしょうか。」
「お?仲直りしてくれるのかな?何でも聞いてくれ。他ならぬ大切な秘書の質問だから、丁寧に答えるよ。」
サンジは歓迎を示すように両手を差し伸べ、笑顔で秘書の顔を覗き見る。
秘書は、なに言ってんですか、とキマリ悪そうにしながら言った。
「スプラウド氏の件は、どうして特別扱いだったんでしょう?他の事例とどう違ったのですか?」
彼には、いつもは契約違反者に対しては一刀両断の冷徹さを見せるサンジの今回の慈悲の行為が理解できないらしかった。
「スプラウドには・・・・正確に言うと、先代のスプラウドには恩義がある。」
「恩義・・・・ですか。」
「俺が事業を継いだばかりの頃、他の農家は次々と俺から離れた。しかし、先代のスプラウドだけは、変わらずに農作物を納入し続けてくれたよ。」
「・・・・。」
「それがどんなに救いだったか、口では言い表せない。苦境の時に差し伸べられる手というのは格別なものだ。」
「・・・・そうですか。」
「どうした?他に質問は?何でも答えるぞ?」
「・・・・伯爵は、おやさしいですねェ・・・・。」
そんなことを、しみじみと言う秘書。サンジは目を丸くする。
「なに言ってんだ、お前。」
「いえ、あの、すみませんでした。今日まで、変な態度とって・・・・。」
「おや?やっとお怒りは解けましたか?」
ニヤニヤ笑いながら、年若い秘書の顔を見上げる。
「やだな。からかわないでください。」
秘書がバツの悪そうな笑顔を向けた。
「ただ、分かったんです・・・・第三王妃の申し出を断られたのも、同様の理由だってことが。」
ご明察、とサンジは心の中で唱えた。
また、秘書のこういう素直で誠実な態度を、サンジはいつも非常に好ましく思っていた。
その時、
「た、たたたた、大変です〜!!!」
またもや、執事が血相を変えて飛び込んできた。今にも卒倒しそうな勢いである。
「どうした、セバスチャン。また後宮から召喚状でも来たのか。」
もう召喚状はコリゴリだ、と思いながら言う。
しかし、ブルブルと執事は頭を振る。あまりに振り過ぎて、貧血を起こしそうになるくらい。
「いえ、違います。第一王妃殿下が、第一王妃殿下が〜!!!」
今度はサンジが書斎の椅子を蹴り飛ばすように立ち上がった。
「第一王妃殿下がどうした?!」
「たった今、当館にお越しになりました!」
サンジの口からポロリと煙草が落ちた。
***
応接室のソファには、オレンジ色の髪の貴婦人が座っていた。
この前、後宮で会った時と同じく、清楚なドレスで身を包んでいる。
「ナミ王妃・・・・。」
「こんにちは、伯爵。突然ごめんなさい。」
サンジが応接室に入ってくると、ナミは立ち上がり、にっこりと微笑んだ。
「本当に突然ですね。お供の方は?」
「一人だけを、付けて来ました。」
一人の供だけ・・・・。
サンジは絶句する。
王妃が、臣下の館へお忍びで訪ねてくるなど、普通なら考えられないことだった。
もしあるとしても、それ相当の理由と前触れがあるはず。
それをこんなに突然・・・・。
しかも、第一王妃はこのところ、ほとんど外出らしい外出をしていないと聞く。
サウス宮殿にさえ、出向いていないのだ。
そんな彼女が、どうして自分の館へなんか来たのか。
しかし、一方で納得してもいる。第一王妃殿下は確かに普通とは違うところがあるから・・・・。
「なんてことを。もしものことがあったらどうするんです?」
「あら?心配してくださってるの?それはどうもありがとう。でも、この前ルフィを供も付けずに市中を連れまわしたのは、どこのどなたさんでしたっけ?」
国王ルフィを策略に嵌めるため、カジノへ連れ出したのは、他でもないサンジだった。
その時の付き添いはサンジだけ。
痛いところを突かれ、サンジは一瞬言葉に窮した。
「それはともかく、一体何事なんでしょうか。突然お越しになられるなんて。」
話題を切り替えてサンジが問うと、ナミは表情を引き締め、気遣わしげにサンジの顔を見つめた。
「聞きました。セシル(第三王妃の名前)の注文を、私のために断ったそうですね。」
人の口に戸は立てられない。噂好きの女官達から、ナミ付きの女官達へ漏れたのだろう。
そう、先約とは、ナミのことだった。
ナミもその日、自分の室で食事会の催しをする企画を立てていたのだ。
そして、料理の総責任者をサンジに、と頼んでいた。
第三王妃はそれを承知の上で、その同じ日に食事会を企て、サンジを買収しようとした。
ナミの先約を断らせて、自分の注文を受けさせようと。
そうすることで、ナミの面子を潰し、自分とナミとの力関係を世間に知らしめようとしたのだろう。
つまり、自分の方が権力は上なのだと。
その茶番劇にサンジは巻き込まれたのだ。
だから、サンジが第三王妃に断りの返答をした時の彼女の顔は、なかなか見ものだった。
今思い出しても胸のすく思いがする。
まさか断られるとは思ってもいなかったのだろう。
国王の恩寵と実家の権威をひけらかし、たとえ第一、第二王妃をないがしろにする言動を繰り返しても、それを諌める者もいない昨今だ。
とりわけナミへの対抗意識は相当なもので。
彼女は公爵家の出である自分を差し置いて、格下の伯爵家出身のナミが第一王妃となったことが、いまだに気に入らないらしい。ことあるごとにナミに対抗しようとする。
第三王妃の室や彼女の実家周辺ではナミのことを“赤毛のじゃじゃ馬”と呼んで憚らない。
普通なら不敬罪に問われるところだが、ナミの意向で黙殺されている。
まったく。お綺麗な人なのに、大人気ないことをなさる。
あの方は身分や地位、権力という考え方にあくまでも囚われた人なのだ。
そんなものに囚われれば囚われるほど、息苦しく生きることになるのに。
サンジは彼女のことが憐れにさえ思えた。
「どうして?破格の申し出だったんでしょう?その上、断った代償に多大な損害を蒙っているとか。」
ナミが尚も問い掛けてきたのに対し、サンジは穏やかな口調で答えた。
「・・・・確かに損害は蒙りましたが、大したことはありません。前も言いましたが、私は貴族界では嫌われ者ですからね。もともと貴族との取引に重きを置いてないんです。」
サンジの現在のもっぱらの商売相手は平民達だ。
しかも、今や貴族よりも裕福で、近年台頭著しいブルジョワ達である。
「それに、例え一時的に貴族達が離れたとしても、ほとぼりが冷めたらすぐに戻ってきます。彼らは第三王妃の睨みが怖いだけのただの節操なしですから。」
「でも、何もこんな自ら危機を招くようなことをしなくても良かったんじゃない?私の方を解約すべきでしょう。私は別にあなたでなくても良かったのだから。」
「あの・・・・今の一言の方が堪えました。私でなくても良かったなんて、ヒドイですよ。」
「あ、ごめんなさい・・・・。」
ナミは失言とばかり口元を押さえた。
「他でもない大恩あるナミ王妃の注文ですから、断れるはずないじゃないですか。」
「大恩?なんのこと?もしかして、この前の取引のこと言ってるの?あれはお互い様よ。あなたはストロー紋章を返してくれたのだから。」
ナミは穏やかだが、きっぱりと言った。
それはまるで、必要以上に自分に恩義を感じることはない、そのことで事業に不利な振る舞いをする必要はないのだと、警告しているようだった。
(それでも、私はこんなにもあなたに感謝している。)
「お気遣い、ありがとうございます。ところで、これから何か予定はおありですか?」
「いえ・・・・」
唐突な申し出に、ナミは虚を突かれた。
「では、少し私に付き合ってくださいませんか。」
***
用意された馬車に乗り込んで、向かった先は王都の郊外。
ランスール伯爵家のかつての本拠地であった場所。
サンジは、家督を継いで間もない頃にこの領地を城ごと手放していた。
そしてつい先ごろ、その城と領地を14年ぶりに買い戻したのだ。
今は朽ち果ててはいるが、城は再興の時を待っている。
「あれが、バラティエ城なのね!」
ナミが、興奮気味に目を輝かせて言った。
バラティエ城は、とある国の中で最も美しいと謂われる名城。
湖面に浮かぶその優美な姿は、よく白鳥に例えられた。
「ご覧になるのは初めてでしたか?」
「ええ!初めてよ!噂には聞いていたけれど、見たのは初めて。」
目の前に姿を現した城は、14年前の火災のためところどころ外壁が崩れ落ちてはいるが、それでも堂々とした様式美をたたえていた。
二人は馬車から降り、湖のほとりの青々とした芝生の上に並んで腰を下ろした。
そこから、バラティエ城がとてもよく見える。
湖面で冷やされた風が吹き抜け、しばし二人の髪の毛をもてあそんだ。
しばらく、まるで魅入られたかのように城を見続けた。
「あなたが必死になって買い戻したわけね。これほどの城は他にはないわ。火災に遭う前は一体どんなに美しかったことでしょう・・・・。」
「昔の姿も、もうすぐお見せできると思いますよ。」
「そうですね。」
来年には、国からこの城の再建費用の補助金が下りる。
サンジは城の再建への膨大な費用の必要性から、ある策略に国王ルフィをはめた。
そして危機に陥ったルフィがナミに助けを求め、ナミが事態の解決のため、サンジと取引をした。
その取引でサンジが得たものが、国からの莫大な補助金だ。
その資金によって、もう間もなく、バラティエ城はかつての雄姿を再現することとなるだろう。
「私は、今でもよく夢に見ます。この城が・・・・炎上している夢を。」
またもやしばらく城に見とれて押し黙ったままだったが、サンジがその沈黙を破った。
ナミは少々驚いたように目を見張ってサンジの横顔を見た。そして、そのままじっとサンジの話に耳を傾けた。
「おかしな話ですよね。この城が燃えた時、私は軍人仕官学校にいた。だから実際には炎上している姿なんて見てないんです。それなのに、夢では私もその場にいて―――」
そこでサンジは一瞬、喉を詰まらせた。
まざまざと夢で見た光景が目の前に浮かんだのだ。
黒煙を吐き、赤い炎を上げて燃え上がる城
阿鼻叫喚の声を上げ、逃げ惑う客たち
そして、客と従業員を守ろうと最後まで城に残った祖父と父
まだ若い―――サンジもその中にいて、必死で二人に呼びかける
“早く逃げて!”と
しかし、その声は決して届かない
ついに大きな火柱がその二人の上に落ちかかり―――
夢はいつもそこで終わる。
「この夢を見た後は、いつも私は泣いている。情けない話ですが。」
その告白に、ナミは息を呑んだ。
「そんなことないわ。それだけ心の傷が深かったってことよ。そして、おそらく今もまだ傷ついてるんだわ。」
「そうですね、きっと一生消えないんでしょう・・・・。でも、この城を元の姿にすることができれば、その夢も見なくなるような気がします。」
「・・・・。」
「そして、こんな風に考えられるようになったのも、あなたのおかげなのです。」
サンジがナミの方へ顔を向け、ひたむきに語りかけた。
「あなたは私に夢と希望を与えてくださった。だから、第三王妃だろうが皇太后だろうが、あなたに仇なす輩に組する気はありません。例えそれが事業に悪影響を及ぼそうとも。」
サンジがキッパリと言い切った。
それに対し、ナミは少し困ったような表情をしてサンジを見た。
「あなたって、けっこうバカなのね。自分から負け馬に乗るなんて。」
「ええ、こう見えてもマゾなんです。」
そんなことを言いながら、澄ました顔でわざとらしくサンジはお辞儀をして見せた。
「それに、勝負は最後に勝てばいいんですよ。私は負け馬に乗ったつもりはありません。」
「それはどうかしらね。」
半ば諦めの境地に達したようにナミが呟いた。
「この夢の城の話をしたのは、あなたが初めてだ。」
不意にそう言いながら、サンジはナミの両手をとって握り締め、唇を押し当てた。
そして、ジッとナミの顔を見つめる。
「今まで誰にも打ち明けたことなんて無かったのに・・・・。」
あまりにも想いのこもった熱い視線だったので、これにはナミも胸がざわめいた。
心ならずも頬を赤らめてしまう。
その表情を見て、サンジはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「今のセリフ、グッときました?」
「は?」
「実はこの夢の話をすると、女性を口説き落とせる確立が高くなるんです。女性はこういう類の話に弱いんでしょうかね?」
してやったりという笑みのまま、サンジが言った。
「な!」
ひどいわ!せっかく真剣に聞いていたのに!と喚きながら、ナミがサンジに取られていた両手を慌てて引っ込めた。
「帰ります!」
「ええ、そうですね、それがよろしいでしょう。どうかこの馬車をお使いください。王宮まで送らせますから。」
「伯爵は・・・・帰らないのですか?」
「私はもう少しここにいます。どうかご心配なく。ここはもう私の領地ですから。他にも馬車がありますし、人もいるんです。」
「そう。ではお言葉に甘えますね。」
「・・・・妃殿下。」
「はい。」
「今日、あなたが自らお越しになったのは、どうしてですか?」
この問いに、ナミはやや思案を巡らす顔になったが、やがて意を決したように言った。
「先ほども言ったように、先般の件のために、伯爵が不利を招くような行動をしないよう忠告のために。あなたには直接交渉の方がいいだろうと思って。そして・・・・あなたが私との約束の方を優先してくださったことが、実を言うととても嬉しかったのです。一言お礼を言いたくて・・・・。」
この答えはサンジにとって非常に満足のいくものだった。
感謝や労いの言葉ほど、商人にとって嬉しいものはない。
「こちらこそありがとうございました。それでは、どうかお気をつけて。」
「ええ、あなたも。・・・・これからもがんばってくださいね。」
「また、お会いできるでしょうか?」
「さあ?それはどうかしら?とりあえず、次お会いする時は、必ずゾロを付き人にしますね。」
ナミはいたずらっぽく笑いながらそう呟くと、馬車に乗り込んだ。
そして、軽やかに馬車は走り去る。サンジは馬車の姿が見えなくなるまで見送った。
(次はゾロが一緒か。その方がいい。あの人と二人っきりだと歯止めが利かなくなりそうだ。)
夢の城の話を他人に打ち明けたのは、実はこれが初めてのことだった。
誰にも話したことがなかった
誰にも話すつもりはなかったのに
そして、きっとこれが最後だろう・・・
サンジはナミを見送った後も、しばらくは芝生に座ったまま湖上の城を見つめ続けていた。
不思議だ。なんだか今まで見てきた城とは別のもののように感じる。
そんなことを考えながら、煙草を取り出し、火をつける。
これがバラティエ城
夢の中の城とはもう違う
かつての城はもう戻ってこない
祖父も、父も、二度と戻ってはこないように
でも、城は生まれ変わり、受け継がれていくだろう
祖父と父の遺志が、自分に受け継がれたように
また火に包まれた城の夢を見るかもしれない
けれど、今日を限りにもう涙することはないだろう・・・
サンジは立ち上がり、煙草の煙をくゆらせながら、その場を後にした。
FIN
<あとがき或いは言い訳>
今年のサンジ誕で出そうと思って書き始めたお話でしたが、ちょっと事情があってお蔵入りしてました。
ナミ賛歌の気があるお話なので、ナミ誕で日の目を見ることになりました(笑)。
サンジのカッコよさ、優しさ、頭の良さなどは、うちではこの「とある国」のサンジに全て集約していると言って過言ではありません(それらを表現しきれてるかは別問題だが)。
だから、他の話でのサンジ達はあんなに情けないのでしゅ(汗)。